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怪しい人影?

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「あら素敵。らぶらぶね」

 月曜日の朝。
 研究室に入るなり、秘書の森吉さんに微笑まれた。

「へ?」

 私はぽかん、と森吉さんを見る。ちょっと頬が熱い。な、なんでわかったんだろう? らぶらぶ(多分、そうなんだよね?)だって。

「だって、ほら。俺のモノだって印あるもの」

 そう言って、とんとん、と森吉さんは彼女の首を嫋やかな指先で叩く。

「……? 首?」

 私は自分の首に触れてみた。
 え、なんだろう?
 首を捻っていると、森吉さんが手鏡を渡してくれる。

「ほら、ここ」

 そう言って、森吉さんは私の側まで来て、つん、と私の首をつつく。

「ひゃん!」
「キスマーク。こんなにがっつり」

 くすくす、と森吉さんは笑う。
 手鏡を覗き込むと、森吉さんがつついたあたりに、虫刺されのような跡が……え?

「き、キスマーク?」

 これって、あの、キスマーク?

「そう。ちゅうっ、て吸われたのね、ちゅうっ、て」

 森吉さんは艶やかに微笑んだ。

「ちゅ、ちゅうっ」

 思わず復唱しながら、……そういえば理人くん、身体中ちゅうちゅうしてたなぁって思い出す。
 それから森吉さんは、私の耳元に唇を寄せた。

「気持ちよかった? えっち」
「え、ええええ、えっち」
「コラお前らそこまでだ、黙れ」

 研究室の奥、資料室の扉から、幽鬼のように白い顔の谷川さんがふらりと出てくる。

「いいのよ神山みわやまさん。あんな二日酔いの戯言は……ねぇそれより、役に立った? えっちな下着は」

 小声で、森吉さんに聞かれてこくこく頷く。

「あ、はい!」

 理人くん、可愛い可愛い言ってくれたし──と、慌てて谷川さんを見た。き、聞かれてたかな?
 でも谷川さんは机に突っ伏して、だらりとしている。聞こえてないみたいで、ホッとした。
 私は小さな冷蔵庫を開ける。

「谷川さん、二日酔いなんですか? お水」
「……、神山。オレに優しくしないでくれ」
「?」

 なにか凹んでいるらしい谷川さんに、ミネラルウォーターをコップに注いで渡した。

「ついでにコーヒー、淹れちゃいますね。谷川さん、コーヒーの匂いは大丈夫そうですか?」
「……ん」

 この研究室は近世文学の教授の部屋。秘書の森吉さんに、アシスタントの私。弟子的立ち位置の講師、谷川さんがメンバーだ。
 あとは院生や、ゼミの学生が適宜出入りしている感じ。
 ……正確には、谷川さんは谷川さんの部屋があるんだけれど、どうにもここに入り浸り気味だ。ちゃんと仕事はしているみたいだけれど。
 まぁそんな訳で、結構出入りが激しい。ので、コーヒーは(機械だけれど)こまめにたくさん作っておかないと、なのです。

「いいかおり」

 森吉さんが気持ち良さげに目を細める。
 ──と、そのとき、ふと谷川さんが立ち上がった。

「? どうしたんですか」

 きょとんとしている私たちの前を、谷川さんは大股で横切って、ばあんと研究室の扉を開けた。
 そして叫ぶ。

「なにしてんだ!?」

 そのまま飛び出していって──やがて帰ってきて、鼻息荒く「逃した」と不満そうに言った。

「ど、どうしたんですか?」
「……あー」

 ぼりぼり、と谷川さんは眉をひそめて頭をかいた。

「いやな、何日か前から……いや、その前からも時々な。聞き耳立ててる連中がいんだよ」
「聞き耳?」

 私と森吉さんは顔を見合わせた。
 谷川さんは頷く。

「気がついたのはたまたまだったんだけど──一度見かけてんだよ。ドアにコップ当てて中の声聞こうとしてんの」
「こ、コップ!?」
「それはまた古臭い」

 森吉さんは髪をかきあげた。

「教授には報告済みだったんだが、実害もないし……ま、それ以来、気をつけてて」

 ドアに「こつん」というコップが当たる音を、注意していたんだと言う。

「けど逃した。くそー、なにが目的なんだ」
「教授の新しい論文……?」
「だとしたらデータ盗ろうとするだろ。そういう動きはなさそうなんだよなー……」

 うーん、と三人で顔を見合わせた。

「……ま、とにかく。二人とも注意しといてくれ」

 谷川さんの言葉に頷く。

「顔は見てねーけど、後ろ姿的に男二人組だ。中肉中背」
「わかりました」

 そんな人いっぱいいるけれど、きっと怪しい人だろうから雰囲気で怪しいって分かるはずだ!
 目的は分からないままだったけれど、……その日の夕方。
 しとしと、と梅の新緑を揺らす梅雨の水滴に傘を広げて、研究室がある棟を出る。
 大学の西門を出たところで、スマホがぶるぶると震えた。
 画面には理人くん、の文字。

「もしもし?」

 電話が、というより理人くんの声が聞けるのが嬉しくてウキウキと出ると、スマホの向こうからは慌て切った理人くんの声。

『茉白っ、無事か』
「へ? え?」

 思わずきょろきょろ。
 うん、私、別に無事……だよ、ね?

「はい」
『今どこだ?』
「えっと、まだ大学ですけど……」
『迎えに行く。人の目があるところにいてくれ』
「ひ、人の目?」

 どうしたんだろう……と思いつつ、でも理人くんの焦燥した声に動かされるように、半地下になっている学食に入った。

「学食にいます」
『そのまま待ってて』

 返事をして、通話を切った。
 とりあえず……学食のいい香りに、お腹がすく。

「オムライスでも、食べちゃおうかな」

 ここの学食は、オムライスが美味しいのですよ。
 私は理人くんがなんであんなに焦っていたのかをぼんやり考えつつ、ホワイトソースオムライスをとりあえず注文してみたのでした。
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