上 下
576 / 702
【高校編】分岐・相良仁

【side敦子】雪片

しおりを挟む
「でも叔母様? 多分、引き離せば華は連れて行かれますわよ」

 姪の朱里がそう言って首を傾げた。あたしは黙って足を組み替える。
 "アッシャーさん"に会う、という前日の夜。自室にいたあたしに、朱里はなかなかショッキングな事実を持ってきた。

「事前の調査では貴族の御子息なんて話は無かったはずだけれど」
「隠してたんでしょう」

 言われて目を細めた。こちらでも彼の身元は調査していた。
 隠そうと思って隠せる事実ではない。翻せば、それを隠し通す実力があったということ。

「華は本気ですわ叔母様」
「……そう?」
「ええ」

 朱里は頷いた。

「ふたりして逃げ出すくらいには」

 あたしは黙り込む。朱里が何をいいたいかくらいは分かる。
 あたしの娘、えみは駆け落ちをした。そして華が生まれた。
 あたしは笑を守れなかった。

(もし、あのとき結婚に反対していなかったら)

 どきどき、いまでも思い返す。
 そうしていたら、笑はあたしを頼ってくれていたかもと。
 死なせずに済んだかもしれない、と……そんな益体のないことを。
 相良仁、という男はおそらく、華を連れて逃げきるだけの能力がある。
 本国に連れて帰って、そして隠し通すだけの。
本人にも、「公務員」だという彼の父親にも。……特殊な公務員すぎない?

(人質だわ)

 もはや脅迫だ、とあたしは思う。
 もう華に会えなくなるかもしれない瀬戸際だ。
 あたしは怯えている。
 あたしの「権力」みたいなのが通じない相手は、久々だった。

(……認めざるを得ないのかしら)

 けれど、とも思う。
 おそらくはこれは疑似恋愛的なものだろう、とも。
 守り、守られる間柄だからこそ生じた感情。いまだけの、燃え上がるようなーーそう、それこそ「吊り橋効果」のようなものだ。

(じきに目も覚めるでしょう)

 そう思う。華も、相良さんも、お互いに。

(ならば利用してやればいい)

 側で守るだけ守らせてやればいい。
 華が目を覚ますまで。
 朱里が部屋を出てすぐ、机のスマホが震えた。
 ディスプレイには知らない番号。

「……?」

 国際電話?
 国番号44のそれを、あたしは眉をひそめて見つめた。

 そんなことがあった翌日、ホテルの中華レストランに現れた相良仁は、蒼白だった。華はなんだかリラックスしてる。……まったく、この子は。
 大きな窓の外では大粒の雪片が風に吹かれて舞っている。
 あたしは眉を上げた。少しの意地悪くらい許されるでしょう?

「相良さん?」
「ハイッ」
「外で待たれてて結構よ? ああ、ロビーで構わないわ。外は雪だから」

 面白いくらいに顔色が変わる。

(……こんなふうに?)

 不思議に思う。あたしの前でこの男は、いつだって飄々として、どこかハスに構えて余裕があった。

(それが、いまは)

 落ち着きもなく、まるで……普通のおとこだった。

「あの」

 意を決したように、相良さんは言った。

「なに」

 何も知らないそぶりで答えて、首を傾げた。相良さんはその場でかがみ込むーーというよりは、土下座した。

「じ、仁!?」

 華が慌てて彼のそばに行く。あたしはなんだか呆れてしまった。
 呆れて、笑ってしまった。
 だって、あの人と同じことをするから。
 笑の伴侶、華の父親と同じことをするから。

「お嬢さんを僕にください」

 声が震えていた。

「年上すぎるのは自覚してます。犯罪なのも分かってます。誓って華さんは清らかなままです。結婚するまで触れるなと言うなら、もう指一本触れません。だから」

 懇願するような目だった。
 あの余裕ぶった男はもうどこにもいなかった。

「お願いします……!」

 華は彼の背に手を置いたまま、あたしを見ていた。
 あの日の笑と、同じ目をしていたから、あたしはやっぱり笑ってしまった。

(なにも、親子二代で同じようなこと、しなくたっていいでしょうに)

 肩を震わすあたしを見て、華は不思議そうに首を傾げた。

「あっは、相良さんも、頭を上げて。知っててよあたし」
「へっ」
「お父様からもくれぐれも宜しくと言われていたし」

 昨日かかってきた国際電話。
 どうやら相良さんは知らないみたいだから、どこからか情報を入手したんだろうとは思う。さすが「特殊な公務員」だと舌を巻く。

「……」

 ぽかんとした顔。

「さあ食事にしましょう」

 微笑むと、ふたりはふたりして妙な顔をする。顔を見合わせて、狐に摘まれたような、そんな顔を。

(もちろん、)

 あたしは思う。まだ擬似的な恋愛だという疑念は拭いされていない。「利用してやる」という思いも「脅迫だ」という感情もまだある。
 けれど、この人は華を傷付けはしないだろう。それくらいなら自ら去ることを選ぶ、そんなヒトだとは思えた。
 思えるくらいには、彼は真摯だった。
 本音を言うならば「脅迫されてる」という事実(もはやそう言っていいだろう)さえなければ、あたしは怒鳴って席を立ちたいところだけれどーー。
 だけれど。
 時折交わす、ふたりの視線が。
 相良さんが華を見る目が、あまりにも大切なものをみる目で、あたしは少し混乱してしまう。
 華と彼がおずおずと円卓に座ったとき、ノックも無く唐突にドアが大きく開いた。

「やぁやぁジーン、僕の手助けはいらなかったみたいで何よりだよ!」

 大股で入ってきたのはきっちりとした三揃いのスーツを着た50半ばの男。白髪まじりの髪をきちんと撫でつけて、少し怪しい日本語の発音でそう笑った。
 彼はひらりと手を振って見せる。

「……」

 相良さんは眉間に、これでもかというくらいに深くシワを寄せた。華はぽかんとしている。

「やぁ直接会うのは初めてですね、ハナさん」

 にこりと笑う彼、アッシャー伯爵に、華は戸惑いながら立ち上がり、会釈をする。

「ええと、仁。おとうさん?」

 華はちらりと相良さんを見る。彼は渋い顔で頷いた。
しおりを挟む
感想 168

あなたにおすすめの小説

妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢

岡暁舟
恋愛
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢マリアは、それでも婚約者を憎むことはなかった。なぜか? 「すまない、マリア。ソフィアを正式な妻として迎え入れることにしたんだ」 「どうぞどうぞ。私は何も気にしませんから……」 マリアは妹のソフィアを祝福した。だが当然、不気味な未来の陰が少しずつ歩み寄っていた。

婚約者に毒を飲まされた私から【毒を分解しました】と聞こえてきました。え?

こん
恋愛
成人パーティーに参加した私は言われのない罪で婚約者に問い詰められ、遂には毒殺をしようとしたと疑われる。 「あくまでシラを切るつもりだな。だが、これもお前がこれを飲めばわかる話だ。これを飲め!」 そう言って婚約者は毒の入ったグラスを渡す。渡された私は躊躇なくグラスを一気に煽る。味は普通だ。しかし、飲んでから30秒経ったあたりで苦しくなり初め、もう無理かも知れないと思った時だった。 【毒を検知しました】 「え?」 私から感情のない声がし、しまいには毒を分解してしまった。私が驚いている所に友達の魔法使いが駆けつける。 ※なろう様で掲載した作品を少し変えたものです

英国紳士の熱い抱擁に、今にも腰が砕けそうです

坂合奏
恋愛
「I love much more than you think(君が思っているよりは、愛しているよ)」  祖母の策略によって、冷徹上司であるイギリス人のジャン・ブラウンと婚約することになってしまった、二十八歳の清水萌衣。  こんな男と結婚してしまったら、この先人生お先真っ暗だと思いきや、意外にもジャンは恋人に甘々の男で……。  あまりの熱い抱擁に、今にも腰が砕けそうです。   ※物語の都合で軽い性描写が2~3ページほどあります。

【コミカライズ決定】地味令嬢は冤罪で処刑されて逆行転生したので、華麗な悪女を目指します!~目隠れ美形の天才王子に溺愛されまして~

胡蝶乃夢
恋愛
婚約者である王太子の望む通り『理想の淑女』として尽くしてきたにも関わらず、婚約破棄された挙句に冤罪で処刑されてしまった公爵令嬢ガーネット。 時間が遡り目覚めたガーネットは、二度と自分を犠牲にして尽くしたりしないと怒り、今度は自分勝手に生きる『華麗な悪女』になると決意する。 王太子の弟であるルベリウス王子にガーネットは留学をやめて傍にいて欲しいと願う。 処刑された時、留学中でいなかった彼がガーネットの傍にいることで運命は大きく変わっていく。 これは、不憫な地味令嬢が華麗な悪女へと変貌して周囲を魅了し、幼馴染の天才王子にも溺愛され、ざまぁして幸せになる物語です。

「殿下、人違いです」どうぞヒロインのところへ行って下さい

みおな
恋愛
 私が転生したのは、乙女ゲームを元にした人気のライトノベルの世界でした。  しかも、定番の悪役令嬢。 いえ、別にざまあされるヒロインにはなりたくないですし、婚約者のいる相手にすり寄るビッチなヒロインにもなりたくないです。  ですから婚約者の王子様。 私はいつでも婚約破棄を受け入れますので、どうぞヒロインのところに行って下さい。

気配消し令嬢の失敗

かな
恋愛
ユリアは公爵家の次女として生まれ、獣人国に攫われた長女エーリアの代わりに第1王子の婚約者候補の筆頭にされてしまう。王妃なんて面倒臭いと思ったユリアは、自分自身に認識阻害と気配消しの魔法を掛け、居るかいないかわからないと言われるほどの地味な令嬢を装った。 15才になり学園に入学すると、編入してきた男爵令嬢が第1王子と有力貴族令息を複数侍らかせることとなり、ユリア以外の婚約者候補と男爵令嬢の揉める事が日常茶飯事に。ユリアは遠くからボーッとそれを眺めながら〘 いつになったら婚約者候補から外してくれるのかな? 〙と思っていた。そんなユリアが失敗する話。 ※王子は曾祖母コンです。 ※ユリアは悪役令嬢ではありません。 ※タグを少し修正しました。 初めての投稿なのでゆる〜く読んでください。ご都合主義はご愛嬌ということで見逃してください( *・ω・)*_ _))ペコリン

【完結】悪役令嬢は婚約者を差し上げたい

三谷朱花
恋愛
アリス・デッセ侯爵令嬢と婚約者であるハース・マーヴィン侯爵令息の出会いは最悪だった。 そして、学園の食堂で、アリスは、「ハース様を解放して欲しい」というメルル・アーディン侯爵令嬢の言葉に、頷こうとした。

嫌われ者の悪役令嬢の私ですが、殿下の心の声には愛されているみたいです。

深月カナメ
恋愛
婚約者のオルフレット殿下とメアリスさんが 抱き合う姿を目撃して倒れた後から。 私ことロレッテは殿下の心の声が聞こえる様になりました。 のんびり更新。

処理中です...