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(桔平視点)

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「あれ、桔平くん」

 下着を買いに行ったらしい亜沙姫さんを心頭滅却しながら待っている間、ふと声をかけられた。
 亜沙姫さんが買い物をしている、すこしカジュアルな商業施設の一階、全国どこにでもあるコーヒーチェーンのカフェ。
 コーヒーが乗った小さなトレイを持った、ふんわりとした雰囲気の、優しげな女性。

「美保さん」

 頭を下げた。
 一番上の兄、修平の奥さんで──俺の、初恋の人。
 俺は全員男の五人兄弟の四番めで、俺自身はよく分かっていないが「全員そっくり」らしい。
 特に、無愛想なところが。

(……まぁ九割が単なる"憧れ"だったな)

 まだ中学生の頃。
 ガタイが良くて目つきも悪い俺は(自覚がある)よく他校生に絡まれていた。
 たいていはなんとかなっていたけれど、その時は……相手は金属バットを手にしてて。
 空手をしていて、シロウトに手が出せず、けれど相手はエモノ持ちだ。
 さすがにヤバイ、と思った時に「警察呼んだよ!」と助けに入ってくれたのが、まだ学生だった美保さんだった。
 それ以来、美保さんに憧れて──はいたものの。

(多分、違ったなぁ)

 恋だと思ってた。
 初恋だって。
 でも、……違った。
 亜沙姫さんに出会って、この身をもって思い知った。
 恋とは、あんなにフワフワしたものではなくて──身体を灼き尽くすような、なのに姿が目に入っただけで幸せに包まれる、そんなもの。

(亜沙姫さんのためなら死ねる)

 この感覚が、他の人と共通のものなのか、俺だけにあるものなのかは分からない。

「……兄貴たちは」
「今日はお留守番してるんだ。ね、奥様は?」

 ここいいかな、と俺の向かいに座りながら、美保さんはいたずらっぽく笑う。
 コーヒーをテーブルに置く、その左手薬指には結婚指輪と、もうひとつ……小さなダイヤが並んだ指輪が重ね付けされていた。

(確か、新婚旅行で兄貴が渡した指輪だったか)

 兄貴と結婚してずいぶん経つけれど、この夫婦はいつまでも仲がいい。
 うらやましく──思う。

「桔平くん、奥様とラブラブだったねー。実は駅で見かけた」
「……!」
「ふふふ、桔平くんのあの甘い顔はなかなかレアだった」

 美保さんはニヤリと笑う。
 末っ子らしい美保さんは、どうやら年齢が離れている俺と、弟の純平をどこか本当の弟のように思っている節がある──その上に、5人兄弟で一番無愛想で無表情な修平の表情がわかる(彼女いわく「慣れ」らしい)特性を持っており、つまり……無愛想なはずの俺の表情なんか、かなり簡単に読まれる。

「わぁ顔赤いよ」
「……その」

 ごめんごめん、と美保さんが苦笑する。

「奥様は、お買い物かな」
「……はい」
「桔平くんは行かなくていいの?」
「その」

 下着を買いに行ってるので、とは言いづらい。美保さんは察してくれたのか、すぐに別の話題に移った。

「写真とかないの?」

 興味津々の美保さんに、俺はスマホを差し出す。

「わ、眼鏡美人さん」

 美保さんが笑う。

「これは桔平くんもベタ惚れになっちゃうね」
「……っと、あの。外見ではなくて」

 なぜだか言い訳のように、俺は言う。

「中身、というか、性格というか……なんというか、変わっているひとだとは思うんですが、穏やかというか、包み込むような性格というか」

 シドロモドロになりながら、俺はなんとか亜沙姫さんの魅力を伝えようとして──美保さんがふんわり、笑う。
 兄貴はここに惚れ抜いてんだろうな、と分かる微笑み。

「大丈夫、伝わってる。特に、桔平くんが本当に奥様愛してるんだってことが」
「あ、」

 愛。
 いや、──そうだ。その通りだ。
 さすがに頬が熱くなって美保さんをみていると、ふと視線に気がつく。
 カフェの入り口には、亜沙姫さんがいた。
 買い物は終わったのだろう、白いショップバッグを持って──けれど、どこか顔色が悪い。

(人が多かったから)

 慌てて駆け寄る。
 人酔いでもしたか。もしくは──なにか、あったのだろうか!?
 心配で頭がいっぱいになる。
 けれど、返ってきたのは「大丈夫」という笑顔だけで。

(……頼っては、もらえないのだろうか)

 彼女にとっては、俺はたんなる……もしかしたら、実験相手で同居人、というただそれだけかもしれなくて。
 それ以上を望むのは、もしかしたら烏滸がましすぎることなのかも、しれないけれど。

(苦しい)

 胸の奥から、とろとろと黒い何かが湧いてくる。独占欲とか、庇護欲とか、そんなもの。自分勝手な、そんな感情。
 待ち合わせに向かう美保さんと別れて(別れ際、ニヤリと笑われた──これは兄貴に全部筒抜けだろう)、俺は亜沙姫さんの手を繋ぎ直す。

(俺のだ)

 この小さな手も、華奢なからだも。
 こころ以外は、全部──。

(いちばん欲しいのは、こころなのに)

 ふと、亜沙姫さんの小さな手に力がこもる。反射的に握り直す。強く。

(これで、いい)

 これだけでいい。
 苦しく思いながらも、そう決めた。
 亜沙姫さんが、側にいてくれるのなら──これで。

 そうして俺は目的を告げる。
 ここに来た目的を。

「結婚指輪を、作りませんか」

 亜沙姫さんはきょとんと俺を見上げる。
 事態が飲み込めない、みたいな顔。

「なんで?」

 心底不思議そうにそう聞かれた。
 なんで、なぜって──俺は自分の子どもっぽさが嫌になる。
 単純に、そう、単純に──俺は亜沙姫さん、あなたが俺のものだって世界中に知らしめておきたいんだ。

「虫除けになるでしょう」

 思わずこぼれたそんな本音に、亜沙姫さんはなんだか見慣れない表情で、わずかに、でもはっきりとうなずいてくれたのだった。
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