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番外編
【番外編SS】新緑の日のこと
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その日は、しとしとと雨が降っていた。
5月の晴天と晴天の合間、気まぐれのように降った細い絹のような、温かな雨。
新緑をしっとりと輝かせる、そんな雨が降っていた日、彼女は産まれた。
だから、彼女の名前は。
「美雨、君の母親に俺が惚れたのはだな、君の母親が"銀河鉄道の夜"を開いたまま眠っているのを見た時だ。君の母親は俺の服のクリーニング代を弁償するためだけに、夜遅くまで一人で俺を待っていたんだ。真摯で、心根が綺麗なひとだと……それにな、俺も宮沢賢治は好きなんだ。色々話したくて、そう思って、それ以来見かけるたびに話しかけようとしては失敗していたんだな。ところが運がいいことにたまさか君の母親と見合いをすることに」
「……あのう、修平さん」
私は顔を真っ赤にして、右手で顔を覆い隠しながら小さく修平さんの名前を呼ぶ。
「生後3日の新生児に、一体なんの話を……?」
うむ、って感じで修平さんは重々しく頷いた。
「ものの本によると、乳児には積極的に声をかけるほうがいいらしい」
「……はぁ」
「しかし何を話せばいいか分からないから、とりあえず君との馴れ初めを語ってみた」
くすくすと笑い出したのは、私じゃなくて私の採血をしていた看護師さん。
3日前、修平さんとの赤ちゃんを出産したばかりの私は、産婦人科の入院室、そのベッドで横になったまま採血をされていた。
「お声がけされるのは、とってもいいことですよー」
看護師さんの言葉に、ほら、みたいな顔をしてる修平さんはとっても可愛いんだけど、でもなんでわざわざそんな内容を!
「鮫川さん、とっても大事にされてますねぇ」
「?」
「分娩室でのことは語り草に」
「……それは忘れてください」
さすがに修平さんもそう言って、困った顔をして唇がむず痒そう。
その顔に思わず吹き出す。看護師さんも、楽しげに笑った。
「じゃあ、なにかあったら呼んでください」
「はい、ありがとうございました」
個室の入院室を、看護師さんが出て行って、修平さんは赤ちゃん……美雨を抱いたまま、私のベッドの横の椅子に座った。
「ほら、美雨。君の母親だぞ」
「……そうなんですけど、そうなんですけどねぇ」
修平さんの言い回しがいちいち真面目で、少し面白い。まだ、美雨という存在に戸惑っているようにも見える。
「ていうか、修平さん」
「なんだ?」
「その話、……私、初めて聞きましたけど」
「そうか?」
修平さんは少し不思議そうに言う。
「続きも話そうか」
「……っ、や、いいですっ」
「いや、せっかくの機会だ。聞いてくれ。それで、俺は」
「ううう、いいですって~!」
痛む体をおして上半身だけ起き上がって、唇を尖らせた。
修平さんは少し慌てたように「大丈夫か?」とワタワタしていた。
私を手伝いたいけど、美雨抱っこしてるしって感じで。
その様子に、私は笑う。なんだかとっても幸せで、笑ってしまう。
笑ってる私を、修平さんは不思議そうに見ていたけれど、やがて修平さんも楽しげに頬を緩める。
修平さんの腕の中で美雨はふにゃふにゃした顔で眠っていて、私は全身痛いし死ぬほどキツいけど、めちゃくちゃ幸せでどうしたらいいか、分からないくらい。
「美保」
修平さんが、柔らかい声で私を呼ぶ。
その視線は、とても優しくてあったかくて。
ちゅ、と頬にひとつ、キス。
「ありがとう」
「へ?」
「この子を、産んでくれて」
「えっ、いや、えーと?」
産後のあたまは、少しボウッとしてて理解に時間がかかる、けど。
慌てて首をふった。
「や、赤ちゃん欲しいって私も思ったしそれにっ」
「それでも」
修平さんは、穏やかに続けた。
「それでも、言わせて欲しい。……ありがとう、美保」
「ええ、と。……どういたしまして?」
今度はおでこにキスされて、見上げた先で修平さんはやっぱり側から見たら無愛想な顔で、笑っていた。
「それから」
「はい」
「愛してる、美保」
「……私も、です」
目が合う。
微笑みあって、唇が重なる。
触れるたびに、話すたびに、視界に入れるたびにーー好きが増える。愛してるが増える。
これからは、その対象がもうひとり、増えて。
「あ」
ほとんど同時に、私たちは声を上げた。
だってだってだって、美雨、薄らだけど笑ってるー!
「かっ、可愛いっ」
「新生児微笑だ、生理的な反応で嬉しいわけじゃない、そのはずだ、……」
けれど、と修平さんは続ける。
「めちゃくちゃに可愛いな?」
「めちゃくちゃに可愛いですよっ」
私たちは美雨を覗き込んで、もう一回笑わないかなってじっと見つめる。美雨はふにゃふにゃと眠るばかりで、もうしばらくは笑ってくれそうにない。
「……目に録画機能がついていたら良かったのに」
ぽろりと修平さんが溢したその言葉に、私は笑う。
「わたしもそれ、思ったことありますよー!」
「そうか、奇遇だな」
「ですねぇ、奇遇ですね」
笑い合って、また美雨を覗き込む。
窓の外は晴天。
薫る風が新緑を揺らしていった。
5月の晴天と晴天の合間、気まぐれのように降った細い絹のような、温かな雨。
新緑をしっとりと輝かせる、そんな雨が降っていた日、彼女は産まれた。
だから、彼女の名前は。
「美雨、君の母親に俺が惚れたのはだな、君の母親が"銀河鉄道の夜"を開いたまま眠っているのを見た時だ。君の母親は俺の服のクリーニング代を弁償するためだけに、夜遅くまで一人で俺を待っていたんだ。真摯で、心根が綺麗なひとだと……それにな、俺も宮沢賢治は好きなんだ。色々話したくて、そう思って、それ以来見かけるたびに話しかけようとしては失敗していたんだな。ところが運がいいことにたまさか君の母親と見合いをすることに」
「……あのう、修平さん」
私は顔を真っ赤にして、右手で顔を覆い隠しながら小さく修平さんの名前を呼ぶ。
「生後3日の新生児に、一体なんの話を……?」
うむ、って感じで修平さんは重々しく頷いた。
「ものの本によると、乳児には積極的に声をかけるほうがいいらしい」
「……はぁ」
「しかし何を話せばいいか分からないから、とりあえず君との馴れ初めを語ってみた」
くすくすと笑い出したのは、私じゃなくて私の採血をしていた看護師さん。
3日前、修平さんとの赤ちゃんを出産したばかりの私は、産婦人科の入院室、そのベッドで横になったまま採血をされていた。
「お声がけされるのは、とってもいいことですよー」
看護師さんの言葉に、ほら、みたいな顔をしてる修平さんはとっても可愛いんだけど、でもなんでわざわざそんな内容を!
「鮫川さん、とっても大事にされてますねぇ」
「?」
「分娩室でのことは語り草に」
「……それは忘れてください」
さすがに修平さんもそう言って、困った顔をして唇がむず痒そう。
その顔に思わず吹き出す。看護師さんも、楽しげに笑った。
「じゃあ、なにかあったら呼んでください」
「はい、ありがとうございました」
個室の入院室を、看護師さんが出て行って、修平さんは赤ちゃん……美雨を抱いたまま、私のベッドの横の椅子に座った。
「ほら、美雨。君の母親だぞ」
「……そうなんですけど、そうなんですけどねぇ」
修平さんの言い回しがいちいち真面目で、少し面白い。まだ、美雨という存在に戸惑っているようにも見える。
「ていうか、修平さん」
「なんだ?」
「その話、……私、初めて聞きましたけど」
「そうか?」
修平さんは少し不思議そうに言う。
「続きも話そうか」
「……っ、や、いいですっ」
「いや、せっかくの機会だ。聞いてくれ。それで、俺は」
「ううう、いいですって~!」
痛む体をおして上半身だけ起き上がって、唇を尖らせた。
修平さんは少し慌てたように「大丈夫か?」とワタワタしていた。
私を手伝いたいけど、美雨抱っこしてるしって感じで。
その様子に、私は笑う。なんだかとっても幸せで、笑ってしまう。
笑ってる私を、修平さんは不思議そうに見ていたけれど、やがて修平さんも楽しげに頬を緩める。
修平さんの腕の中で美雨はふにゃふにゃした顔で眠っていて、私は全身痛いし死ぬほどキツいけど、めちゃくちゃ幸せでどうしたらいいか、分からないくらい。
「美保」
修平さんが、柔らかい声で私を呼ぶ。
その視線は、とても優しくてあったかくて。
ちゅ、と頬にひとつ、キス。
「ありがとう」
「へ?」
「この子を、産んでくれて」
「えっ、いや、えーと?」
産後のあたまは、少しボウッとしてて理解に時間がかかる、けど。
慌てて首をふった。
「や、赤ちゃん欲しいって私も思ったしそれにっ」
「それでも」
修平さんは、穏やかに続けた。
「それでも、言わせて欲しい。……ありがとう、美保」
「ええ、と。……どういたしまして?」
今度はおでこにキスされて、見上げた先で修平さんはやっぱり側から見たら無愛想な顔で、笑っていた。
「それから」
「はい」
「愛してる、美保」
「……私も、です」
目が合う。
微笑みあって、唇が重なる。
触れるたびに、話すたびに、視界に入れるたびにーー好きが増える。愛してるが増える。
これからは、その対象がもうひとり、増えて。
「あ」
ほとんど同時に、私たちは声を上げた。
だってだってだって、美雨、薄らだけど笑ってるー!
「かっ、可愛いっ」
「新生児微笑だ、生理的な反応で嬉しいわけじゃない、そのはずだ、……」
けれど、と修平さんは続ける。
「めちゃくちゃに可愛いな?」
「めちゃくちゃに可愛いですよっ」
私たちは美雨を覗き込んで、もう一回笑わないかなってじっと見つめる。美雨はふにゃふにゃと眠るばかりで、もうしばらくは笑ってくれそうにない。
「……目に録画機能がついていたら良かったのに」
ぽろりと修平さんが溢したその言葉に、私は笑う。
「わたしもそれ、思ったことありますよー!」
「そうか、奇遇だな」
「ですねぇ、奇遇ですね」
笑い合って、また美雨を覗き込む。
窓の外は晴天。
薫る風が新緑を揺らしていった。
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