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1巻

1-2

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 つい、と修平さんは少しだけ照れたような目線。あ、わ、なんか……ずるい。ていうか、覚えててくれたんだ。
 お礼を言って、ふと尋ねた。

「でも、よく覚えてましたね」

 そんなこと、私自身には話した記憶もなかった。修平さんは何という事もなく、言う。

「必要な情報は忘れない」

 情報。その言葉に、私は少しだけ目を伏せた。そうだ、修平さんにとって私との結婚は……出世のための、ものなんだから。
 ……気にしたって、しょうがない! 気を取り直してローテーブルにおでんを置いて「いただきまーす」ともぐもぐ食べてるうちに、さっさと片付いていくお部屋……。あれ?

「えー、うそ」

 ぽかん、としている間に段ボールに収まっていった荷物たち。

「どうせすぐ開けるんだ、無理して整理整頓せいとんしなくてもいい」
「う、ごもっともで」

 せっかくだから、とか思っちゃったんだよね。

「俺も食おう」

 修平さんは私の横にどかりと座って、きちんと手を合わせた。

「いただきます」
「召し上がれ?」

 召し上がれもなにも、これ修平さんが買ってきたやつなんだけれど。でも修平さんは特に何か言うこともなく、ぱちんと割り箸を割った。

「うまい」
「美味しいですよね、コンビニおでん」

 うむ、って感じに修平さんは頷く。こういうとき、仏頂面ぶっちょうづらなのになんだか可愛いんだよなぁ。じっと見てると目があった。

「何か」
「いいえ」

 くすっと笑うと、ふ、と修平さんは申し訳なさそうな顔を(よく見ないと気付かないけれど)した。私は首を傾げる。

「すまなかった」
「え? なにがです?」
「式のあと、ひとりにして」
「いえっ、お仕事ですし」

 私はほっと笑った。なあんだ、そんなこと。修平さんは頷いて、私の頬にそっと、少し遠慮がちに触れた。

「……寂しい思いをさせただろうか」
「えーと」

 式のあとは疲れて爆睡したりダラダラしちゃったりして……あんまり考えてなかったかも。でもなんか、全然大丈夫! っていうのも、なんか。

「す、少し?」
「悪かった」

 無愛想顔ながら、ほんの少し眉間に申し訳なさそうな色を浮かべて、修平さんはそう言った。

「いえ! ほんとに、それは」

 お仕事ですもんね、と微笑む。
 す、と修平さんの目が細くなって――その目に何か熱いものがあることに、今更ながら気がついた。欲、的なもの。……そりゃそう、か。だよね? だって私たち、新婚さんだ。愛情があるにしろ、ないにしろ。
 ゆっくりと唇が重なる。……あ、やわらかい。案外柔らかいんですね、なんて思ってるうちに、口内に舌がねじ込まれてくる。

「んっ」

 思わずびくりと身体をゆらして、修平さんのシャツを掴んだ。大きな手が私の後頭部を支えて、私は口の中を食べられるみたいにキスをされる。柔らかなところを舌先で撫でられ、上顎うわあごを舐められて――もう一方の手が、するりと私のシャツに入り込む。あ、どうしよう、下着、揃ってなかったかも! ……ていうか、そもそも今ロンTにジャージだし色気もへったくれもないな、……なんて余計なことは、与えられた快感で、すぐに頭から消えた。
 彼の手はそっと私の乳房を包んで、唇から離れた舌先は、首筋をぬるりと舐めあげる。

「ひゃ、あ、やだっ」

 思わず出た声に、修平さんは顔を上げて、少しだけ口の端を上げた。

「ここが弱い?」
「や、そんなこと」
「こっちは」

 ふっと耳たぶを噛まれた。それから耳の穴にねじ込まれた舌。

「は、ぁうっ」
「……感じやすいんだな」

 少しのからかいを含んだ声。た、楽しそうですね!?
 その声が耳のそばでするものだから、しかも結構いい声をしてらっしゃるものだから……余計に、なんか、敏感になっちゃう。どうしよう、と思うのにほとんど無意識に太ももを動かしてしまっていた。久しぶりだから、こんなのっ……!
 お見合い後、お付き合いの段階では修平さん、一切私に手を出してこなかった。淡白な人なのかなと思っていたけれど……この感じ、そんな人ではなさそう。もう一度唇が重なって、舌をちゅうっと吸われた。

「んんんっ」

 嬌声きょうせいが漏れ出て、私は自分の下着がすっかりべしょべしょになってることに気がつく。ほぼちゅーしかしてないのにっ。恥ずかしくて、なんだか目頭が熱くなる。

「……美保?」
「はっ、はい!?」
「嫌、だっただろうか」

 いつのまにか、服から出ていっていた大きな手のひらは、そっと私の頬に触れた。そして親指で、涙を拭う。

「無理しないでいい」
「ち、ちがっ」

 ていうかここでやめないで! 熱を持ってうずく、身体。

「違って……恥ずかしくて」
「恥ずかしい? なにが」
「か、かん」
「かん?」

 私はほんの少し口籠くちごもったあと、思い切って口を開く。

「……感じすぎてるのがっ」
「感じすぎてる」
「く、繰り返さないでくださ、わあ!?」

 ひょいと持ち上げられた。お姫様抱っこ! 段ボールの山のそばに、まだ置いてあったベッド……(まぁ今日まで寝る予定だったから)にゆっくり横たえられる。

「美保」
「は、はいっ」

 思わず返事をして、その真っ直ぐな目と目線ががっちりと合う。

「すまない、加減できそうにない」
「加減?」

 修平さんはシャツを脱ぐ。引き締まった身体。警察官だから? 涙目で見上げると、修平さんはゆるゆると私の頭を撫でた。

「君がそんな顔をするから」

 ……どんな顔を、してるんだろう。私。

「……少しは、自制する」

 ぽつりとそう言って、修平さんはちゅ、と目尻に唇を落とす。

「今日のところは」

 今日のところは? 聞き返す前にブラジャーがシャツごと上にずらされていく。

「んうっ」

 我ながら色気もなにもない声が出た。すっかりってしまってた乳房の先端を、くりっといじられる。

「やぁ……っ」
「ふ」

 なんだか笑われた。

「な、んで笑っ」
「可愛いと思って」

 か、可愛い!? 修平さんにそんなこと初めて言われたよ……! ドキマギしてるうちに、もう片方の手がジャージごと、すっと下の下着をずらす。

「……穿いている意味がないな」

 思わず赤面。うん、もうべっしょべしょでした、ほんとにもう……どうしちゃったんだろ。
 するりと足から下着をぬがされる。膝裏を押され、足を広げられた。そうして、修平さんの指がトロトロとみだらな水でぬるつく入り口に触れる。じっくりと、入るか、入らないかのところで指が行き来する。

「……っ、あ、……あっ」

 乳房を揉まれながらそんなことをされて、自分から出てると思えない、甘い高い声が上がった。指でいじられ、摘ままれもてあそばれていた乳房の先端を、修平さんが口に含む。

「ひゃうっ」

 温かな口の中、舌の先でつんつんと突かれて、吸われて、甘噛みされた。同時に、指は相変わらずもどかしく、すっかり濡れてとろけ落ちそうな裂け目を行ったり来たり……苦しいほどの快感に、私はあえぐ。

「やっ、ぁ、修平、さんっ」

 指で触れられているだけなのに、すでに理性は半分、どこかへ行きつつある。

「お願い……っ」

 ぬるぬるのそこを触るばかりで進めてくれない修平さんに、私は懇願こんがんする。入れて、動かして――ぐちゅぐちゅにして……イかせて、欲しい。

「どうして欲しいんだ?」

 はっきり言わないとわからない――そう言って修平さんは、肉芽を摘まむ。

「やぁっ」
「ひくひくしているな」

 少し興味深げに、修平さんはそう言って薄く笑った。すっかり敏感になっていたソコを親指でぐりぐりと刺激され、あられもない声が漏れ、思わず腰が上がって……今更ながら、恥ずかしくなる。

「ふぁっ、あ、あのっ、あんっ、で、電気」
「ダメだ。見ていたい」
「へ……っ!? や、っ、恥ずかしいです」
「なぜ?」

 修平さんはそっと頬にキスを落とす。

「こんなに綺麗なのに」
「きれ、あうっ」

 骨張った指が、一本、ぐちゅりとナカに入ってくる。

「ふぁ、っ、……んっ、や、ぁっ」

 求めていた以上の快楽に、身体が跳ねる。

「欲しいと言ったのは君なのに」

 やっぱり少しからかう口調で修平さんは言いながらナカを探る。指を増やして、バラバラに動いてイイトコを探すようなその動きが気持ちよくて、壊れそうで、私はただあえぐ。

「やッ、あっ、あっ、あんっ」
「このあたり、か」

 ぐりっと動かされた指が、キモチイイところをぎゅうと刺激する。声にならない声が出て、私はきゅうきゅうと修平さんの指を締め付ける――。視界がチカチカした。星がみえる、みたいに。
 あ、もう、ダメ。頭の中がスパークするみたい。だらしなく、口元からよだれが垂れる。やだよ恥ずかしいよ。それを修平さんはちろりと舐め上げて、それくらいの刺激でもイったばかりの私はびくんと反応してしまう。
 修平さんがベルトを外す音がして、私は……欲しい、って素直に思ってしまった。
 本当に、どうしちゃったんだろう、私? 頭の中まで、とろっとろ、だ……
 修平さんは優しいキスを私に落として――唇を重ねたまま、私のナカに挿入はいってきた。

「あ、あううっ」

 十分に、ていうか、十分以上に濡らされてほぐされていたはずなのに、みちみちと広がる感覚。お、おっきい! いや、見てわかってたけど――押し広げられて、修平さんがゆっくりと押し進んでくる。

「は、あ、あ」
「大丈夫か、……美保」

 心配げな声で、修平さんは優しく私の名前を呼ぶ。私はゆっくり頷いた。

「い」
「い? どうした」
「いっぱい、して……」

 私はどんな顔をしていたんだろう。ふしだらな女だと思われただろうか? でも、お腹の奥がきゅんきゅんして、欲しくて、突いて欲しくて、ナカのひだがぐちゅぐちゅにうずく。
 私、こんなに性欲強かったっけ。恥ずかしくて……でもその羞恥しゅうちがなぜか、余計に身体をうずかせる。体中が欲情して、この人を、修平さんを求めてとろとろになっているような、そんな感覚。

「奥まで、して、ください。いっぱい、して……」

 修平さんはぐっと口をひき結んだあと、私の腰を掴んで、ただひとこと、私の名前を呼んだ。



   5 恋慕れんぼ(修平視点)


 多分、痴漢事件のときには、すでに惚れていた。どこに? と問われれば困る。けれど――
 例えば、きちんと汚したシャツのクリーニングの心配をしてくれたこと。
 例えば、そのときに読んでいたのが宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』だったこと。
 例えば、そのときに寝落ちしながらもただ、待っていてくれた真摯しんしな性格だとか。
 これが恋だと気づいたのは、事件のとき、彼女の部屋で一晩を過ごして。
 すうすうという規則的な寝息。それを聞いているうちに、なぜかひどく安らいで、同時によくわからない感情に襲われた。
 今ならわかる。――嫉妬しっと、だ。明らかに男物のスウェット。……こんなときにその男には頼れないのか? 頼らないのか。

(そんな男はやめて、俺に)

 喉から出かかって、やめた。それは彼女の弱みにつけこむようで、それは己を許せなくて。だから、それからすぐ――上司から連絡があり、お見合い話があると聞いたとき。俺は即答で断った。

『なんで!』
『好きな人がいます』
『あれ今お付き合いしてる人、いないって』
『片思いです』
『あ、そー。まぁほら、写真だけでも』

 須賀川さんのお嬢さん、と聞いて。これは断りづらいぞ、と思いながら写真を開いて――ぴしりと固まった。

『鮫川くん?』
『結婚を前提に進めていただきたく』
『え、うそ、変わり身早いね?』

 よほどタイプだった? と揶揄からかう上司に『本命でした』と俺は告げた。不思議そうな顔をされて――やがて、お見合いを経て。
 お見合いのことは、緊張しすぎて記憶にない。茶柱を見て微笑む美保が可愛かった、くらいしか。不安に思いながらも、申し出た「お付き合い」。すぐに返事が来て、嬉しくて、しばらく機嫌が良かった。良すぎた。部下に不気味がられる程度には。ただ、須賀川長官に念を押された。強く強く。

『いいかね鮫川くん、結婚するまでは手を出してはいけないよ』
『それはどの程度でしょうか、長官』
『手を繋ぐくらいは許可しよう』

 ……内心、中学生か! と思わないでもなかった。だから急いだ、という訳でもないのだが。
 プロポーズ。自分でも、口下手なのは自覚している。だから、できるだけシンプルに。余計なことは挟まずに――『結婚してください』。
 美保は不思議そうに『私でいいんですか?』と首を傾げた。

『君がいい』

 精一杯の、言葉。
 好きです愛してます一生そばにいてください、そう言えればどれだけいいか。次に絞り出した言葉が『俺に毎朝味噌汁を作ってくれ』とは、これはもう、時代錯誤としか思えない。
 が、それでも美保は頷いてくれた。
 思わず部下に漏らしたことがある。

『うかうかしていたら、他の男に持っていかれるかもしれん』
『そりゃあ、まぁ、署長。ベタ惚れしてますね』
『そうだろうか』

 ベタ惚れ? ――そういう揶揄からかわれかたをしたのは、初めてだ。今までも、交際経験はある。けれど、誰とも長続きはしなくて。それに対して未練もなくて。こんなに執着するのは、初めてだ。だから、……自覚はある。自分にブレーキがかかってないことくらい。何も見えてないことくらい――それくらいに、惚れてしまっていること、くらい。
 初めて、美保に「そういう意味」で触れたとき――指先が震えているようで……でも、彼女は俺を受け入れてくれた。童貞でもあるまいし、とそう思うのに――心臓がうるさい。俺の少しの動きに、身体を震わせうるおわせとろける彼女が愛しくて仕方ない。

「奥までして」

 そう言って声を震わせる美保が、可愛くて、綺麗で。セックスのときは、素直なんだな、とその柔肌に触れながら思う。普段は我儘わがままひとつなくて、素の彼女を隠されているようで、寂しくて――だから、嬉しかった。
 俺にしがみつきながら、ただ嬌声きょうせいを漏らす彼女のとろけた中が、ぬるぬると、きゅうきゅうと締まる。今すぐにでもナカに吐き出したい快楽をぐっと抑えて、何度も腰を打ち付けた。
 彼女が欲しいと言ったから。甘えた声で、欲しいとあえぐから。

「や、ぁっ、イくの、イっちゃうの、修平さんっ、あんっ、イク、やだ、はぁ、ああっ、んんんんっ」

 とろとろの肉襞にくひだがきつく吸い付くように、俺を締め付けて――彼女が達したのを確認して、己を引き抜いて、その薄い腹に吐精とせいした。
 荒い息。俺に組み敷かれた美保は、はうはうと可愛らしい呼吸を繰り返す。その姿が、堪らなく胸を締め付ける。

「愛してる」

 ささやくように口から出た言葉が、聞こえていたのか、いないのか――美保はとろりとした目で、俺を見て、笑って……そのままゆっくりと、眠りに落ちていく。
 そうして、俺ははっきりと確信する。俺はもう、この人から離れられない。この人なしでは、生きていけない。生きていく理由がない。
 彼女を抱きしめて眠る。すうすうという寝息は、やはり、心地良くて。

(人間、恋すると馬鹿になるものなのだな――)

 そんな自分がおかしくて、ほんの少し、笑った。



   6 よだか


 翌日――引っ越しの片付けはなかなか終わらなかった。その日遅くに、晩ご飯をケータリングで済ませた頃、なんだか部屋がようやく片付いた感じになり、一息つく。

「修平さんごめんなさい、明日も早いのに」

 キッチンを借りて……じゃないな、今日から私のでもあるキッチンで、グラスにビールを注いで(本物だ、奮発です)そんな話をする。修平さんは首を傾げた。

「俺は問題ないが……美保は?」

 疲れているだろう、と頬を撫でる大きな手。この人、こういうの好きなのかな。

「いえ、なんでしょう。テンションが高いせいなのか、割と元気です」

 大きな背を見上げながら答える。引っ越しとかの非日常って、なんかテンション上がるよね。……まぁ、このところ非日常の連続だったわけなんだけれど。

「そうか」

 修平さんの手は、気がついたら耳を撫でていた。こりこりと軟骨なんこつを指で挟んだり、耳たぶを摘まんでみたり。
 目が合う。なんだか胸がきゅうんとした。

「……座ろうか」

 修平さんが、ビールグラスをふたつ持って歩き出す。広い背中。

「はい」

 返事をしながらついていく。リビングのガラスのローテーブルの前、黒いソファに修平さんは座って、ローテーブルにグラスを置いた。私はちょこんとその横に座る。……なんか緊張しますね?

「このグラス」

 修平さんはビールをひとくち。私もひとくち。うん、美味しい。さすが、本物。

「新品、だったな」
「はぁ」

 私は相変わらず気の抜けた返事しかできない。

「使うかなーと。こないだ買いました」

 あまり食器がない、みたいな話を聞いていて。気分だけでも新婚さんらしく、色違い。うすはりグラス、っていうのかな。シンプルなデザインだから、外れはないかなと思ったのだけれど。

「趣味ではなかったですか?」

 そういうの、こだわりあるのかなと聞いてみる。勝手に買っちゃ不味まずかったかな。

「……いや、とても、……良いと思う」

 顔こそ無愛想だけれど、声は穏やかだったから安心した。

「美保」

 ことり、と修平さんはローテーブルにグラスを置いた。

「はい?」

 返事をするやいなや、修平さんは私を軽々抱き上げて、その膝に乗せる。グラスの中で、金色の波が揺れた。

「……!?」

 ん? 私を乗せるの? なんで? 当の修平さんは涼しい顔で、テレビなんかつけている。BSの国際ニュース……。あれ、観る人いるのかなと思ってたらここにいた。

「好きにしてていい」

 好きにしてていい、と言われましても。ぎゅうと抱きしめられて、あんまり身動き取れないですし、うーん。……分厚い胸板。聞こえる心音は、少しはやい?
 ……きのう、この人とエッチしたんだよなぁ。なんか、妙な感じ。
 あったかくて滑らかな肌の感触とか。筋肉の硬くて柔らかい感じ、とか。最中、目があったときの熱い目線とか、そういうのがありありと思い浮かぶ。気持ち良すぎて最後のほう、ほとんど記憶がないや……って、やばい! ひとりでヤらしくなるとこ、でした。
 ちら、と見上げる。修平さんの視線はテレビ。BSニュースは、ニュージャージー州だかなんだかの事件の話をしている。どの辺なんでしょう。アメリカだってことはわかる。私はローテーブルの隅っこに置いてあった、文庫本を手に取った。さっき、本棚で見つけた宮沢賢治の短編集。少し古い。何回も読んでるのかな、って感じの草臥くたびれ具合。読んだことない話も入っているやつなので、借りて読もうと持ってきてたのです。ほんとに読むんだなあ、宮沢賢治。意外です。まぁ、イメージ通りの剣豪歴史小説とかもあったから、私の第一印象もあながち外れではなかった、のかな?
 最初のお話は『よだかの星』。集中して読んで、読み終わった頃に(って短編だからすぐなんだけれど)本を持つ私の手に、修平さんが触れてきた。きゅうと握られる。

「ん?」

 見上げると、目が合った。ニュージャージー州とやらのニュースは終わったのかな、とぼうっと考えてると、そっとキスをされた。柔らかな唇。触れるだけの、優しい、やわらかな、そんなキス。昨日みたいな、ヤらしくて熱いキスではなくて。なんだか、なんでしょね? 安心するような、そんなキス。離れていく温かさ。修平さんは目をほんの少し、細めた。

「好きなのか、よだかの星」
「え? あ、はい」
「かなり集中して読んでいたから」

 久しぶりに読んだから、なんだか夢中になって読んでしまっていた。

「好きっていうか、……なんか、重ねてしまうところがあって」

 修平さんを見上げる。……この人には、あんまりない感情かもなあ。

「ほら、よだかって、他の鳥皆にいじめられてるじゃないですか」
「……ああ」
「兄弟は、皆綺麗で」
『よだかは、実にみにくい鳥です』

 そんな言葉で始まるこの物語。よだかは、他の鳥からうとまれ、嫌われて暮らしていた。兄弟は「美しいかわせみ」や、「鳥の中の宝石のような蜂すずめ」なのに。

「なーんか、重なるというか?」
「重なる?」

 私はほんの少し、笑う。

「ほら、私。家族というか、一族の中でたったひとりの『平凡な人』なんです」
「平凡?」

 ものすごくいぶかしげな声で聞き返された。そこ引っかかるところかな?

「お父さんは言わずもがな。母もあれで茶道の家元なんかしてますし、お兄ちゃんは総務省にいて、お姉ちゃんは検事さん」


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