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1巻

1-1

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   プロローグ


 想像してみてほしい。
 終電、ほろ酔い状態で、背が高くてコワモテ、っていうかガタイがいい男の人にぶつかってしまった、という状況を。ヒールでその人の足を踏んで、あまつさえ白いシャツに口紅なんかつけてしまったって状況を。……やってしまった。
 新入社員歓迎会(歓迎する側)のアルコールでフワフワになった私にできたのは、とにかく何度も頭を下げることだけで――

「……いえ」

 男の人は、ほんとに無愛想にそれだけ言って目を伏せた。だから私は、逃げるように家路を急いで歩き出して……ふと気がつく。
 ――あ、れ。誰か付いてきて、る? 街灯はあるけれど、ほとんど真っ暗。深夜の住宅街、当然人通りもまったくなくて。急ぐ私と、背後からの足音。明らかにそれは男の人のもので、……しかも、私の歩くスピードに合わせて歩いている、気がする。私はあえぐように息をしながら歩く。冷や汗が出て、足がもつれそうになるのに、アルコールはめてくれない。なんとかマンションにたどり着くけれど、エントランスに入ってホッとする間もなくその足音も自動ドアをくぐってくる。

(やだ……っ)

 マンションの中、エントランスからエレベーターへ向かう自動ドアのオートロック解除は鍵でしなきゃなんだけど、慌てて震えて鍵が鍵穴に入らない。慌てすぎてめちゃくちゃに指先が震える。そうこうしている間に背後から鍵穴に鍵を入れたのは……私が不審者扱いしていたその人で。――あ、れ?

「失礼」

 振り向くと、コワモテでガタイが良くて無愛想な――シャツに口紅をべったり付けた、さっきの男の人。があっと開く自動ドア。

「君」

 男の人は、私を見下ろしながら言った。とっても無愛想に。

「そんな風になるのなら、酒は控えたほうがいいんじゃないか」
「……えっと」
「では」

 颯爽さっそうと自動ドアの向こうに消える、男の人。……っていうか。ふ、不審者じゃなかった……
 足音が付いてきている気がしたのは当たり前だ。だって同じマンションの住人だったんだもの!?
 私。ものすごく失礼なことをしてしまったのではないでしょうか――?
 一人でさあっと青くなる。
 須賀川美保すかがわみほ、もうすぐ二十七歳。私、とんでもない失態をしてしまったような気がします……



   1 お見合い話


「そんなわけでものすごく、気まずくて」
「つうか、そんなに頭まわんねー状態ならタクシー使えよ危ねーな」
「それすら思いつかないくらい酔ってて」

 昼休み。会社の食堂で、私は男友達――もとい、元カレの小野おのくんにそんな話をしていた。元カレではあるんだけど、お互い恋愛感情がなくなって、それでも仲良くて円満に別れた感じ。

「まぁそれでね、お詫びの品なんかを持って待ち伏せたい訳なんだけど」
「お前のほうが不審者になってない?」
「でも部屋番号もわからないし。せめてクリーニング代くらいは……」
「相変わらず律儀りちぎな奴だな……あ、そういえば、美保」

 なに? と私は首を傾げた。

「五月五日にさ、皆でバーベキューしようって話、出てるんだけど」
「こどもの日? ……あ、その日ダメだ。お見合い」
「……は? 見合い?」

 私のその言葉に、小野くんがそう呟く――少し呆然として。私は首を傾げた。

「うん。婚活しよっかなー、って思ってたらお父さんがお見合い持ってきてくれたの。お父さんの部下の部下」
「……お前の親父サンて、確か警察の偉いサンだったよな」

 私は頷く。どうも偉いらしい。ときどき国会とかにも出ているとか、いないとか……
 ていうか、私だけなんだよなあ。ウチの家族……どころか、一族で「普通」なのって。揃いも揃って、超エリート。劣等感がない、といえば嘘になるけれど……

「なんかもう恋愛とかドキドキとか良くわからないし、お見合いでいいかなーって」
「……結婚が決まったわけじゃないんだよな?」
「うん、まあ。それは会ってみてからかな」

 急に、小野くんは無言になる。そのまましばらく無言でお互い食べて、もういい加減食べ終わろうってときに、小野くんは「誰でもいいならオレでも良くない?」と私を見つめた。

「ん? でも小野くんさ、付き合ってた四年のうち最後半年、キスもなかったよ」
「それは」
「それどころか手すら繋がなかったし」
「うっ」
「小野くんは普通に恋愛できる人だと思うから、恋愛結婚で幸せになってください」
「オレは」

 小野くんが何か言いかけたそのとき、私は名前を呼ばれる。

「須賀川~、午後までの書類どうした?」
「ひゃあ忘れてたっ、小野くん、バーベキューお誘いありがと!」

 私は慌てて立ち上がる。小野くんは「おう」と答えて、私は笑って席を立った。


 その日の帰りみち、私はデパートでタオルを買った。それからクリーニング代を一応封筒に入れて、マンションのエントランスでまちぶせる。エレベーター前には簡単な応接セットみたいなのが置いてあるので、そこのソファで本を読みながら待つ。……ほんとに不審者みたいだけれど、仕方ない、よね。ここの住人だろう、ってことしか知らないんだし。
 時計の針はどんどん進む。通りすがる住人の皆さんは少し不審そうにしながら私の前を通り過ぎていく。
 ちらり、とスマホの時計に目をやった。そういえば、昨日も飲んでた風じゃないのに終電だった。激務のヒトなのかも。……よし、終電時間まで粘ろう。そう思ってるうちに、ちょっと眠気が襲ってきた。うと、うと、としてしまう。起きなきゃ起きなきゃ、と思ってるうちにどろりとした睡魔に私は襲われてしまって。あー、ダメだ。待ち伏せなきゃ、なのに……

「きみ」

 聞き覚えのある声がして、はっと目を開けた。目の前に、昨日の人が立っている。

「何をしている」

 なぜか思い切り不機嫌そうだ。コワモテでガタイいい人に、そんな不機嫌そうに言われると余計怖いんですが……

「あ、その、これっ」

 私は立ち上がり、デパートの紙袋を押し付けるように差し出す。

「クリーニング代も入ってます。昨日は、……申し訳ありませんでした。あの、お怪我とか」
「いや、それは問題ないのだが」

 男の人は、少し戸惑ったように紙袋を受け取ってくれた。そんな顔は、意外に幼く感じた。

「すまない、そんなつもりでは」
「いえ、私の気が済みませんから!」
「……では」

 頷いてくれて、私は少し安心する。

「……ひとついいだろうか」
「なんでしょうか?」
「こんな所で眠らないほうがいい」
「……はぁ」
「それだけだ」

 男の人はきびすを返す。ぼけーっとしてるとエレベーターが到着していて……「乗らないのか?」と不思議そうに聞かれた。

「の、乗ります」

 机の上の文庫本を掴んで、慌ててエレベーターに乗り込む。お互い会話はない。光るボタンは「七」と「十二」で、私は七階だ。

「……その本」

 男の人が、ふと口を開く。

宮沢賢治みやざわけんじ、好きなのか」
「え? ああ、これですか」

 私は本を軽く示す。

「好きです」

 にっこり笑って見上げると、なんだか視線をそらされた。子供っぽい、とか思われたかな。たしかに童話のイメージがあるけれど、大人が読んでも絶対に楽しい作品ばかりなのに、と私は思う。
 ちん、とエレベーターが七階に着いて、私は会釈えしゃくしてエレベーターから降りる。振り向いてエレベーターを見ると、男の人は「俺も」と小さく言った。

「宮沢賢治は、好きだ」

 意外すぎる! 剣豪小説とかばっか読んでそうな顔つきなのに。

「あの」

 言いかけた言葉は、エレベーターの扉にさえぎられた。
 ちょっとだけ、――ちょっとだけ……もう少し話してみたかったな、なんて思ってしまった。



   2 不審者


 その日の帰り、終電……とは言わないまでも、また私は遅くなってしまっていた。今日は仕事。
 コツコツ、とヒールをご機嫌に鳴らしながら、私はコンビニの袋(チーたら入り)を片手に、冷蔵庫に入っているビール(ただし、第三種)たちを想像していた。街路樹の桜の花は散りかけだけれど、まだまだ頑張ってる。街灯に照らされて、ふんわりと光るみたいで綺麗。
 ふと、背後に人の気配がしたような気がして振り向く。少し離れたところに男の人……
 大丈夫、と私は前を向いて足を進めた。そうそう不審者なんかいない。どうせまた同じ方向に家があるだけの人だろう。本当にあの人には悪いことをしてしまった。
 ……なんとなく、思い出す。けわしそうで、でも柔らかな目線……
 そのときだった。背後から無理やりに抱きつかれる。耳もとに、荒くて熱い息。

「こ、殺されたくなければ言うことを聞け」

 なにが起きたかわからなくて、どうしていいかわからなくて、私はもがく。けれど恐怖で声が出ない。さけびたいのに、震えて力が入らない――。こ、わい!
 ――誰か助けて!
 そう、祈るように心で叫んだときだった。

「なにをしている」

 低い声とともに、私に抱きついていた男が勢いよく引き離された。そのまま、アスファルトの地面に叩きつけられる。私はへたりと座り込んだ。男を押さえ込んでいるのは、……同じマンションの、例の無愛想なひと。

「……怪我は」

 ありません、と小さく小さく呟いた。ぽろり、と涙が溢れる。私は胸を押さえて嗚咽おえつした。こ、怖かった。怖かった。怖かったよ……
 男の人がスマホで電話をして、じきに警察が駆けつけてくれる。

鮫川さめかわ署長! お怪我はっ」
「俺は被害者ではない」

 駆けつけたお巡りさんの言葉にも、男の人――鮫川さん? の言葉にも色々びっくりした。鮫川さんは、まだ三十過ぎくらいに見える。それで署長ってことは、国家公務員一種、総合職――いわゆる官僚、つまり……キャリア? てことは――お父さんと知り合いかも。
 ぼんやりとそんなことを考えたのは、きっと一種の現実逃避だったんだろう。あまりにも嫌で、触れられたところがおぞましい、くらいで。鮫川さんの言葉にハッとしたお巡りさんが、私に近づくけれど、私は思わずびくりと身体を固めてしまう。……ちょっと、男の人、嫌だった。
 ……お風呂入りたい。熱いシャワー、お気に入りのボディーソープ、ううんそんなんじゃなくていい、石鹸で洗えたら、それで。とにかく気持ち悪かった。

「……大丈夫か」

 座り込む私の前に、しゃがみこむ大きな影。鮫川さん。私はゆるゆると顔を上げる。鮫川さんは少し考えたあと、私にスーツのジャケットをかけてくれた。ぱっと彼を見上げる。

「ああ、嫌だっただろうか、すまない」

 夜はまだ少し冷えるから、と彼は呟いた。

「すぐに女性警官を」
「あ、あの」

 私は首を横に振った。正直、今は男の人、嫌なんだけれど――この人は、なんだか、ヤじゃない、みたい。

「だいじょぶ、です」
「……現行犯だ、無理に話を聞く必要はないだろう」

 鮫川さんは立ち上がりながら、側にいたお巡りさんに言う。

「彼女は俺が自宅まで送ろう。……知人だ」

 お巡りさんは頷いた。私がぼけっとそれを眺めていると、鮫川さんはもう一度私の前にしゃがみこむ。今度は片膝立ちで。

「立てるか」
「あ、はい」

 答えて立ち上がろうとしたはいいものの、ふらりとかしぐ身体。それを支えてくれたのは、誰であろう鮫川さんだった。

「あ、す、すみませ……」
「構わない。……あんな後だ」

 軽くひそめられる眉。

「すまなかった」
「え? 何がですか」

 むしろ、助けてもらったのに。

「あと少し早く歩いていたら、犯人があなたに触れる前に確保できた」

 そんなのは結果論だ。私は首を横に振った。

「そんなことないです。助かりました。ありがとうございました」

 支えられながら、不恰好だけれど、頭を下げた。

「鮫川さんがいらっしゃらなければ、私、どうなっていたか」

 言いながら、またゾクリと悪寒おかんが走った。震えだした私に、鮫川さんは「失礼」と小さく言った、かと思うとフワリと抱き上げられる。

「え、あ、あの!?」
「嫌ならば他の方法を考えるが」
「あ、そんなことは、ないのですが」

 すたすた、と鮫川さんは私をお姫様抱っこしたままマンション方面に歩き出す。ちょっと赤面して周りを見渡すけれど、暗い夜道にパトカーが数台、お巡りさんは敬礼して見送ってくれているだけで、驚いている様子はない。
 ま、まぁお仕事? だもんね。特別なことじゃないのかもしれない、なんて思って、同時にちょっとがっかりした。ん? ……なんで私、ガッカリしてるんだろう?
 鮫川さんは私をマンションの部屋の前まで送ってくれた。

「ほ、本当にありがとうございました」
「もう歩けるのか」
「あ、はい、多分」

 言いながら下ろしてもらう。少し震えたけれど、歩けた。部屋に入ればなんとかなるだろう。

「あの、ジャケット」

 クリーニングとかしたほうがいいのか、と迷っていると何も言われずに回収された。いいのかな……。鍵を取りだして、何度もお礼を言いながら部屋に入る。ぱたりと閉まるドア。
 暗い部屋。私は玄関先で、また小さく震えてしまう。
 ――だ、れかいたら、どうしよう……
 そんな想像が止まらない。そんなはずないのに。ないはず、なのに! 背中がドアに張り付いたみたいに、私は動けなくなる。そのまま、どれくらい経っただろう。ぴんぽん、とインターフォンが鳴り響く。私はぎくりと肩を揺らした。ドアスコープから、そっと廊下をのぞく。そこにいたのは、鮫川さんだった。まだスーツだった。すぐに扉を開けると、少し驚いたような顔をして、私を見つめた。

「顔色が悪い」
「……そうでしょうか」
「いや、大丈夫かと思って」

 ああいうのは後で反動が、という鮫川さんに私は抱きつく。
 不安で、仕方なかった。誰かに――鮫川さんに、すがりたかった。

「どうした? まだフラつきが」
「違います、その、あの」

 私はぐるぐるする頭で考えた。部屋に一人でいるのが、怖い。

「……あの、一晩、ウチに泊まってもらえませんか」

 驚いたような鮫川さんの顔を見上げながら、私は「ああ、この人こんな顔もするんだなぁ」なんて思って、ほんの少しだけ安心できたのだった。



   3 ジェットコースター


 あの不審者騒ぎから、ひと月ほど経ったある日。
 私は深緑のふりそでで、なんと言いますか、固まってしまっておりました。
 五月のさわやかな空の下、かこーん、と鹿威ししおどしが鳴る。目の前の男の人は、なにも言わずただお茶を飲んでいた。

『まぁ、ここは若い人たちで』

 なんて言葉を(古典的に使い古されてる!)残して、ウチの父親とお相手のお母様、お仲人なこうどさんは去っていった。都内の高級な部類に入るであろう、そのホテル。一階に入っているこれまた高級な和食レストランの個室で、私は黙って緑茶を見つめている。……あ、茶柱だ。ちょっと嬉しい。
 少しにこり、と頬が緩んだのを見て、その人……鮫川修平しゅうへいさんはようやく口を開いた。

『何かあったのか』

 いいえ、と私は微笑む。だって――まさかすぎる展開だ。私が不審者と間違った、例の人。私を不審者から助けてくれた、例の人、鮫川さんが、お見合い相手だなんて……!
 結局、あのあと――不審者騒ぎのあと、本当に鮫川さんは部屋にひと晩いてくれた。ソファで眠ってくれて(まだ部屋にあった小野くんのスウェットを着てもらった)翌朝出勤していって――せめてものお礼に、朝食は振る舞ったけれど、あんまりお礼になってなかったような気もする。
 まぁとにかく、そんな鮫川さんがお見合い相手、とは……。驚きです、と私は緑茶に口をつけた。美味しい。ついほっこりしてしまう。

(釣書も写真も見なかったからなぁ)

 なんでって、別にそんなのどうでも良かったのだ。お父さん関係――つまり警察庁に勤めてるヒトなら、まぁ大体問題ないヒトだろうし、ってのが一つ。で、お父さんはお相手のことを「男前だ! イケメンだぞ!」と(なぜか自慢げに)言ってた。それは大げさだとしても、そこそこカッコいーのかな、なら当日のお楽しみにしておこう、なんて思ってたのが二つめ。

『……恋人がいるのかと思っていた。服を貸してくれたので』
『あ、ああ、あれ、元カレのです』

 なぜかしどろもどろに答える。悪い事は何一つしていないはずなのですが。

『そうか』

 かこーん、とまた、鹿威ししおどしが鳴った。
 まあ、今回のお見合いはお断りされるだろうなぁ、なんて冷静に考えた。そもそもあんまり、いい印象持たれてなかっただろうから。ファーストコンタクトがヒールで踏んづけて口紅べったりな酔っ払いだなんて。絶対絶対、お断りされちゃうよなあ……
 ――なんて思った記憶を、私は青い空に舞う白いダリアのブーケを見ながらなぜか思い出した。
 きゃあ、という歓声とともにブーケは秋の日差しを反射しながら友人の腕の中に落ちて、友人は嬉しげに手を振ってくれた。それを投げた本人である私も手を振り返す、振り返すけれどいまだに混乱している。な、なぜこんなことに……
 私が着てるのは、真っ白なウエディングドレス。それは、鮫川さんが、……横で相変わらず無愛想な顔で白いタキシード(なぜか似合ってる)を着てる鮫川さんが『似合う』とぽつりと言ったから決定したマーメイドタイプのウエディングドレスで……ってそんなことはどうでもいいんです。
 なんでお断りされなかったんだろう?
 お見合いのあと、こちらからお断りするのはおこがましいなと(だってスペックが全然違う! って気後きおくれしてしまった)お断りのご連絡を待ってたら、まさかの『またお会いしたい』で。気がついたら夜景の見えるレストランで指輪をもらっていた。そこまでお見合いから、たったのひと月。そして(よくわからない)出会いから半年と少し、いま、なぜか式を挙げている。

「美保」

 名前を呼ばれて、はっと我にかえる。

「大丈夫か」
「あ、大丈夫です」

 鮫川さんは無愛想な顔面に、少し心配そうな色を浮かべた。……まぁこのくらいの表情の変化ならわかるようになってきました。結構、優しい人みたいなんです。いまだになんで結婚にまで至ったのかは謎だけれど――
 式、披露ひろうえん、とつつがなく進み、私は隣で勧められるがままにアルコールを飲んでいる鮫川さん(ザルだなこのひと)をチラ見したりなんだりしてるうちにハッと気がついた。何かの折に、うちの父親の肩書きが読み上げられたときだった。

「須賀川警察庁長官は、新郎、鮫川修平くんの大学のOBでもあり」

 最初は「うちのお父様ってそんな偉そうな肩書きしてるんだなあ」くらいのものだったのですが。

「あ」
「どうした?」

 高砂たかさご席で、不思議そうに私を見る鮫川さんに、とっても申し訳ない気持ちになる。
 ……断りません、よね。断らないっていうか、断れないでしょう。そんな偉い人の娘とのお見合い、断れないでしょう?
 ど、どうしよう。対個人のスペックで考えていたけれど――私のバックにはあの父親がいたんだ。親族席でニコニコしてる(ちょっと泣いてた)父親、あの人、そんなに偉い人だったの?
 私が断るべきだった、よね。思わずチラリと鮫川さんを見るけど、「あ、別にいいのか」と考え直す。だって彼は、キャリアだもの。きっと出世も狙ってる。そうなれば「私」との結婚はきっと有利になるはずだ。
 そっか、って納得したあと、ちょっと、ちょっとだけ……私は不思議なことにがっかりしてて、それに驚いた。



   4 新婚さん


「ま、まとまらないよ~」

 結婚式から三日後の深夜零時過ぎ。私は大量の段ボールの前で途方にくれていた。
 引っ越しはとっても簡単なはずだった。七階から十二階に運んでもらうだけだから。
 私の部屋はシングル用の1DKだけれど、十二階の修平さんの部屋は2LDKらしくて、当面は彼の部屋に住むということになった。
 うん、なったはいい。……なったはいい、んだけれど。

「明日の朝には業者さん来るのになぁ」

 うー、とため息を一つ。そのとき、ピンポンとインターフォンが鳴った。誰だろうこんな時間に、とインターフォンの画面をのぞいて、少しびっくり。

「しゅ、修平さん」

 三日前、結婚式を挙げたばっかの、私の旦那さん。ぴしっとしたスーツなのは、お仕事だったから。というか、式の翌日には出張のお仕事で、式の直後には飛行機に乗ってた。超忙しい……につき、新婚旅行も随分先の予定。別にいいんだけれど。……というかスーツってことは、出張から帰ってすぐ来てくれたのかな?

「……なんか、下の名前で呼ぶの気恥ずかしいな」

 ぽりぽりと頬をかきながら、ドアを開けた。

「どうしましたー?」
「手伝おうかと思って」

 仏頂面ぶっちょうづらでそう言う修平さんの手には、コンビニの袋。

「陣中見舞いだ」
「あは、ありがとうございます」

 とりあえず上がってください、と部屋に通してすぐ。修平さんはスーツのジャケットを脱ぎながら、とても難しい顔をした。ネクタイも外して、ソファの背にジャケットと一緒にかける。

「引っ越しが下手だな」

 きょとんと修平さんを見上げた。ええと、上手い下手あるのかな、引っ越し。

「少し食べていろ」

 コンビニの袋の中には、あったかなおでん。……と、コーヒー? 首を傾げていると、はっと気が付いたように修平さんは言う。

「……合わなかったか」
「え?」
「両方、……君が好きな食べ物だと思いだして」


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