60 / 75
(桔平視点)
しおりを挟む
兄貴──修平と会うのは、実のところそこまで難しいことじゃない。
同じ霞ヶ関……の、目と鼻の先。というか斜め向かいの建物が警察庁。めったに会うこともないけれど。
雲ひとつない、良く晴れた月曜の朝。
兄貴は缶コーヒーを俺に押し付けながら言った。
「歩きながらでいいか」
ん、と返事をしながら、温かなそれを受け取る。
捜査の進展について、少し聞いておきたかった。
ビル風がぴゅう、と頬に冷たい。
カサカサと枯れ葉が舞う。
「泉崎かすみだが」
「素直に吐いたのか?」
「素直というか」
兄貴は難しい顔をする。
「……素直すぎるというか」
「どういう意味だ?」
「現場からの報告を聞いての──あくまで俺の感触だが」
兄貴と並んで歩いてると、時折ぎょっと通行人に振り向かれる。二人してデカイから仕方ない。
「おそらく、何が悪いか分かってない」
兄貴の淡々とした報告に、思わず絶句した。何が悪いか分かってない? 逮捕までされたのに?
「だから、事実を淡々と答えている」
「亜沙姫さんを逆恨みで襲っておきながら?」
「──その件だが」
兄貴はほんの少し、眉間の間に逡巡を浮かべた。
「桔平、お前小菅には近づくなよ」
「小菅? ……東京拘置所?」
俺の返答に、兄貴はうなずく。ややあって、決めたように口を開いた。
「いずれ耳に入るだろうから言っておく。──いいか、泉崎かすみの目的はお前だった」
「──は?」
間抜けな声が出ていただろう。
だけれど、混乱して──俺が?
「泉崎かすみがSNS上で人気があったのは知っているな?」
「ああ」
「その上で、泉崎がライバル視していた──もっとも相手の方は泉崎を認識すらしていなかったらしいが──人物がいる」
手の中で、温かだった缶コーヒーが少しずつ冷えていく。兄貴は言葉をつづけた。
「その人が、婚約した。相手はキャリア官僚だった」
「……は?」
「泉崎かすみは『だから鮫川先輩と結婚しようと思った』……のだそうだ」
泉崎の論理の飛躍に頭がついていかない。
「……猫のことで、亜沙姫さんを逆恨みしていたのでは」
「ない」
兄貴はキッパリと言った。
「担当いわく、猫のことは言われるまで忘れていたそうだ」
今度こそ、本当に絶句した。
昨日、警察署から引き取ってきた、白い雄猫。案の定、俺には警戒しているけれど、亜沙姫さんにはすぐ懐いて、そのしなやかな身体を撫でられていた、あの綺麗な──白猫。
名前はプランス──フランス語で「王子様」。
『どっちもプランちゃんなのか!』
亜沙姫さんは猫を抱き上げて、困ったように笑っていた。
というか、……それよりも。
(俺が、巻き込んだ?)
ひゅっと息を飲む。
俺のせいで、亜沙姫さんをあんな目に。
拳を握りしめた。強く、強く。
そんな、──そんな下らない理由で。
「でも──亜沙姫さんを襲わせる理由がない」
なぜそれが、俺と結婚することに繋がる?
泉崎の考えていることが分からない。
兄貴はもう一度、大きく息を吐いた。
「これも、いずれ──報じられるだろうから」
兄貴の視線は遠くを見つめている。
「泉崎曰く。『棚倉亜沙姫は清純ぶっているけれど淫売に違いない。だから、無理矢理でもヤらせたらその化けの皮が剥がれるだろう』と」
「──は?」
「その様を録画して、お前に見せようとしていた」
兄貴は……あえてだろう。
フラットな声で、淡々と言葉を紡いだ。
「それを見れば──お前の目も覚めるだろう、と。そう言っていたそうだ」
俺はというと、目の前が真っ赤で──もちろん錯覚だけれど──脳の血管が切れたのかと、そう思った。
「──お前のせいじゃない。お前たち二人は、巻き込まれただけだ」
「小菅にいるのか? 日比谷線で良かったよな」
「だから嫌だったんだ」
ぐ、と肩を掴まれる。舌打ちして振り払うと、胸ぐらを掴み上げられる。
頭の芯が冷えていく。
なのに身体はひどく熱い。
「兄貴、離せ」
「冷静になれ桔平」
「なれるか」
胸ぐらを掴む手を振り払う。兄貴は視線を鋭くする。
「久々にやるか?」
一歩半下がって、間合いを取る。兄貴はふ、とため息をついた。
「この歳で、もうケンカなどするか。美保に心配かけるだろう」
「……」
美保さん。
「お前もそうだろうが、桔平。亜沙姫さんにこれ以上心労をかけるな」
──亜沙姫、さん。
桔平くん、と俺を呼ぶ──涼やかな声。
俺は俯く。
「何はともあれ、事件は解決しているんだ」
「……悪かった」
兄貴は頬を緩めて、俺の頭をぽん、と撫でた。小さい頃、兄貴とケンカしたときと同じ仕草で。
そうして、やっと理解した。「嫌だった」と言いながらも、わざわざ自分から事件の顛末について俺に報告したのは──俺を止めるためだった。
「自分が嫌になる。いつまでも子供で」
「昔よりはマシだ」
「……」
そう言われると、ぐうの音も出ない。
いつまで俺は、短絡的で直情的で子供なんだろうか。
「まぁ、……そのおかげで早期解決となったのだから、お前の猪みたいなところもたまには役に立つと思っていいだろう」
「……褒めてないだろう」
「バレたか」
兄貴がぽん、と背中を押す。
気がつけば、もう庁舎の入り口で。
「八つ当たりしてごめん」
顔を見ないまま子供のように謝り、歩いて会社へ向かう。
手の中で、ずいぶんと冷たくなっていた缶コーヒーを、ぐいっと飲み干す。
なんだか酷く──亜沙姫さんに会いたくなってしまった。
同じ霞ヶ関……の、目と鼻の先。というか斜め向かいの建物が警察庁。めったに会うこともないけれど。
雲ひとつない、良く晴れた月曜の朝。
兄貴は缶コーヒーを俺に押し付けながら言った。
「歩きながらでいいか」
ん、と返事をしながら、温かなそれを受け取る。
捜査の進展について、少し聞いておきたかった。
ビル風がぴゅう、と頬に冷たい。
カサカサと枯れ葉が舞う。
「泉崎かすみだが」
「素直に吐いたのか?」
「素直というか」
兄貴は難しい顔をする。
「……素直すぎるというか」
「どういう意味だ?」
「現場からの報告を聞いての──あくまで俺の感触だが」
兄貴と並んで歩いてると、時折ぎょっと通行人に振り向かれる。二人してデカイから仕方ない。
「おそらく、何が悪いか分かってない」
兄貴の淡々とした報告に、思わず絶句した。何が悪いか分かってない? 逮捕までされたのに?
「だから、事実を淡々と答えている」
「亜沙姫さんを逆恨みで襲っておきながら?」
「──その件だが」
兄貴はほんの少し、眉間の間に逡巡を浮かべた。
「桔平、お前小菅には近づくなよ」
「小菅? ……東京拘置所?」
俺の返答に、兄貴はうなずく。ややあって、決めたように口を開いた。
「いずれ耳に入るだろうから言っておく。──いいか、泉崎かすみの目的はお前だった」
「──は?」
間抜けな声が出ていただろう。
だけれど、混乱して──俺が?
「泉崎かすみがSNS上で人気があったのは知っているな?」
「ああ」
「その上で、泉崎がライバル視していた──もっとも相手の方は泉崎を認識すらしていなかったらしいが──人物がいる」
手の中で、温かだった缶コーヒーが少しずつ冷えていく。兄貴は言葉をつづけた。
「その人が、婚約した。相手はキャリア官僚だった」
「……は?」
「泉崎かすみは『だから鮫川先輩と結婚しようと思った』……のだそうだ」
泉崎の論理の飛躍に頭がついていかない。
「……猫のことで、亜沙姫さんを逆恨みしていたのでは」
「ない」
兄貴はキッパリと言った。
「担当いわく、猫のことは言われるまで忘れていたそうだ」
今度こそ、本当に絶句した。
昨日、警察署から引き取ってきた、白い雄猫。案の定、俺には警戒しているけれど、亜沙姫さんにはすぐ懐いて、そのしなやかな身体を撫でられていた、あの綺麗な──白猫。
名前はプランス──フランス語で「王子様」。
『どっちもプランちゃんなのか!』
亜沙姫さんは猫を抱き上げて、困ったように笑っていた。
というか、……それよりも。
(俺が、巻き込んだ?)
ひゅっと息を飲む。
俺のせいで、亜沙姫さんをあんな目に。
拳を握りしめた。強く、強く。
そんな、──そんな下らない理由で。
「でも──亜沙姫さんを襲わせる理由がない」
なぜそれが、俺と結婚することに繋がる?
泉崎の考えていることが分からない。
兄貴はもう一度、大きく息を吐いた。
「これも、いずれ──報じられるだろうから」
兄貴の視線は遠くを見つめている。
「泉崎曰く。『棚倉亜沙姫は清純ぶっているけれど淫売に違いない。だから、無理矢理でもヤらせたらその化けの皮が剥がれるだろう』と」
「──は?」
「その様を録画して、お前に見せようとしていた」
兄貴は……あえてだろう。
フラットな声で、淡々と言葉を紡いだ。
「それを見れば──お前の目も覚めるだろう、と。そう言っていたそうだ」
俺はというと、目の前が真っ赤で──もちろん錯覚だけれど──脳の血管が切れたのかと、そう思った。
「──お前のせいじゃない。お前たち二人は、巻き込まれただけだ」
「小菅にいるのか? 日比谷線で良かったよな」
「だから嫌だったんだ」
ぐ、と肩を掴まれる。舌打ちして振り払うと、胸ぐらを掴み上げられる。
頭の芯が冷えていく。
なのに身体はひどく熱い。
「兄貴、離せ」
「冷静になれ桔平」
「なれるか」
胸ぐらを掴む手を振り払う。兄貴は視線を鋭くする。
「久々にやるか?」
一歩半下がって、間合いを取る。兄貴はふ、とため息をついた。
「この歳で、もうケンカなどするか。美保に心配かけるだろう」
「……」
美保さん。
「お前もそうだろうが、桔平。亜沙姫さんにこれ以上心労をかけるな」
──亜沙姫、さん。
桔平くん、と俺を呼ぶ──涼やかな声。
俺は俯く。
「何はともあれ、事件は解決しているんだ」
「……悪かった」
兄貴は頬を緩めて、俺の頭をぽん、と撫でた。小さい頃、兄貴とケンカしたときと同じ仕草で。
そうして、やっと理解した。「嫌だった」と言いながらも、わざわざ自分から事件の顛末について俺に報告したのは──俺を止めるためだった。
「自分が嫌になる。いつまでも子供で」
「昔よりはマシだ」
「……」
そう言われると、ぐうの音も出ない。
いつまで俺は、短絡的で直情的で子供なんだろうか。
「まぁ、……そのおかげで早期解決となったのだから、お前の猪みたいなところもたまには役に立つと思っていいだろう」
「……褒めてないだろう」
「バレたか」
兄貴がぽん、と背中を押す。
気がつけば、もう庁舎の入り口で。
「八つ当たりしてごめん」
顔を見ないまま子供のように謝り、歩いて会社へ向かう。
手の中で、ずいぶんと冷たくなっていた缶コーヒーを、ぐいっと飲み干す。
なんだか酷く──亜沙姫さんに会いたくなってしまった。
11
お気に入りに追加
2,784
あなたにおすすめの小説
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
【R18】深層のご令嬢は、婚約破棄して愛しのお兄様に花弁を散らされる
奏音 美都
恋愛
バトワール財閥の令嬢であるクリスティーナは血の繋がらない兄、ウィンストンを密かに慕っていた。だが、貴族院議員であり、ノルウェールズ侯爵家の三男であるコンラッドとの婚姻話が持ち上がり、バトワール財閥、ひいては会社の経営に携わる兄のために、お見合いを受ける覚悟をする。
だが、今目の前では兄のウィンストンに迫られていた。
「ノルウェールズ侯爵の御曹司とのお見合いが決まったって聞いたんだが、本当なのか?」」
どう尋ねる兄の真意は……
社長はお隣の幼馴染を溺愛している
椿蛍
恋愛
【改稿】2023.5.13
【初出】2020.9.17
倉地志茉(くらちしま)は両親を交通事故で亡くし、天涯孤独の身の上だった。
そのせいか、厭世的で静かな田舎暮らしに憧れている。
大企業沖重グループの経理課に務め、平和な日々を送っていたのだが、4月から新しい社長が来ると言う。
その社長というのはお隣のお屋敷に住む仁礼木要人(にれきかなめ)だった。
要人の家は大病院を経営しており、要人の両親は貧乏で身寄りのない志茉のことをよく思っていない。
志茉も気づいており、距離を置かなくてはならないと考え、何度か要人の申し出を断っている。
けれど、要人はそう思っておらず、志茉に冷たくされても離れる気はない。
社長となった要人は親会社の宮ノ入グループ会長から、婚約者の女性、扇田愛弓(おおぎだあゆみ)を紹介され―――
★宮ノ入シリーズ第4弾
私は5歳で4人の許嫁になりました【完結】
Lynx🐈⬛
恋愛
ナターシャは公爵家の令嬢として産まれ、5歳の誕生日に、顔も名前も知らない、爵位も不明な男の許嫁にさせられた。
それからというものの、公爵令嬢として恥ずかしくないように育てられる。
14歳になった頃、お行儀見習いと称し、王宮に上がる事になったナターシャは、そこで4人の皇子と出会う。
皇太子リュカリオン【リュカ】、第二皇子トーマス、第三皇子タイタス、第四皇子コリン。
この4人の誰かと結婚をする事になったナターシャは誰と結婚するのか………。
※Hシーンは終盤しかありません。
※この話は4部作で予定しています。
【私が欲しいのはこの皇子】
【誰が叔父様の側室になんてなるもんか!】
【放浪の花嫁】
本編は99話迄です。
番外編1話アリ。
※全ての話を公開後、【私を奪いに来るんじゃない!】を一気公開する予定です。
エリート自衛官に溺愛されてる…らしいです? もしかして、これって恋ですか?
にしのムラサキ
恋愛
旧題:もしかして、これって恋ですか?〜エリート自衛官に溺愛されてる……らしいです?〜
【書籍化のため本編引き下げしております】
「結婚したいから結婚してくれ」
自分の前では「ボケーっとしてる」幼馴染、康平によく分からないプロポーズをされた凪子。職と恋人を同時に失っていた凪子は、流されるように結婚するけれど。
※※※
ずっと好きだった幼馴染が、やっとフリーになったことを知り勢いでプロポーズした康平。
ボケーっとしてる凪子を、うまいこと丸め込んで結婚したはいいものの、いまいち気持ちは伝わってないみたいで。
凪子の前以外では「きりっ」としてる康平と、だいたいいつもボケーっとしてる凪子の、(無意識?)いちゃらぶラブコメ(予定)。
※「鮫川兄弟シリーズ」次男、康平の話となります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる