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【高校編】分岐・山ノ内瑛

そはかのひと

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 私は嘘が苦手だ。
 それは「嘘がいけない」とかそんな倫理的な問題ではなくて、単に嘘をつくと顔に出るから。
 アキラくんとのことは、黙ってれば良かったから別、として。割と洞察力がある敦子さんをどーにか横浜まで誘い出すか、って結局単刀直入にお願いすることにした。

「お願い、敦子さん、会ってほしい人がいるの」

 日付ももう明日になろうって時間、リビングで書類にまみれて紅茶を飲んでた敦子さんはピクリと眉を上げた。

「誰?」
「会ってくれないなら、言えない」
「……神戸の"お友達"なのなら、ダメよ」

 私はほんの少し、身体を強張らせた。敦子さんは静かに目線を書類に戻す。

「……それだけじゃないの」
「なに」
「お仕事に関係する話なんですって」
「……仕事?」

 敦子さんは少し黙った。それからふう、と息を吐く。

「そうだったわ、あの子のお父様は……そうでした。分かりました。ただし、一度だけです」

 敦子さんは淡々と言った。

「華、立場をーー弁えなさい」
「……、ありがと敦子さん」

 踵を返して、部屋に戻る。ベッドに潜り込んで、ただ私は強く目を閉じた。

(きっとうまくいく)

 アキラくんのお父さんが、どんな話をしようとしてるのか、なんて分からない。けれど、きっと。きっとうまくいくはずだ。

 土曜日のお昼前、敦子さんの車に乗って私たちは横浜へ向かった。

「あの本は読み終わったの?」
「あの本?」
「泉鏡花」
「うん、読んだ。面白かったよ」

 全然関係ない話をする。

「敦子さん、"外科室"好きだったんだよね」
「……そうね」
「なんで?」

 私は何の気なしに尋ねた。
 敦子さんはたっぷり沈黙した後に、少し自嘲気味に笑う。

「むかし、」
「?」
「昔々、恋した人が、お医者様だったから」

 正確にはお医者様の卵ね、と敦子さんは笑う。

「え、と」
「好きだったわ」
「そっか」
「でもあたしは許婚と結婚したの」
「……」

 私はぎゅっと手を握る。

「だから同じようにしろ、って訳ではないの、ただ」

 敦子さんは続ける。

「樹くんは、鹿王院は、一生あなたを守ってくれるわ」
「……敦子さん」
「幸せになれる。きっと穏やかな暮らしだと思う。樹くんはあなたを大事にするでしょう」

 私は黙って首を振った。たとえそれでも、私は、私は。
 カーステレオからは、綺麗なソプラノ。敦子さんがよく聞いてるイタリアオペラーー椿姫?

「これってなんて歌ってるの?」

 なんとなく、雰囲気を変えたくて小さく聞いた。

「……この恋は」

 敦子さんは少し歌うように言う。

「本当の恋は、わたしにとって不幸なのかしら」
「……不幸」
「この人は本当の愛を教えてくれた、でもそれは馬鹿げたこと」
「敦子さん」
「馬鹿げたことなのよ、華」

 車は赤信号で停止する。歌い上げられるアリア。

「……死んでしまうかもしれない」
「?」
「あたしの側からいなくならないで、華」

 敦子さんは震えていた。

「樹くんは絶対にあなたを守ってくれる。きっと先に死んだりもしない」
「敦子さん?」
「もう嫌なの、あたしは」

 ハンドルを握る手は、力が入りすぎて白くなっていた。

「あたしの大事なひとが、いなくなってしまうことが」

 私は何も言えなかった。

 待ち合わせしたレストランには、アキラくんとアキラくんのお父さんがもう来ていた。アキラくんは制服で、ただ静かに頭を下げた。駆け寄りたい気持ちをぐっと我慢する。

「ご無沙汰しております」

 アキラくんのお父さんは、にこやかに立ち上がり、名刺を敦子さんに渡した。敦子さんは静かにその名刺を眺める。

(ご無沙汰?)

 会ったことがある?
 敦子さんと、アキラくんのお父さんが?

「とりあえず、」

 アキラくんのお父さんは笑う。

「大人同士で少し話そうかな」
「……そうしましょうか。華、」

 敦子さんは私を見る。

「ホテルから出ることは許しません。喫茶室にでも行っていなさい」
「……はい」
「アキラもご一緒しても?」
「会うなと言っても会うのでしょうから」

 敦子さんは目線を外す。

「今日限りです」
「あの」

 アキラくんは口を開いた。

「なんであかんのですか」

 敦子さんは静かにアキラくんを見ている。

「なんで俺やとあかんのですか」
「では聞きますけれど」

 敦子さんは冷たく言う。

「華を守りきれる?」
「……やります」

 アキラくんは手を握りしめて、そう言った。

「守ります」
「簡単に言うわね」

 ふ、と敦子さんは目線をアキラくんのお父さんに戻した。

「さっさとお話終わらせましょう」

 敦子さんの言葉に、アキラくんのお父さんは、軽く微笑む。

「また後で」

 アキラくんは頷いて、私の手を取ってレストランを出た。
 ふかふかの絨毯の上を歩いて、エレベーターホールまでたどり着く。
 大きな嵌め込み窓の向こうには、横浜の港、それから大きな観覧車。

「華~」
「なに?」
「もう逃げたろかな、華連れて」

 アキラくんは投げやりな口調で言う。

「うん」

 私は笑った。

「そうしよっか」
「……ジョーダンや」

 ぽすり、と片腕で引き寄せられて、抱きしめられる。

「ジョーダンやけど、返事嬉しかった」
「うん」

 私はアキラくんの腕の中で微笑む。

「悔しいけどな、おとんに任せてたら大丈夫や」
「うん」
「あの人なー、公判検事ずっとしてたから」
「なにそれ」
「裁判で弁護士と丁々発止すんねん」
「ほえー」
「頭とクチだけは回るわ」
「あは、」

 思わず笑ってしまう。そんな蓮っ葉な言い方の裏に、絶対の信頼がある気がして。

「俺がなんの役にも立たへんのは、めっちゃ情けないけんけど」
「そんなこと、」
「情けないわほんま」

 はぁ、とアキラくんはため息をつく。

「華のばーさんに言われた通りやわ。クチで言うんは簡単や、守るなんて」
「アキラくん」
「俺も、」

 アキラくんは小さく呟いた。

「ちゃんと強くならなあかんな」
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