二つの世界の冒険譚

アラビアータ

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第一章

第十一話

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 ガイアール大陸を出港して半月、クラウス達はヴォルカ大陸を彼方に臨んでいた。海上からでも解る程の不毛の地は、焦げ茶色の火山を盛り上げ、白雲に囲まれた山頂から真っ黒な煙を濛々と吐いている。植物が殆ど生えておらず、絵の具を垂らしたように点々と緑が見えるのみである。
 初夏を過ぎたヴァークリヒラントの太陽は煌々と輝き、大海原は燦然と螺鈿の光を放つ。外で陽光に当たっていると汗が滲み、船室にいると湿気で気持ちまで湿っぽくなる。そんな夏の日々が最近続いているのだ。
 クラウスは船縁に凭れ掛かり、腕を枕にして暇を持て余している。彼は元々季節に関係無く、村にやって来る獣を斃して生活していたので、この夏の暑さも応えないらしい。むしろ船の上ならば歩かなくて良い、と鼻唄など奏でて気楽な様子である。
 
 ソフィアは船の上でも鍛錬を怠らず、空き樽を相手に八角棒を振るい、発止と音がする度に樽が粉々になる。溌剌とした声が水夫達の耳に入り、不思議と彼らも心を励まされる。過酷な船の中でも士気は落ちない。
 タリエは本から眼を離さず、暇さえあればランレイに何か尋ね、調べ物に明け暮れている。彼が持っている本は歴史書と百科事典が合わさった物なのだが、真偽不明の噂まで収録されているので、学者の間では懐疑的な見解が主流派である。
 しかしタリエは、先のタイクーロン要塞のような神話時代の兵器に興味があるらしく、ランレイと会話している間に、彼女の出自を知り、益々質問は勢いを増しているのだ。

 さて、ランレイは他の三人とは違い、うだるような暑さにすっかり当てられてしまったらしく、顔を真っ赤にしながら僅かな日陰に座り込んでいる。ランレイ曰く、シュピーゲルラントは、記憶にある限り年中寒冷な気候であるらしい。慣れない気候に彼女は完全に沈黙して、普段の饒舌は鳴りを潜めてしまっている。
 クラウスは蹲る彼女の隣に行き、水を与えて、

「大丈夫か? 最近ずっと具合が悪そうだな」
「クラウス、暑いよ…。お空の火、隠れないか? ランレイが世界、いつも曇りだから、苦しーよ」
「そればっかりはな…おい、顔色悪いぞ。ほら、肩貸してやるから船倉にでも行こうぜ」
「クラウス、優しーな。ありがとな」
「良いんだよ。昔から、怪我したり動けなくなったりした誰かさんを世話してたからな」
「あはは。二人とも仲良し。おさななじみ、羨ましい。ランレイもなって良いか? 」

 等と会話しながらクラウスはランレイを連れて、船内に向かって歩いていったが、タリエは常人とはかけ離れた形相でランレイを見送っていた。

 翌日、連絡船は鉱山都市マインスに到着した。この街はよくある都市とは異なり、鉱山で働く奴隷《シュードラ》や罪人達の為に作られた飯場の集まりといった方が正しく、火山灰と鉱山から舞う粉塵で空まで曇っているように見える。
 クラウスは咳き込みながら顔を顰めた。其処彼処に生きているのか死んでいるのか解らない者達が転がり、水はけが悪いのか、水溜まりが点在している。悪臭と焦げた臭いが漂い、不衛生極まる街である。
 ソフィアとランレイは寝転がっている人間に声を掛けるが、返答がないので、二、三度呼び掛けていると、近くを通り掛かった男が、

「そいつはもう死んでるよ。鉱山の瘴気を吸い過ぎたんだろうな」
「えぇっ。ど、どうして転がしたままなんですか? ラ、ランレイ離れなさい」
「だって、一々運んでいたらキリが無いからな。何日かに一回、罪人で担当の連中が回収しにきて、ゴミと一緒に街の外に捨てられるんだ」

 ソフィアは余りの惨状に絶句した。今まで一行が訪れてきた街は、平民ヴァイシャ以上の階級の者も住んでいたので、一応見た目は清潔にされていたのだが、このマインスでは、王国から派遣された代官とその部下達以外は須く奴隷シュードラ身分以下の者達なので、衛生には見向きもされず疫病が蔓延し、労働者は死ねば街の外に捨てられ、鳥や獣の餌となるのだ。
 タリエは眉を顰め、クラウス達の背中を押すようにして道を急いだ。どんよりとした空気、息が詰まるような雰囲気が街中を覆っているようであり、クラウスは、視界まで眩む気持ちであった。

 街の奥にある鉱山の入り口に至ったクラウス達は、そこで衛兵達が出入りする労働者を確認しているのを見た。タリエが番兵に尋ねると、代官の命令により許可の無い者の立ち入りは禁じられていると彼は突慳貪に言われた。
 タリエは、代官の所へ行きましょう、と言い、一行は代官所に向かった。

 代官所は街外れにあり、王都やメルアドール等の街に比べれば、至って粗末な造りであるが、労働者達が蝟集している収容所のような飯場を見た後では、豪奢にすら見える。
 クラウス達が代官所の門に差し掛かると、当然門番が交戟して彼らを止める。クラウスは、

「すみません。俺達、代官様に会って、お願いしたいことがあるので、通してくれませんか? 」
「何故だっ。知らずや、王国から三人の賊を捕らえよ、と勅令が下っておるのだ。悪いが素性も知れぬ浮浪者共を入れるわけにはいかん」
「そこを何とか…」

 するとそこへ、タリエが割って入り、門番に何やら耳打ちをした。門番は顔色を変えて、失礼しました、と一行を通した。タリエは笑顔で振り返り、良かったですね、と言ったが、クラウス達はいよいよ以て彼の正体を測りかねているのであった。
 代官はクラウス達にまみえると、用件を聞き、申し訳なさそうな顔で、

「残念だが、数ヶ月前に王の四星が一人、エルガー・ヒューゲル様がいらしてな。今掘っている坑道とは別の場所を掘るようにと命令なさった後、部外者を通すなと仰ったのだ。申し訳ないが通すわけにはいかん」
「何とかなりませんか? あたし達、ヤタノ、いえ火の精霊様にお詣りしたいんです」
「そう言われても、王の四星は軍中でも格別の地位にあるので、騎士団長様でも彼らに命令は出来ないのだ。国王直属だからな」

 取り付く島もなく、クラウス達は代官所を後にした。ランレイは不思議な顔で、駄目だったか、と尋ねたが、三人の難しい顔で察した様子。クラウスに縋ったりソフィアの手を掴んだりして、涙目で何か言っている。
 その狼狽振りを見て、タリエは、

「どうしてそこまで慌てているのですか。仮に世界の危機が本当だとしても、一般人に過ぎない君がどうして」
「だって…だって…ランレイは…」
「ランレイ、大丈夫だから、ね? タリエさん、どうにかなりませんか? クラウスも何か考えてよ」
「あることにはありますが…」

 と、タリエは一計を案じた。その夜、坑道の周りだけが明々と篝火に照るマインスを四つの影が蒼惶と駆けていった。
 クラウス達はマインスから少し離れた場所、一草一木もない岩地の中に古びた洞穴を見つけた。タリエは、あれです、と指を差した。彼は数百年前に使われていた旧坑道を知っており、そこから鉱山に忍び込むことを思いついたのである。
 旧坑道は所々崩れ、獣の声が晦冥の向こう側から聞こえる。蜘蛛の巣が見え、やけに埃っぽい。

 クラウスは案の定、真っ暗な坑道に顔面を蒼くし、殿しんがりで松明を持ち、タリエを先頭に一行は歩みを進めた。
 バタバタと蝙蝠が羽音を立て、鼠が高い鳴き声を上げる。水を打ったようにひっそりとした坑道では、一つ一つの音が長い尾を引く。松明の音、クラウス達の息づかいすらも壁に反響して暗闇の向こうへと響く。
 ソフィアは袖に縋り付いて震えるランレイを優しく励ましながら、進んでいく。この中では彼女が最も恐れ知らずなのかもしれない、タリエは興味深そうに彼女を見ていた。

 どのくらい歩いたのであろうか、歩き疲れたクラウス達は、ひとまず休息を取ることにした。クラウスとソフィアは歩き疲れたらしく、程なくして寝息を立て始めた。
 ランレイも眠ろうとしたのだが、また悪夢を見てうなされ、膝を抱えて焚き火を見つめていた。タリエは彼女に、

「ランレイさん、君はどうして、いつもうなされているのですか? 会ってからそこまで経っていませんが、君が良く眠っている所を見た事がありません」
「…ランレイには、何もないよ…。大丈夫だよ…」
「大丈夫なのでしたら、毎夜毎夜、辞めてだとか許してだとか言わないと思いますが…。それに君は、おかーさん、と」
「煩いよっ。話しかけないで欲しいよっ」
 
 ランレイはと顔を背け、そのまま寝転がってしまった。どうもこの少女には、まだまだ隠している秘密があるらしい、無闇に他人を探るのは、けだし無粋と言えようが、この怒り方は異常である。
 タリエは何も言わず、静かに泣くランレイの背中を見ていた。その双眸の内では何を考えているのであろうか、それは彼にしか解らないものである。

 翌朝、といっても陽が差さないので正確な時間は解らないが、クラウス達はまた坑道を歩いていった。進むにつれ坑道の中は蒸されるような暑さになっていく、火山に近付いているのだろうが、形状的に通気が悪く窯のようである。
 汗もに、クラウス達は熱い息を吐いて、息の喘ぎは凄まじく、多難な行軍を続けた。ソフィアは自分の水筒をランレイに渡し、飽くまで彼女を自分よりも優先している様子。
 暑いと喚くクラウスの声は坑道に空しく響き、ランレイは対照的に俯いて脚だけ動かしている。ふらふらと見ているだけで危なっかしい、クラウスは見ていられないのか、彼女を背負い、一行は炎暑に渇しながら歩いていった。

 暫くの間、黙然と歩いていたクラウス達の眼に、豁然、眩い白光が差し込んできた。彼方に出口の光が見える。ソフィアは跳び上がるようにして喜び、仲間の背を押すようにしながら駆けて行った。
 外に出ると、朝の太陽が燦と輝き、坑道の側にある泉は水気凜々とし、ようやく一行は喉を潤して人心地ついた。周りには人は無く、此処は現坑道からは反対側にあるらしい。仰げば、火山は大岩のように屹立とし、濛々と黒煙ばかり立っている。
 しばしの休息の後、クラウス達は隘路を通って火山を登り始めた。三合目辺りまで登って下を見ると、蟻のように労働者達が歩いている。彼らは何が起こっているのかも解らず、日々を過ごし、死ねばゴミのように捨てられるのである。

 ランレイはふと浮かない顔で、

「どーして、おうさまは威張ってるか? 偉い人でも、酷いことするは間違ってる思うよ」
「でもねランレイ。王様は絶対だから逆らっちゃいけないんだよ。間違ってるって思っても、仕方無いの」
「どうしてか? おうさまは神様じゃないよ、間違ってる人、直さないと」
「そりゃお前の世界の話だろ。俺達は逆らっても仕方無いんだよ。確かに酷すぎるけど、考えるだけ無駄だ」
「そうなのか…」

 ランレイは悄然とした顔で会話を打ち切ったが、どうにも納得していない様子。彼女の世界では、歴史上、暴君は討伐されるのが当たり前なので、唯々諾々と惨状に甘んじるヴァークリヒラントの者達が不思議で仕方が無い。憐れな奴隷シュードラ不可触民パーリヤ達が反逆を起こさない理由が解らないのである。
 タリエはランレイの話を聞いていたが、その瞳に何か深謀を宿した。いや、元々持っていたものが更に強くなったという方が正しいであろう。とにかく彼らは火の精霊を目指して山を登っていった。

 途上、中腹辺りにくり抜かれた窟があった。クラウス達はそこに入って一息ついていたが、奥の方に何かがある。近付いてみればそれは大きな石柱に支えられた神殿の入り口であった。
 神殿は地下に続いているらしく、発掘されてからまだ日も浅いらしい。タリエは、目を輝かせるようにして、本をめくり

「こ、これはまさか…ダーファンを動かす動力核を封印しているという神殿ではないかっ。それさえあれば…」
「タ、タリエさん…どうしたんですか? 何だか怖いですよ」

 タリエはソフィアの声には耳も貸さず、取り憑かれたように歩き出そうとした。しかし、ランレイが持つヤタノ鏡の欠片から、クオマが声を上げた。

「こら、そこの人間っ。辞めなさい、人間がダーファンを動かした所で、制御できる筈が無いんだからっ。あの時だって、あいつが」

 クオマが言い終わらない内に、耳を劈く大音声が響いた。はっとクラウスが振り向いた先には、大反りの大薙刀を持った偉丈夫が立っていた。炯々とした茶の瞳、悠に二米2mは越えているであろう体躯は筋骨隆々とし、重厚堅牢な鉄甲は鈍く輝き、剃刀の如く鋭い眼は蛇のように人を刺す。
 偉丈夫は岩壁を揺るがす大音声で、

「やはりやって来たか、鼠どもめっ。我が主君の邪魔はさせんぞっ。このエルガー・ヒューゲルが、此処で全員叩き斬ってくれるっ」
「エルガー・ヒューゲルッ? また王の四星かっ」

 クラウスがそう叫ぶが早いか、ぶん、と虚空に薙刀が唸り、彼に迫った。咄嗟に刃を抜いたクラウスは、発止とそれを受け止めた――かに見えたが、火華を残して吹っ飛ばされた。
 凄まじい力にクラウスは信じられない、といった顔で、どうと背中から落ちた。不意打ちとはいえ、男一人を軽々と弾き飛ばす怪力に、ソフィアもランレイも油断のならぬ強敵と身構える。
 そこへタリエがいきなりエルガー目掛けて斬り掛かっていったが、むんず襟を掴まれて、そのまま外に投げられた。

 タリエさんっ、とソフィアが向かおうとするが、出口にはエルガーが仁王立ちし、絶対に通さぬと吽形の如き鉄壁の構えを取っている。
 クラウスは、彼女に

「こいつを斃すしかないっ。タリエさんを助けるのはそれからだっ。行くぞ、二人ともっ」
「うん、解ったっ」
「はいなっ」

 行くぞっ、とエルガーは地面を揺らして三人に躍り掛かっていった。
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