上 下
9 / 75

流星群(桔平視点)

しおりを挟む
「今日はね」

 亜沙姫さんが、俺の作ったぬか漬けをポリポリ食べながら言った。

「流星群が見られるらしいよ」

 障子越しに入ってくる夏の朝日。
 朝から暑すぎて、クーラーを入れた。
 東京のギリギリ23区外、近くに二路線の駅があるこの町は、駅から少し離れれば閑静な住宅街。
 静かな朝の空間で、亜沙姫さんは続ける。

「今日も遅いの?」
「……極力、早く帰ります」

 そう、と亜沙姫さんは興味があるのだかないのだか、な視線で頷いて、それから味噌汁を飲む。

「おいし」

 嬉しそうに目を細める亜沙姫さんの首筋に、小さなキスマークひとつ。
 一緒に住み始めて一週間ほど、……自分でも呆れるけれど、毎日のように抱いている。
 亜沙姫さんも徐々に慣れてきたみたいで、時折上がる甘すぎる声が可愛くて愛おしくて……と、慌てて雑念を消した。
 朝から煩悩が酷い。
 切り替えて、亜沙姫さんに返事をした。

「ありがとうございます」

 どうしても夜遅く帰宅する俺は、朝食当番。といってもギリギリまで寝ているので、あまり大したものは作れない。
 白飯に、ナス(ウチの庭でとれた)の味噌汁、赤魚の西京焼き。ただし市販の味付けされているやつ。それからぬか漬け。

「ぬか漬けしてるヒト、初めて見た」
「そうでしたか」
「手が綺麗だって言うよね」

 お漬物つけるヒトって、と亜沙姫さんが俺の手をとる。まじまじと見つめる目線が、妙にくすぐったい。

「どうなんだろ」
「さぁ」

 答えながら思う。心拍数が上がる。
 亜沙姫さんの指が、俺の手を摩る。

「んー」
「……っ、すみません、もう行かなくては」

 時計を見るフリをして、そっと手を離す。亜沙姫さんはゆっくりと笑った。

「いってらっしゃい」
「……いってきます」

 亜沙姫さんは、見送りになんかこない。
 ぽりぽりとぬか漬けを食べながら、笑うだけ。それでも嬉しい。
 最愛の人から出る「いってらっしゃい」。
 幸せすぎて、現実感がない。

 そんな現実感にズシンと襲われるのは、やはり登庁してからだ。
 次から次へと回ってくる案件。なのに進まない。

「鮫川!」
「鮫川さーん」
「係長、あれどうなりましたっけ」

 国会答弁の書類作成に、通常業務がぐいぐい押される。野党は変な質問をやめてほしいし大臣は適当に答えるのをやめて欲しい。
 さらに、前例のない事案は、基本的に押し付けあい。それもできるだけ下の役職で決める──ので、国家公務員総合職キャリア三年目、新任係長の俺のところにも「そういうの」はやってくる。
 受けると上から怒鳴られる、が受けなければその事案は止まったまま動かない。
 そういった駆け引きはどうにも苦手で、解決するころにはドッと気疲れする。

(……亜沙姫さんに会いたい)

 スマホでこっそり撮った、亜沙姫さんの写真を眺める。可愛い。好き。会いたい。

「南の島に行きたい」

 ぽつりと言葉が溢れた。
 朝から晩まで亜沙姫さんとゴロゴロしていたい。抱きしめたりキスしたり、飽きるまでセックスしたり……飽きないだろうな。
 そういえば首筋のキスマーク、指摘し忘れていた。

(まぁいいか)

 虫除けだ。俺の。俺だけの──手に入れてから日増しに強くなる独占欲。

(心まで欲しい、だなんて)

 贅沢な悩みだ。
 からだだけでも、満足すべきところを──と、アラームが鳴って立ち上がる。

「係長、議員レク──」
「今行く」

 部下に呼ばれて立ち上がる。
 腕時計をちらりと見つめた。17時過ぎ。

"流星群が見られるらしいよ"

 別に、誘われたわけじゃない。
 単なる世間話かもしれない。
 けれど、俺は──ふたりで、観たかった。

 のに。
 議員会館でさんざん待機させられた挙句、「やっぱりなし」と通告されたときの脱力たるや。
 デスクに戻り、時計を見る。19時を過ぎようとしていた。
 あとは残った業務を片付ければ……。

(21時には出られるな)

 ニュースによれば、流星群は21時から明け方までが見頃らしい。
 天気も悪くなさそうだ、と窓の外を見上げた瞬間、申し訳なさそうに部下が言う。

「係長……」

 目線をやると、一枚のA4用紙。

「例の議員からの、質問通告。追加があるらしいです……」

 さすがにイラっとした。
 明日の国会での答弁。議員からの質問通告、今日は17時までに出揃っていたのに。

「まぁ、この先生。いつものことですけれど」

 国会議員からの質問通告。
 どの質問が来るかわからないため、全省庁の担当職員が居残りになる。
 つまり、俺も。
 そうしてそこから答案書の作成が始まる。体力がなければやっていられない。
 残った仕事を片付けながら、ひたすら待つ。待って、待って。

(結局、)

 と、空を見上げた。
 東京の夜の明るさでも視認できる、明るい流れ星が確認できた。
 0時25分の終電に乗る。
 普段は30分で着く家路も、この時刻だともう少しかかるだろう。おそらく1時過ぎか。

(寝ているだろうな)

 さすがに、寝ていると思う。
 寝ているだろうと思うのに、俺は急いでいる。もしかしたら、と半ば駆けるように、最寄駅から急ぐ。
 都心と違い、住宅街の灯は消えている。街灯だけがしらじらと明るい。
 さっきよりはっきりと見える、流れる星屑。火球のようだと思いながら、小さな期待とともに、家の前までたどり着く。
 しん、とした、電気のすっかり消えた家。

(……寝ている、よな)

 分かってた。
 分かってたんだ。
 第一、ほんとうに……誘われたわけじゃない。一緒に見よう、なんてひとことも言われていない。
 だけど、だけれど──。
 玄関に入り、廊下の電気をつける。
 茶の間に入ると、夏の夜の風が吹いた。虫の鳴き声がする。窓が開いている。電気をつけるのを、ためらった。

「……あ、おかえり」

 廊下の灯だけの薄暗いなか、亜沙姫さんが、振り返る。
 庭に面した濡れ縁に座って、ほんの少し唇をあげて。

「おつかれさま」

 そう言って、笑ったのだった。
しおりを挟む
感想 131

あなたにおすすめの小説

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

地味女で喪女でもよく濡れる。~俺様海運王に開発されました~

あこや(亜胡夜カイ)
恋愛
新米学芸員の工藤貴奈(くどうあてな)は、自他ともに認める地味女で喪女だが、素敵な思い出がある。卒業旅行で訪れたギリシャで出会った美麗な男とのワンナイトラブだ。文字通り「ワンナイト」のつもりだったのに、なぜか貴奈に執着した男は日本へやってきた。貴奈が所属する博物館を含むグループ企業を丸ごと買収、CEOとして乗り込んできたのだ。「お前は俺が開発する」と宣言して、貴奈を学芸員兼秘書として側に置くという。彼氏いない歴=年齢、好きな相手は壁画の住人、「だったはず」の貴奈は、昼も夜も彼の執着に翻弄され、やがて体が応えるように……

元彼にハメ婚させられちゃいました

鳴宮鶉子
恋愛
元彼にハメ婚させられちゃいました

ドSな彼からの溺愛は蜜の味

鳴宮鶉子
恋愛
ドSな彼からの溺愛は蜜の味

一夜の過ちで懐妊したら、溺愛が始まりました。

青花美来
恋愛
あの日、バーで出会ったのは勤務先の会社の副社長だった。 その肩書きに恐れをなして逃げた朝。 もう関わらない。そう決めたのに。 それから一ヶ月後。 「鮎原さん、ですよね?」 「……鮎原さん。お腹の赤ちゃん、産んでくれませんか」 「僕と、結婚してくれませんか」 あの一夜から、溺愛が始まりました。

処理中です...