二つの世界の冒険譚

アラビアータ

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第二章

第二十一話

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 謎の佳人に導かれて、クラウス達は大船の中央、艦橋の役割を果たす望楼に入って一室に通された。部屋の中には火鉢が幾つかあり、燈火が淡く仄かな火光を放っている。それに照らされる佳人の白皙の半顔は明滅して、蠱惑な印象を抱かせる。
 白琅玕を浮き彫りにしたようなその顔に、薄い紅唇が目立ち、蘭花に似たる眦と眸は、まさしく成熟した佳人のそれである。しかし今こうして、頼りない火光に明滅している彼女の姿は深い憂愁と煩悶を、外で見た時にも増して惜しげも無く放っている。
 室内は誰言う事なく静まりかえっていた。クラウス達の方は、不意に現れた天女のような佳人を訝しみ、疑り深いセルジュなどはもう柄に手を掛けている。佳人の方は、自分から彼らを招いておきながら床几に座って沈思している。

 やがて沈黙に耐えられなくなったクラウスが、恟々としながらも震え声で、

「あ、あなたは誰ですか? 一体俺達に何を。それに誰から俺達が来るって」
「…申し訳ありません。少し昔を思い出していました。私はチェンシーと申します。この船に囚われている者です」

 こう前置きして、チェンシーは涙すら浮かべ、言葉静かに息薫しく、沁々しみじみと語り出した。

 ――三百年前、チェンシーは、シュピーゲルラント中を巡る廻船問屋であった。彼女はこの世界でも指折りの大商人であり、ワオロンは護衛として彼女と共に商船団を率いて、各地の交易を担っていた。
 道中で襲い掛かって来る海賊共を退けている内に、ワオロンは今のように凄まじい膂力を得、大薙刀を軽々と扱うようになった。
 しかし実際の彼は、怒りの表情は一切見せない、優しく気配りの利く人で、チェンシーはいつしか彼に惹かれていた。奥手で、中々煮え切らない彼を焦れったく思ったチェンシーの方から好意を打ち明け、その後殆ど彼女の主導で結婚まで漕ぎ着けた。

 結婚してから数年後、チェンシーは身籠もり、一子を出産した。息子の世話があるので、ワオロンは彼女を屋敷に置いて代理で航海に出掛けていた。
 しかしそれがまずかった。数ヶ月後、彼が帰ると、拠点にしていた街は山のような大紅蓮に燃えていた。何があったのか解らず、猛炎の津波と濛々たる黒煙の中を疾駆し、屋敷に駆けつけると、朱塗りの人形のようになって倒れているチェンシーを見つけた。
 ワオロンは猛虎のような勢いで妻に駆け寄り、抱き起こして曰く、

「おい、おいっ。しっかりしろっ。何があったっ」
「あ…あなた。へ、変な男達が…」

 チェンシーが言う事には、謎の黒装束共が五十人ばかりで街を襲撃し、建物を打ち壊し、男は皆殺し、女子供は手に穴を開けられ連行されたという。
 チェンシーは、五歳の息子を守る為、懐剣を振るったが、それが襲撃者の気に障ったらしい。彼女は忽ち拘束され、五人の男に玩弄された挙句、雨と煌めく刃に突き刺され、息子は拉致されてしまった。
 
 ワオロンは聞き終わるが早いか、歯噛みして妻を守れなかった自分自身を恨み、また妻への申し訳なさに煩悶した。その顔は激しい悔恨に歪みきっている。
 チェンシーは良人の顔に手を当てて、

「あなた…あなたに会えて良かった…。ごめんね、私は一緒にはいられない…でも、あの子だけは、あたし達の息子だけは…」
「もう喋るな、瘡に…おい、おいっ」

 ワオロンは腕に抱えていたチェンシーの身体を揺さぶったが、それは既に物言わぬ骸となっていた。改めて見る彼女の身体は、風が吹けば飛びそうな程、小さく頼りない。この身体でよくも過酷な航海をして生業を切り盛りし、遙かに巨躯である良人を導き、息子を産み育てていたものだ。外面では頼りなくもあればこそ、その内面は鉄のように固い家族への愛で溢れていたのだ。
 ワオロンは、チェンシーの白玉のようなかんばせを撫で、瞼を閉じてやった。白芙蓉のようにあでやかな姿はもう微笑まない、口を利かない。
 ワオロンは妻の死骸を抱えたまま、茫然としていた。やがて車軸を流すが如き大雨が降り始め、周囲で猛威を振るっていた炎の海は須臾にして立ち消えた。焼け残った建物の端々から蛇のような黒煙が細々と天に向かって昇っている。

 ワオロンは慟哭し、降りしきる豪雨にも負けぬ程の涙を流し、長い時間蹲っていた。やがて雨が止んだ時、もう空は夕霞に満ち、薄い茜色が天を染めていた。カァカァという鴉の声が蕭々と響き、焦土と化した街は黒い土と黒い瓦礫が山となっている。
 ワオロンは涙も涸れたのか、暫くチェンシーの亡骸を抱えて抜け殻のようになっていたが、三日後、急に立ち上がった。逆光となったその姿は、不動明王のようである。
 怒髪天を衝き、阿修羅や夜叉も怖気を震うに違いない赫怒瞋恚の表情を満顔に浮かべ、天の一角を睨んだ。彼は天地を揺るがす絶叫と共に大薙刀を振るって周囲の木々を薙ぎ、焼け残った家々を蹴倒し、柴や枝を重ねて焚き火とし、チェンシーを荼毘に付した。

 それ以来ワオロンは笑わなくなった。常に厳しい面で声も楽しまず、妻の仇を討ち、息子を取り戻す事のみに終生を捧げる復讐鬼と化した。彼は、様々な伝手を当たり、商業で得た人脈と金を惜しげも無く使い、数年間の旅の末、一つの真実に辿り着いた。

「シュピーゲルラントを治める帝国が、災いの預言を受け、それを鎮める為の神殿と生贄を得る為にワオロン達が暮らしていた街を襲った」

 それを知った彼は、この上なく帝国、否、世界そのものを憎んだ。自分達下々の人間を犠牲にしてまで保たれる世界など必要では無い。そう強く強く思った。
 ワオロンは燃え盛る瞋恚を漲らせ、甲盔よろいかぶとを重ね、たった一人で帝城に討ち入りを敢行した。兵士達は不意に現れた巨漢に周章狼狽、逃げ惑うか肉片になるのみであった。鏡のような双眸、逞しい赭顔、顔を覆う虎髥、これらが全て怒りに打ち震えている。

 横薙ぎに払う一文字、忽ち二人を真っ二つ。唸る薙刀龍の軌跡、見る間に見る間に血の泉、袈裟斬り輪斬りに回転斬り! 修羅に転がる死骸の山、後に残るは血と臓物。
 わっと言う間に薙刀閃々、ワオロンは返り血浴びて鬼のよう、寄ったる者に真っ向満月、追い袈裟斬り上げ腰車、新手新手も関係無く、寄れば残さず斬り捨てる。血眼爛々、朱泥のおもて、ずしんずしんと鳴る地響き、甲盔よろいかぶとは血にまみれる。
 いつしか彼は中央部、龍座の間に至っていた。ワオロンは燃える眦をと裂き、虐殺の命を出した皇帝を睨んだ。

「皇帝! 貴様…よくも私の家族も財産も住処も奪ってくれたなっ。今こそ仇を討つ時、貴様も誇りがあるのなら剣を取れっ」
「…朕はお前達など眼中にない。そもそもお前達が死んで、億万の臣民が助かるのなら悦んでもらいたいくらいだ。おい、連れて来いっ」

 御意、という声と共に少年が一人引っ立てられてきた。ワオロンは彼の顔を見、双眸を皿のようにして驚いた。何ぞ測らん、背が伸びてはいるが、少年は彼の息子、忘れもせぬ脳裏に焼き付いた一子なのであった。
 皇帝は下卑たる嘲笑を隠すこと無く満顔に出して、

「親子感動の対面だぞ。ほら、朕に感謝しろ」
「…父さん? 父さんっ」
「オオ、お前は…皇帝、その子を」

 放せ、と言い掛けたワオロンに向かって、吹雪のような白刃閃々、十方からの刃の雨、ワオロンの巨躯目掛けて一斉に刀が突き刺された。さっと舞い散る鮮麗の血潮、刺した兵共は返り血に染まった。
 くわっ、とワオロンは最後の膂力を振り絞り、薙刀を回して雷霆の輪! 周りにいた兵士達は細切れの肉片のようになってぶち撒かれた。しかし一歩二歩、蹌踉と彼は歩んだ後、視界が暗くなったり赤くなったりしたのを感じた彼は、そのままと倒れた。
 父さん、と少年が縄尻を取っている者を押し飛ばして駆け寄ろうとした――が、兵士が彼の背中を袈裟斬りにし、彼はきざはしを転がり落ちた。なおも父に向かって這う少年、息子に向かって手を伸ばすワオロン。しかし、二人は後ろからぐさっと止刀とどめを首に刺され、その手が触れ合う事は無かった。

「穢らわしい。そのゴミを不浄穴に捨てろ」

 そう皇帝は下知して、ぷいと奥に引っ込んだ。ワオロンは首を斬られて見せしめに梟首され、少年は城外の不浄穴に捨てられた。鬼哭啾々、寒々とした秋風が流れ、蘆狄が蕭々と音を立てていた。

 ――涙ながらに語り終わったチェンシーは、心苦しくなったのか、少し息を詰まらせた。クラウス達は何も言えなかった。先程までは恐ろしい敵くらいの認識でしかなかったワオロンの悲惨極まる過去を聞かされ、何を言って良いのか解らなくなってしまったのである。
 ランレイは貰い泣きを禁じ得ず、セルジュに縋り付くようにして肩を震わせている。チェンシーは深い息に胸を上下させると、なおも語りを続ける。

「確かにそこで良人は死んだ筈です…なのに、十数年前に急に彼が生き返ったのです。何故かは解りません。そして彼は今、スイランという魔女と共に二つの世界を衝突させようとしています」
「…どうしてそこまで知っていて、俺達が来るって事も解っていたんですか? 」
「リー・フェイロンと名乗る方がやって来たのです。この船を一時的に動かしたのもその方です。私はただこの船に縛り付けられているだけで、動かせるわけではありませんから」

 フェイロン、その名前を聞いたクラウス達は思わず互いの顔を見た。一体あの男は何者なのか、そう口に出さなくとも一行には共通した思いがあったであろう。
 いよいよ以て恐れすら出て来たクラウス達を励ますように、四精霊が、

「ようし、この船、僕らが動かしてあげるよ。この船の動力くらい僕とクオマでどうにか出来るよ」
「だな、俺っちがぁ船首にある主砲をちょいちょいっといじくってぇ、超強ぇ精霊砲を用意してやらぁ」
「では、私は船全体の強化をしましょう。流石に数百年も経っていては彼方此方ガタがきていますからね」

 四精霊は一斉にクラウスの胸当たりから光の粒となって出、船の其処彼処に散らばった。クラウスは止める間も無く、精霊達が勝手に船を乗っ取り始めたので、チェンシーを見たが、彼女は澄ましたもの、微笑みを浮かべ、

「良いのです。私はこの船を動かせませんので、喜んで差し上げます。しかし、一つお願いがあります。良人を…ワオロンを止めて下さい。もうあの人には無理をして欲しくない…」
「…解りました。きっとスイランを斃して、ワオロンも止めてみせます」
「有難うクラウスさん。今度、彼に会ったらこれを渡してください」

 チェンシーはクラウスに首飾りを手渡した。飾りの部分が開くようになっており、中には一人の童子が描かれている。セルジュは脇からそれを見て、何か思ったらしく、少し眉を動かした。
 しかしクラウスがすぐに蓋を閉じてしまったので、(何処かで見たと思ったが…考え過ぎか)と思い直し、ランレイに手を引かれながら甲板に向かっていった。チェンシーは、お願いしますよ、とだけ言ってそのまま霞のように消え去った。
 ガタッと揺れが生じ、船が動き出したらしい。クラウスは首飾りを懐にしまい、ソフィアに、行こうぜ、と言ったが、彼女は何処か悲しそう。

 自分は何という半端者なのであろう。果たして日頃、他人の為に動いている自分は、ワオロンのように自分以外の人間の為に死ねる、と自信を持って言えるのであろうか。やはり自分はセルジュの言うように、自分の過去、罪から逃れようとしているだけではないのか。
 どうしてワオロンは彼以外の人間、妻と息子の為に命を捨てたのだろう。(いくらなんでも、命まで賭けるなんて…)どう頭を捻っても理解が出来ず、そんな自分の半端振りに苦悩する。他人を助けたい、だが命を捨てる覚悟があるか、と言われると頷けない。
 それが頭の中で逡巡し、彼女を懊悩煩悶の沼に落としているのだ。

 何度かクラウスに呼び掛けられ、ソフィアはようやくと顔を上げた。 クラウスは、心配そうに彼女を覗き込んでいる。
 ソフィアは慌てて破顔し、大丈夫、と言って甲板に向かっていった。クラウスはその危うげな背中を見送っていた。

 大楼船は既に風の精霊クオマの力によって、帆に風をいっぱいに孕み、水の精霊シャオミンの力で船の周辺の水流が操作され、舳先は動き出している。船全体に地の精霊ホウトゥーの光が舞い、やがて船は入り江の口ではない、屹立とした岩壁の前まで至った。
 よっしゃ、という短い気合い、同時に船首にある龍頭の主砲が轟音を上げ、凄まじい大落雷の如き光線を放って岩壁を木っ端微塵にした。目指すは霊峰テーロン山、クラウス達を乗せた大楼船は、流氷をガガガッと砕きながら水面を滑っていった。
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