二つの世界の冒険譚

アラビアータ

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第一章

第八話

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 クラウス達が新たな大陸目指して船旅を続けている時、王都ウンデルベルクの城では国王が騎士団の上層部を前に赫怒していた。というのも、先に四星の一人であるアンナ・クレンメがクラウス達に撃退されたからであり、無敵と名高い四星の一角が、下賤な平民ヴァイシャ如きに遅れを取るのは許せん、と殊の外お怒りなのだ。
 国王は帰ってきたアンナの報告を聞くや否、席を蹴って勃然激怒、満面朱泥にして上層部に説教を始めたのだ。
 この世界では、上の身分の者が下層の者を好き勝手に暴行したり陵辱したりしてもお咎めは無く、むしろ被害に遭った者が罪に問われ、上層階級の気を煩わせるとはけしからん、と機嫌次第で打ち首すら有り得る。反対に、階級が下になればなるほど権利が減っていき、奴隷シュードラ以下の者に至っては、一切の権利の主張を許されず、納税と労役を強制される非人である。

 そんな世界において、二番目の階級に位置する騎士が下層の平民ヴァイシャに破れたので、圧倒的な軍事力で下層階級の反乱を防いでいる王国が慄然としたのは、けだし当然と言えよう。
 玉座の前に憮然として立っているのは、四星のアンナである。しかし今では王国一の強者が一角、一度や二度の失敗では首を刎ねられない事など承知なので、反省の色は殆ど見られない。
 国王は、指先で小刻みに肘掛けを叩きながら、明らかに苛立ち声で、

「アンナよ。そなたを撃退した連中は、次に何処へ行ったのか解るか」
「さあ? 多分船にでも乗って、北の大地にでも行ったんじゃないですか? それに、もうトレントがガイアールに行ってるんですよね、なら良いじゃないですか。そういうことで」

 待て、という国王を無視してアンナは、叉手の礼をして退出していった。国王は唇を噛み締めて、ぷいと奥に引っ込んでしまった。
 奥で国王は悶々と考え込んでいた。昔からヴァークリヒラントは、厳格な身分制度を敷き、支配層に比べ数百倍はいる平民ヴァイシャ奴隷シュードラ不可触民パーリヤの反乱と下剋上を防いできた。
 その甲斐あって、王国設立以来、その支配が揺らぐことは無く、安定した戦争の無い平和な世界であった。指折り数の散発的な貴族の反乱はあったが、下層民も安定した生活を望み、反抗する気勢も無かったので、即座に鎮圧された。
 要するにヴァークリヒラントは、身分制度に疑問を一切持たず、搾取され続ける殆どの下層民によって、「平和」を謳歌しているのだ。

 ――さて、メルアドールを発って一ヶ月後、クラウス達は新たな大陸を遠くに臨んでいた。
 陽は中天に輝き、雲間を割って陽光を真っ直ぐに差し込ませる。淡青色の海は宝石のように閃々と輝き、連絡船は波間を割って進んでいく。彼方には点々と漁船や他の連絡船が見え、大空と大海と船で一幅の絵となっている。
 ソフィアは船縁から身を乗り出し、潮風に髪を靡かせながら、彼方の街を見て、ほら見て、とクラウスに笑顔を向けた。クラウスは心配そうに、危ないぞ、と返した。
 彼らに同行する学者タリエは笑って、

「お二人は仲が良いのですね。幼馴染み同士の痴話は、見ている私も微笑ましいですよ」
「違いますよ。俺が小さい頃からこいつに振り回されているんですよ」
「ちょっと、何てこと言うの。知らない人に変な事言わないでよっ」
「ははは。やはり仲のよろしいことで…ところでランレイさんは何処に? 」

 三人が見回していると、船首の方から水夫達の声がした。またか、とクラウス達が声の方へ向かう。
 ランレイは輝く笑顔を満面に浮かべ、みよしに座っていた。水夫達は、戻れ、と口々に叫び、波に揺れる舳から彼女が落ちるのではないかと心配している。
 クラウスはランレイの背中に向かって、下りて来い、と呼び掛けた。ランレイは、振り向いて、

「クラウスも、来ないか? 此処、気持ちいい」
「いや、遠慮しとくよ。それよりお前、毎日毎日よく飽きないな…。その度に怒られてるのに」
「だって、これ乗るの初めてだよ。ランレイはずっと」

 不意に大波が立ち、船が傾いた。甲板にいた人々も蹌踉めいて、転倒する者もいる。ランレイは、あっと叫んで舳から手を離してしまった。クラウスはそれを見るや否、身体の方が先に動き、すわこそと甲板から飛び降りた――が、ランレイは片膝の裏でしっかと舳を掴み、逆さ吊りになった。
 一方クラウスは、ランレイを助ける筈だったのだが、自分だけと海の中に飛び込んでしまい、滔々とした海面に風浪の飛沫、顔を出してはまた沈む。
 助けてくれ、とクラウスは手を振り、水夫達に間もなく引き揚げられたが、ランレイ達が近付いて来て、

「あはは。クラウス、どうして飛び込んだか? 此処、水浴び場じゃないよ」
「お、お前…」
「何やってるのクラウスッ。急に飛び込むなんて莫迦じゃないの? 本当にこれだから心配なんだよ」
「ふむ。世の中には暖かくなってくると、海に飛び込む人がいるんですね。王都にはいないですから珍しいですね」

 とほほ、と濡れ鼠のクラウスはすっかり悄気てしまい、怒る気力も無くなってしまった。そうしている内に、船は波を割って港に向かって行く。
 港湾都市は忙しなく連絡船を迎える準備をし、海からでも聞こえる大声で水夫達と合図を出し合っている。綿布のような帆が畳まれ、蜘蛛の脚のように櫂が出され、船はゆっくりと港へ滑り込んでいった。

 クラウス達は上陸すると地図を広げ、木の精霊の住処を探した。しかし、木の精霊が住処は何処にも記されていない。クラウス達三人が顔を見合わせていると、タリエが、

「そう言えば昔、ミンリ大森林の中にある神木が木の精霊クオマの住処だと聞いた事があります。地図によれば…此処から歩いて、五日くらいは掛かりそうですね」
「どうして知ってるんですか? 精霊がいる祠なんて、全然知られて無いのに」
「まあ…大学で聞いたのです。さ、行きましょう。私もそこに用事がありますから」

 と、タリエは話を切り上げて一行を先導した。三十になるかならないかの彼の後ろ姿は、クラウス達にとって大きく見えた。

 もう春を過ぎて初夏に入る頃である。彼方の山々は孔雀石のように深緑であり、足元の草原はそよ風に靡く。歩いていると汗が滲んでくる気温である。
 そんな中でもタリエは悠然と白銀の長髪をたなびかせ、年齢を重ねた大人の落ち着きを見せながら歩いていく。後ろでは対照的に、ランレイがはしゃいであちこち動き回り、クラウスがその度に追い掛けて連れ戻し、ソフィアが注意をする。
 タリエは、後ろを振り返り、落ち着いた低調な声で、

「そう言えば、皆さんはどうして精霊を探しているのですか? 失礼ながら、学問をしているようには見えませんが…」
「タリエ、知りたいか。ランレイが精霊探してるのは」

 その瞬間、クラウスがランレイの手を引っ張ってタリエから離した。何するか、と暴れるランレイに彼は小声で、追われてるんだから辞めろ、と言うがランレイは首を傾げている。
 タリエは驚いた顔をしていたが、年長者らしい余裕を見せ、事情があるのだろうと深くは詮索せず、その話題は打ち切られた。

 さてその夜、一行は街道の傍らで野営を始めた。タリエは手際良く焚き火を起こし、尋常ならざる剣技で獣を斬り、他の三人を驚かせた。彼の剣技や野営の知識は学者にしては随分と卓越しており、並の騎士など大きく凌ぐものがある。
 タリエは、旅の途中で自得したと自嘲気味に笑ったが、そんな彼の姿は学者というよりは高貴な騎士のようにも見えた。
 数日後、不意にタリエがクラウスに尋ねた。

「クラウス君は良い剣筋をしていますね。何処で誰に教わったのですか? 」
「誰にも教わってませんよ。俺、自分で食べ物を狩るために必死で剣を振ってただけですから」
「そうですか…道理で正義も邪悪さも無い剣だと思っていました。良いですか、剣というものは邪を払いますが、使い方によっては邪悪そのものとなります。自分の正義を持たない者が剣を持てば、いつか自分の身を刺す事になります。それ故、剣を振るう者は確固たる意思を持たねばならない」
「…俺は自分が生きていくのが正義ですよ」
「今はまだ解らなくても良いのです。いつか、自分自身の正義で剣を振るう事になる」

 クラウスは、ふとタリエの顔を見た。焚き火に照らされる彼の顔は、昼間見た、学者の柔和な顔つきとは異なり、何かを守るという固い意志に重厚に塗装されているように見えた。
 タリエは非常に温厚な性格で、柔らかな声である。ランレイの戯れをも笑って受け流す年長者なのだが、こうして剣について語っている彼を見てクラウスは、別の人格がタリエの中に宿ったように思えた。
 否、彼が秘している性格が不意に顔を出したと言った方が正しいであろう。優しげな眼には鋭さが加わり、声も次第に重みを増していく。クラウスは思わず、彼に近付いていた。タリエはそれに気が付き、常の表情に戻って、もう寝ましょう、と横になった。
 
 クラウスも焚き火を消して横になったが、剣の煌めきにも似た月明かりを受けるタリエの寝顔を見て、彼の正体が本当に学者なのかと測りかねていた。

 それから数日後、連絡船から下りて十日後、クラウス達は木の精霊がいるというミンリ大森林へ到着した。此処はヴァークリヒラントで随一の密林であり、森中を流れる大河を中心に、年中湿っぽい気候である。深緑に深緑を重ね、海のように蒼く深い密林は、それを焦がすような夏の太陽を受け、益々湿度を増している。
 クラウス達は密林に入ったが、獣道というのも笑止な隘路を通り、茂みを掻き分け、蜂や虻の唸りに肌を刺されながら一行は密林を行く。猿や山鳥の声が何処からか響き、クラウス達を狙っているかのようにも聞こえる。
 森に入って三日目、ソフィアは險林に汗を拭いながら、

「ねえ、まだなの? 何かジメジメしてるし、不気味な声がしてるし」
「熱いなー。此処、どうして、こんなに熱いか? ランレイが暮らす森、こんな熱くないよ」
「うん? ランレイさんは森に暮らしているのですか? それはまたどうして」
「…ああっ。何でもないよ、タリエ、何かお話ないか」
「ふむ…。解りました。では、私の母の話でもしましょうか。私の父は騎士でしたが、私が生まれてすぐに病で死にました。母は私の教育を重視し、最初は墓場の隣に住んでいた所、私が葬式の真似事していたので市場の隣に遷りました。次は商人の真似事をしているのを見かねて、学校の隣に遷りました。そのお陰で私は学を積み、国王陛下に取り上げられて学士となりました。つまり、自分よりも私を優先する人でした」
「ふーん。おかーさんか…ランレイも良いおかーさん、欲しかったよ」

 ランレイが悄然とした顔と声音で言うと、何処かで小枝を踏み折る音がした。クラウス達が周囲を見回すと、誰の姿も見えない。訝しみながら進むと、また音が聞こえる。耳の良いランレイが立ち止まって耳を澄ませると、話し声も聞こえるらしい。
 タリエが思い出したように、この密林では、とある貴人を中心に逃亡奴隷が集落を為しているとクラウス達に伝えた。それを聞いた瞬間、ぶん、と弦音がした。
 はっと一番後ろにいたランレイは躱したが、別の一方から飛んできた一矢がソフィアの肩に立った。彼女は、きゃっと一声上げて倒れ、クラウスとタリエはと剣を抜いた。
 奇声と角笛が起こり、四方八面から猿の如く人間が湧き出てきた。長剣一閃、クラウス目掛けて襲い来る。戛、と刃が交わり火華が立つ。タリエはと敵の攻撃を躱し、更に踏み込んで来た敵を横薙ぎにする。真っ白な白刃、散る火華、周囲を彩る血の水玉。剣の渦と血飛沫が描く絵は物凄まじい。
 
 ランレイはソフィアを守りながら、吹雪のような白刃を手甲で防ぎ、敵の刃を蹴り折りながら面を潰す。深緑の森は須臾にして、水玉のような血に彩られた。
 しかしその時、彼女の横合いから一人が木杖で彼女の脚を打った。あっと怯んだランレイ目掛けて、一斉に蛮人共が躍り掛かる。二、三人が蹴り飛ばされたが、忽ち彼女は嵐のような攻撃に気絶してしまった。
 血まみれで縛り上げられるランレイを見て、待ってて、とソフィアは震える手で八角棒を手に取り、蛮人共に打ち掛かっていったが、どっと恐るべき速さと連携で周囲を取り囲まれ、脚に腰にと纏わり付いてくる数人を打ち飛ばした彼女は、四方からの投げ縄に武運尽きたか、仰向けにどうと倒れ、蝟集してきた敵の手で高手小手に縛められてしまった。

 それに気が付いたクラウス、剣煌めかせて走り寄り、縄尻を取る一人を両断したが、躍り掛かってきた蛮人二人、一撃二撃と木杖唸り、そのままもんどり打ってクラウスは倒れた。
 縛り上げられた三人を見て、タリエは剣を納めて鞘ごと捨て、なかなか自若として地に座った。

 炎のような斜陽が差し込み、森の中は燃えるような赤に彩られた。黄昏時の深紫の空が鬱蒼とした木々の間から見え、もうじき静かな夜となる。
 しかし、クラウス達の心は全く穏やかでは無い。数珠つなぎに縛り上げられた二人は鉄桶の如く周囲を取り囲まれ、森の奥へ奥へと引かれていく。ランレイは暴れていたので猿轡を噛まされ、簀巻きにされて担がれている。ソフィアは元々気絶しているので、蛮人共に担がれて運ばれていた。
 
「おい、お前らどうして俺達を捕まえるんだよっ」
「煩いぞっ。黙って歩けっ」
「こいつらっ。俺達は何もしないって」

 クラウスは何とか逃れようとあれこれ言うが、男共は一切耳を貸さず、歩け、と時折彼の背中を蹴る。ふと辺りを見回せば、いつの間にか集まっていた二十人ばかりが弓矢を準備している。此処で暴れるのは得策では無い、とタリエはクラウスを諫め、彼もそれに従った。
 小一時間ほど歩いた一行は、忽然、天空から真っ白な月光に照らされた。森の中心の大木、天まで届くかと思われる程の高さである巨木の周囲の開けた場所に至ったのである。そこは小高い丘になっており、自然石が石垣のようになって、小領主などは及びもつかぬ鉄柵で囲われ、あたかも堅固な城郭のの様相を呈している。
 枝葉で作られた荒ら家が立ち並び、焚き火の煙が黒い糸を引いて、天に伸びる。所々で真っ赤な焚き火が点々とし、どうやら夕餉の支度をしている様子である。
 そんな集落が展開されている柵の鉄門に向かってクラウス達を引いてきた一人が大声で、

「開けてくれ。斥候共を生け捕ってきた」

 と、呼ばわると、蝶番が音を立てて門が開き、槍を持った番人が二、三名、いちいち人数人相を改めた上で一同を入れた。クラウスは、どうにかして武器を取り戻せないかと隙を窺っているのだが、タリエは年長者らしく心の内で、(噂に聞いてはいたが本当だったとは…)と舌を巻いていた。
 一行が集落を進んでいくと、陽に焼けて真っ黒な誕生仏そっくりになった童子や訝しげな男や女が近付いてきて指を指したりする。縄尻を取る兵士達は、群衆を散らしながら奥にある長の家を目指した。
 
 集落の中心、天まで至る巨木の麓に一つの屋敷がある。屋根と壁は黒木造りで、至って原始的な館ではあるが、ウンデルベルク城や貴族の屋敷等、これまで見てきたどの貴人の家に比べても落ち着いたものあった。
 入り口のきざはしに腰掛け、クラウス達を見つめる一人の女がいる。紅髪翠眼、上下の衣服は麻ぞっき、年の頃は十四歳、片足をもう片方に乗せて座っている。クラウス達の縄尻を取っていた兵士達は、座れ、と彼らを蹴り、慇懃に女へ拝礼を施した。
 女はクラウス達を見て、

「お前達はあたしを連れ戻しにでも来たんでしょ?  悪いけどお父様には帰らないって伝えて貰える? 黙って帰るならその首を繋いでおいてあげる」
「お、お父様? どういうことだ」

 そう言ってクラウスが見上げた先にいる女は、日焼けして銅色の身体をしているが、争えぬ高貴な雰囲気を持っていた。
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