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分岐・鹿王院樹

その日(side樹)

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 俺は世間知らずの青二才だが、ひとつ断言できることがある。
 俺の許婚は世界一可愛い。

 熱を出した華が心配で、昼休みにすこしだけ帰宅した。
 ……そういえば昨夜から様子がおかしかった、と俺は思った。

(体調が悪かったのか)

 俺は反省する。様子がおかしいのには気づいていたのだが、「なんでもない」と突っぱねられてしまっていた。
 熱で浮かされた寝顔は苦しげで、代わってやりたくなる。
 どうしたものかと迷っていると、ふと華が目を覚ます。そして、俺の姿を認めると、本当に嬉しそうな、幸せそうな顔をして微笑んでくれた。

(可愛い)

 愛おしさが溢れる。
 そうしていると、ふと、華が口を開いた。

「ぎゅーして」

 くすぐるように言う。
 戸惑っていると、ぷうと頬を膨らませる。いつもより、幼い。拗ねた顔も可愛らしい。抱きしめる。

「すきー」

 耳元で甘えるように言われる。熱があって、少し甘えたい気持ちなのかもしれない。いつも甘えてくれていていいのだが。

「俺もだ」
「ねぇ、いちばん好き?」
「ああ」
「ずーっと好き?」
「当たり前だ」

 可愛らしい質問。聞かれるまでもなく、当たり前のこと。

「あいしてる?」

 俺はふと息を飲んで、それから「愛してる」と言った。
 華はうとうとしだす。汗でしっとりとした髪を撫でる。次起きた時は、熱も下がっているといいが。

 後ろ髪を引かれるように学校に戻って、放課後は部活にも出る。
 ふと、練習場のフェンスががしゃんと鳴って、俺はそちらに目をやる。真さんなら嫌だなと思ったのだ。あの人がやることは訳がわからない。

(だが、……)

 華を気に入っているのは本当のようだ。そう思うと、心が騒つく。
 フェンス越しに目があったのは、ランニング中と思われる男子だった。バスケ部のジャージを着ている。

「なぁ、キーパーさん、こっち来て」

 関西の訛り。不思議に思いながら、寄っていく。

「背ぇ高っ! 何センチ?」
「178」
「ほーん。8センチ差な。まぁ、まぁまぁまぁええねん、そんなんは。先輩にもおるしな」

 関西弁のバスケ部男子は、首をかしげる。

「樹、ちゃん?」

 ちゃん!? 俺は目を見開く。突然何を言い出すんだ、こいつは。

「……あまりちゃん付けはされたことはないな」
「あー。せやろな。ちゃん付けたくないわ。俺はねーちゃんがイツキ言うねんけど」
「そうか」

 俺は不思議に思いながらそいつを見つめる。一体何の用事だ?

「俺、ほら、華のな」

 華の名前が出て、俺はぴくりと眉をひそめる。男子はふん、と笑うと「神戸で入院一緒やったんや」と言った。
 俺はそれで合点が行く。

「ああ、神戸のお友達、か」

 青百合に転校してくる、とは聞いていた。だが学年も違うし、そう会うこともないとは思っていたが、会いにくるとは。

「トモダチなー。俺はトモダチで終わる気はないねんけど」

 男子は笑って言う。

「覚えといて、俺は山ノ内瑛くんや」

 眼光が鋭い。だが、まっすぐな目だ。

「鹿王院樹だ」
「華はいまアンタのことが好きみたいやな」

 単刀直入に言われすぎて、一瞬反応が遅れる。

「けどな、将来的にはそうやと限らんやん?」
「なにが言いたい」
「べっつにぃー? まぁ宣戦布告的な?」
「ほう」

 俺は笑った。

「なるほど」
「なんやヨユーやな、腹立つ」
「余裕などない」

 首を振る。

「ないが、山ノ内か、お前は気に入ったから」
「なんやキショいな」
「正々堂々としたところがいい」
「は? ようわからんけど、ま、今後ともよろしゅーに」

 山ノ内はヒラヒラと手を振って、ランニングの続きに戻るのだろう、走っていく。俺は手は振り返さないが、その背中を見送る。

(気持ちのいいやつだな)

 雰囲気がそうだ。まっすぐな気性をしているのだろうと思う。
 華に対して、真さんと同じことを宣言されている。なのに、この俺の感情の違いはなんだろうか。

(どちらにしろ、譲る気はない)

 華が選べば話は別だがーー要はそんな気にならないくらい、俺を見ていてもらえばいいのだろう。
 帰宅後、圭の話だと食欲も出てきたようで一安心する。
 お粥を持っていくと、顔色も良くなっていてホッとする。だが、先ほどのような甘える雰囲気はなくて、少しばかり寂しい気持ちになる。

(もっと甘えてくれていいのに)

 ふと思いついて、子供にするようにお粥を食べさせた。華も嬉しそうで、おれも嬉しい。
 空になったお皿をお盆ごと下げて、食洗機に入れると圭が冷蔵庫に飲み物を取りに来た。

「イツキお風呂は?」
「まだだが」
「先にいーよ。おれ、もうちょっと絵を描くから」

 ぺたぺた、と廊下を歩いていく圭。
 俺は風呂に向かう。
 うちは古い日本家屋なせいで、何度かリフォームしているが基本的な作りは古い。この風呂も少し古いのではないかと思う。俺と祖母がこだわらないせいで、ほっておかれたのだが。
 まぁ華は「温泉みたい!」と喜んでいるので良しとしよう。よく分からないが、広いらしい。
 脱衣所で服を脱いでいると、ふと扉ががちゃりと開いた。

「汗きもちわるーい」

 そんなひとりごと共に現れたのは華で、その時やっと華は目線を上げて俺がいることに気がついたらしい。
 何度か瞬きをして、それから勢いよくドアを閉めた。

「ごごごごごごめん!?」

 扉の向こうからひどく焦った声がする。

「いや」

 俺は苦笑する。鍵を閉め忘れた。

「ごめん、はだか、その、見ちゃ、ごめん、うわぁ」
「大丈夫だ」

 脱いでいたのは上半身だけだ。まだ下はスウェットを履いていた。男だし、別に見られてどうということはない。

「ちが、その、うわぁ、やっぱダメだー」
「先に入るか? 代わるぞ」
「ううん、いいー。ごめんー」

 ぱたぱた、と遠ざかる足音。早めに入って代わってやろう。

 風呂から上がり、華の部屋に行くと露骨に視線をそらされた。

(……照れてる?)

 目線をそらしたまま、華は「お、お風呂行ってきまーす」と言う。

「華」
「な、なに」
「華は運動部のマネージャーにはなれんな」
「なんで?」
「上半身裸なんか、普通にいるぞ」
「ぎゃあ」

 華は顔を覆い隠した。頬が赤い。

「忘れてー!」

 ぱたぱたと出て行ってしまう。
 俺はふ、と笑って、でも少し気をつけようと思う。圭はあまりそういうのを見せたがらないし(風呂上がりでもきっちりしている)それもあって華は不慣れなんだろうから。
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