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悪役令嬢は空手少年を追跡する

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 都内の大きい公園に併設されてる、大きい体育館。
 そこで、黒田くんの空手(の中でも組手っていうらしい)の試合があった。
 結果はベスト4。準決勝敗退。

(十分すごい、と思うけど)

 私は体育館を出てすぐの自販機、その横のベンチでぼけっと空を見ながら考えていた。蝉がうるさく鳴いている。じわじわじわじわ。やたらと頭に響く。

(すごい、けど)

 あの、悔しそうな顔を見てしまったら。

(……なんて声かけよう)

 そもそも、こっそり1人で応援に来ちゃったし、今更会いに行くのも気まずい。

(こっそり帰る?)

 うーん、と迷っていると、体育館から誰か出てきたのが横目で見えた。

(あ)

 白い道着姿の黒田くん。
 頭にタオルをかぶって、なんとなく猫背でぶらぶら歩いている。

「黒田くん」

 気づいたら、声をかけてしまっていた。

「…….設楽?」

 黒田くんはひとこと私を呼ぶと、頭のタオルをひっつかみ、全力で明後日の方向に走り出してしまった。体育館の裏側方面。

「え、あ、なんで逃げるのっ」
「知るか、なんでいんだよ」

 走りながら叫ぶ私たち。

「応援にきてて、あ」

 ちょうど裏手の、人通りがないスペースで、私は何かにつまづいた。
 こける、と覚悟して目を瞑ったが、地面にぶつかる衝撃はなくて、誰かに抱えられてる感覚。

「黒田くん」
「前々から言おうと思ってたんだけどよ、なんで何もないとこでこけるんだ」
「捕まえた!」

 これ幸いと、黒田くんにしがみつくように捕獲する。

「ちょ、離せ」
「やだ! なんで逃げるの」
「そりゃ、お前」

 黒田くんは、ふっと力を抜いた。

「かっこわりーだろが」
「そんなことない!」
「あるよ。あんだけ啖呵切っといて」
「タンカ?」
「……優勝したら、話したいことあるって」
「そんなのいつでもいいよ、待つよ」
「待ってくれんのか」
「いつまでも待つってば、だから」
「……なんで泣くんだよ」

 黒田くんは私の涙をそっと指でぬぐう。

「だって、黒田くん、あんなに悔しそうなのに、泣いてないから、なんか」

 なんか、切なくなっちゃったのだ。

(なんでだろー)

 前世でやってた部活の負けた時の感情とか、あんなに練習してたのに、とか、黒田くんの悔しそうな顔が思い返されて、とか、とにかく色んな感情だ。

「ごめんね、勝手に応援来た挙句になんかめんどくさいやつで、ごめんね、うう」
「……や。応援サンキュ」

 黒田くんはタオルを私の顔に押し付けた。

「あんま使ってねぇやつだから、くさくねーと思う」
「大丈夫。私黒田くんのにおい好き」

 うう、と泣きながら言う。

「……お前、ほんとそういうの俺以外に言うなよ」
「なんで?」
「なんででも」
「うう……わかった」
「……つか、ヤバイぞ顔」
「ぐすっ、あ、鼻水ついちゃったごめん」
「きたねーなオイ」

 爆笑する黒田くん。

「洗って返すね」

 笑っている黒田くんを見ていると、ちょっと涙も落ち着いてきた。

「や、いーよ。やる」
「え、ほんとごめん」

 鼻水タオルなんか洗ってもいらないですか……!?

「その代わり、」
「なぁに?」
「……すまん」

 そう言って、黒田くんは私を抱きしめた。肩口に顔を埋めて、静かに震える。

(泣くの、我慢してたんだ)

 ほんの少しだけ、荒い呼吸。

(こんなに静かに泣く人、初めてかも)

 ぎゅうぎゅうと私を抱きしめ静かに泣いている黒田くんの背中に、そっと手を当ててぽんぽん、と優しく撫でた。

「いっぱい泣くといーよ」

 見当はずれなのかもしれないけど、それしか言えなかった。
 黒田くんは一瞬ピクリとしたあと、抱きしめる腕に力を入れて、少しだけ大きく息を吐いて、吸って、それからまた静かに、本当に静かに泣くのだった。

(男の子って大変だね)

 ちょっとだけそう思いながら、私は背中を撫で続けた。黒田くんが泣き止むまで。

 しばらくして泣き止んだ黒田くんは、少し目元が赤いものの、普段通りの黒田くんだった。

「服、ごめんな」
「いいよ、すぐ乾く」
「乾くかぁ……? すまん。タオルあったのに」

 黒田くんは眉をひそめた。

(うん、たしかに肩、結構しっとり)

 あんなに静かなのに、たくさん泣いてたんだなぁ。

「とりあえずタオル肩にかけて冷えないようにしとけ。あと待ってろ、送る」
「え、いいよ、疲れてるでしょ」
「親来てるから。車だし、乗ってけ。同じ方面なんだから」
「あ、そうなの?」

 じゃあお言葉に甘えちゃおうかなぁ、と頷く。

「さっきのベンチのとこにいる」
「暑くないか?」
「日陰だしだいじょーぶ」
「暑かったら中入っとけよ」

 入り口で別れ、私はベンチに座りなおす。言われた通り肩にタオルをかけて、またのんびり空を眺めた。

「あら」

 しばらくそうやっていると、女の人に声をかけられた。

「前ウチに来てくれた子ね?」

 なぜか満面の笑みなその人は、確か黒田くんのお母さん。お父さんらしき強面のおじさんも横にいる。

「あ、はい。ご無沙汰してます、設楽です」

 立ち上がり、ぺこりと頭を下げる。

「うふふご丁寧に。タケルの応援に来てくれたの?」
「あ、はい」
「ごめんね、折角来てくれたのに、負けちゃって」
「そんなことないです」

 私はふるふると首を振った。

「すっごいカッコ良かったです」
「あら! そー!? まぁ! うふふふふ」

 お母さんはものすごく嬉しそう。

(我が子を褒められたら嬉しいもんなんだろうなぁ)

 ちょっと微笑ましい気分でそれを見ていると「じゃあ、送るから乗って行きなさいよ」と黒田くんと同じ提案をしてくれた。

「あ、はい、お願いしてもいいでしょうか、くろ…….じゃない、健くんにもそう言ってもらってて」
「あらそうなの? あ、ごめんなさいあたしコーチにご挨拶してくる! ここでまってて」

 そう言って、急ぎ足でお母さんは体育館に入っていってしまった。
 黒田くんのお父さんと、2人きりで取り残される。
 お父さんは軽く私に目礼した後、無言で自販機の前に立った。そしてぶっきらぼうに言う。

「好きな飲み物は」
「は!?」
「甘い方がいいのかな」
「えと」

 これは買ってくれる、ということだろう。

(いいのかなぁ)

 しかし、変に遠慮するのもなぁ、と思い返し「り、緑茶で……」と答えた。
 お父さんは黙って頷くと、緑茶のペットボトルを買ってくれた。

「ありがとうございます」

 お礼を言うと、お父さんはまた無言で頷いた。
 自分でもブラックコーヒーを買い、「座りなさい」とベンチを勧めてくれた。大人しく座る。

「てか、ほんと、いきなりすみません、送ってもらうことになっちゃって。ありがとうございます」
「いや、こちらこそ応援ありがとう。健も喜んだでしょう」
「そうでしょうか」

 泣かせちゃた気もする。うう。

「喜ぶに決まってます、だって健は君のこと」
「クソ親父!!!」

 黒田くんだった。
 上半身裸の。

「こら健、服くらい着なさい、夏とはいえ風邪をひく」
「そうじゃねー、なんで設楽といんだよ」
「いて悪いのか」
「悪かねぇけど、テメー何言おうとしてやがった」
「お前はな、いつだって感情がバレバレなんだ」
「うるせえ」
「全く」

 お父さんはやれやれ、といった仕草で私を見る。

「聞きましたか、まったく。反抗期は言葉遣いが荒くなる」
「はぁ、あはは」

 私はそう答えながら目のやり場に困っていた。

(プールでも見たことあるのに)

 黒田くんの上半身裸なんか。なのに。

(なんか下が道着なのが、なんか、なんか!)

 ちょっと赤くなって目線をウロウロさせているが、黒田くんはそれに気づいているのかいないのか、とにかくお父さんに「余計なこと言うなよ!」と一生懸命に釘を刺していた。

(黒田くんて、親の前だとこんな感じなんだ)

 普段、割と淡々ととしてるので、こんなに慌てたりしてるの見るの、初めてかもしれない。

(今日は初めて尽くしだな)

 なんだかそれが、とても嬉しく思う。
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