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夏の雨
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さあさあと雨が降っている。21時半。
大学まで、鮫川くんが迎えにきた。
「遅くなりました」
「ううん、大丈夫」
どうせいつもこれくらいなの、と言うと彼はほんの少しだけ眉間を寄せた。
「体調を崩したりはしないのですか」
「してませんよ」
私は傘を開く。なんの飾り気もない、ビニール傘。置き傘だ。夕立がそのまま、本格的な降雨となっていた。
鮫川くんは黒くて大きな傘をさしていた。
「鮫川くんこそ、いつもこんな時間?」
「……日によります」
訥々と彼は答える。
その口調には何の熱も感じなくて、はて私は本当にこの人にプロポーズ(?)をされたのだろうか、と思う。
「答えは出してもらえましたか、アサヒさん」
「……むり。だって訳がわかんないもの。鮫川くんに何のメリットがあるの?」
私の質問に、鮫川くんは特に表情を変えなかった。
小さく頷いて、「見てもらったほうがはやいかもしれません」と答える。
「ついてきてください」
踵を返した鮫川くんの背中に、ついて行く。
足がはやい。途中で、はっと気がついたように振り返って、それから歩くペースを落としてくれた。
鮫川くんが私を誘ったのは、小さな古い日本家屋だった。割合に、庭が広い。車庫には中古と思われる、すこしレトロな外国車が一台。
「ウチです」
「え? ご実家?」
「一人暮らしです」
親戚に借りているらしい。
「大学の近くだったんだ」
しかも、理系のキャンパスの。
ええ、と鮫川くんは曖昧に答えた。
「どうぞ」
言われるがままに、玄関に上がる。今時珍しい、ガラスの引き違い戸。模様ガラスが、なんだかレトロ。
「おじゃまします」
しん、とした廊下。鮫川くんが電気をつけて、奥に進む。私も続いた。
「座っていてください」
通されたのは、リビング……的な空間。畳敷きのそこには、座卓と、座布団と、小さなテレビがあるきりだった。
「アサヒさん、魚は好きですか」
グラスに麦茶を入れてくれた鮫川くんが、戻ってきて言う。
「え? うん」
「では夕食も食べていってください。帰りは送ります」
頷きながら、はたと思い出して慌てて彼の腕を掴んだ。
「ま、待って。だから、理由が」
「……そうでした」
そう言って、鮫川くんはスタスタ歩いて、障子を開けた。室内灯に照らされた庭が、濡れ縁に面した掃き出し窓から見える。
「野菜?」
「家庭菜園です」
鮫川くんは、ストン、と私の向かいに座る。
「意外かもしれませんが、農水省は外務省の次に出張が多いんです。国外を含め」
「へえ?」
「……野菜の世話をお願いできませんか」
「え? いいけど」
答えながら思う。
えっと?
「……え、鮫川くん。ごめん、これが私と結婚したい理由?」
「はい」
「ばかなの……?」
私は割と本気でそう言った。バカなのだろうか、目の前のこのひとは。
「本気です」
「だってそんなの、……鮫川くんが頼めば、喜んでお世話する女の子、きっとたくさんいるよ?」
「俺も」
鮫川くんはひとくち、麦茶を飲んだ。
からん、と氷が揺れる音。
「後腐れがないほうがいいんです」
「……わー」
私とは違う「後腐れがないほうがいい」だ。モテるひとから出るやつだ。
私も後腐れないひとと、セックスしたくて。
鮫川くんは後腐れないひとに、家をまかせたい。
(なるほど?)
ううん、と考える。
考えるけど、混乱している。合理性はあるの? 結婚の必要性はある?
「ねえそれって」
「アサヒさん」
鮫川くんはキッパリと言う。
「アサヒさんと、"後腐れなく"セックスできるのは、世界で俺だけですよ」
「……鮫川くんだけ?」
「そうです。他の人は後腐れますよ」
「あ、後腐れる」
動詞にされてしまった。
「どうしますか?」
「ど、どうするって」
「チャンスはいまだけです」
「え」
「どうしますか」
鮫川くんはじっと私を見ている。観察するかのように──。
(た、たしかに)
ぐるぐるとした思考。
私みたいな「地味メガネザル」とセックスしてくれるひと、滅多にいないだろうし──え? でも受けていいの?
「いまだけですよ」
鮫川くんは静かに言う。
「いいんですか、アサヒさん──動物たちの気持ちがわからなくて」
「そ、それは困る」
「なら、ほら」
鮫川くんがほんの少し、頬を緩めた。
それはどこか、勝利を確信したような、そんな微笑みだった。
「俺と結婚しちゃいましょう」
大学まで、鮫川くんが迎えにきた。
「遅くなりました」
「ううん、大丈夫」
どうせいつもこれくらいなの、と言うと彼はほんの少しだけ眉間を寄せた。
「体調を崩したりはしないのですか」
「してませんよ」
私は傘を開く。なんの飾り気もない、ビニール傘。置き傘だ。夕立がそのまま、本格的な降雨となっていた。
鮫川くんは黒くて大きな傘をさしていた。
「鮫川くんこそ、いつもこんな時間?」
「……日によります」
訥々と彼は答える。
その口調には何の熱も感じなくて、はて私は本当にこの人にプロポーズ(?)をされたのだろうか、と思う。
「答えは出してもらえましたか、アサヒさん」
「……むり。だって訳がわかんないもの。鮫川くんに何のメリットがあるの?」
私の質問に、鮫川くんは特に表情を変えなかった。
小さく頷いて、「見てもらったほうがはやいかもしれません」と答える。
「ついてきてください」
踵を返した鮫川くんの背中に、ついて行く。
足がはやい。途中で、はっと気がついたように振り返って、それから歩くペースを落としてくれた。
鮫川くんが私を誘ったのは、小さな古い日本家屋だった。割合に、庭が広い。車庫には中古と思われる、すこしレトロな外国車が一台。
「ウチです」
「え? ご実家?」
「一人暮らしです」
親戚に借りているらしい。
「大学の近くだったんだ」
しかも、理系のキャンパスの。
ええ、と鮫川くんは曖昧に答えた。
「どうぞ」
言われるがままに、玄関に上がる。今時珍しい、ガラスの引き違い戸。模様ガラスが、なんだかレトロ。
「おじゃまします」
しん、とした廊下。鮫川くんが電気をつけて、奥に進む。私も続いた。
「座っていてください」
通されたのは、リビング……的な空間。畳敷きのそこには、座卓と、座布団と、小さなテレビがあるきりだった。
「アサヒさん、魚は好きですか」
グラスに麦茶を入れてくれた鮫川くんが、戻ってきて言う。
「え? うん」
「では夕食も食べていってください。帰りは送ります」
頷きながら、はたと思い出して慌てて彼の腕を掴んだ。
「ま、待って。だから、理由が」
「……そうでした」
そう言って、鮫川くんはスタスタ歩いて、障子を開けた。室内灯に照らされた庭が、濡れ縁に面した掃き出し窓から見える。
「野菜?」
「家庭菜園です」
鮫川くんは、ストン、と私の向かいに座る。
「意外かもしれませんが、農水省は外務省の次に出張が多いんです。国外を含め」
「へえ?」
「……野菜の世話をお願いできませんか」
「え? いいけど」
答えながら思う。
えっと?
「……え、鮫川くん。ごめん、これが私と結婚したい理由?」
「はい」
「ばかなの……?」
私は割と本気でそう言った。バカなのだろうか、目の前のこのひとは。
「本気です」
「だってそんなの、……鮫川くんが頼めば、喜んでお世話する女の子、きっとたくさんいるよ?」
「俺も」
鮫川くんはひとくち、麦茶を飲んだ。
からん、と氷が揺れる音。
「後腐れがないほうがいいんです」
「……わー」
私とは違う「後腐れがないほうがいい」だ。モテるひとから出るやつだ。
私も後腐れないひとと、セックスしたくて。
鮫川くんは後腐れないひとに、家をまかせたい。
(なるほど?)
ううん、と考える。
考えるけど、混乱している。合理性はあるの? 結婚の必要性はある?
「ねえそれって」
「アサヒさん」
鮫川くんはキッパリと言う。
「アサヒさんと、"後腐れなく"セックスできるのは、世界で俺だけですよ」
「……鮫川くんだけ?」
「そうです。他の人は後腐れますよ」
「あ、後腐れる」
動詞にされてしまった。
「どうしますか?」
「ど、どうするって」
「チャンスはいまだけです」
「え」
「どうしますか」
鮫川くんはじっと私を見ている。観察するかのように──。
(た、たしかに)
ぐるぐるとした思考。
私みたいな「地味メガネザル」とセックスしてくれるひと、滅多にいないだろうし──え? でも受けていいの?
「いまだけですよ」
鮫川くんは静かに言う。
「いいんですか、アサヒさん──動物たちの気持ちがわからなくて」
「そ、それは困る」
「なら、ほら」
鮫川くんがほんの少し、頬を緩めた。
それはどこか、勝利を確信したような、そんな微笑みだった。
「俺と結婚しちゃいましょう」
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