上 下
218 / 702
分岐・鹿王院樹

拗ねる許婚(side樹)

しおりを挟む
 優勝して、さすがに翌日は休みになった。夜まで友人の家で騒いだせいで、まだ少し眠い午前9時頃、遅めの朝食を食べていると祖母が苦笑いしながら俺に言った。

「あなた、華ちゃんに何したの」
「……は?」
「昨日あなたの試合観に行って、帰ってきてから部屋から出てこないそうよ。食事も食べずに」
「は!?」

 俺は箸を落とした。

「華が、食事も?」
「華ちゃんが、食事も」

 俺の中で不安が急速に大きくなる。

(何があった?)

 もしかして、応援の生徒たちのバスに、無理矢理乗せたのがマズかったか? あそこで何か嫌なことでもあったのだろうか?

「……とりあえず、あなた行って来なさい」

 祖母の言葉にすぐ立ち上がる。無論、最初からそのつもりだった。

 華の家に着くと、お手伝いの八重子さんが苦笑いしていた。

「鍵までは閉まってないんだけど、敦子が何言っても出てこなくて、圭くんの泣き落としでもダメだったの」
「圭の?」

 それはかなり、いや非常に、深刻なのではないだろうか。華は圭を異常に可愛がっているので、圭のお願いは大抵何でも聞くのだが。

「圭は?」
「イツキ来るならシャーナシで譲ったげる、と言って部活に」
「しゃーなし」

 どこでそんな日本語を覚えてくるんだろうか、あいつは。
 八重子さんがリビングに消え、俺はとりあえず華の部屋のドアをノックする。

「華」

 部屋の中で何か物音がしたが、返事はない。

「華?」
「……、帰って」

 掠れた声。

「何があった?」

 返答は無し。

「それだけでも教えてくれないか」

 やはり、無言。
 俺は眉を寄せた。気がつくとドアを開けていた。怒られようと構わん。やや乱暴にドアを閉める。
 華はベッドにいた。俺の顔を見て布団に潜り込む。

「乙女の部屋に! 勝手に入ってくるなんて!」
「……乙女」

 華が自分をそう形容するのを初めて聞いたせいで、ちょっと面白くなる。
 ベッドサイドに座り込み、布団越しに華に触れた。

「何かされたのか」
「……」

 布団の中で、ぴくりと華が動いた。

「……、何があった」

 知らず、声が低くなる。

「誰に、何をされた?」
「……樹くんが黙ってた」

 返ってきた返答に、俺は一瞬ぽかんとする。俺?

(俺が、何を?)

 必死で考える。まさか華がこうなっている理由が自分だと思わなかった。しかも、「黙っていた」から怒っている。布団から出てこないくらいに。食事も摂らないくらいに。

「……すまない」

 自分でも、情けない声が出たと思う。

「教えてくれ、華。言ってもらわなくては分からない」
「留学」

 華のつっけんどんな声。その声は涙で滲んでいた。

「そんな大事なこと、なんで言ってくれなかったの」
「留学」

 俺は思わず繰り返す。そのことか!

(昨日誰かから聞いたのか?)

 思わず動きを止めた俺に、華は言う。

「そりゃ、私、ただのお飾りの許婚、かもしれない、けどっ、り、留学とかっ、そういうことは言って欲しかったっ」

 泣きながら、彼女は言う。
 俺は申し訳なさと、切なさと、そして何より……泣いている華には本当に申し訳ないのだが、嬉しくて仕方ない。
 華が、そんな風に俺のことで泣いてくれるのが、嬉しくて仕方ない。自分でも人間的にどうかとは思う。
 夏の薄い布団越しに、上半身だけで華を抱きしめる。

「華?」

 自分でも驚くほど甘い声が出た。友人達が聞いたら卒倒するかもしれない。

「……ん」

 華が布団越しにもぞりと動くのが分かった。

「まだ本決まりじゃないんだ、小学校の頃に練習に参加したクラブチームから、短期留学プログラムに参加しないか、と打診があっただけで」

 短期とはいえ、世界的なクラブの正式なプログラム。かなりの狭き門で、まだ決定ではない。名前を挙げてもらっているだけだ。

「……短期?」
「2週間だ」

 ふと、華から力が抜けた。

「も、もう、なかなか会えなくなるんじゃないかって、さみしく、て」

 くぐもった声で言って、安心したように泣き出す。素直に愛しいと思うし、心配させたことを申し訳なく思う。

「すまない、次からは最初に華に話そう」
「……しぶしぶなら、いい」

 まだ少し拗ねている。俺は笑う。

「華を不安にさせたくないからだ。俺の意思だ」
「じゃあ、うん……そうして、もらう」

 落ち着き始めた華を布団越しにもう一度ぎゅうっと抱きしめて、そこで俺ははたと気づく。

(これは、……マズいな)

 何がマズいって、色々マズい。
 離れようとすると、布団の隙間から華の手が少し出て、俺の服をつかむ。

「樹くん?」

 可愛い声で呼ぶから。

(……華が悪い)

 これは誰に聞いても俺のせいじゃないと言うのではないか、と無理矢理自己を正当化した時ーードアが勢いよく開く。

「落ち着いた?」
「八重子さん」

 華が布団から顔を出す。髪はぼさぼさだし、目が少し腫れている。それすらも可愛らしいと思う。

「うん」

 申し訳なさそうな声で言うと、八重子さんは笑った。

「じゃあご飯にしましょう。早めのお昼ご飯。着替えておいで。あ、そうだ、樹くんちょっと手伝って」
「? はい」

 そう言われて、八重子さんに続いて部屋を出る。ぱたりとドアが閉まって、八重子さんはニヤリと笑った。

「敦子から伝言」
「はい」
「キスまでは許す」
「……は!?」
「以上でーす。ついでに食器並べて」

 いたずらっぽく八重子さんは言ってさっさとリビングにはいる。

(釘をさされてしまった……いやそんな、そんなつもりでは)

 頭の中で言い訳するが、それを聞いてくれる人はここにいない。
 はぁ、とため息をついて廊下に座り込む。

(まだまだ子供だ、俺は)

 ブラックコーヒーも飲めないし、大人は行動を先回りして釘を刺してくる。
 少しだけ落ち込んでいると、華の部屋のドアが少しだけ開いた。

「ごめん、樹くん、八重子さん呼んでくれる……?」

 少し心細そうな声。

「? どうした」
「えーと、大丈夫なので、とりあえず八重子さん」

 言われた通りに呼ぶと、八重子さんは部屋の入り口で二言三言会話した後、「あらあら」と笑いながら部屋に入っていってしまった。
 手持ち無沙汰になって、食器を並べる。まだ2人は来ない。キッチンで途中まで準備されていた緑茶を淹れることにした。
 淹れ終わったころに、2人はリビングに入ってきた。八重子さんはなんだかニコニコしていて、華は少しバツの悪そうな顔をしていた。

「あら、お茶淹れてくれたの~」
「見様見真似ですが」
「いーのいーの、こんなの味と色がついてりゃそれで。この家でこだわるの敦子くらいよ」

 八重子さんはそう言って笑う。

「そうだ樹くん晩御飯食べていく? お赤飯炊かなきゃで」
「やっえっこさんっ」

 華が本気でムッとした顔をする。珍しい。

「はいはいごめんなさい、ほらデザート、メロンクリームソーダにするから許して」

 華はむう、と考えて「それならいい」と答えた。

「? どうした?」
「なんっでもない、ご飯食べよっ」

 華はさっさとテーブルについてしまう。俺も首を傾げながら横に座って、手を合わせる。いただきます。
 華はよく食べた。いつもより。それはそうだ、食べるのが何より好きなくせにハンガーストライキなんかするから。そうさせたのは俺の浅慮のせいなのだが。
 幸せそうに食べるので、俺まで幸せになる。
 食後、庭の日陰に椅子を出して、タライに水をはって足だけつけた。

「はーい、お待たせ」
「ありがとうっ」

 サクランボが乗ったバニラアイスが浮かぶ、メロンクリームソーダ。華の好きな食べ物……いや、飲み物だろうか?

「美味しいよねぇ、これに乗ってるサクランボはやっぱり缶詰がいいの」
「そういうものか」
「分かってないなぁ~」

 華はやっぱり幸せそうに食べる。
 さっきの、辛そうな華を思い返して苦しくなる。あの瞬間には、たしかに嬉しくもあったが、……もう、あんな思いはさせてはいけない。させたくない。

「そういえば、何かお祝い事でもあったのか?」
「え?」
「赤飯がどうのと」

 ばしゃり! と水が飛んできた。華が足でタライの水を俺にかけてきたのだ。

「デリカシー!」
「え、いや、すまん、話が見えん」
「もー! 秘密!」

 華は口を尖らせて俺を睨む。でもすぐにふっと笑う。華には笑顔が似合うと思う。俺はそれを見て幸せな気持ちになるし、華もまたそうであって欲しいと思う。心から思う。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

目が覚めたら夫と子供がいました

青井陸
恋愛
とある公爵家の若い公爵夫人、シャルロットが毒の入ったのお茶を飲んで倒れた。 1週間寝たきりのシャルロットが目を覚ましたとき、幼い可愛い男の子がいた。 「…お母様?よかった…誰か!お母様が!!!!」 「…あなた誰?」 16歳で政略結婚によって公爵家に嫁いだ、元伯爵令嬢のシャルロット。 シャルロットは一目惚れであったが、夫のハロルドは結婚前からシャルロットには冷たい。 そんな関係の二人が、シャルロットが毒によって記憶をなくしたことにより少しずつ変わっていく。 なろう様でも同時掲載しています。

悪役令嬢が美形すぎるせいで話が進まない

陽炎氷柱
恋愛
「傾国の美女になってしまったんだが」 デブス系悪役令嬢に生まれた私は、とにかく美しい悪の華になろうとがんばった。賢くて美しい令嬢なら、だとえ断罪されてもまだ未来がある。 そう思って、前世の知識を活用してダイエットに励んだのだが。 いつの間にかパトロンが大量発生していた。 ところでヒロインさん、そんなにハンカチを強く嚙んだら歯並びが悪くなりますよ?

婚約破棄されたので王子様を憎むけど息子が可愛すぎて何がいけない?

tartan321
恋愛
「君との婚約を破棄する!!!!」 「ええ、どうぞ。そのかわり、私の大切な子供は引き取りますので……」 子供を溺愛する母親令嬢の物語です。明日に完結します。

悪役令嬢に転生したら手遅れだったけど悪くない

おこめ
恋愛
アイリーン・バルケスは断罪の場で記憶を取り戻した。 どうせならもっと早く思い出せたら良かったのに! あれ、でも意外と悪くないかも! 断罪され婚約破棄された令嬢のその後の日常。 ※うりぼう名義の「悪役令嬢婚約破棄諸々」に掲載していたものと同じものです。

転生したら攻略対象者の母親(王妃)でした

黒木寿々
恋愛
我儘な公爵令嬢リザベル・フォリス、7歳。弟が産まれたことで前世の記憶を思い出したけど、この世界って前世でハマっていた乙女ゲームの世界!?私の未来って物凄く性悪な王妃様じゃん! しかもゲーム本編が始まる時点ですでに亡くなってるし・・・。 ゲームの中ではことごとく酷いことをしていたみたいだけど、私はそんなことしない! 清く正しい心で、未来の息子(攻略対象者)を愛でまくるぞ!!! *R15は保険です。小説家になろう様でも掲載しています。

完璧(変態)王子は悪役(天然)令嬢を今日も愛でたい

咲桜りおな
恋愛
 オルプルート王国第一王子アルスト殿下の婚約者である公爵令嬢のティアナ・ローゼンは、自分の事を何故か初対面から溺愛してくる殿下が苦手。 見た目は完璧な美少年王子様なのに匂いをクンカクンカ嗅がれたり、ティアナの使用済み食器を欲しがったりと何だか変態ちっく!  殿下を好きだというピンク髪の男爵令嬢から恋のキューピッド役を頼まれてしまい、自分も殿下をお慕いしていたと気付くが時既に遅し。不本意ながらも婚約破棄を目指す事となってしまう。 ※糖度甘め。イチャコラしております。  第一章は完結しております。只今第二章を更新中。 本作のスピンオフ作品「モブ令嬢はシスコン騎士様にロックオンされたようです~妹が悪役令嬢なんて困ります~」も公開しています。宜しければご一緒にどうぞ。 本作とスピンオフ作品の番外編集も別にUPしてます。 「小説家になろう」でも公開しています。

【完結】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。

氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。 私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。 「でも、白い結婚だったのよね……」 奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。 全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。 一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。 断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。

執事が〇〇だなんて聞いてない!

一花八華
恋愛
テンプレ悪役令嬢であるセリーナは、乙女ゲームの舞台から穏便に退場する為、処女を散らそうと決意する。そのお相手に選んだのは能面執事のクラウスで…… ちょっとお馬鹿なお嬢様が、色気だだ漏れな狼執事や、ヤンデレなお義兄様に迫られあわあわするお話。 ※ギャグとシリアスとホラーの混じったラブコメです。寸止め。生殺し。 完結感謝。後日続編投稿予定です。 ※ちょっとえっちな表現を含みますので、苦手な方はお気をつけ下さい。 表紙は、綾切なお先生にいただきました!

処理中です...