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【番外編】あなたがあたしの運命(三人称視点)
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「……いいんですか? ほんとうに? GPSの発信器を常に身につけてもらっても?」
真妃の問いに、空手着をまとった熊のような男は薪割りの手を止めず、にこやかに微笑んだ。
熊男は普段は「師匠」とよばれ、街中で道場を営む男だが、時折こうして山に篭る。
彼を良く知る弟子たちによると、実際に熊や猪と戦っているのではないか、というが──推測の域を出ない。
その熊男は穏やかな微笑みを顔にたたえたまま、口を開く。
「もちろん。真妃さんが望むようにするといい」
そうして顔を上げ、真妃の小さな頭部など片手で捻りつぶせそうな肉厚な手で、自らの汗を拭う。
「嬉しい……」
真妃は幸せそうに目を細める。
「監視カメラをつけても? その、室内に」
「もちろん構わないとも」
「ご自宅にもよ?」
「はっは、お安い御用だ」
「時々……、ほんとうに時々。後をつけるかも」
「構わないが……あなたの気配はすぐ分かるぞ?」
「もう」
真妃は拗ねたように唇を尖らせた。
「他の女性と二人きりで会わないでね? 話したりするのも嫌よ」
「構わないさ。元々女性とはそう縁がない──だが、天使とはあったようだ」
そうして真妃を見つめる目は、雄弁に「あなたこそがその天使」と告げていた。
「まぁ……」
チチチ、と朝の日差しのなか、小鳥が鳴いた。
奥多摩の更に奥、人里遠く離れた小さな山小屋。その前で熊男は薪割りを続け、真妃は岩にこしかけてうっとりとそれを見つめている。
「なんて屈強なの……」
「己が?」
男は驚いて笑う。斧を地面に置き、薪を集め始める。
「己なんてまだまだだ」
「そんなことないです」
真妃はうっとりとした表情のまま立ち上がり、それを手伝おうとした。ハッとしたように男はそれを止める。
「真妃さん。手が傷つく」
「え。そんなことは……」
「いけない。あなたの美しい指が傷つくなんて、自分が許せない」
「剛さん……」
ふたりは朝陽が散る靄のなか、手を取り合って見つめ合う。
重なりあう唇に、真妃はうっとりと目を閉じた。
──こんな風に蕩けるなんて、生まれて初めて。
真妃は薄々勘付いていた。
自分はもうこの男から離れられない、と。
男女性別問わず、関係を持ってきた。それについて違和感を持ったことはない。
けれど、けれど──自分の運命は、この人だと彼女は確信している。
「ああ、いけないひとだ」
熊男──剛は、そっと真妃の嫋やかな指に触れる。
「修行中の身であるというのに──あなたといると、理性がどこかへいってしまう」
「……そんなものは捨てて」
剛は答えず、真妃を軽々と抱き上げて小屋に向かう。真妃はこれから訪れる野生動物のまぐわいのような目眩く時間に期待で胸を躍らせ、そっと筋肉で盛り上がった剛の胸部に手を這わせる。
「悪戯な天使め。己の理性を破壊したいとみえる」
「ふふ」
ぱたん、と小屋の扉が閉まり──次に真妃が目を覚ましたときには、既に陽は天中にあった。隣に剛の姿はない。滝行にでも出かけたのかもしれない。
「帰りたくないな……」
身体中に情事の痕を残して、真妃は呟く。
彼女は世界的なトップモデルだ。今年中どころか、数年先まで仕事が入っている。
主な活動先はフランスで──次に彼女が剛に会えるのは、数ヶ月先になるかもしれない。
今回の逢瀬も、実のところ数ヶ月ぶりなのだった。
(会えない時間が愛を育てるなんて──嘘)
真妃はそう思う。
ひたすらに逢いたくて触れたくて、心が乾いていくばかりだった。
真妃の大きな瞳から、ぽろりと涙がこぼれた。
(こんなに好きなのに)
自らの半身だとしか思えない。運命のひと。
真妃はモデルとしての自分に誇りを持っていた。生まれて初めて──仕事を辞めたいと思う。この愛おしいひとのそばで、ずうっと生きていたい。
でも、でも、と逡巡する。
仕事も辞めたくはないのだ。
(なんて欲深いの、あたし──)
すんすんと布団の中で泣いていると、驚いたような声が降ってきた。
「真妃さん!?」
「つ、剛さん……」
ガバリと抱きすくめられる。
「どうした、何があった!? 済まない、ひとりにして──!」
「ち、違うの剛さん」
しくしく、と真妃は泣く。
「あなたと離れたくなくて……」
「真妃さん」
「でも仕事は続けたいの」
ワガママでしょう? と言う真妃に、剛は眉間をきゅっと寄せた。
「……なんて可愛らしい女性なんだ、あなたは」
「剛さん」
「ならば己は二度と貴女と離れないと誓おう」
「──え?」
「いちど世界に武者修行に出ようと思っていたのだ。フランスは格闘技が盛んと聞く」
「剛さん……」
「連れて行ってくれ、真妃さん。貴女の世界に」
※※※
鮫川桔平は自宅の玄関先で戸惑っていた。
「師匠……いま、なんと」
「以前から言っていただろう? 武者修行に出ると」
「はぁ……」
「最愛のひととも離れたくはない。この機に世界を見て歩くのも悪くはない」
桔平は戸惑いながらも頷く。たしかに師匠は数年前から「世界を見てみたい」とは願望のように呟いていた。呟いてはいた、が……。
「道場はどうなるのです」
「力に任せる」
「ああ、力さん」
剛の従兄だ。強豪高校空手部のコーチや監督も務めたことがある。指導力に問題はないだろう。
「桔平も健やかに過ごせよ。亜沙姫さんも身体を大事にするよう伝えてくれ。もう一人の身体ではないのだからな」
「はい」
大きな手で桔平の肩を叩き、剛はニッカリと笑った。パスポートを作った帰りに、わざわざ挨拶に来てくれたらしい。桔平は頭を下げ、玄関を出て行く漢の大きな背中を眺めたのだった。
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