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流星群(桔平視点)
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「今日はね」
亜沙姫さんが、俺の作ったぬか漬けをポリポリ食べながら言った。
「流星群が見られるらしいよ」
障子越しに入ってくる夏の朝日。
朝から暑すぎて、クーラーを入れた。
東京のギリギリ23区外、近くに二路線の駅があるこの町は、駅から少し離れれば閑静な住宅街。
静かな朝の空間で、亜沙姫さんは続ける。
「今日も遅いの?」
「……極力、早く帰ります」
そう、と亜沙姫さんは興味があるのだかないのだか、な視線で頷いて、それから味噌汁を飲む。
「おいし」
嬉しそうに目を細める亜沙姫さんの首筋に、小さなキスマークひとつ。
一緒に住み始めて一週間ほど、……自分でも呆れるけれど、毎日のように抱いている。
亜沙姫さんも徐々に慣れてきたみたいで、時折上がる甘すぎる声が可愛くて愛おしくて……と、慌てて雑念を消した。
朝から煩悩が酷い。
切り替えて、亜沙姫さんに返事をした。
「ありがとうございます」
どうしても夜遅く帰宅する俺は、朝食当番。といってもギリギリまで寝ているので、あまり大したものは作れない。
白飯に、ナス(ウチの庭でとれた)の味噌汁、赤魚の西京焼き。ただし市販の味付けされているやつ。それからぬか漬け。
「ぬか漬けしてるヒト、初めて見た」
「そうでしたか」
「手が綺麗だって言うよね」
お漬物つけるヒトって、と亜沙姫さんが俺の手をとる。まじまじと見つめる目線が、妙にくすぐったい。
「どうなんだろ」
「さぁ」
答えながら思う。心拍数が上がる。
亜沙姫さんの指が、俺の手を摩る。
「んー」
「……っ、すみません、もう行かなくては」
時計を見るフリをして、そっと手を離す。亜沙姫さんはゆっくりと笑った。
「いってらっしゃい」
「……いってきます」
亜沙姫さんは、見送りになんかこない。
ぽりぽりとぬか漬けを食べながら、笑うだけ。それでも嬉しい。
最愛の人から出る「いってらっしゃい」。
幸せすぎて、現実感がない。
そんな現実感にズシンと襲われるのは、やはり登庁してからだ。
次から次へと回ってくる案件。なのに進まない。
「鮫川!」
「鮫川さーん」
「係長、あれどうなりましたっけ」
国会答弁の書類作成に、通常業務がぐいぐい押される。野党は変な質問をやめてほしいし大臣は適当に答えるのをやめて欲しい。
さらに、前例のない事案は、基本的に押し付けあい。それもできるだけ下の役職で決める──ので、国家公務員総合職三年目、新任係長の俺のところにも「そういうの」はやってくる。
受けると上から怒鳴られる、が受けなければその事案は止まったまま動かない。
そういった駆け引きはどうにも苦手で、解決するころにはドッと気疲れする。
(……亜沙姫さんに会いたい)
スマホでこっそり撮った、亜沙姫さんの写真を眺める。可愛い。好き。会いたい。
「南の島に行きたい」
ぽつりと言葉が溢れた。
朝から晩まで亜沙姫さんとゴロゴロしていたい。抱きしめたりキスしたり、飽きるまでセックスしたり……飽きないだろうな。
そういえば首筋のキスマーク、指摘し忘れていた。
(まぁいいか)
虫除けだ。俺の。俺だけの──手に入れてから日増しに強くなる独占欲。
(心まで欲しい、だなんて)
贅沢な悩みだ。
からだだけでも、満足すべきところを──と、アラームが鳴って立ち上がる。
「係長、議員レク──」
「今行く」
部下に呼ばれて立ち上がる。
腕時計をちらりと見つめた。17時過ぎ。
"流星群が見られるらしいよ"
別に、誘われたわけじゃない。
単なる世間話かもしれない。
けれど、俺は──ふたりで、観たかった。
のに。
議員会館でさんざん待機させられた挙句、「やっぱりなし」と通告されたときの脱力たるや。
デスクに戻り、時計を見る。19時を過ぎようとしていた。
あとは残った業務を片付ければ……。
(21時には出られるな)
ニュースによれば、流星群は21時から明け方までが見頃らしい。
天気も悪くなさそうだ、と窓の外を見上げた瞬間、申し訳なさそうに部下が言う。
「係長……」
目線をやると、一枚のA4用紙。
「例の議員からの、質問通告。追加があるらしいです……」
さすがにイラっとした。
明日の国会での答弁。議員からの質問通告、今日は17時までに出揃っていたのに。
「まぁ、この先生。いつものことですけれど」
国会議員からの質問通告。
どの質問が来るかわからないため、全省庁の担当職員が居残りになる。
つまり、俺も。
そうしてそこから答案書の作成が始まる。体力がなければやっていられない。
残った仕事を片付けながら、ひたすら待つ。待って、待って。
(結局、)
と、空を見上げた。
東京の夜の明るさでも視認できる、明るい流れ星が確認できた。
0時25分の終電に乗る。
普段は30分で着く家路も、この時刻だともう少しかかるだろう。おそらく1時過ぎか。
(寝ているだろうな)
さすがに、寝ていると思う。
寝ているだろうと思うのに、俺は急いでいる。もしかしたら、と半ば駆けるように、最寄駅から急ぐ。
都心と違い、住宅街の灯は消えている。街灯だけがしらじらと明るい。
さっきよりはっきりと見える、流れる星屑。火球のようだと思いながら、小さな期待とともに、家の前までたどり着く。
しん、とした、電気のすっかり消えた家。
(……寝ている、よな)
分かってた。
分かってたんだ。
第一、ほんとうに……誘われたわけじゃない。一緒に見よう、なんてひとことも言われていない。
だけど、だけれど──。
玄関に入り、廊下の電気をつける。
茶の間に入ると、夏の夜の風が吹いた。虫の鳴き声がする。窓が開いている。電気をつけるのを、ためらった。
「……あ、おかえり」
廊下の灯だけの薄暗いなか、亜沙姫さんが、振り返る。
庭に面した濡れ縁に座って、ほんの少し唇をあげて。
「おつかれさま」
そう言って、笑ったのだった。
亜沙姫さんが、俺の作ったぬか漬けをポリポリ食べながら言った。
「流星群が見られるらしいよ」
障子越しに入ってくる夏の朝日。
朝から暑すぎて、クーラーを入れた。
東京のギリギリ23区外、近くに二路線の駅があるこの町は、駅から少し離れれば閑静な住宅街。
静かな朝の空間で、亜沙姫さんは続ける。
「今日も遅いの?」
「……極力、早く帰ります」
そう、と亜沙姫さんは興味があるのだかないのだか、な視線で頷いて、それから味噌汁を飲む。
「おいし」
嬉しそうに目を細める亜沙姫さんの首筋に、小さなキスマークひとつ。
一緒に住み始めて一週間ほど、……自分でも呆れるけれど、毎日のように抱いている。
亜沙姫さんも徐々に慣れてきたみたいで、時折上がる甘すぎる声が可愛くて愛おしくて……と、慌てて雑念を消した。
朝から煩悩が酷い。
切り替えて、亜沙姫さんに返事をした。
「ありがとうございます」
どうしても夜遅く帰宅する俺は、朝食当番。といってもギリギリまで寝ているので、あまり大したものは作れない。
白飯に、ナス(ウチの庭でとれた)の味噌汁、赤魚の西京焼き。ただし市販の味付けされているやつ。それからぬか漬け。
「ぬか漬けしてるヒト、初めて見た」
「そうでしたか」
「手が綺麗だって言うよね」
お漬物つけるヒトって、と亜沙姫さんが俺の手をとる。まじまじと見つめる目線が、妙にくすぐったい。
「どうなんだろ」
「さぁ」
答えながら思う。心拍数が上がる。
亜沙姫さんの指が、俺の手を摩る。
「んー」
「……っ、すみません、もう行かなくては」
時計を見るフリをして、そっと手を離す。亜沙姫さんはゆっくりと笑った。
「いってらっしゃい」
「……いってきます」
亜沙姫さんは、見送りになんかこない。
ぽりぽりとぬか漬けを食べながら、笑うだけ。それでも嬉しい。
最愛の人から出る「いってらっしゃい」。
幸せすぎて、現実感がない。
そんな現実感にズシンと襲われるのは、やはり登庁してからだ。
次から次へと回ってくる案件。なのに進まない。
「鮫川!」
「鮫川さーん」
「係長、あれどうなりましたっけ」
国会答弁の書類作成に、通常業務がぐいぐい押される。野党は変な質問をやめてほしいし大臣は適当に答えるのをやめて欲しい。
さらに、前例のない事案は、基本的に押し付けあい。それもできるだけ下の役職で決める──ので、国家公務員総合職三年目、新任係長の俺のところにも「そういうの」はやってくる。
受けると上から怒鳴られる、が受けなければその事案は止まったまま動かない。
そういった駆け引きはどうにも苦手で、解決するころにはドッと気疲れする。
(……亜沙姫さんに会いたい)
スマホでこっそり撮った、亜沙姫さんの写真を眺める。可愛い。好き。会いたい。
「南の島に行きたい」
ぽつりと言葉が溢れた。
朝から晩まで亜沙姫さんとゴロゴロしていたい。抱きしめたりキスしたり、飽きるまでセックスしたり……飽きないだろうな。
そういえば首筋のキスマーク、指摘し忘れていた。
(まぁいいか)
虫除けだ。俺の。俺だけの──手に入れてから日増しに強くなる独占欲。
(心まで欲しい、だなんて)
贅沢な悩みだ。
からだだけでも、満足すべきところを──と、アラームが鳴って立ち上がる。
「係長、議員レク──」
「今行く」
部下に呼ばれて立ち上がる。
腕時計をちらりと見つめた。17時過ぎ。
"流星群が見られるらしいよ"
別に、誘われたわけじゃない。
単なる世間話かもしれない。
けれど、俺は──ふたりで、観たかった。
のに。
議員会館でさんざん待機させられた挙句、「やっぱりなし」と通告されたときの脱力たるや。
デスクに戻り、時計を見る。19時を過ぎようとしていた。
あとは残った業務を片付ければ……。
(21時には出られるな)
ニュースによれば、流星群は21時から明け方までが見頃らしい。
天気も悪くなさそうだ、と窓の外を見上げた瞬間、申し訳なさそうに部下が言う。
「係長……」
目線をやると、一枚のA4用紙。
「例の議員からの、質問通告。追加があるらしいです……」
さすがにイラっとした。
明日の国会での答弁。議員からの質問通告、今日は17時までに出揃っていたのに。
「まぁ、この先生。いつものことですけれど」
国会議員からの質問通告。
どの質問が来るかわからないため、全省庁の担当職員が居残りになる。
つまり、俺も。
そうしてそこから答案書の作成が始まる。体力がなければやっていられない。
残った仕事を片付けながら、ひたすら待つ。待って、待って。
(結局、)
と、空を見上げた。
東京の夜の明るさでも視認できる、明るい流れ星が確認できた。
0時25分の終電に乗る。
普段は30分で着く家路も、この時刻だともう少しかかるだろう。おそらく1時過ぎか。
(寝ているだろうな)
さすがに、寝ていると思う。
寝ているだろうと思うのに、俺は急いでいる。もしかしたら、と半ば駆けるように、最寄駅から急ぐ。
都心と違い、住宅街の灯は消えている。街灯だけがしらじらと明るい。
さっきよりはっきりと見える、流れる星屑。火球のようだと思いながら、小さな期待とともに、家の前までたどり着く。
しん、とした、電気のすっかり消えた家。
(……寝ている、よな)
分かってた。
分かってたんだ。
第一、ほんとうに……誘われたわけじゃない。一緒に見よう、なんてひとことも言われていない。
だけど、だけれど──。
玄関に入り、廊下の電気をつける。
茶の間に入ると、夏の夜の風が吹いた。虫の鳴き声がする。窓が開いている。電気をつけるのを、ためらった。
「……あ、おかえり」
廊下の灯だけの薄暗いなか、亜沙姫さんが、振り返る。
庭に面した濡れ縁に座って、ほんの少し唇をあげて。
「おつかれさま」
そう言って、笑ったのだった。
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