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(桔平視点)

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 兄貴──修平と会うのは、実のところそこまで難しいことじゃない。
 同じ霞ヶ関……の、目と鼻の先。というか斜め向かいの建物が警察庁。めったに会うこともないけれど。
 雲ひとつない、良く晴れた月曜の朝。
 兄貴は缶コーヒーを俺に押し付けながら言った。

「歩きながらでいいか」

 ん、と返事をしながら、温かなそれを受け取る。
 捜査の進展について、少し聞いておきたかった。
 ビル風がぴゅう、と頬に冷たい。
 カサカサと枯れ葉が舞う。

「泉崎かすみだが」
「素直に吐いたのか?」
「素直というか」

 兄貴は難しい顔をする。

「……素直すぎるというか」
「どういう意味だ?」
「現場からの報告を聞いての──あくまで俺の感触だが」

 兄貴と並んで歩いてると、時折ぎょっと通行人に振り向かれる。二人してデカイから仕方ない。

「おそらく、何が悪いか分かってない」

 兄貴の淡々とした報告に、思わず絶句した。何が悪いか分かってない? 逮捕までされたのに?

「だから、事実を淡々と答えている」
「亜沙姫さんを逆恨みで襲っておきながら?」
「──その件だが」

 兄貴はほんの少し、眉間の間に逡巡を浮かべた。

「桔平、お前小菅には近づくなよ」
「小菅? ……東京拘置所?」

 俺の返答に、兄貴はうなずく。ややあって、決めたように口を開いた。

「いずれ耳に入るだろうから言っておく。──いいか、泉崎かすみの目的はお前だった」
「──は?」

 間抜けな声が出ていただろう。
 だけれど、混乱して──俺が?

「泉崎かすみがSNS上で人気があったのは知っているな?」
「ああ」
「その上で、泉崎がライバル視していた──もっとも相手の方は泉崎を認識すらしていなかったらしいが──人物がいる」

 手の中で、温かだった缶コーヒーが少しずつ冷えていく。兄貴は言葉をつづけた。

「その人が、婚約した。相手はキャリア官僚だった」
「……は?」
「泉崎かすみは『だから鮫川先輩と結婚しようと思った』……のだそうだ」

 泉崎の論理の飛躍に頭がついていかない。

「……猫のことで、亜沙姫さんを逆恨みしていたのでは」
「ない」

 兄貴はキッパリと言った。

「担当いわく、猫のことは言われるまで忘れていたそうだ」

 今度こそ、本当に絶句した。
 昨日、警察署から引き取ってきた、白い雄猫。案の定、俺には警戒しているけれど、亜沙姫さんにはすぐ懐いて、そのしなやかな身体を撫でられていた、あの綺麗な──白猫。
 名前はプランス──フランス語で「王子様」。

『どっちもプランちゃんなのか!』

 亜沙姫さんは猫を抱き上げて、困ったように笑っていた。
 というか、……それよりも。

(俺が、巻き込んだ?)

 ひゅっと息を飲む。
 俺のせいで、亜沙姫さんをあんな目に。
 拳を握りしめた。強く、強く。
 そんな、──そんな下らない理由で。

「でも──亜沙姫さんを襲わせる理由がない」

 なぜそれが、俺と結婚することに繋がる?
 泉崎の考えていることが分からない。
 兄貴はもう一度、大きく息を吐いた。

「これも、いずれ──報じられるだろうから」

 兄貴の視線は遠くを見つめている。

「泉崎曰く。『棚倉亜沙姫は清純ぶっているけれど淫売ビッチに違いない。だから、無理矢理でもヤらせたらその化けの皮が剥がれるだろう』と」
「──は?」
「その様を録画して、お前に見せようとしていた」

 兄貴は……あえてだろう。
 フラットな声で、淡々と言葉を紡いだ。

「それを見れば──お前の目も覚めるだろう、と。そう言っていたそうだ」

 俺はというと、目の前が真っ赤で──もちろん錯覚だけれど──脳の血管が切れたのかと、そう思った。

「──お前のせいじゃない。お前たち二人は、巻き込まれただけだ」
「小菅にいるのか? 日比谷線で良かったよな」
「だから嫌だったんだ」

 ぐ、と肩を掴まれる。舌打ちして振り払うと、胸ぐらを掴み上げられる。
 頭の芯が冷えていく。
 なのに身体はひどく熱い。

「兄貴、離せ」
「冷静になれ桔平」
「なれるか」

 胸ぐらを掴む手を振り払う。兄貴は視線を鋭くする。

「久々にやるか?」

 一歩半下がって、間合いを取る。兄貴はふ、とため息をついた。

「この歳で、もうケンカなどするか。美保に心配かけるだろう」
「……」

 美保さん。

「お前もそうだろうが、桔平。亜沙姫さんにこれ以上心労をかけるな」

 ──亜沙姫、さん。
 桔平くん、と俺を呼ぶ──涼やかな声。
 俺は俯く。

「何はともあれ、事件は解決しているんだ」
「……悪かった」

 兄貴は頬を緩めて、俺の頭をぽん、と撫でた。小さい頃、兄貴とケンカしたときと同じ仕草で。
 そうして、やっと理解した。「嫌だった」と言いながらも、わざわざ自分から事件の顛末について俺に報告したのは──俺を止めるためだった。

「自分が嫌になる。いつまでも子供ガキで」
「昔よりはマシだ」
「……」

 そう言われると、ぐうの音も出ない。
 いつまで俺は、短絡的バカ直情的バカ子供バカなんだろうか。

「まぁ、……そのおかげで早期解決となったのだから、お前の猪みたいなところもたまには役に立つと思っていいだろう」
「……褒めてないだろう」
「バレたか」

 兄貴がぽん、と背中を押す。
 気がつけば、もう庁舎の入り口で。

「八つ当たりしてごめん」

 顔を見ないまま子供のように謝り、歩いて会社庁舎へ向かう。
 手の中で、ずいぶんと冷たくなっていた缶コーヒーを、ぐいっと飲み干す。
 なんだか酷く──亜沙姫さんに会いたくなってしまった。
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