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8(中学編)

校舎裏にて

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 掲げられた白いハチマキに、またも、応援席から大きな歓声。
 私も拍手して、となりの千晶ちゃんとハイタッチをした……けど。

「わ」
「うわ、痛そ」

 応援席にざわめきが広がる。
 黒田くんの背中は、すっかり血だらけで。かすり傷だろうと思うけど、相当痛そうだ。

「……黒田くん」

 私は呆然と呟く。

(私がかっこいいとこ見せて、とか言っちゃったから)

 無理をさせたのかもしれない。

(中学生に、あんな、けがを)

 なんだか責任を感じて、ぎゅう、とジャージの胸を掴む。

「設楽ちゃん、行ってあげな」

 クラスの子が脇をつつく。

「あ。え?」
「カッコよかったじゃん、黒田。いってあげなよ、ついでに水で洗うの手伝ってあげたら? 背中だし」
「え、でも」
「設楽ちゃんに来て欲しいと思うなぁ~~」

 楽しげに、微笑まれた。

(? たしかに仲はいいけど……あ)

 かっこいいとこみせて、って言ってたの聞いてたのかな。

(だね。せめて責任は取らねば)

 私は頷いて、応援席を飛び出した。千晶ちゃんが、少しだけ何か言いたそうな顔をしていたけど、……どうしたんだろう。
 しばらく探し回って、私は校舎裏の水道で、黒田くんを発見した。

「おう」
「おうじゃないよー! 背中っ」
「いや、俺見れねーからさ、なんとなくは痛ぇんだけど」

 淡々と、いつもと変わらない黒田くん。

「えー、これ、どうやって洗う? 砂付いてるし」
「まぁほっとくか」
「ダメ! バイキンはいる!」

 黒田くんは仕方なさそうに肩をすくめ、「設楽ちょっと下がってろ」と言って蛇口を上に向ける。そして、思いっきり水道の水を全身で浴びた。

「きゃぁぁあ風邪引くよ!?」

 ハーフパンツもべしょべしょだ。

「乾くだろそのうち」
「乾かないよ、もうあと3年のクラスリレーで閉会式だよ」
「まぁいいよ」

 黒田くんは笑って、水道を止めた。

「すまん、背中、砂取れてるか?」
「あ、うん」

 近づいて傷を確認する。

「見る感じは」

 まだ血が滲んでいて、ひどく痛々しい。

「……ごめんね」
「あ?」

 黒田くんは振り向く。

「私がカッコいいとこ見せて、なんて言ったから、無理した?」
「した」

 そ、即答。

「うう、ごめんなさい」
「設楽が言ってなくても、無理してた」
「……?」
「良いとこ見せてーに決まってんだろ」
「そうなの?」

 私は首をかしげる。

(男の子だもん、カッコつけたいのかな)

「だから、設楽のせいじゃねーよ」

 そう言って私をいつものように撫でようとして、手が濡れていることに気づいてそっと引いた。

「撫でて」
「は?」
「なんとなく」

 いつも通り、じゃないのがなんだか嫌だった。

「……そうかよ」

 少しだけ遠慮気味に、黒田くんはぽん、と頭を撫でてくれた。

(うん、いつも通り)

 安心したところで、私はハタと気がついた。

(はははは裸)

 いやもちろん、上半身だけなんだけど。

(どどどどどどうしよ)

 唐突に羞恥心が襲ってくる。多分、いますごく顔が赤い。

「設楽?」
「ごっごめん、あのねそのね、何でもないんだけどっ」
「何でもないことあるか、顔真っ赤だぞ、熱でもあんのか」
「ないない、ないの、ただね、ほら上半身裸だから」

 私は何を口走っているんだ。大人なのに。

「は? 俺が?」
「……うん、ごめん」

 この際だから謝っておこう。

「なんか、黒田くんの上半身裸、見れなくて、なんか照れちゃって」
「は?」
「や、違くて、見ないようにしてるんだけどっ、ごめんこんな言い方されたらやだよね!? ごめん、……気持ち悪いよね」
「や、別に……、気になんねぇけど」
「そう、なの?」

 私はふと落ち着いた。よく考えたら男子と女子じゃその辺違うのかな。

「気になんねー、つうか、設楽なら、いいっつうか、その、なんだ」

 少ししどろもどろになる黒田くん。

(友達だから?)

 友達なら別に気にならないってこと?

(うーん、私ならどうかな)

 裸、ってわけじゃなくても、例えば薄着でいて、異性の友達ーー黒田くんでも、アキラくんでも、樹くんでも、私は目線を気にするかな?

(あ、しないな)

 気にならない、と思う。というか、気にしてない。多分3人ともその辺の線を引くのが上手なのかもしれないけど、去年私をプールでからかった男子みたいな、不躾な視線を3人からは感じたことがない。
 首をかしげる。

「私の視線は、不躾な視線ではない?」

 単刀直入に聞いてみた。

「ブシツケ?」
「うん、去年プールで」

 それだけで分かったみたいだった。

「違うんじゃねーの」
「違わないとしたら?」
「別にいいよ、設楽なら」
「……心広すぎない?」
「狭ぇよ、俺の心」
「嘘だあ」

 私は笑って、とりあえず赤い顔を落ち着かせるために顔でも洗おう、と水道を捻る。

「あ、バカ」
「え」

 私はやっぱり動転していたんだろう、捻ったのは黒田くんが浴びてた、蛇口が上向きにされてた水道で、それも思いっきり捻っちゃって。

「ひゃぁああ」
「バカか」

 黒田くんが慌てて止めてくれるけど、私もすっかりべしょべしょだ。頭から水をかぶってしまった。

「……あは」
「ほんっとお前って、お前だよな」

 私が笑って、黒田くんも楽しそうに笑う。
 それからため息をつくように「保健室行くか」と言った。

「タオルくらいあんだろ。風邪引くぞ」

 自分だけだったら自然乾燥させる気だったくせに、私はだめらしい。
 近くの渡り廊下から、直接校舎にはいる。靴はそんなに濡れていなかった。

「誰もいないねー……」
「勝手に借りるか」

 誰もいない保健室。よく考えたら当たり前で、先生は救護テントだし、皆もそっちに行く。
 黒田くんは勝手に棚を開けてバスタオルを見つけ、私の頭からバサリとかけた。自分のぶんも取って身体を拭いている。

「乾くまでそうしてろ」
「うん……あ」

 私は黒田くんに消毒液を示す。

「消毒だけでもしとく?」
「……頼めるか」
「うん」

 黒いベンチに座ってもらって、改めて背中を見る。痛そう。

「かすり傷だろ」
「擦過傷だよ」
「痛そうな言い方に言い換えるのやめろ」

 なんか痛く感じるじゃねーか、と笑う黒田くんの背中に、脱脂綿に含ませた消毒液をぽんぽん、とつけていく。滲んだ血も脱脂綿に着く。

「うわぁ沁みる? しみるよね痛いよね」
「決めつけんな、そこまで痛くねーよ」
「あ、肘とかも消毒しとこ」

 脱脂綿を変えつつ、とにかく傷という傷に消毒液をぽんぽんしまくった。

(うん、とりあえず良いのではないでしょうか)

 私は頷いて、黒田くんに「終わったよ」と笑いかける。

「サンキュ」
「戻ろっか」
「んー」

 黒田くんは立ち上がり、私のバスタオルをもう一度しっかり肩から掛け直した。

「?」

 保健室から出ながら、首を傾げる。

「俺の心狭ぇって言ってるだろ」
「広いと思うけど」
「狭ぇよ、こんなお前他のやつにぜってー見せたくねぇ」
「こんな?」

 言われて、ふと廊下の鏡に映る自分に目をやる。
 髪の毛はボサボサだし、ジャージは濡れてしっとりと肌に張り付いている。肩からバスタオルかけてるから、体の線は隠れてるけど。

(うわぁ)

 雨に濡れた、毛並みの悪い子猫みたいだ……。

「あは、みっともないよねぇ」
「違ぇよバカ」

 黒田くんは片手で、頬をぎゅうと掴んだ。ひょっとこ顔になって、余計変な感じだ。

「ひゃ、ひゃめてよう」
「ふは、変な顔」
「もう!」

 黒田くんが楽しそうにするので、わたしも笑って彼を見上げる。

「……ん?」

 黒田くんはその手を頬に移動させて、切なそうな顔をした。

「どうしたの?」
「……、怪我、させるとこだった」

(まだ気にしてたのー!?)

 ぜんっぜん気にしなくていいのに……!

「大丈夫だよ、結果的に元気だし」
「わかってる、でも、」

 黒田くんは眉根を寄せた。

「ケガさせそうになった張本人が言っていいことじゃねーとは分かってるけど、でも」
「?」
「俺が守りたかった」

(私とひよりちゃん?)

 そ、そこまで責任感じなくても、と言いかけた私の言葉にかぶせるように、黒田くんは続けた。

「あのな、設楽、俺」

 苦しいような表情。
 私は思わず息を止めてーー。

 ガタン、と背後で音がした。
 振り向くと、そこには保健の小西先生。先生も、小学校から謎の持ち上がりで中学校も同じになった先生だ。優しくて綺麗で、私は好き。

「あ、小西先生」
「違うの邪魔しようとしたわけじゃないの、ちょっと保健室に脱脂綿取りに来てて、2人みかけて興奮のあまり消火器にぶつかっちゃったの」
「興奮……?」

 なんだろう。

「あ、てか、先生、黒田くん診てあげてください。一応消毒はしたんだけど」
「うう、ハイハイ、わたしの馬鹿。うん、診ます」
「お願いします。じゃ、私戻るね」
「設楽さん、着替えあるけど?」
「だいじょぶそうです、あ、タオル借りてます」
「それはいいけど」

 先生は少し心配そう。

「風邪引くわよ、着替えなさい」
「借りとけよ」
「あなたもね、黒田くん」

 先生は呆れたように突っ込んだ。
 私は少し首を傾げてから、頷く。たしかにちょっと寒いしね。
 3人で保健室に戻り、私たちはそれぞれベッドのカーテンをしめて、服を着替える。黒田くんはハーフパンツだけだけど。
 カーテンの向こう側から、もう着替え終わった黒田くんと、小西先生の会話が聞こえた。

「擦過傷ね」
「痛い言い方に変えるの、流行ってるんすか」

 私はふふ、と少し笑う。擦過傷って痛い感じがするよね。
 しゃあっ、とカーテンを開けて「先生、ありがとうございました」とお礼を言う。ビニール袋に、濡れたジャージを入れさせてもらった。

「あら。ちょっと大きかったわね?」
「あ、大丈夫です」

 お借りしたジャージは大きめので、袖がかなり余る。黒田くんは変な顔をしていた。似合わないかな。
 そんなことを考えていると、先生は「黒田くんごめんなさい、これ運ぶの手伝ってくれる?」と言った。

「この辺の消毒セット、救護テントまで」
「いいッスよ」
「設楽さんは戻ってて大丈夫よ」
「はぁい」

 もう一度お礼を言って保健室を出て、ぱたぱたと廊下を走って戻る。
 さっき黒田くんと話した鏡の前を通り過ぎようとして、黒田くんのあの表情を思い出してしまう。

(どうしよ、多分顔、赤い)

 だって黒田くんがあんな顔するんだもん。なんだったんだろ。多分、心配してくれてのことだけど……だよね?

(あー、ダメダメだ、私、大人なのに!)

 ぱちん、と両頬を叩いて気合を入れ直す。
 だいたい、それどころじゃないのだ。ひよりちゃんは真さんに恋しちゃってるし、もうすぐ"いじめ"もあるかもだし。

(ゲームの運命なんか、全力回避だっ)

 私は改めてそう気合をいれ、グラウンドへ向けて走るのだった。
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