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【高校編】分岐・鹿王院樹
【番外編】冬の日(下)【side樹】
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雪が降っていた。
自分の指先を、キーパーグローブ越しにボールが擦って行くのを、俺はスローモーションみたいに視界に入れた。
鳴る笛。着地と同時に、悔しさが身体をついて芝の地面を叩く。
かろうじて、声にはしなかった。
けれど、喉に何か詰まったような、嫌な感覚がしてーーでもそれはすぐに霧散した。
「頑張って、樹くん!」
聞こえるはずがない。たったひとりの声なんて。
顔を上げた。
この応援席のどこかで、華が俺を見ている。
(格好悪いところは死んでも見せられんな)
子供のようだと思う。
格好つけてどうするんだ。
でも惚れた女を前にして、情けないところなんか見せられるか。
立ち上がり、駆け寄ってくるDFに笑いかけた。背が高い。俺より。
「すまん」
「違……! ごめん、オレがPKなんか」
泣きそうな顔。
俺は背中を叩いた。
「そうだな」
しゅん、とするそいつに俺は続ける。
「必ず止めるから、お前らは絶対に点とってこい」
そいつの目に闘志が戻った。うん、それでいい。にやりと笑うと、笑い返してきた。
(そうだ)
俺は思う。
スポーツなんか、楽しんだもの勝ちだ。
その上でーー勝てれば、いちばんたのしい。
試合はほどなく延長戦に突入した。
10分ハーフで、20分。
試合が動いたのが、延長の後半。決めたのは、その長身のDFだった。
そいつは馬鹿みたいにゴールの後こちらに走ってきて、俺に抱きつく。
「馬鹿か」
体力温存しておけ、と笑う。そいつも肩を揺らして、そいつごと俺も他の選手からもみくちゃになった。
けれども、試合は続く。
ほんの、一瞬の隙だった。
相手FWが、ドリブルでこちらの選手を抜く。俺と、キーパーと、1対1。
(必ず止める、と約束したからなぁ)
ボールの動きを、相手の足の動きを、目線を、ほんの少しの体の向きを、それら全てを観察しながら俺は思う。
これを止めたら、単純にカッコいい。
あの日、小さかった子供の頃、俺が憧れたゴールキーパーのように。
それからーー俺は思いながら自分に呆れる。
俺はやっぱり、華に世界一カッコいいと思われていたい。
最愛の妻が、いちばん誇れる自分でいたい。
(単純だよなぁ)
格好良いと憧れてサッカーを始めて。
格好良いと思われたくてここに立っている。
相手FWが目線を散らす。
お手本のように綺麗なインステップのモーション。けれど、ボールに当たる瞬間の足の向きはどっちだ? 軸足は?
シュートの軌道に、今度こそキッチリ自分の手が届く。
弾かれたボールはピッチの外側。
思わず吠えた。
コーナーへ走り出す相手の選手。時間がもうない、すぐにでも蹴りたいだろう。
「マーク確認! 離すなよ!」
ディフェンスの指示を飛ばす。
相手チームはショートコーナーが得意なはずなのに、焦っていたからか大きく蹴ってボールをいれてくる。
頭で合わせてくるけれど、ボールはゴールポストの上を大きく外れて飛んでいく。
「走れ!」
ちらりと時計をみた。
残り3分。
叫びながらボールを前線に送る。
相手チームは全力でプレスをかけてきていた。そりゃそうだ。「このままでは負ける」、そう考えてのプレス。
なら、下手に最終ラインでボールを回すより、攻撃の形を作っておいたほうがいい。……残念ながら、ウチのDFは消耗しすぎていたから。
ウチの選手がファウルを受けて、座り込む。なかなか立ち上がらないのは、残り時間を消費させたいのもあるだろうが、本当に力が入らないのもあるだろう。
それだけ、苦しい試合だった。
相手チームの応援席からブーイングがおきて、審判も近づいてきてそいつは苦笑して立ち上がった。
ふう、と息を整えているのがわかる。
こちらのフリーキック、おそらくそれで試合終了、だが油断はできない。
フリーキックは相手にボールを奪われて、でも前に進ませなかった。
ピッチの外に出るボールと、試合終了を告げる笛。
上がる歓声、駆け寄ってくるベンチメンバー、なのになぜだろう、あまり「勝った」という感覚がない。
(現実感がない、せいだろうか)
フワフワした感覚のまま、応援席まで挨拶に向かってーーばっと視界に彼女が入ってきた。華。
泣いていた。ぽろぽろと。
目が合う。無理やりに、笑ってくれた。泣きながらーー。
(華)
はやく華を抱きしめたい。
おめでとうと、すぐ側で言われたい。
柵に飛び乗る。
(後で大目玉だろうか)
苦笑しながら観客背の手すりを掴んで、飛び越えた。
俺の名前を呼ぶ声がする。監督だろうか。説教はあとでいくらでも聞きます。
他の生徒のあいだから、華が押し出されるように前に出てきた。
泣きながら、戸惑いながら、でも、笑ってくれた。
俺は彼女に手を伸ばす。
抱きしめた温もりは、なにより幸せのかたちで。
「おめでとう」
欲しかった声が、頭が痺れるようにじん、と耳朶に響く。
腕の中では、華がすんすん泣きながら笑っている。
それで俺は、ああ勝ったんだな、とやっとのことで実感できたのだった。
空を見上げる。
雪は止んで、雲間からは、青空が覗いていた。
自分の指先を、キーパーグローブ越しにボールが擦って行くのを、俺はスローモーションみたいに視界に入れた。
鳴る笛。着地と同時に、悔しさが身体をついて芝の地面を叩く。
かろうじて、声にはしなかった。
けれど、喉に何か詰まったような、嫌な感覚がしてーーでもそれはすぐに霧散した。
「頑張って、樹くん!」
聞こえるはずがない。たったひとりの声なんて。
顔を上げた。
この応援席のどこかで、華が俺を見ている。
(格好悪いところは死んでも見せられんな)
子供のようだと思う。
格好つけてどうするんだ。
でも惚れた女を前にして、情けないところなんか見せられるか。
立ち上がり、駆け寄ってくるDFに笑いかけた。背が高い。俺より。
「すまん」
「違……! ごめん、オレがPKなんか」
泣きそうな顔。
俺は背中を叩いた。
「そうだな」
しゅん、とするそいつに俺は続ける。
「必ず止めるから、お前らは絶対に点とってこい」
そいつの目に闘志が戻った。うん、それでいい。にやりと笑うと、笑い返してきた。
(そうだ)
俺は思う。
スポーツなんか、楽しんだもの勝ちだ。
その上でーー勝てれば、いちばんたのしい。
試合はほどなく延長戦に突入した。
10分ハーフで、20分。
試合が動いたのが、延長の後半。決めたのは、その長身のDFだった。
そいつは馬鹿みたいにゴールの後こちらに走ってきて、俺に抱きつく。
「馬鹿か」
体力温存しておけ、と笑う。そいつも肩を揺らして、そいつごと俺も他の選手からもみくちゃになった。
けれども、試合は続く。
ほんの、一瞬の隙だった。
相手FWが、ドリブルでこちらの選手を抜く。俺と、キーパーと、1対1。
(必ず止める、と約束したからなぁ)
ボールの動きを、相手の足の動きを、目線を、ほんの少しの体の向きを、それら全てを観察しながら俺は思う。
これを止めたら、単純にカッコいい。
あの日、小さかった子供の頃、俺が憧れたゴールキーパーのように。
それからーー俺は思いながら自分に呆れる。
俺はやっぱり、華に世界一カッコいいと思われていたい。
最愛の妻が、いちばん誇れる自分でいたい。
(単純だよなぁ)
格好良いと憧れてサッカーを始めて。
格好良いと思われたくてここに立っている。
相手FWが目線を散らす。
お手本のように綺麗なインステップのモーション。けれど、ボールに当たる瞬間の足の向きはどっちだ? 軸足は?
シュートの軌道に、今度こそキッチリ自分の手が届く。
弾かれたボールはピッチの外側。
思わず吠えた。
コーナーへ走り出す相手の選手。時間がもうない、すぐにでも蹴りたいだろう。
「マーク確認! 離すなよ!」
ディフェンスの指示を飛ばす。
相手チームはショートコーナーが得意なはずなのに、焦っていたからか大きく蹴ってボールをいれてくる。
頭で合わせてくるけれど、ボールはゴールポストの上を大きく外れて飛んでいく。
「走れ!」
ちらりと時計をみた。
残り3分。
叫びながらボールを前線に送る。
相手チームは全力でプレスをかけてきていた。そりゃそうだ。「このままでは負ける」、そう考えてのプレス。
なら、下手に最終ラインでボールを回すより、攻撃の形を作っておいたほうがいい。……残念ながら、ウチのDFは消耗しすぎていたから。
ウチの選手がファウルを受けて、座り込む。なかなか立ち上がらないのは、残り時間を消費させたいのもあるだろうが、本当に力が入らないのもあるだろう。
それだけ、苦しい試合だった。
相手チームの応援席からブーイングがおきて、審判も近づいてきてそいつは苦笑して立ち上がった。
ふう、と息を整えているのがわかる。
こちらのフリーキック、おそらくそれで試合終了、だが油断はできない。
フリーキックは相手にボールを奪われて、でも前に進ませなかった。
ピッチの外に出るボールと、試合終了を告げる笛。
上がる歓声、駆け寄ってくるベンチメンバー、なのになぜだろう、あまり「勝った」という感覚がない。
(現実感がない、せいだろうか)
フワフワした感覚のまま、応援席まで挨拶に向かってーーばっと視界に彼女が入ってきた。華。
泣いていた。ぽろぽろと。
目が合う。無理やりに、笑ってくれた。泣きながらーー。
(華)
はやく華を抱きしめたい。
おめでとうと、すぐ側で言われたい。
柵に飛び乗る。
(後で大目玉だろうか)
苦笑しながら観客背の手すりを掴んで、飛び越えた。
俺の名前を呼ぶ声がする。監督だろうか。説教はあとでいくらでも聞きます。
他の生徒のあいだから、華が押し出されるように前に出てきた。
泣きながら、戸惑いながら、でも、笑ってくれた。
俺は彼女に手を伸ばす。
抱きしめた温もりは、なにより幸せのかたちで。
「おめでとう」
欲しかった声が、頭が痺れるようにじん、と耳朶に響く。
腕の中では、華がすんすん泣きながら笑っている。
それで俺は、ああ勝ったんだな、とやっとのことで実感できたのだった。
空を見上げる。
雪は止んで、雲間からは、青空が覗いていた。
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