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【高校編】分岐・鹿王院樹

暗い海(side樹)

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 思ったより大きい音が出て、さすがの真さんもほんの少し眉をあげた。

「許さないと言ったはずです」
「なにが?」

 真さんは手を広げた。
 連絡すれば指定されたホテルのフレンチレストラン、その個室。
 窓の外には夜景。暗い海。時折揺れる光は、船のものか。
 ごん、と強く叩かれたテーブルで、グラスの水がゆらりと揺れた。

「華を傷つけたら許さないと」

 真さんは片眉をあげる。心外だといわんばかりに。

「だから手はさぁ」

 商売道具なんじゃないの、と真さん。無視して続ける。

「答えてください」
「あのさ」

 真さんは肩をすくめる。その仕草さえいちいち計算されたみたいに上品で、俺はイラつきを覚えた。

「僕、嘘なんかついてないよ」
「意図的に事実を誤認させれば、それは嘘と同じでは?」
「華チャンが勝手に誤解しただけだしなぁ」

 真さんは前菜を口に運ぶ。

「食べないの?」
「食べません」
「勿体な!」

 クスクスと真さんは子供のように笑った。

「まぁ……そうだね、確かにワザとだよ」
「なぜそんなことを」
「華チャンが好きだから」

 真さんは笑みを消して、かわりに眇めるように俺を見た。

「華チャンってさぁ、ひとりで思い詰めるタイプっぽかったから、自滅してくれたらなぁって思ってたけど、意外に芯が強かったね」
「……」

 黙って睨みつける俺に、真さんは苦笑した。

「わぁ怖い」
「もう華に近づかないと約束してください」
「それは無理?」

 真さんは微笑んで首を傾げた。

「自滅して精神状態ボロボロのところを拾って甘やかしてドロドロにして僕に依存させようと思ってたんだけど」

 俺は思わず眉を寄せた。

「下衆ですね」
「なんとでも?」

 あくまで飄々として真さんは言う。

「そうならなかったからなあ~」
「当たり前です」

 背中が少し、すうっとした。もし本当にそうなっていたら。

(ゾッとする)

 早く気付けて良かった……いや、気づかせてもらった。
 誤解とすれ違いーーいや、主に俺の怠慢のせいで、俺は華を失うかもしれなかったのだ。

「こうなったら、正々堂々と正面から華チャンに告白でもしますよ」
「奪われる気はありません」
「そのうち絆されてくれるかもだし~」

 余裕たっぷりに食事を続ける真さんを尻目に、俺は立ち上がる。

「俺が言いたいのはひとつだけです。もう華に近づかないでください。金輪際、一切」

 ふう、と俺は息をつく。
 言うことは言った。もうここに用事はない。

「え、帰るの」
「はい」
「残念~もうすこしおしゃべりしたかったのに!」
「俺はもう話すこともありませんから」

 そのままレストランを出る。地下駐車場に待たせていた車に乗り込んで、俺はしっかりと目を閉じる。
 酷く気持ちが荒ぶっていたから。
 帰宅すると、家は酷く静かだった。玄関で佇む。

(ああ、そういえば)

 祖母は食事会とかで、圭はどこだかの美術館の落成記念パーティーに招待されている。

(吉田さんは)

 お手伝いの吉田さんも、もう帰ったのか。

(……しまった)

 しまったも何もないのだが。単に、華と二人きりというだけで。

(別に初めてではないし)

 それに、祖母も圭も一晩いないわけではない。ちらりと時計に目をやる。午後8時。もう1、2時間もすればふたりとも帰宅するだろう。

(だが)

 酷く静かだ。華は?

「華」

 言いながら、家を奥に進む。華の部屋をノックするが返事はない。
 リビングにも、広間にも、姿はない。

(どこかへ行っているのか?)

 一瞬そう思って、それはないと否定する。華は車無しで夜に外出なんてできないし、運転手は今日は帰した佐賀以外はもうひとり。しかし、祖母と圭の送迎で手一杯だろうと思う。

(だとすればタクシーだが)

 ふと不安になる。

(真さん)

 何かしたのか? まさか。さっきまで一緒にいたのだしーー。
 ぐるぐる考えながら自室のドアを開けると、自分のベッドに華が寝ていた。すうすうと。
 がくりと力が抜ける。

(何をしているんだ)

 こんなところで、ぐっすり眠って。
 窓から入る仄かな青白い月光に照らされて、華はまるで人形のように眠っていた。

「華」

 そっと声をかける。起きる気配はない。

「華」

 もういちど、優しく呼ぶ。そっとそのこめかみに唇を落とす。

(愛しい)

 頭を撫でる。
 さっきまでの荒ぶった気持ちが、すうっと月光に溶けるように消えていった。

「……んー」

 長い睫毛が、ほんの少し震えて、それからやがてぱちりと開いた。

「華」
「あれ、樹くん、おかえり。私、寝ちゃって」
「そのようだな」

 俺は立ち上がり、照明を点ける。

「どうしてここで寝ていたんだ?」
「えーと」

 華はすこし、決まりが悪そうに目線を逸らした。

「……どうした」
「ううん、えっとね、その」

 ほんの少しの、上目遣い。

「さみしくなっちゃって」
「寂しい?」

 俺は問い返した。ついさっきまで学校で一緒にいた。家まで送り届けて、それから俺は真さんのところへ向かったけれど。

「うん。寂しい」

 華は俺の服の裾を握った。

「一瞬でも離れてるの、寂しい」
「……お前は」

 華を抱きしめる。細い体。たおやかな曲線。

「昨日まで大丈夫だっただろう」
「うん、でも」

 華は俺を見上げる。俺の手をとり、自分の頬に当てた。

「樹くんも好きでいてくれてる、なんて分かったのに、それなのに……離れてるなんて辛すぎるの」
「……友達じゃなかったのか」

 からかうように言う。

「もう」

 華は頬を染めた。

「そうだよ? 友達だけど、特別な友達だから離れたくないんじゃん」
「めちゃくちゃだなぁ、華は」

 俺がそういうと、華は少しむっとした顔をして俺の胸に顔を埋めた。
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