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傷跡

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 児干、と言うらしい。その、憂炎様の腹違いのお兄様がやった行為のことは。

「こうすると精がつくらしいよ」

 そう言って、成炎様は捕虜の腹を切り裂いたーーその話を磊が聞いたのは、10年ほど前の話らしい。

「憂炎が俺のやしきに来ていたときの話だ」

 ざわ、と木々を風が通り抜けていく。濃い緑の匂いがした。

「成炎は憂炎より10年上で、……だからいま27か。当時17で、確か初陣だった」

 こくり、とうなずく。

「庭で憂炎と遊んでたら、親父の友人が酒を片手にやってきた。ひどく酔っ払っていてーー」

 磊は、ふ、と思い出したかのように眉をひそめた。

「筋の通った、気持ちのいいオッサンだったよ」

 その過去形が少し気になりつつ、先を聞く。

「その人が、親父と居室へやで話してるのを、たまたま耳にした」

 当時、その人は成炎様の軍で将軍をしていたらしい。
 そうしてーーその人の進言も諫言も、全てを無視して。
 成炎様は「実にいきいきと」(そう、表現されていたらしい)戦場で残虐の限りを尽くした。

「……多分、アレ、最初から憂炎に聞かせるつもりだった」
「え」

 思わず口を挟む。

「その時、憂炎様、まだ6歳とかそれくらいでしょう?」

 まだ、私とも遊んでいた頃。

「おう。……けどな、その人は。憂炎を皇帝に推していた」

 だから、と続ける。

「幼かろうが子供だろうが、覚悟を持てと。酷いことが起きるのが嫌ならば、お前が皇帝になれ。そういうつもりだったんだろうと思う」

 先帝には確か、八人の皇子がいた。
 うち、皇太子候補となったのは三人だと聞く。

「皇太子候補、三人のうちのひとりが、その成炎様?」

 磊は頷いた。

「けどな、その人は。その、親父の友達ダチは。先帝に目通りした際に、その眼前で腹を切った」
「……へ!?」

 驚く私に、磊は続ける。

「劉成炎は皇帝の器に非ずーーそう言って、腹掻っ捌いて、自分で臓物はらわた引っ張り出して、死んだ、らしい」
「……」

 その凄惨な死に様に、私は言葉を失う。玉藻さんだけが「なんじゃそれ、いいのう、それ見たかった」とウキウキした声で言う。

「見たくないよ」
「そうか? なかなかおらぬぞ、自分のハラワタ引っ張り出す男は。わらわの知ってるだけで二人目じゃ」
「ひとりはいたの?」

 なにそれ怖い……っていうか、怖いだけじゃない。

(命をかけて、阻止したんだ)

 成炎様が皇帝となることを。……たしかに、そんな人が皇帝になんかなった暁には、おちおち眠ってなんかいられない。

「まぁそんなで、成炎がやったことが芋づる式に表に出て。さすがに皇太子候補から外されて、夏栢かはくの県令として赴任してーー今に至る」

 夏栢はこの国、らんの辺境に位置する、小さな県だ。
 本来、皇太子候補にまで行った人間が赴任するような場所ではない、んだと思う。

「……その人が、どうして私を狙うの?」
「そもそも憂炎に皇帝を掠め取られた、とあいつは思ってる」

 磊は目を細めた。

「夏栢の県令なんてのはあくまで表向きのことで、いざ譲位となれば自分が指名されるはずだとーー」

 呆れて言葉を失った。
 よくもまぁ、そんな自分に都合の良い解釈を。

「ところが、先帝は急死。譲位もクソも、その時序列一位だった憂炎が即位した」

 だから、と磊は肩をすくめる。

「本来、皇位は自分のものだった、と成炎は未だに思ってるワケだ」
「……そんなの」
「おかしかろうが、変だろうがーー成炎にとっては、それが道理なんだよ」

 道理。
 口の中で、そっと繰り返した。成炎様にとっての、道理。

「憂炎の持ってたものは、全部自分のものにするか、壊すか。それくらいはする」
「……うん」
「正直、まだあいつがお前に何するか分からねー。だから、……いざとなれば」

 そう言って、口をつぐむ。
 眩しい夏の日差しの下で、私たちは黙り込む。
 磊はそっと、壁から身体を離す。

「?」

 私の頬に、そっ、と触れた。
 壊れ物に触れるみたいに。

「痕。まだ、あるな」
「え? あ、あー。コレね」

 磊の手が、頬から離れた。
 ほんの少しドギマギしながら、私は頬に手を当てる。
 ここに来た日。
 あの、冬と春のはざまの、寒い寒いあの日のことを。
 あの日、私はこの人に斬られたのだった。ほんの少し、ほんの少しだけ。

「……傷つけた本人が言っていいことじゃねえんだろうけど」
「? うん」
「痕、残んねーといいな」

 そう言いながら、私を少し眩しそうに見た。寄せられた眉は、どこか切なそうにも見えてーーなんだか落ち着かない気分になる。

「や、あ、うん。きっと大丈夫……あ、くすり!」

 私の大声に、磊はしぃと指を立てた。

「あ、ごめん……あの、薬。ありがとう。磊からなんだよね?」
「……おう」

 少し磊も照れたかのように目を細めた。

「随分良くなったんだよ、ほら」

 磊の手をとって、頬に当てた。

「心配しないで」
「……してねえよ」

 磊は笑って、それから続けた。

「……さっきの話。いざとなれば、な」
「うん」
「お前連れて逃げる」

 磊は強い瞳で、そう言った。
 
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