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台風

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 怖いもの。
 昔から「地震、雷、火事親父」なんて言うけれど、この「親父」っていうのは「台風」のこと、という説があるらしい。
 この秋発生した何度目かの台風は、九州に上陸したあと日本海側を北上していくはず……だったのに。

「え」

 私はその日のお昼過ぎ、固まっていた。
 桔平くんが、今日の夜には帰ってくるという、そんな日の。
 この持ち込まれたトビと同じ森林管理事務所から、また猛禽類が持ち込まれた──最も今度は、生きている。オオタカだ。

「交通事故か」

 一報を受けた三島先輩が廊下をサクサク歩きながら言う。
 ハンターが路上の隅に放置したイノシシの死体。それを啄んで、道路まで出てしまったらしい。

「……教授、いないのに」

 若松教授は、今日学会のために一日中不在だ。その手伝いで、皆出払っていて──野生動物研究室に残されていたのは私と三島先輩のふたりだけ。
 よりによってこんな日に!
 思わず呟いた弱気な言葉に、三島先輩に背中を叩かれた。

「オレがいるだろ!」

 すごいいい笑顔だった。

「……」

 三島先輩。
 たしかに、その若さでウチの助教はすごい……と思うけれど。
 まぁなんていうか、……見縊っていた。
 それに関しては、謝罪しなくてはいけないだろう。

「……なんとかなった」
「ほらな」

 研究室に帰ってきて、どさりと椅子に座り込む。

「まぁ臨床から応援来てもらったし、偉そうには言えないけどな」
「はぁ」
「ていうか、ほんとは自信なかったわー。はは」

 先輩はカラカラ笑う。私があんまりにも自信なさげな顔をしていたから、元気付けるために言ってくれたんだろう。
 私は頭を下げた。

「……っ、棚倉?」
「鮫川です。けど、すみませんでした。先輩のことが嫌いなせいで、先輩の能力まで見縊ってました」
「えーと」
「女子の容姿を平気で貶す性根のイヤなやつだからといって、その他の能力が低いわけでは」
「いやごめん、ほんとにその節はごめん」
「いえ」

 顔を上げた。
 先輩はものすごく、シュンとしていた。……疲れてるところ、悪かったな──と顔を上げて、変な声が出る。

「へ?」
「なに? ……と、え?」

 夜になって、すっかり暗い窓の外の風がやたらと強い。びゅおびゅおと吹き付ける風と、降り出したような雨粒。
 台風の影響はあると思うけれど、直撃でもないのに……?

「わ、まだいたのか!」

 聴き慣れた声に振り向くと、若松教授が驚いた顔をしている。

「あ、教授。実は持ち込みの……」

 ざっと事情を説明すると、教授は「うわ大変だったなぁ!」と眉を寄せた。

「でももう台風来てるぞ」
「え? 台風、こっちは」
「違う違う、ずれたの。昼にはニュースでやってただろ? このへん、深夜には暴風域だぞ」

 声にならない悲鳴が出た。ニュースなんて手術で見る暇なかったし、──ていうか!
 桔平くんのお庭! 家庭菜園っ!
 い、家のことしなきゃ!

「棚倉、家まで送る。オレ、今日泊まり込むから」

 さっきのオオタカが気になるのだろう。私は慌てて手を振った。

「い、いえ、雨も酷くなりそうですし」
「いやだ送る」

 押し問答していると、教授が「僕が送るよ」と頷いた。

「車だから」
「あ、……いいですか?」
「……なら」

 なぜだか三島先輩は心配そうな眼差しを残しながら引いてくれた。

 教授に送ってもらって、帰宅してすぐに納戸からブルーシートと古新聞を引っ張り出した。廊下に広げる。

「えーとえーと、どうしたらいいのかなっ」

 台風なんて不慣れだ。
 とりあえず、真っ暗な庭からプランターを室内に引っ張り入れる。
 びょうびょうと吹き付ける風。雨粒が痛い。

「レインコートくらい、買っておけば良かった」

 びしょ濡れになりながら、飛びそうなものはなんとか取り込んで、廊下のブルーシートに置いた。

「つ、疲れた……」

 そもそも手術でグッタリだったのだ。臨床の人たちすごいよな……。
 濡れた服だけ着替えた。
 テレビをつけて、ニュースを見る。当然ながら、関東方面離発着の飛行機は全便欠航になっている。

「桔平くん、もう一泊かな」

 そういえば連絡してない。家のこと心配してるよね?
 スマホを鞄から取り出そうとして──血の気がひいた。

「ひぃゃぁあ」

 こんなことある!?
 鞄の中で、水筒が閉まってなかったみたいで──水没してた。嘘でしょう!?

「つかない……」

 すっかり緘黙したスマートフォン。
 なんだかひどく、力が抜けた。もう、今日は厄日だー!
 そのまま、座布団を枕に丸まった。
 ほんとに今日は、とってもとっても、疲れてしまった……。

 眠っているどこか遠くで、ひどい風雨の音が一晩、続いていた。

 目を覚ますと、朝日が障子越しに注ぎ込んでいた。台風一過、というやつか、とぼうっとそれを眺める。

「……首、痛っ」

 首を回す。肩もバキバキだー。

「あんなとこで寝るんじゃなかった……」

 障子をからからと開けた。

「わ、畑」

 庭の家庭菜園、ちょっと荒れていた。幸い、風はそうでもなかったのか、支柱が倒れたりはしていない。

「……きれいにしとこ」

 桔平くんが帰ってくる前に、少しでも。
 玄関にまわって、長靴を履いて庭へ行く。ぬかるんだ土。
 白菜の種を撒いたばかりの畝を整える。種は無事っぽいぞ。……と、芽が出ているのを発見する。

「わ、嬉しい」

 これは桔平くん喜ぶぞ、と顔をあげたら、肩で息をしてる本人がいた。

「……っ、アサヒさん」
「へ!?」

 呆然と桔平くんを見つめる。あれ!? 飛行機、もう飛んでる!?
 いや飛んでたとしてもまだ早朝だ。いくらなんでも──と、抱きしめられた。
 ぬかるんだ土に座り込んで作業してた私。

「き、桔平くん、スーツ汚れる」

 私は泥のついた両手をワタワタと動かしながら慌てた。
 桔平くんはなにも言わない。
 ただ、すごく低い声で「……とても、心配しました」、と──それだけを、伝えられた。
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