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【高校編】分岐・鹿王院樹

夏の練習

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 梅雨が明けたと思ったら、あっという間に暑い暑い夏が来た。

「ふう、暑っ」

 文句を言いつつ、私は日傘をさしててくてくと歩く。目的はサッカー部グラウンド、樹くんの練習の見学だ。

("ゲームの華"もしてたよね)

 思い出して、くすくす笑う。ゲームでは、樹くんはじめ、サッカー部の面々に嫌がられてたけど、今のところはその感じはない。……ないよね?
 グラウンド近くまできて、少し遠巻きに見学する。なんでわざわざ、ってそんなの樹くんが頑張ってるとこ見たいからです。
 見学の人は結構いる。女子が多い。この暑いのに、と思うけど、私も人のことは言えない。
 給水中の樹くんと目が合う。少し微笑まれる。私は手を振り返した。
 グラウンドから樹くんが出てくる。すぐ近くまで歩いてきてくれて、私は樹くんを見上げた。お日様と、少し汗の匂い。好き。

「 華」
「なあに」
「暑くないのか」
「暑いよ?」
「どこか室内にいたらどうだ」

 私は不安になる。

「見てるの迷惑?」
「そんなわけがあるか」

 樹くんは呆れたように笑う。

「暑いから心配なんだ」
「大丈夫なのに」

 私は唇をとがらせる。

「華になにかあったら心配で死ぬ」
「ふふ、大げさ」

 私は笑って「わかった」と答えた。

「今日は図書館にいるね。涼しくなったらまた見学していい?」

 樹くんは笑って頷いた。

「迎えに行く」
「うん」

 ひんやり空調の効いた図書館へ行くと、カウンター前に千晶ちゃんがいた。

「あ、千晶ちゃん」

 軽く手をあげると、千晶ちゃんも笑ってくれる。

「華ちゃん。樹くんまってるの?」
「うん」
「良ければお茶しない?」

 もちろんですとも。
 カフェテリアへ移動していると、トージ先生とすれ違った。カバンを抱えて、ふらふらと歩いていた。2人して無言になってしまう。

「あのさ」
「……うん」

 千晶ちゃんと目が合う。

「……絶対別人の記憶あるよね」
「だよ、ね!?」

 立ち止まり、フラフラ歩いていくトージ先生を、私たちは振り返って目で追った。

「……聞いてみようか」
「え、聞くの」
「もしかしたら、心細く思ってたりもするかもだし」
「……たしかに」

 私が小5になる直前の春休み、あの日目が覚めた時。支えてくれたのは病院で出会ったアキラくんだったし、引き取ってくれた敦子さんだったし、……樹くんだった。

「うん、行こう」

 私たちはうなずき合い、トージ先生の後を追う。
 トージ先生は理科実験室がある棟へ入っていく。少し古めのレトロな建物。可愛くて好きだ。私たちも続いた。

「実験室だね」
「ね」

 トージ先生が入っていったのを確認して、私たちは扉をノックする。

「すみませーん」

 ガタガタ、と音がして半分裏返った声で「ど、どうぞ」と返事があった。

「失礼しまー……せ、先生どうしたんですか!?」

 千晶ちゃんが叫ぶ。トージ先生が実験室の隅っこにいた。

「ぼ、ぼくを女生徒が訪ねてくるなんて……はっ!? 美人局!?」
「な、なにもしませんよ! 落ち着いてください!」
「ぼくを脅しても何にもなりませんよ! お金もないし」
「だからそんなことしませんって!」

 い、一体なにがあったというのですか!

「違いますって先生、ちょっと聞きたいことが」

 私が言うと、トージ先生は少し落ち着いた。

「あ、きみ、特クラの……なに? 夏課題かな」

 担当している生徒がいることに(やっと)気がついたのか、先生は少し落ち着いた。

「いえ、その」

 言い淀む私と対照的に、千晶ちゃんはズバリと聞いた。

「先生、前世の記憶あります?」
「……は?」

 先生はぽかん、とした。

「……え、君たち、そういうタイプなの? なに? 宗教の勧誘?」
「違いますって……あれ、きゅきゅたん」

 千晶ちゃんは、トージ先生のカバンから出ていた人形に気がつく。手作りっぽい、女の子(?)の人形。

「え、」

 トージ先生は呆然とした。

「あれ、こっちの世界にあったっけ……やっぱり先生、前世の」

 そう言った千晶ちゃんの言葉は途中で途切れた。トージ先生が号泣しだしたから。

「こ、この世界にきゅきゅたんを知ってる人がいたなんてええええ」
「せ、先生!?」

 号泣しながら、先生はその涙をカーテンで拭った。汚いなぁ!
 私は近づいて、ハンカチを貸した。先生は一瞬迷ったあと、それを受け取って涙を拭いた。

「き、君たちの言う通り、僕には前世……らしきものの記憶があります」

 少し落ち着いた先生は、ぽつりぽつりと話し出した。

「私たちにも、あるんです」
「……きゅきゅたんを知ってるってことは、そうなんでしょうね」

 トージ先生は寂しそうに言った。

「ぼくにこの記憶が戻ったのは、大学生の時でした」

 ぽつり、と話し出す。

「とても混乱して……怖くてですね。それに、この世界にきゅきゅたんはいなかった。それが悲しくて悲しくて」

 しくしく、と先生は泣く。

「自分でグッズを作ったり、マンガを再現しようとしたり」
「すみません、その前にきゅきゅたんってなんでしょう」

 私は手をあげる。

「魔法少女らりっくきゅきゅたん、っていう深夜アニメだよ」
「大人気アニメです……」

 先生にじとりと睨まれた。うう、男性向け(深夜だし女児向けではないでしょう)はほとんど知らないんだもん!

「主人公はピンチになると魔法のポーションを飲んで、らりらりになって酔拳を使うの」
「なにそれ人気出てたの……?」
「大人気! アニメ! ですっ!」

 めっちゃ睨まれた。怖いよ先生。

「そんな訳で」

 ふう、と先生は息をついた。

「君たちも、驚いたでしょう」

 少し先生らしいことを言ってくれた。

「はい、まぁ、急に乙女ゲームの世界だったし、悪役令嬢だしで」

 私が言うと、先生はぽかん、と私を見つめた。

「? 乙女ゲーム?」
「え、先生気づいてなかったですか」
「え、あ、はい。どういう?」

 私と千晶ちゃんは顔を見合わせて、それからこの世界と原作のゲームについて話した。
 一通り聞き終えて、先生はふらりと立ち上がる。
 身体はふるふると震えていた。

「せ、先生?」
「ふ、ふふふ」

 な、なぜ笑う。

「ふふふふふふふ」
「どうしたんですか先生!?」

 先生は大変良い笑顔で笑った。

「とても良いことを聞きました」
「?」

 先生はなぜか準備室へ向かう。そして出てきたと思ったら太めの丈夫そうな電気コードを持っていた。

「なるほどなるほど」

 先生は椅子に乗り、それを天井の梁にかける。レトロな校舎なので、太くて立派な梁がある。

「せ、先生?」
「何してるんですか……?」
「え?」

 きょとん、と先生は椅子の上から私たちを見下ろした。

「死んだら二次元の世界に行けることが実証できたんだ。ぼくは何度でも死ぬ。そして生まれ変わる。きゅきゅたんがいる世界に」
「きゅきゅたんがいる世界はダークマターに飲み込まれたでしょ!」

 千晶ちゃんが叫ぶ。えっなにそのバッドエンディングは……。

「構わないさきゅきゅたんに直接会えるなら!」

 にっこりと満面の笑み。

「だ、だめですー」
「また生まれ変わるなんて確証はないでしょ!?」

 私たちはワタワタと先生に近づいた。

「ほっといてくれ、三次元の女に触れられても嬉しくない!」
「ある意味二次元ですよ私たち!」
「ここが現実である以上、君たちは三次元だっ」
「じゃ、じゃあきゅきゅたん? の世界では、きゅきゅたんも三次元なのではっ」
「そこは愛で乗り越える!」
「えぇ……」

 なんか疲れて来たぞ。でも、今にも椅子を蹴って首吊りそうだし。

「じゃあさようなら。君たちの幸福を祈ってます」

 にこり、とコードの輪っかを持って微笑むトージ先生。椅子蹴ろうとしてる!

「ぎゃー!」
「うわわ先生、落ち着いてっ」

 さすがに千晶ちゃんと縋り付いて身体を支える。

「は、はなせ三次元! 汚れるっ」
「めちゃくちゃですよう!」

 私は片手で先生を支えつつ、なんとか手を伸ばして窓を開けた。
 かろうじて開いたそこから、思い切り叫ぶ。

「だれかたすけてーーーー!」
「助けなんか呼ばないでください!」
「死んでも何にもなりませんよ!」
「死んだら次元が超えられる!」
「分かんないじゃないですかぁ!」

 ややあって、がらり! と大きく扉が開かれた。樹くんが肩で息をしている。

「何があった、華!」
「い、樹くん」

 はっとして目線を窓にやる。そっかここ、サッカー部グラウンドが近かったのか。キーパーグローブ付けたまんまだ。
 答える前に、樹くんは「先生!? 何をされているんです!」と声をあげた。

「みてわかるでしょう! 次元の壁を越えようとしてるんです!」
「自殺にしか見えませんが!」

 樹くんは近づいて、一緒に先生を支えてくれた。

「死んでも何にもなりませんよ!」
「なるんだよなるんだよおおお」

 暴れ出す先生。

「いや先生、お気持ちがわかる部分もあるんですがね」

 落ち着いた声がした。

「生徒の前で死ぬのはやめてもらえます?」

 仁だった。さっさとコードを回収する。

「うう、死なせてくれ」

 未練がましくコードを掴もうとした手は空を切った。
 樹くんと仁で抱えるように床に降ろされた先生は、がくりと膝をつく。

「先生」

 千晶ちゃんがその前にかがみこむ。

「死ぬ前に生まれ変わった意味を考えてみませんか」
「生まれ変わった意味……?」
「どうした鍋島」
「樹くんは黙ってて」

 私が言うと樹くんはハテナ顔。ごめんねちょっと入り組んでるんだ……!

「先生は、きっとこの世界できゅきゅたんを産むために来たんですよ」
「きゅきゅたんを……僕が……出産……?」
「違います」

 千晶ちゃんはフラットな表情のまま言った。

「創作物としてです」
「創作」
「あなたのオリジナル作品として世に出せばいいじゃないですか」
「僕がきゅきゅたんを!?」
「ですです」

 千晶ちゃんはにこりと笑う。

「この世界できゅきゅたんブームを作りましょうよ、先生。魔法少女らりっくきゅきゅたんブームを」

 トージ先生はしばらくぼんやりした後、こくりと頷いた。さすが千晶ちゃん。

「……き、きゅきゅ……?」

 無言だった樹くんが不審そうに呟いた。その言い方がちょっと面白くて、私は笑ってしまったのだった。
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