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【高校編】分岐・山ノ内瑛

記憶

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「だからね」

 目の前で「ヒロイン」、桜澤青花は笑った。
 私は目を逸せない。

「……ねぇ、聞いてる?」
「きいてる、けど」

 私には分からない。なんでそんなに必死なのか、分からない。

「だからね、あなたには分からないかもしれないけれど、あたしのこと、いじめてもらわなきゃ困るわけ」
「どう、して?」
「どうして」

 青花は復唱して、それから笑った。

「だって、面白いもん」
「面白い?」
「まぁ、こんなこと言っても、単なる登場人物のアナタには分からないだろうけれど。現実をゲームに近づけていく作業、って面白いんだよ」
「ゲーム……?」

 ゲームに、近づけていく?

「あ、わかんないよね、ごめんね、でも」

 青花は笑った。階段を背に、笑った。

「ここで、あたしを押してくれたらそれでいいから」

 吊り上げられた唇は、あまりに酷薄で、私は背中がゾッとした。

「シナリオでは、大した怪我じゃなかったから。気にしないで押してくれていいよ」
「気にしないで、って」

 私は首をふり、思わず後ずさる。
 放課後、委員会が終わってひとり、廊下を歩いていると青花に見つかったのだ。そして、呆然とする私の手を引いて連れて来たたのが、ここ、すっかり人気がなくなった教室棟の階段前。

「け、怪我、するよ」

 必死で私は言い募る。怪我するよ、じゃなくて、そもそも押したりしないんだけれど。
 青花はイラっとしたように唇の端だけを軽く動かした。

「いいから。大丈夫だから、って言ってるでしょ?」

 青花は私の手を取る。

「さあ、押して」
「や、やめ」

 私が抵抗したのをきっかけに、本当に青花は足を滑らしてしまう。嬉しそうに、青花は笑った。

「危ないっ」

 私は何も考えられず、ただ青花を抱きしめた。
 じきに衝撃ーー頭がぐわんと揺れて、鼻につんとした痛みが抜けた。その直後に、肩に痛みが走る。

「な、なに庇ってるのよ!」

 叫んだ青花と、下から女生徒が上がってきたのは同時だった。きゃああ! と悲鳴が上がる。

「だ、大丈夫ですかっ!?」

 私は起き上がられずに、ただ青花が無事で私を睨んでいるのを見て、ムカつくと同時に安心した。
 私だって聖人君子じゃない。青花が無事で安心したのは、私が「悪役令嬢」にならずに済んだ、ってことだ。だって、あのままだったら本当に「青花は設楽華によって階段から突き落とされた」って事実になってしまうーー、と、そこまで考えて視界が幾何学模様になっていくのに気がついた。

(あれ?)

 模様はぐるぐる、と渦巻いて、視界を覆い尽くして、ーーやがて、真っ暗になる。

(あ、雪)

 暗い天から降ってくる、雪が、見えた。
 やがてその雪は、桜に変わる。桜の、花びらに。視界はモノトーンから、桜色に。
 あたりを見回す。
 桜が咲いていた。

「あれ?」

 ……ここ、公園だ。見たことがある。

(京都の、アキラくんと行った)

 あの、公園。お花見客で、相変わらずいっぱいだった。
 ふと見下ろすと、1組の親子連れが目に入る。楽しげな、両親と、幼い娘。見たことがあるーーと、そこで気がついた。

(私?)

 両親とのお花見にはしゃいでいたのは、私ーーというか、幼い華だった。

(楽しそうだな)

 流れる空気は、あたたかくて、穏やかだった。
 ぼう、っとそれを眺める。
 けれど、それは長く続かない。少し離れたところがざわついて、そのざわつきはだんだんと大きくなる。
 何がなんだか分からないうちに、父親が言う。

「華」
「なぁに?」
「今から、競争しようかー」

 微笑む父親。

「来る途中、通ってきた神社があるだろう?」
「うん」
「そこまで、華はおかあさんとこっちの道から、おとうさんはこっちの道から行くからね」
「あなた、なに考えてるの」
「どっちが先に着くか競争。いいね? 勝ったらソフトクリーム」
「うん!」

 幼い華は、楽しげに頷いた。

「まって、なにする気なの!」

 母親が父親に縋り付く。父親は笑った。

「エミ、華を頼んだね」
「待って」
「華、ごめんな、おとうさん、お巡りさんだからさ」

 行かなきゃいけないんだ、競争だよ、と父親は言うが早いか駆け出した。

「ねえおかあさん、早く行かなきゃ」

 負けちゃうよ! と言う娘を抱えて、母親は走り出す。
 やがて人で溢れた神社にたどり着いて、そこは警官でいっぱいで、ざわついていて、赤色灯と緊急走行音で何もきこえない。次々にやってくる、パトカーと救急車。

「ねえ、おかあさん」

 幼い娘は無邪気に笑った。

「わたしたちの勝ちだね」
「そうね」

 母親は泣いていた。不思議そうに、娘は首を傾げる。

「おとうさん、こないねー」
「そうね」
「途中でソフトクリームでも買ってるのかな」
「そうね」

 母親は泣き崩れた。

「きっと、そうね」

 私は黙って見ていた。暗転。
 明るくなると、そこはお葬式の会場のようだった。
 娘はきょとんとした顔で、母親の膝に座っている。母親がぺこぺこ頭を下げるのを、不思議な気持ちで眺めていた。

「この度は」

 やってきた人に、私は目を見開く。

(アキラくんの、お父さん?)

 少し若い。何かを話しているけれど、娘にはなんだか分かっていないようだった。
 おとなばかりでツマラナイ、娘は、華はーー私は、そう思ったのだった。
 華は父親の入っている箱までかけていく。顔のところだけ、開いていた。父親の顔に触れると、酷く冷たくて驚く。

「ねえ、起きて」

 約束していた。勝ったらソフトクリーム。

「つめたいね」

 華はそう言って、少し何かを考えた。母親の荷物から、ブランケットを引っ張り出す。自分のお昼寝用のもの。
 華は父親の入っている箱を開けようとする。開かない。四苦八苦していると、アキラくんのお父さんがやってきて「どうしたの?」と聞いてくる。

「寒そうだから」

 華がそう答えると、アキラくんのお父さんは耐えられない、という顔をして、泣いた。
 私はただ、見ていた。暗転。


 晴れている。運動会だろうか? 飾られた紅白の紙の花、体操服の小学生たちが走っていた。学年対抗リレー、と書かれた墨書が門にかかる。
 華は最初に走る。一年生だから、とぼんやり思う。

「おかあさーん」

 華は手を振る。

「撮っててなぁ!」

 応援席にいる、おかあさんは華を見て微笑む。ビデオカメラ片手に。

(ああ、)

 私はぼんやり、と思い出す。そうだ、友達が増えるに従って、私は関西弁を喋るようになっていった。

「撮ってるよー」

 号砲が鳴って、華は飛び出した。
 私はじっと見ていた。暗転。

 遊園地。はしゃぐ親子。暗転。
 コタツでみかん。眠るおかあさんに、華は毛布をかける。暗転。

 いくつもの場面と、暗転を繰り返してーー。

「雪降ってるで!」

 少し大きくなった華が言う。おかあさんは「あら」と華の横に並んだ。
 2人の家、小さな、でも小綺麗なアパートのベランダの前の掃き出し窓。
 カーテンをめくって、2人でくっついて、笑い合う。

「なーなー、おかあさん」
「なによ」
「あんなー、センター街になぁ」
「パンケーキ屋さんでしょう」

 悪戯っぽく、おかあさんは言う。

「華、行きたがるだろうなぁって」
「なぁ~、行こう?」

 甘えるような華の頭を、おかあさんは撫でながら笑う。幸せそうに。

「いいよ、次のおやすみにね」
「やったあ」

 喜ぶ華。窓の向こうには、雪が、雪が降っていた。
 私は呆然とそれを見つめる。

「……ねぇ」

 私は声を上げた。

「ねぇ、聞こえる!? ねえ、逃げて」

 私が震える目の前で、親子は楽しげに夕食を囲む。暖かなシチュー。

「ついでに服も買ってぇや」
「なにがついでなの」

 笑いあう親子、私は叫んだ。

「ねえ! 聞いて! 聞いて!」

 叫んで縋り付くけれど、私の手は彼女たちを素通りしていく。

「お願い! お願い! お願い!」


 そして、その瞬間はやってきた。

 ガタリという音で、華は目を開ける。襖を開けると、男に馬乗りになられた母親の姿。包丁。華は取り乱したように何かを叫ぶ。
 男に向かっていく、華。男をひっかくと、男は逆上したように立ち上がる。
 私は華と男の間に立ちはだかるけれど、男は私を素通りする。
 それでも私は男に向かう。何度も何度も拳を振り上げる。たとえ当たらなくても、たとえなにもできなくても。私は泣いていた。誰も私に気がつかない。
 華はベランダに飛び出す。男の足を、おかあさんが掴む。

「華、逃げなさいーー!」

 その瞬間、私の視界は黒くなる。……黒だけじゃない、白も混じる。

(ああ、雪だ)

 私は思う。
 浮遊感に包まれながら、私は私と華が溶け合っていくのを感じていた。

「おかあさん」

 そして、暗転。
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