上 下
128 / 702
8(中学編)

夕陽

しおりを挟む
「きれいだねー……きれいだけど、うう」
「大丈夫ハナ? 無理しないほうがいいよ」

 家の庭で、水平線に沈もうとする夕陽を冷や汗を垂らしながら私は見つめていた。空の色は赤と紺の不思議なグラデーション。
 本来美しい夕陽を、そんな風に見つめるべきではない、と思うんだけど。

(でも)

 いい加減、そろそろ克服すべきなのだ。前世からのトラウマ、夕方以降屋外が怖い、というトラウマを。
 そんなわけで、病院の先生と相談して、半年ほど、お庭でリハビリを繰り返している。圭くんが付き添ってくれて、手をぎゅうっと繋いでくれている。おかげで、辺りが真っ暗でない限りなんとか大丈夫(ただし圭くんが手を繋いでくれていないと無理)まで持ってくることができた。

「ハナ手汗すごい、大丈夫?」
「え、ごめ、離す」
「ううん、おれは平気。ハナが大丈夫かなって思っただけ」

 ほんの少しだけ低いところから私を優しく見つめる翠の目。夕陽を反射して、不思議な色になっている。

「なに?」
「あ、ごめん」

 私は笑う。

「きれいな目だなって」
「いつも言うね」

 圭くんは首を傾げて笑った。

「そろそろ戻ろうか、過呼吸なっちゃうと大変」
「あ、うん」

 無理をしすぎて、過呼吸発作を起こしたことが数度。あれ、そう簡単には死なないと分かってても苦しいし「あ、これ死ぬわ」ってなっちゃうんだよなぁ。気をつけないと。
 部屋に戻って、窓ガラス越しに空を見つめる。全然平気。濃紺が空の大半を占めはじめていた。

「おつかれさま」

 八重子さんがアイスティーをテーブルに置いてくれた。ジュースと割って二色に分かれた可愛らしいアイスティー!

「うわ、可愛い、ありがとう」
「ありがと! あ、ね、晩御飯なぁにヤエコさん。いい匂いするけど」

 アイスティーにはほとんど興味を示さず、圭くんは可愛らしく首をかしげた。

「今日はトンカツですよ、食べ盛りさんたち」
「「わーーーーーい」」

 私たちはハイタッチした。揚げ物大好き!

(転生してなにが良かったって、胃が若返ったから油モノ食べても胃がもたれないことよね!)

 あと、圭くんって意外にたくさん食べる。細いのに。常盤の血筋かもしれない。まぁ私は前世から食べてばかりいたけども。

「そんなに喜んでもらえると、作りがいがあるわねぇ」

 八重子さんはニコニコだ。

「……トンカツはキツイんだけど」

 リビングのドアを開けたのは敦子さん。

「あ、おかえりなさい」
「おかえりアツコさん」
「ただいま」

 微笑みながらそう言って、それから「あたしの冷しゃぶとかにできない?」と口を尖らせた。

「還暦過ぎの胃にトンカツはキツイってー…」
「え、敦子さん還暦!?」

 私は思わず問い返した。というか、過ぎてるの!?
 敦子さんは明らかに「しまった」という顔をしてほほほ、と上品に笑う。

「なんのこと?」
「いや、いま還暦過ぎって」
「カンレキてなぁに、ハナ?」
「えっとね、」
「さー!!! 晩御飯にしましょ!」

 敦子さんは、ぱん! と大きく手を叩くと「着替えてくるわね」とリビングを出て行ってしまった。

「カンレキ?」
「えーと」
「華ちゃん圭くん、ソースどれにする?」
「選べるの!?」

 ヤエコさんの言葉に、圭くんはカンレキを忘れたように台所へ飛んでいく。
 やがてテーブルにトンカツが2つと、冷しゃぶ2つが並んで(今日は八重子さんも一緒)全員で手を合わせる。プロテスタントな圭くんも、特に手を合わせることは気にしていない、というかお父さんもされていたそう。「イタダキマスは食べ物に、ゴチソウサマは作ってくれた人にって言ってたよ」とのことだ。

「と、ゆーかね」

 圭くんはぽつり、と口を開いた。

「カンレキが年齢のことかなってのは何となく分かるんだけど」
「ごほごほごほ」

 敦子さんはお米を飲み込んじゃってむせた。

「アツコさんはキレイなんだから、何歳でもよくない?」

 圭くんは首をかしげた。

「女の人って、なんとなく、年を気にし過ぎてると思う」
「そうは言ってもね、圭、気になるのよ」
「どーして?」
「どうして」

 敦子さんは八重子さんと顔を見合わせた。

「若いのはエライ?」
「偉くはないけど、素敵じゃない?」
「年を重ねることの方がステキなことだと思う、おれは」
「それはあなたが若いから」
「そうかなぁ。でも、アツコさんは若くみられたいの? キレイでいたいの?」
「……、キレイでいたいのかしら」
「じゃあネンレーなんか気にしないでいいじゃん、おれはアツコさん、キレイだと思う。だから堂々とカンレキですって言えばいいよ」
「……そう?」
「おれの自慢の家族だよ」

 圭くんはぱくり、とトンカツ一切れを一口で食べて「ね?」と微笑んだ。
 圭くんのこういう微笑みはたいそう可愛らしく、なんというか世界の可愛いを集めて煮詰めたような感じになるので、敦子さんもほにゃりと笑って「そーうー?」と言っていた。

「ヤエコさんもだよ。2人ともキレイなんだから、男からどうみられてるとか、あんま気にしちゃダメ」
「男?」
「女性が若い方がいい、なんて一部のオッサンの考え方だよ。そんな価値観に自分から乗ってっちゃダメ」
「そう、ねぇ」
「キレイなヒトはキレイ、というか、女性はみんなキレイだよ。おれはそう思う。それでいいの」
「いいの?」

 横から会話に入って、私も聞く。

「いいの」
「キレイじゃない人は?」
「キレイでいよう、としてる人はみんなキレイでしょ?」

 圭くんは不思議そうにいう。

「け、圭くん……!」

 世界中の男性が圭くんみたいに考えてくれてたらいいのに……!

「ハナもキレイだよ」

 いちおう(?)私も褒めてくれる。

「あんまキレイでいようとかしてないんだけど」
「あは、それはアレだね、美に対するボートクだね」
「う」

 小学生のころ、別の人にも言われたぞ、それ。美意識足りてないな、やっぱ。中学生男子にも指摘されるとは……。

「まぁ、ハナの良いところは、ナイメンテキなところが大きいから」
「そ、そう?」

 ゆるゆるアラサー魂をお褒めいただきました。あは。

「圭、そうはいってもね、この子いい加減オコサマ過ぎると思うわ」

 敦子さんからは苦言をいただきました……え、私は中身は大人のつもりで生きていたのですが……えっ!?

「おれもそー思うけど」
「思うの!?」
「うん」

 圭くんがそう言って、皆が笑った。まったく失礼な。でも私も笑う。トンカツは美味しい。とても幸せだ。

 八重子さんが帰って行って、敦子さんがお風呂に入っている間に、圭くんが紅茶を淹れてくれた。

「うーん……アッサム」

 ソファで紅茶を受け取る。香りをかいで、カンでそう言う。

「プリンスオブウェールズ。まぁこれアッサム混じってるけど」
「じゃあほぼ正解だね」
「うんまぁ、そういうことにしておこうか」

 紅茶とコーヒーを間違えないだけ良しとしよう、と圭くんは呟いて、それから私の横にぽすり、と座った。

「ねぇ、ハナ」
「なぁに?」

 甘えるような声に、思わずにまにま笑いながら圭くんを見る。

「おれね、ハナがオコサマで良かったと思ってる」
「? なんで?」
「だって、オコサマじゃなかったらとっくの昔にイツキのこと好きになってたと思うから」
「樹くん?」
「うん」

 相変わらず圭くんは微笑んでいる。

「カッコいいでしょ」
「うん、まぁ……そう思うけど」
「ね、だから」

 圭くんは、私の頬にキスをした。

「どうしたの?」

 圭くんは外国育ちなのもあって、そういうことは照れずにするけど、今のはすこし唐突だったので私はちょっと不思議に思う。

「ハナ、おれがオトナになるまで、オコサマでいて」
「オトナ? 背だったら、高校生くらいになったら抜かれるんじゃないかな、さすがに」
「まぁ、背はね、抜けなくても、別にいいんだけど。おれはおれだから」

 圭くんは至近距離で私を見つめる。
 きれいなきれいな、翠色の瞳。

「ね、ヤクソクして」
「え、あ、うん」

 なんとなく頷く。オコサマねぇ。中身アラサーなんですけど。

「ふふ、ヤクソクヤクソク。じゃ、おれ次お風呂はいろーっと。準備してくる」

 ご機嫌なかんじで、圭くんはリビングから出て行く。
 私は首を傾げて、紅茶を飲んで「大人っていつだろー」とぼんやりと呟くのだった。

 中身は大人のつもりだったけど、私はまだオコサマなのだとしたら。

「私はいつ大人になるのかな」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢なので舞台である学園に行きません!

神々廻
恋愛
ある日、前世でプレイしていた乙女ゲーに転生した事に気付いたアリサ・モニーク。この乙女ゲーは悪役令嬢にハッピーエンドはない。そして、ことあるイベント事に死んでしまう....... だが、ここは乙女ゲーの世界だが自由に動ける!よし、学園に行かなければ婚約破棄はされても死にはしないのでは!? 全8話完結 完結保証!!

【完結】死がふたりを分かつとも

杜野秋人
恋愛
「捕らえよ!この女は地下牢へでも入れておけ!」  私の命を受けて会場警護の任に就いていた騎士たちが動き出し、またたく間に驚く女を取り押さえる。そうして引っ立てられ連れ出される姿を見ながら、私は心の中だけでそっと安堵の息を吐く。  ああ、やった。  とうとうやり遂げた。  これでもう、彼女を脅かす悪役はいない。  私は晴れて、彼女を輝かしい未来へ進ませることができるんだ。 自分が前世で大ヒットしてTVアニメ化もされた、乙女ゲームの世界に転生していると気づいたのは6歳の時。以来、前世での最推しだった悪役令嬢を救うことが人生の指針になった。 彼女は、悪役令嬢は私の婚約者となる。そして学園の卒業パーティーで断罪され、どのルートを辿っても悲惨な最期を迎えてしまう。 それを回避する方法はただひとつ。本来なら初回クリア後でなければ解放されない“悪役令嬢ルート”に進んで、“逆ざまあ”でクリアするしかない。 やれるかどうか何とも言えない。 だがやらなければ彼女に待っているのは“死”だ。 だから彼女は、メイン攻略対象者の私が、必ず救う⸺! ◆男性(王子)主人公の乙女ゲーもの。主人公は転生者です。 詳しく設定を作ってないので、固有名詞はありません。 ◆全10話で完結予定。毎日1話ずつ投稿します。 1話あたり2000字〜3000字程度でサラッと読めます。 ◆公開初日から恋愛ランキング入りしました!ありがとうございます! ◆この物語は小説家になろうでも同時投稿します。

ヒロインを虐めなくても死亡エンドしかない悪役令嬢に転生してしまった!

青星 みづ
恋愛
【第Ⅰ章完結】『イケメン達と乙女ゲームの様な甘くてせつない恋模様を描く。少しシリアスな悪役令嬢の物語』 なんで今、前世を思い出したかな?!ルクレツィアは顔を真っ青に染めた。目の前には前世の押しである超絶イケメンのクレイが憎悪の表情でこちらを睨んでいた。 それもそのはず、ルクレツィアは固い扇子を振りかざして目の前のクレイの頬を引っぱたこうとしていたのだから。でもそれはクレイの手によって阻まれていた。 そしてその瞬間に前世を思い出した。 この世界は前世で遊んでいた乙女ゲームの世界であり、自分が悪役令嬢だという事を。 や、やばい……。 何故なら既にゲームは開始されている。 そのゲームでは悪役令嬢である私はどのルートでも必ず死を迎えてしまう末路だった! しかもそれはヒロインを虐めても虐めなくても全く関係ない死に方だし! どうしよう、どうしよう……。 どうやったら生き延びる事ができる?! 何とか生き延びる為に頑張ります!

使えないと言われ続けた悪役令嬢のその後

有木珠乃
恋愛
アベリア・ハイドフェルド公爵令嬢は「使えない」悪役令嬢である。 乙女ゲームの悪役令嬢に転生したのに、最低限の義務である、王子の婚約者にすらなれなったほどの。 だから簡単に、ヒロインは王子の婚約者の座を得る。 それを見た父、ハイドフェルド公爵は怒り心頭でアベリアを修道院へ行くように命じる。 王子の婚約者にもなれず、断罪やざまぁもされていないのに、修道院!? けれど、そこには……。 ※この作品は小説家になろう、カクヨム、エブリスタにも投稿しています。

悪役令嬢に転生したら手遅れだったけど悪くない

おこめ
恋愛
アイリーン・バルケスは断罪の場で記憶を取り戻した。 どうせならもっと早く思い出せたら良かったのに! あれ、でも意外と悪くないかも! 断罪され婚約破棄された令嬢のその後の日常。 ※うりぼう名義の「悪役令嬢婚約破棄諸々」に掲載していたものと同じものです。

未来の記憶を手に入れて~婚約破棄された瞬間に未来を知った私は、受け入れて逃げ出したのだが~

キョウキョウ
恋愛
リムピンゼル公爵家の令嬢であるコルネリアはある日突然、ヘルベルト王子から婚約を破棄すると告げられた。 その瞬間にコルネリアは、処刑されてしまった数々の未来を見る。 絶対に死にたくないと思った彼女は、婚約破棄を快く受け入れた。 今後は彼らに目をつけられないよう、田舎に引きこもって地味に暮らすことを決意する。 それなのに、王子の周りに居た人達が次々と私に求婚してきた!? ※カクヨムにも掲載中の作品です。

悪役令嬢が美形すぎるせいで話が進まない

陽炎氷柱
恋愛
「傾国の美女になってしまったんだが」 デブス系悪役令嬢に生まれた私は、とにかく美しい悪の華になろうとがんばった。賢くて美しい令嬢なら、だとえ断罪されてもまだ未来がある。 そう思って、前世の知識を活用してダイエットに励んだのだが。 いつの間にかパトロンが大量発生していた。 ところでヒロインさん、そんなにハンカチを強く嚙んだら歯並びが悪くなりますよ?

完 あの、なんのことでしょうか。

水鳥楓椛
恋愛
 私、シェリル・ラ・マルゴットはとっても胃が弱わく、前世共々ストレスに対する耐性が壊滅的。  よって、三大公爵家唯一の息女でありながら、王太子の婚約者から外されていた。  それなのに………、 「シェリル・ラ・マルゴット!卑しく僕に噛み付く悪女め!!今この瞬間を以て、貴様との婚約を破棄しゅるっ!!」  王立学園の卒業パーティー、赤の他人、否、仕えるべき未来の主君、王太子アルゴノート・フォン・メッテルリヒは壁際で従者と共にお花になっていた私を舞台の中央に無理矢理連れてた挙句、誤り満載の言葉遣いかつ最後の最後で舌を噛むというなんとも残念な婚約破棄を叩きつけてきた。 「あの………、なんのことでしょうか?」  あまりにも素っ頓狂なことを叫ぶ幼馴染に素直にびっくりしながら、私は斜め後ろに控える従者に声をかける。 「私、彼と婚約していたの?」  私の疑問に、従者は首を横に振った。 (うぅー、胃がいたい)  前世から胃が弱い私は、精神年齢3歳の幼馴染を必死に諭す。 (だって私、王妃にはゼッタイになりたくないもの)

処理中です...