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分岐・相良仁

前世にて(side相良)下

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 土下座せんばかりの勢いの俺に、彼女は笑って「もういいよ」と言ってくれた。

 あの騒動の翌日。
 俺は彼女の家の前で彼女を待ち伏せして、そして謝った。できるだけ、真摯に。なぜなら。

「まぁとばっちりだけど」

 ぷう、と口をとがらせる彼女。彼女もバイトを辞めたのだ。
 俺とあの元カレ君がクビになるのは分かる、けどビンタだけの彼女まで、と思うが「暴力的行為をしたのは同じだから」と言って自ら退職したとのことだ。
 警察沙汰にはならなかった。俺たちは殴り合いの原因について頑として口を割らなかったけれど、とりあえず夜間病院へ行って判明したのが俺の方が重症だったってこと。今も腫れてるし、なんなら頬の骨にヒビも入ってた。向こうは打撲だけで、なんというか、情けないというか。
 しかし向こうはそれで表沙汰にしたくなくなったらしい。確かに銀行に内定出てて、暴力沙汰はマズイよな。

「僕ホネまで折れちゃっててですね?」

 騒動のあった日、病院の廊下、そこで元カレ君に言うと露骨に眉をしかめられた。
 別のバイトくんがついてきてて、元カレ君と俺が会わないようにしてたけど、隙を見て寄ってった。トイレなんかいくからだ。でもさすがにもう殴ったりしない。

「銀行さんでしたっけ?」
「……脅す気かよ。お前の方から仕掛けてきたんじゃねえか」
「そですけど、僕はいくらでも取り返しつくんで。まだ2年生なんで」
「……腹立つな」
「1つだけお願いがあるんですけど」
「なんだよ」
「もうアイツの前に顔出さないでくれます?」
「は?」
「2度と。そしたら内定先にこの診断書送るのはやめときます」
「はー」

 元カレ君は呆れたように俺の手にある封筒を見て、それから頷いた。

「おーけー、まぁ大学も同じだし全く、ってのはムリだろうけど、善処はする。声もかけない。それでいいか」
「いいです」
「しかしまぁ、ベタ惚れだなお前」
「は?」
「アイツに」
「……は? 関係ないっすよアイツは」
「は? いや、それこそめちゃくちゃだろ、じゃあ何でお前俺のこと殴ったんだよ」
「え、個人的にムカついたからっす。アイツはマジで無関係です」
「えー、お前タダのヤバイやつじゃん……」
「ヤバイ奴なんで、約束守ってもらわないと次何するか分かんないっすよ」
「……気をつけるわ」

 元カレ君はそう言って病院を去って、もう少し重症の俺は病院でもうすこし処置をしてもらう。
 痛み止めと抗生物質をもらって帰宅したらもう朝になってた。泥みたいに寝たら夕方。その足で彼女の家に出向いて、会うなり謝罪って感じ。

「でもまぁ、私関係ないって言ってたけど、それでもあのヒト殴ってくれてありがと。すっきりした、なんか」
「いやほんとにお前関係ないんだけど……あとでもごめん、ブスって言ってごめん、あれ嘘だから。ほんとに」
「あはは、いいよいいよ、慣れてるから」
「慣れてる?」
「よく言われる」
「誰に」
「え、付き合った人とか」

 俺は無言になる。殴られてアドレナリン出てたとか喧嘩中の特殊な状況だったとか、そんな言い訳はどうでもよくて、自分がコイツの最低な元カレと同じことを言ってしまったということに腹がたつ。自分を許せそうにない。

「……可愛いのに」
「あは、ありがと!」

 彼女は笑った。
 慰めだと思っただろうか。思われただろうな。それが酷く悲しくて悔しくて、俺はまた自分の感情が分からなくなる。
 これが恋だとばっかり気づいたのは、これよりもう少し後。
 俺と彼女は一般教養の授業で民俗学をとっていて、前学期末、7月の終わり、二人一組でレポートを提出することになっていた。
 俺は彼女と組んでいて、なんとなく(いま思えば、単に彼女をドライブに誘いたかっただけなんだけど)隣県の資料館へ彼女を誘った。そこにしかない資料があるからって。
 休みの日に、親にからかわれながら車を借りて、彼女と出かけた。自分でも何が何だかわからなかったが高揚していて、すごく楽しかったのをいまだに覚えている。
 その資料館で、近くに向日葵畑があるというチラシを目にした。迷路になっているらしい。

「え、こういうの好き。行かない?」

 彼女が少し楽しそうに言うから、俺も頷く。デートみたいだ、と思った、と思う。
 一面の向日葵畑、簡単な迷路だろうとタカをくくっていたが意外にも苦戦した。

「ねー、背ぇ高いんだから見えない? 正しい道」
「上空から観れるわけじゃねーんだから」

 俺は呆れて彼女をみる。向日葵と同じくらいの背丈。笑っている。俺はどきどきする。

「あ、あっちかも」

 ふとふた方向の分かれ道で彼女は片方に走って、姿が見えなくなる。
 慌てて追いかけると、彼女は向日葵の行き止まりでやっぱり笑っていた。

「行き止まりだったや」

 日差しは暑くて、セミがうるさくて、向日葵は黄色というより金色のように輝いていた。
 彼女は向日葵を背景に、少し汗ばんで笑っていて、俺は、ああこの子は向日葵みたいな子だなと思う。
 どきどきしていた心臓が、唐突に痛いくらいにドキリと高鳴ってしゃがみこむ。切なくて苦しい。

「え、うそ、大丈夫? 熱中症?」

 彼女は俺の前にかがみこんで「お茶飲む?」と自分の麦茶のペットボトルを差し出してくれたので一応もらう。あんまり心配かけたくなかったから。こんなの、ただの恋の症状だって気がついたから。

{あーあ、いつから?)

 いつからだろう。微熱に気づいてくれた時。それとも初めて会った時?

(いま告白したら、受け入れてくれるかな)

 そう思って口を開こうとして、彼女の目を見て、怖くなってやめた。
 断られたら、彼女を失うことになる。だって彼女の目には恋愛感情なんか一切無い、ただの友人を心配する色しかなかったから。

(あーあ)

 ブスって言っちゃったのがマズかった? いやその他の行動? よく分からん。どうしたらいいんだ? 自分から追う恋愛って初めてだった。
 とりあえずブスって言っちゃったマイナスを挽回してから、と思って過ごしてるうちに彼女に恋人が出来る。20歳を過ぎてた俺はヤケ酒を飲む。べろんべろんだ。泣きながら起きる。俺ってこんなやつだっけって思う。

 そして彼女に会うたびに俺は心のどこかでいつも、こう思う。

「いなくなっちゃえばいい」

 そうすれば、こんな気持ちにならなくて済むのに。
 しばらくして彼女はまた別れる。相手が既婚者だったらしくて、それを知ってすぐ別れたんだ、と。
 彼女は笑ってたけど辛そうで、俺はキレる。向こうは何食わぬ顔でフツーに生活してるなんて許せなかった。
 彼女には全部内緒で奥さんにバラす。離婚したソイツは彼女に言いよるけど、さすがに断ったみたいで俺はホッとする。

「もー、しばらく恋愛なんかしたくないよ」

 彼女は笑う。
 別れた弱みに付け込むみたいで、そういう時上手く俺は彼女にアピールできない。いざチャンスが来ても俺は怖くて何も言えなくなる。そんな風な繰り返しで、気がついたら俺らは卒業してる。就職しても、相変わらずグチを聞いたりたまに2人で出かけてみたりするけど、相変わらず彼女のその目には友人としての信頼だけが浮かんでいる。それを見ると俺は一線が越えられなくなる。彼女を失うのが、側にいられなくなるのが、怖かった。
 そしてあの事件が起きる。
 側にいられないどころか、俺は彼女を永遠に失った。

(いなくなっちゃえ、なんて思ったから)

 俺は心のどこかでそう思う。
 彼女の骨は、とても綺麗だった。
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