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【最終話】ガラスの靴でも、ドレスでもなく

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 その日の夜──たっぷり、と。
 もう信じられないくらい蕩けさせられるように、抱かれた。もう執拗っていうか、全身キスまみれっていうか……まだ平日なのに!

「うぅ……、もう朝だ……」

 眠り足りないのに、カーテンからは冬の朝日がやたらと爽やかに射し込んでいた。
 眼鏡をかけて、小さく背伸び。
 ほんっと、桔平くんすっごい元気。なんでなの、その体力はどこから来るの?
 よろよろと起き上がり、服を着て居間へ向かうとプランがご飯を食べていた。不満そうにニャアと鳴かれる。

「ああ、ごめんね、桔平くんからゴハンもらうのご不満でしたか?」

 思わず苦笑。プランは文句を言うようにニャウニャウ鳴きながら、でもゴハンが美味しいらしくて結局押し黙るように食べ出した。可愛いなぁ、もう。
 キッチンからは、朝食を作る桔平くんの気配。

「おはよー……って、え!?」

 キッチンへ足を一歩踏み入れて、私は軽く固まった。
 冬の陽が、キッチンの磨りガラス越しにキッチンを清廉に照らす。磨りガラスのなかで増幅して、キラキラが増したような朝日。
 そんな朝日が照らし出しているのは──おにぎり。おにぎり、おにぎり、おにぎり、だ。
 もう何十個あるんだろう? とにかくたくさんの、おにぎり。

「おはようございます」

 桔平くんは柔らかに目元を細めた。いやなんでそんなに落ち着いて──!?

「き、桔平くん。これどうしたの? 今日誰か来るっけ? 師匠さん?」

 もしかして師匠さんとお弟子さんたちが、何か用事があってくるのかな? 言ってたっけ? だとしたら、このおにぎりの量も納得なんだけれど……。

「いえ」

 桔平くんは端的に答える。……気のせいでなければ、目の端がほんのりと赤い。

「緊張して……気がついたら、おにぎりを量産していました」
「緊張? 今日、なにかあるの」
「──亜沙姫さん」

 冬の朝日のなか、桔平くんが私と向き合う。桔平くんの後ろの窓から射し込むきらきらの朝日が、彼をなんだか輝かせていた。

「桔平、くん?」
「……初めて会ったときのことを、覚えていますか」
「ええと」

 私は眩しくて、思わず目を細めた。

「おにぎり、一緒に食べたね」
「……美味しかったです。とても」
「うん、……良かった」

 桔平くんが一歩足を踏み出す。
 そうして、私の手を両手で包んだ。

「好きです、亜沙姫さん」
「──!」

 私はばっと桔平くんを見上げる。
 あたりには、ご飯のかおり。桔平くんは穏やかに頬を緩める。

「大好きです、愛しています」
「……えっと、えっと、その」

 頬が熱い。多分、耳どころか首まで赤いんじゃないかなぁ!

「俺は卑怯な男です」
「……へ?」

 唐突に始まったそんな言葉に、私は首を傾げた。卑怯? 桔平くんとは180°違っていそうな、そんな言葉。
 だけれど桔平くんは、酷く切ない目で私を見つめて。

「亜沙姫さんが、……研究のために"繁殖の真似事"をしようとしていたとき──」
「あ、……うん」

 今思えば、ちょっと自棄になっていたのかなぁと思うけれど。

「亜沙姫さんが、……他の男に抱かれるかもしれないということが、……耐えられなくて、苦しくて」

 私の手を包む桔平くんの掌に、力が入る。

「……辛くて。家のことをして欲しかったなんて後付けです。誰でもいいなんて、嘘です。なんとか、あなたのことを俺に縛り付けてしまいたかった」
「……あの、桔平くん」

 言葉を紡ごうとした私を、桔平くんが目線だけで止めた。こくんと頷いて、続きを待つ。

「あなたでなければ、……亜沙姫さんでなければ、嫌でした」

 冬の日射しは、きらきら。
 桔平くんの目が、潤んで見えるくらいに。

「結婚したあとも、俺は──気持ちも伝えないで、自分勝手で」

 私は首を振る。
 だって、それは私も同じ。怯えて気持ちを伝えないで、ただ縋り付いていただけ。

「桔平くん、いま、……伝えてくれたよ。あの、私も、その」
「亜沙姫さん」

 桔平くんが弱々しく首を振る。こんな表情、初めて見た。苦しくて切ない、そんな顔。

「俺は──亜沙姫さんがきっと俺に絆されてくれたと確信したから、言えたんです。最初から言えるほど、強くない……やっぱり、卑怯な男です」

 でも、と桔平くんは続けた。

「そんな、卑怯な俺ですけど」
「卑怯じゃないよ」
「卑怯です。その上、弱くて、バカで」

 はぁ、と桔平くんは息を吐く。

「……でも、亜沙姫さんを大事に思う気持ちだけは、誰にも負けません」
「……桔平くん」

 桔平くんは冷たいキッチンの床に、片膝立ちで跪く。私の手を持ったまま──求婚する、王子様みたいに。

「亜沙姫さん」
「っ、は、はい!?」
「死ぬまで、──死んでも大事にしますから」

 桔平くんは私の手を握ったまま、じっと私を見上げている。

「病めるときも健やかなるときも──俺と、一緒にいてもらえませんか」

 目が熱い。
 答えなきゃなのに、言葉が出ない。
 桔平くんが、私から手を離す。
 立ち上がった桔平くんが、わずかに震える指先で、私の眼鏡を外してしまう。かちゃりと冷えた音がした。
 ゆっくりと、抱きしめられる。

「亜沙姫さん──ずっと俺と、おにぎり食べてもらえませんか」

 ぐす、と鼻をすする。
 桔平くんの胸に顔を押し付けた。目が熱い。眼球が蕩けて落ちちゃうくらいに、涙が零れて止まらない。

「病めるときも、健やかなるときも──例え世界が終わりそうでも。何十個でも、何百個でも、おにぎり作りますから」

 桔平くんの腕の力が、ぎゅうぎゅうと強くなる。逃がさないぞと言われているみたいに、強くなる。

「側にいてください。亜沙姫さん、──俺の、お姫様」

 弾かれるように顔を上げた。ぼやけた視界は、眼鏡がないせいか、涙が溢れているせいか、もはや判然としない。
 でも、そのぼやけた視界の向こうで、たしかに桔平くんが笑った気がした。
 私の王子様が、笑った気がした。

 昔話ならば、ここでハッピーエンドなのだろう。お姫様は王子様から、ガラスの靴やティアラや指輪を受け取って──めでたし、めでたし。
 けれど私が囲まれているのは、おにぎりで。ドレスでもない、寝起きそのままの姿。
 ガラスの靴のかわりに、少し草臥れたスリッパを履いて、部屋着がわりの上下スウェット。桔平くんだって、そうで。
 それがなんだか面白くて擽ったくて嬉しい。私たち、らしくて。

「亜沙姫さん」

 桔平くんが、私の名前を呼ぶ。
 とても大切に、甘やかに発音される私の名前。
 私はぽろぽろみっともなく泣くばかりで、答えなんかひとつしかないのに、全く言葉になりそうにない。

 窓の外からは、いつも通りの朝の声。時折聞こえる子供の声、車やバイクのエンジン音。冬鳥の鳴き声。
 あと1時間もすれば、私たちもいつも通りの1日を過ごすのだと思う。
 だけれど、私たちはほんの少しだけ──今日からやっと、ちゃんと──夫婦になったのかも、しれなかった。
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