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8(中学編)

雨の日の電話

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 6月に入ったばかりで梅雨入りの声は聞こえてこないのに、連日の雨でちょっと気持ちもアンニュイな、そんな日の夜のこと。
 自室で宿題をしていると、こんこん、とノックの音がした。

「はーい?」
「華、ちょっといいかしら」
「どうぞー」

 入ってきた敦子さんは、ちょっと浮かない顔。

(どうしたのかな?)

「華、あのね、婚約披露パーティーなんだけど」
「うん?」
「延期、になりました」
「ふーん?」

 私は首を傾げた。

(なんでたろ?)

「……もう少しびっくりするとかショック受けるとかしなさいよ」
「うーん」

 ふふ、と笑うと「ほんとにお子様なんだから」と敦子さんは苦笑した。

「あのね、樹くんの大叔母様が亡くなられて」
「えっ」
「静子さんの妹さんなんだけど」
「そっかぁ……」

 お悔やみにいかなくては。
 静子さん、樹くん、大丈夫かな……。

「静子さんは、気にせず開催しましょうと仰ってくれているのだけど、そんなわけにも行かないでしよう」
「うん、そのほうがいいと思う」
「それもあって、樹くんのご両親が予定を前倒しして、帰国されるの。でもすぐにとんぼ返りになるそうなんだけど、八月には長期で帰国されるそうなのね。その時お会いできたらって」
「あ、そうなんだ」
「とりあえずまた外商さんに来ていただくから、お洋服見繕ってもらって。着物で形式張るよりいいでしょう」
「夏だしね~」

 着物で夏はちょっと苦手だったりする。

「圭の服もね」
「わかりました」

 そう返事をして、敦子さんが部屋を出たあと、お子様ケータイで樹くんのスマホに電話をしてみる。忙しいかなぁ。

『どうした?』

 案外すぐ出た。

「大叔母様のこと、きいて。大丈夫?」
『ああ、わざわざすまん、俺は平気だ、京都に嫁がれていて、あまり会ったこともない方だったしな。祖母は……わからん、あんな人だから気丈に振る舞っているが』
「そっかぁ」

 でも、ショックだよね。こういう時、なんて言えばいいかわからない。精神的にはかなり大人なはず、なんだけど。

「静子さんにもよろしく伝えてね」

 こんな風に言うので精一杯。ごめんね。

『うむ……ああ、両親のことは聞いたか?』
「あ、うん」
『すまん、予定がころころと」
「とんでもないよ。こんな時だけど、ご両親とお会いできるのは嬉しいよ?」

 樹くんのご両親、どんな人か気になってたんだよね。おんなじような性格とかなのかな。

『そう言ってくれて助かる』
「うん」
『ああ、そうだ、イタリア土産が届いた。また持っていく』
「別便だったんだっけ」
『荷物だけな』

 樹くんはサッカーのキャリアを順調に重ねてて、5月の半ばから10日間ほど、イタリアで開催された15歳以下の国際大会に、日本代表として出場していた、らしい。結果はベスト8。
 らしいというのは、ウチにはテレビもないしネットも(敦子さんはパソコン持ってるけど見せてくれない)ないので、サッカー雑誌を買うしか情報がないのだ。

『取材があったので、来月号に載る、かもしれん。分からんが』
「え、ほんと!? 絶対買う」
『しかし、エコノミークラスというのは、さすがに閉口した』
「あは」

 全員でエコノミーで行ったらしい。ビジネスかファーストクラスにしか乗ったことのなかった樹くんは、相当驚いたと帰国後語っていた。

『……さすがにA代表ともなったらビジネスには乗れるよな?』
「それはしらないけど」

 私はくすくす笑う。なんだか普段は大人でしっかりしているように見える樹くんも、なんだかんだ世間知らずのおぼっちゃまなとこも、ある。まぁ実は結構お子様なのも知ってるけどさ。てか基本年相応だよね、とは思ってる。

「なーんか、樹くんすごい人になりつつあるなぁ」
『どうした?』
「遠い世界の人? ってかんじ」

 かたや世界的な企業のお坊ちゃんでサッカー日本代表で、一流の私立中学に通ってて、その上イケメンで何でもできて。
 いっぽうの(一応)許婚である私は、少しばかり成績がいいだけ、の平凡な中学生だ。中身はアラサーだけど。あと食欲が少しばかり旺盛です。

「釣り合わないよねぇ」

 ふふ、と笑いながら言うと樹くんは押し黙った。

「……樹くん?」
『俺は』
「うん」

 声のトーンがふと真剣になったので、私もちょっと気を引き締める。

(変なこと言っちゃったかな)

『俺は、華がいるから頑張れて、いる』
「? 私?」
『ああ』
「なにもしてないけど」

 たまに会ってご飯かケーキ食べるくらいで。

『……、いつか、家のこととか関係なく、華が俺を婚約者だと胸を張って言えるようになりたいと思っていて』
「うん?」
『できればそのためにも、家のことと全く関係なく評価してもらえる世界にいたいと思って、いてだな』
「うん」
『もちろんサッカーは好きだし、こう言ってはなんだが、華のためにサッカーをしているわけではない』

 そりゃそうだ。首をかしげる。

『だが、華が、俺のモチベーションのひとつであることは忘れないで欲しい』
「ふうん?」

 なるほど、わからん。
 声に分かっていないのが出ていたのか、電話の向こうで樹くんは苦笑した。

『すまん、俺も考えがまとまっていない。だが、釣り合わないなどと言わないで欲しい。俺はそんなに大層な人間じゃない』
「そうかな? でもまー、樹くんは樹くんだよね」

 どんだけすごい人になったって、樹くんは変わらない。初めて会った日は無愛想な子だなと思った。その影に見え隠れする優しさが可愛らしいとも思った。背が伸びて、声が低くなっても、それは変わらない。

「ずっとそのままの樹くんでいてね」
『……ああ』

 電話の向こうで、樹くんが微笑んだのがわかった。
 窓の外では雨がさあさあと降っている。そろそろ紫陽花が綺麗に咲くはずだ。

「樹くん、もう少ししたら紫陽花見に行こうねぇ」

 のんびり言うと、樹くんは「そうしよう」と嬉しげに答えてくれる。

(ああ、またこの声)

 こんな風な優しい声は、多分同年代の女の子だったら勘違いしちゃう。

("ゲームの華"は、きっとこの樹くんの優しさを勘違いしちゃったんだね)

 少し切なくなる。ヒロインちゃんに、同じトーンで話しかける樹くんの声をきいて、"ゲームの華"がどんな気持ちになったのか。

(だからって、いじめたり、嫌がらせしちゃいけないけど)

 窓の外ではやっぱりさあさあと雨が降り続いている。
 そしてやっぱり私もアンニュイみたいで、「おやすみ」と電話を切ったあとも、しばらくこの謎の胸の痛みと戦うのだった。
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