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エピローグ(桔平視点)【番外編少しだけ続きます】

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 桔平くん、と俺を呼ぶ声が愛おしい。
 軋むベッドの上、潰すように亜沙姫さんを抱く。愛おしさで頭がいっぱいで、頭と心臓をぐるぐる廻る感情をどうしても伝えたくて──翌朝、気がついたら、おにぎりを量産していた。亜沙姫さんの好きなものをたくさん──とにかくそれで頭がいっぱいで。

 跪いて愛を請う。
 冬のきらきらした朝日に包まれた彼女は、とても綺麗で美しかった。
 名は体を表すというけれど──俺にとって、亜沙姫さんはお姫様であり、同時に清廉な朝日のような人だった。
 始まりを告げる。
 歩き出す勇気をくれるひと。
 あの日──空手を諦めざるを得なくて、投げやりになっていた俺に、また光を与えてくれたひと。

 俺の唯一奥さん

「わ、焼きおにぎり!」

 冷凍していた大量のおにぎり、そのうちいくつかを焼きおにぎりにして朝食に出す。
 亜沙姫さんがすっかり俺を受け入れてくれたあの朝から数日が経った、これまた平日の朝。
 亜沙姫さんは嬉しそうに手を合わせる。

「いただきまーす!」
「どうぞ」

 焼きおにぎりと、味噌汁と、焼鮭。亜沙姫さんは嬉しげにそれらを丁寧に口に運んでいく。
 居間の隅に設置されたキャットタワーの上からプランの視線を感じて目をやると、すごい勢いで一番上まで駆け上がってしまった。
 音もしない。猫はすごいな、と感心して頷く。

「あー、おいし……桔平くんと結婚して良かった」

 亜沙姫さんがぽろり、とそんな言葉を溢す。
 あれ以来──俺が自分のみっともなさをこれでもかと開陳し、露呈し、暴露したあの朝以来、亜沙姫さんは事あるごとにこんなことを言う。

(──亜沙姫さんは、やっぱり天使なのかもしれない)

 こんな俺を受け入れて、甘やかして、支えてくれる。……やっぱり天使だ。天使でお姫様で朝日だ。亜沙姫さんは凄い。
 でも──と、ほんの少しの意地悪な感情。

「亜沙姫さん」
「? なぁに」
「結婚して良かったのは──朝飯が美味いからだけですか?」

 亜沙姫さんは目を瞬く。それから目尻をさっと朱に染めて、俺の指先だけを持って小さく告げた。

「えっ、と……好き、だから」
「なにがですか? 焼きおにぎり?」
「もう」

 頬を染めて、亜沙姫さんは唇を尖らせる。

「桔平くんが! 桔平くんが好きだからっ!」

 その言葉と同時に、可愛らしい唇に噛みつくようにキスを落とす。
 亜沙姫さん、亜沙姫さん、亜沙姫さん。
 俺の全て。

「亜沙姫さん、朝からそんなこと言ってはダメですよ」
「え、え?」
「襲われますよ」
「わ、こら、どこ触ってるの、……っ、やぁん、っ」

 亜沙姫さんから甘やかな声が漏れる。……冗談のつもりだったのに、ヤバイ。とてもヤバイ。ちら、と時計を見ると頬をつねられた。

「ダメだってば」
「……すぐ終わりますから」
「だめ。……ね、プランいるし」

 亜沙姫さんに言われてキャットタワーを見上げる。人間が何かしているぞ、という目で彼はこちらを見下ろしていた。
 しぶしぶ諦めて、亜沙姫さんの形の良い額にキスをするにとどめた。

「よ、るね?」
「はい?」
「夜──しよ、ね?」

 瞳が潤んだ亜沙姫さんにそんなことを言われて、我慢した俺は偉い。とても偉いと、そう思う。

 出勤して、いつも通りに仕事をこなしていく。今日はレク予定もある。相手は威圧的で有名な野党議員で、怖くはないが腹は立つ。けれど愛しい妻が待っていることを思えば、──彼女が愛するコメを守るためならば、耐えて見せようとそう思う。
 そんなうちに、昼休みになって──書類を確認しながらおにぎりを齧っていると、ふと年若い──と言っても俺と同年代──の女性職員の会話が聞こえてきた。

「プロポーズかぁ」
「やっぱり理想はさぁ、夜景の見えるレストランとか?」
「あっは、古くない!?」
「えー? そうー? でも薔薇はかかせないよね?」
「いやだからそれが古いってば! ……あ、でも確かにイケメンならアリかも?」

 キャッキャ、とはしゃぐ彼女たちの会話に、思わずおにぎりを取り落としそうになる。
 俺の視線に気がついた彼女たちが、不思議そうに首を傾げた。

「そういえば、鮫川係長はどんなプロポーズしたんですか」
「あ、気になる気になる!」

 彼女たちの視線を受けて、俺は一人で冷や汗を流していた。
 プロポーズというか、つい数日前の告白のことを。
 夜景の見えるレストランどころか、花の一本さえなかった。
 早く想いを伝えたい、と……相変わらず短絡的バカな俺は、レストランを予約するでもなく、ただおにぎりを量産したのだ。

「……台所で」

 ぽつり、と口を開く。

「台所ですか?」
「おにぎりをプレゼントして……」

 何言ってんだコイツ、という目で見られた。……俺もそう思う。

(亜沙姫さんは、どう思ったんだろうか)

 やや落ち込みつつ、ひたすら業務をこなして──気がつけば終電。

(さすがに寝ているよな)

 "夜の約束"でやる気に満ち溢れていたので、少し落ち込みつつすっかりシンとした我が家に入る。
 居間から電気が漏れていて、覗き込むとソファで亜沙姫さんが眠っていた。お腹の上では、プランも眠っている。くう、くう、という寝息。
 ふ、と息を吐いて床に座り込む。
 サラリと亜沙姫さんの髪を撫でると、彼女は小さく笑った。それからまぶたが小さく震えて、目を開ける。

「あれ、おかえり……」
「こんなところで寝ると、風邪をひきますよ」
「……んー」

 ふぁ、と亜沙姫さんがあくびをする。可愛い。

「寝室、いく……」
「そうしてください」

 そう言ったのに、風呂から上がると亜沙姫さんはまたソファでスヤスヤ眠っていた。プランも、相変わらずの位置。
 俺はふたりを抱き上げて、寝室へ向かう。普段プランは一緒には眠らないのだけれど──と、ベッドに下ろしたところで、亜沙姫さんが緩く覚醒する。

「ぁ、……ごめん」
「いえ」

 できるだけ優しく、頭を撫でる。亜沙姫さんはふと、くすくすと笑う。

「どうしましたか」
「ううん──夢に、見て」

 寝ぼけているのか、亜沙姫さんは舌足らずな口調で言葉をつむぐ。

「何をです?」
「この間の。桔平くんが、おにぎり、たくさん作ってくれたの」
「あの、それ」

 もう一度チャンスもらえませんか──と言おうとした台詞は、彼女の続けた言葉によって遮られる。

「あれね、すごく素敵だった」
「──素敵?」
「面白くて、嬉しくて──最高に、幸せ」

 思わず目を瞠る。
 寝ぼけ眼の亜沙姫さんは、そっと俺の手を取って頬擦りをする。

「ありがとう。幸せだよ──私の、私だけの、王子様」

 そう言って、亜沙姫さんは静かに目蓋を閉じた。やがて聞こえる、健やかな寝息。
 プランが寝ぼけた動きで起き上がる。彼は足元で丸まったので、遠慮なく亜沙姫さんを抱きしめて目を閉じた。
 シンとした静かな夜の底。
 聞こえるのは大事な妻と、可愛い飼い猫の寝息だけ。
 鼻がツンとして、でも泣いてるなんてバレたくないので目が熱いのは気がつかないフリをする。

「愛してます、亜沙姫さん」

 涙で半分上擦ったそんな言葉は、ものすごくみっともなかったけれど──腕の中の温まりに、すぐに俺の意識も溶けていく。

 明日、起きたら伝えよう。
 朝日が昇るたび、伝えよう。
 あなたを愛してて、あなたが俺の唯一だって。

「おやすみなさい、俺のお姫様」

 想像以上に甘くて柔らかい俺の涙声が、静かに静かに夜の底に沈んでいく。

 どうやら俺たちは──最高に幸せ、らしいのだった。
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