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「しかしのう」

 玉藻さんは言う。

「因果な名前じゃの」
「? なにがですか?」
「そちよ、そち」

 玉藻さんは目を細める。

「嫦娥とは、これまた」
「……どういう意味です?」
「なんじゃ、知らぬのか」

 玉藻さんは可愛らしい舌をほんの少しだけ出して、微笑む。

「夫殺しで月へ流刑ながされた仙女、その名前を冠しておるのに、そなた」

 私は絶句した。
 夫殺し?

(それは)

 呆然と玉藻さんを見つめる。

(前世での……漫画での、嫦娥がしたこと)

 夫を殺して、権力を手中にいれて。

(名前はしゅだと、玉藻さんは言う)

 それならば、私は最初から「夫」を殺す、そういう宿命うんめいなのだろうか……?

「ふっふ」

 玉藻さんは笑う。

「知らなんだか」
「そんな話は、聞いたことが」
「無かったことにされておるのかのう」

 玉藻さんは、まるで知っている人のことを話すように言う。

「あやつは、ヒトを守るために夫を殺したよ」
「守るために……?」
「ま」

 玉藻さんは肩をすくめる(というか、すくめたいような仕草)をした……まぁ、身体は獅子狗シーズーですものね。

「色々言うたは言うたが、しゅなど要は気の持ちようじゃ。そちがどうなるかは、誰にも分からぬよ」

 慰めるような言葉に、私は頷く。

「……私は、そんなことしない」
「おや」

 玉藻さんは鼻をすんすんさせて少し嬉しげ。

「思ったより気が強そうじゃ、たのしい愉しい」

 面白きことが沢山あるとよいのう、と玉藻さんは続けた。

「アレに獅子狗にされて以来、どうにも暇じゃったのじゃよ~」

 くぁ、と欠伸をする玉藻さんに、私は尋ねる。

「ところで、なんで獅子狗なのです?」
「あー。いろいろあったのじゃよ、いーろーいーろー」

 玉藻さんが寒い目をして言うから、私は思わず笑ってしまう。

「そうですか、色々あったのですねぇ」

 こんこん、と扉がノックされた。

「?」

 また香桐さんかな? と思ったところで、想定外の声が聞こえた。

「嫦娥、誰かいるの?」
「あ、え、は、憂炎様」

 私はびくりと身体をゆらす。まさか、玉藻さんとの会話、聞かれてた!?
 珍しいことに返事を待たずに扉が開かれる。

「……その子と話していたの?」
「えへへ、はぁ、まぁ」

 私は膝の上の玉藻さんを撫でた。いい毛並みだよなぁ。さらさらふわふわ。

「ごめんね、母上が押し付けてきたんでしょ?」

 少し申し訳なさそうに、皇上が首を傾げた。それで様子を見にきてくれたのだな、と思う。

「あ、でも可愛いし、面白いからいいです」

 玉藻さんを抱き上げる。完璧に獅子狗のフリをしてる玉藻さんは、ちろりと桃色の舌を出した。

「面白い?」
「友達になってもらいました」

 玉藻さんは少し偉そうに、ふん、と鼻を鳴らして尻尾を振った。
 ふ、と皇上は黙り込んで、私から目線を逸らした。

「お疲れなのですか?」

 思わず、そう声をかけてしまう。それほどに、なんだか辛そうで。

「……ううん、ありがとう」

 笑ってそう答えて、憂炎様は「おやすみ」と居室を出て行こうとする。

「あ、あの」

 思わず駆け寄って、その服の裾を掴む。不敬かなと脳裏をよぎるけれど、それくらいで怒る人じゃない。

「少しだけ、よろしいでしょうか?」

 あんまりにも、何か抱えてる雰囲気がして、……そりゃ、そうなんだけどさ。
 憂炎様は目をまん丸にして頷く。

(皇帝だもの)

 その双肩にかかっているものは、16歳の少年が抱えられる量じゃない、と思う。

(なにも、できないけれど)

 お飾りの、いやお飾りですらないかもしれない妃だし、いずれは出てかなきゃ行けないのだろうけれど、でも。
 少しくらいは、恩返しさせてください。
 憂炎様を長椅子に座らせて、私も横に座る。

「あの、ええっと」

 なんだか困ってる憂炎様の手に、少しだけ香油をたらす。

「手をね」
「う、うん」
「手をこう、揉むと、少し緊張が解けるというか、疲れが取れるらしいのですよ」
「あ、手。手か、うん」
「?」
「いやなんでも」

 ふい、となぜか目の下を赤くする憂炎様の手をそっと、時に力をこめて、揉む。
 時折、ぽつり、ぽつりと会話する。
 憂炎様の手が、少しあったかくなってきた。
 見ると、少し眠そうに目を瞬いている。

「少し、眠りますか?」
「?」

 まどろむ憂炎様に、私は太ももを叩く。

「私の膝枕でよろしければ」

 言った後に気がついた。あ、私がどけばこの長椅子で眠れるんじゃん。

「あ、失礼しました。私、どきま」
「じゃあ!」

 やたらと気合の入った声。

「遠慮なく」

 言い終わる前に、ぽすりと足に暖かい頭が降ってくる。

「すこし、だけ……」

 そう言い残して、憂炎様はすうすうと眠ってしまった。

「……あら」
「爆睡じゃの」

 玉藻さんが足元から言う。

「お疲れだったんでしょうねぇ」
「まぁ、色々拗らせてひとりで右往左往してとるからのう、自業自得じゃ、かか」

 玉藻さんは楽しげに笑う。

「そんな言い方」

 思わず口を尖らせると、玉藻さんは不思議そうに私を見る。

「そちは嫌ではないのか? ここにおること」
「ここって、後宮ですか?」
「うむ」
「……まぁ、居心地は良いです」

 叩かれないし、ご飯も食べられるし。

「ただ、なぜここに置いていただけてるのか、分からないのはあるんですけど」
「ま、それこそ坊主の自業自得じゃからの~」

 妾からは何も、と玉藻さんは笑う。

「何か知ってるの?」
「どうかな」

 玉藻さんはニヤリと笑うだけで、それ以上何も教えてくれなかった。
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