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後宮
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「これより後宮におります全員が、秦貴妃嫦娥様の指揮下に入ります」
ぽろり、と私は匙を落とした。
「……は?」
「本来、皇后様がおられません、いま。皇帝陛下がご不在の折、後宮における指揮権は皇太后様に移管されます」
「……はい」
「ですが皇太后様が、貴妃に一任すると」
「……」
まじですか。
憂炎様は、後宮のことは皇太后様と女官長に任せてあるから、と言っていたから……うん。正直、油断してた。
膝の上で玉藻さんが小刻みに揺れる。
……笑ってますね?
「こういう時にどう動けばいいのか、勉強しておいてね」
憂炎様は、そう言っていてーーこれからどうなるかは分からないけれど、とにかくやれることはやろうと思っていた。
「……その、なにをすれば?」
「すべて、です。すべてーー娘子」
女官長さんは礼をとったまま、続ける。
「後宮内の取り仕切り、一切を」
「……普段は?」
「皇上から妾に一任されておられます」
私はほっと息をつく。なあんだ、それならば。
「では、わたくしも女官長に」
「なりませぬ」
びしり、と女官長さんは言い放つ。
「これは良い機会です、娘子」
いつも通りの、にこにことした優しげな笑顔のまま、女官長さんは続ける。
「いずれ、娘子は皇后陛下におなりになります」
「え、……っと、それは」
未定というか、なんというか……。
「この機会、良き練習となりましょう」
「……れ、練習?」
「大したことのない戦です」
きっぱりと女官長さんは言い放つ。
「距離があるために、すこしばかり期間は長いとは存じますがーーそれもひと月もすれば、皇上も戻って来られましょう」
「そ、そうなのですか」
それを聞いて、少しほっとする。
「ですので、その期間。娘子には全てを覚えていただきます」
「……すべて?」
「ええ全てです」
その目は本気で、炯々と輝いていた。
私は頬が引きつるのを覚える。……いきなり全力ですか?
その日の夜、浴が終わって居室に帰ってくると、もうそれだけで疲れ果てていた。寝台に突っ伏す。
「……っ、つっかれたよー!」
女官長さんによる後宮取り仕切りの教示は多岐に渡っていて、というか多岐すぎて脳が爆発しそうだった。てか半分してた。
「はっはっ、そち、随分絞られておったなぁ?」
玉藻さんが楽しげに寝台に乗ってくる。フミフミと夜具を踏んで、心地よいところを探してくるりと丸まった。
「笑ってたでしょう、玉藻さん」
「だってのう」
玉藻さんはくっくと笑う。
「あの女な、ずうっとそちを絞るの、待っておったもの」
「し、絞る?」
鼻だけで玉藻さんは返事をして、目を細めた。
「いや、楽しい楽しい……いつだか言っておったの、あの小娘が」
「小娘? 林杏?」
「真の姑は、皇太后ではなくあの女だと」
「……言ってたねぇ」
「相当苛々もしておったのだろ。皇后候補であるのに、子をなすわけでもなく、かといって宮中の取り仕切りを覚えるでもなく、一日中ぼけ~っと暮らしておって」
「……それは」
「小童がな、なにかと理由をつけておったのじゃろうなぁ」
きゅ、と唇を引き結ぶ。
きっとそれは、私の傷が癒えてない、とか、まだ無理をさせたくない、とかそんな理由で。
(……ダメだ)
甘えてちゃダメ。
まだ、はっきりと未来は見えないけれど……でも。
「とりあえずは!」
私はぐっと拳を握りしめる。
「憂炎様がおかえりになった時に、驚かせてみせる!」
「ほう?」
「何もできない小娘じゃないとこを見せるのです」
「ほーん」
見せてどうするのかの、と玉藻さんは興味なさげに、足で耳をごりごりとかく。
「とりあえず、今の目標はそれ」
守られてるだけの、無力な存在じゃないってのを、なんだか見せたい。
……これが、どんな感情に基づくものなのかは、まだ良く分からないけれど。
(やればできるはず!)
うん、と私は気合を入れてーーそしてやっばり、まだ気がついていなかった。
憂炎様は無傷で、元気に、またあの穏やかな笑顔で後宮に戻って来られると、そう愚直に信じていたのだった。
ぽろり、と私は匙を落とした。
「……は?」
「本来、皇后様がおられません、いま。皇帝陛下がご不在の折、後宮における指揮権は皇太后様に移管されます」
「……はい」
「ですが皇太后様が、貴妃に一任すると」
「……」
まじですか。
憂炎様は、後宮のことは皇太后様と女官長に任せてあるから、と言っていたから……うん。正直、油断してた。
膝の上で玉藻さんが小刻みに揺れる。
……笑ってますね?
「こういう時にどう動けばいいのか、勉強しておいてね」
憂炎様は、そう言っていてーーこれからどうなるかは分からないけれど、とにかくやれることはやろうと思っていた。
「……その、なにをすれば?」
「すべて、です。すべてーー娘子」
女官長さんは礼をとったまま、続ける。
「後宮内の取り仕切り、一切を」
「……普段は?」
「皇上から妾に一任されておられます」
私はほっと息をつく。なあんだ、それならば。
「では、わたくしも女官長に」
「なりませぬ」
びしり、と女官長さんは言い放つ。
「これは良い機会です、娘子」
いつも通りの、にこにことした優しげな笑顔のまま、女官長さんは続ける。
「いずれ、娘子は皇后陛下におなりになります」
「え、……っと、それは」
未定というか、なんというか……。
「この機会、良き練習となりましょう」
「……れ、練習?」
「大したことのない戦です」
きっぱりと女官長さんは言い放つ。
「距離があるために、すこしばかり期間は長いとは存じますがーーそれもひと月もすれば、皇上も戻って来られましょう」
「そ、そうなのですか」
それを聞いて、少しほっとする。
「ですので、その期間。娘子には全てを覚えていただきます」
「……すべて?」
「ええ全てです」
その目は本気で、炯々と輝いていた。
私は頬が引きつるのを覚える。……いきなり全力ですか?
その日の夜、浴が終わって居室に帰ってくると、もうそれだけで疲れ果てていた。寝台に突っ伏す。
「……っ、つっかれたよー!」
女官長さんによる後宮取り仕切りの教示は多岐に渡っていて、というか多岐すぎて脳が爆発しそうだった。てか半分してた。
「はっはっ、そち、随分絞られておったなぁ?」
玉藻さんが楽しげに寝台に乗ってくる。フミフミと夜具を踏んで、心地よいところを探してくるりと丸まった。
「笑ってたでしょう、玉藻さん」
「だってのう」
玉藻さんはくっくと笑う。
「あの女な、ずうっとそちを絞るの、待っておったもの」
「し、絞る?」
鼻だけで玉藻さんは返事をして、目を細めた。
「いや、楽しい楽しい……いつだか言っておったの、あの小娘が」
「小娘? 林杏?」
「真の姑は、皇太后ではなくあの女だと」
「……言ってたねぇ」
「相当苛々もしておったのだろ。皇后候補であるのに、子をなすわけでもなく、かといって宮中の取り仕切りを覚えるでもなく、一日中ぼけ~っと暮らしておって」
「……それは」
「小童がな、なにかと理由をつけておったのじゃろうなぁ」
きゅ、と唇を引き結ぶ。
きっとそれは、私の傷が癒えてない、とか、まだ無理をさせたくない、とかそんな理由で。
(……ダメだ)
甘えてちゃダメ。
まだ、はっきりと未来は見えないけれど……でも。
「とりあえずは!」
私はぐっと拳を握りしめる。
「憂炎様がおかえりになった時に、驚かせてみせる!」
「ほう?」
「何もできない小娘じゃないとこを見せるのです」
「ほーん」
見せてどうするのかの、と玉藻さんは興味なさげに、足で耳をごりごりとかく。
「とりあえず、今の目標はそれ」
守られてるだけの、無力な存在じゃないってのを、なんだか見せたい。
……これが、どんな感情に基づくものなのかは、まだ良く分からないけれど。
(やればできるはず!)
うん、と私は気合を入れてーーそしてやっばり、まだ気がついていなかった。
憂炎様は無傷で、元気に、またあの穏やかな笑顔で後宮に戻って来られると、そう愚直に信じていたのだった。
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