二つの世界の冒険譚

アラビアータ

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第一章

第五話

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 王都から逐電し、お尋ね者の境遇となったクラウス達は、アルクィンから貰った地図に従い、ウンデルベルクから歩いて十日ほどの場所にある地の精霊がいるという岩山に向かう事にした。
 河を船で下って行く経路と大森林を抜ける道があるのだが、路銀の無いお尋ね者、森より他に道は無し、クラウス達は徒歩で密林を抜けることにした。

 歩けど歩けどただ深緑、聞こえるのは茂みを掻き分ける獣の声と鳥の鳴き声、時折虻の唸りが肌を刺す。クラウスとソフィアは相助けつつ、ランレイは自分の庭のように木から木へと跳んで斥候し、汗もに倒木を越え、岩を踏み、海を行くような蒼さ暗さ、果てない密林と獣道、木漏れ日は虹のように差し込み、未曾有の難所を行く一行の励ましとなる。
 忽然、天空から光がこぼれた。そこは小川の畔で、陽光を反射し、玉虫色の光が閃々、付近には開けた場所もある。折しも夕暮れ時で、周囲にはどんよりと影が広がっている。茜色の天が広がり日暮れを知らせる鴉の声も響いていた。
 クラウス達はそこで野営する事にしたが、夜になって不意にランレイが、

「偉い人も、他の人もう゛ぁいしゃとかしゅーどらとか言ってた、あれ何か? 」
「ああ、この国の身分だよ。ヴァイシャは平民、つまり俺とかソフィアみたいな人達で、シュードラは奴隷、金で売り買いされる人間だ。偉い人達はバラモンとかクシャトリヤだな」
「じゃあ二人も偉い人なれる、頑張らねば。ランレイ、応援する」
「無理無理。生まれた時点でそこからは抜け出せない。平民の子は平民、奴隷の子は奴隷。大昔から決まってるんだ。そっちの方が楽だろ、何にも悩まずに親の仕事を継げば良いんだから」
「此処の人、変わってる。自分がしたい事、仕事にしないか? 偉い人が酷い、変えないか? 」
「そんなこと思ったことも無いな。考えるだけ無駄だろ」

 と、クラウスは当たり前のように言って横になった。ランレイは焚き火の炎の中に、罵ってきた国王や傲慢な大神官の姿を浮かべ、どうして追い出さないのかと疑問に思っていた。
 ソフィアは膝を丸めて緘黙し、悄然としていた。彼女の頭の中には、不可触民パーリヤ達の悲惨極まる境遇や僅か九歳で容赦なく梟首されたネフの姿などが浮かんでいた。

 理想を実現する為には力が必要である。結論だけ言えば、ソフィアの憐情もランレイの懐疑もクラウスの感覚も間違ってはいない。身分制度に胡坐をかいているように見える神官バラモン王侯クシャトリヤもである。
 いつの時代、何処の世界にも絶対的な正義も絶対的な悪も、けだし存在しない。ただそれぞれに理想があり、それを力によって実現させた者が「正義」を標榜するのみである。
 真に正義足り得るものがあれば、それは神のみである。人間は、真と義と悪と偽を入り混じらせたものしか持っていない。それぞれが正しく、それぞれが間違っている。ただ力があるか無いかである。

 閑話休題それはさておき、一行は翌朝、明け方に起きたクラウスが狩ってきた鳥獣の肉を喫し、また森を踏破すべく進んでいった。
 朝方に歩き出した一行は、昼過ぎにようやく森から出て草原地帯に辿り着いた。久方振りに見る青空や春先の麗らかな太陽に照らされ、休む間もなく一行は岩山目指して歩き出していった。そこからまた八日、一行は砂を固めたように無骨な険峻の麓に至った。
 クラウスは、岩山をあおいで、

「いやー凄えな。こんな山があるなんて本当に登るのか? 道も無さそうだぞ」
「大丈夫だよ。ほら見てクラウス。猿が登ったり降りたりしてるじゃない。あたし達だって登れるよ、行こう行こうっ」
「はいなっ」
「大丈夫かよ…落ちたら怪我どころじゃ済まないぞ」

 一行は、獣道という言葉すら足りない程の隘路を使って、岩山を登り始めた。一木一草無き岸々がんがんたる焼け山焼け野原、流れる汗は頬をつたい、手に滲んだ汗で時折滑りそうになる。妙に凶暴な猿や飢えた狼が襲い掛かって来たが、全てクラウスの白刃やソフィアの棒術、ランレイの拳の前に血煙を上げて、岩山から奈落へと吸い込まれていった。
 岩また岩、谷また谷、それら嶮所を越えて一行は喘ぎ喘ぎ、やっとの思いで中腹辺りまで辿り着いた。
 岩壁をくり抜いた窟があったので、天の助けとばかりに、クラウス達はそこで小休止する事にした。窟は廟らしく、奥には女神像が祀られてある。碑銘を読んでみると、地の精霊ホウトゥーを此処に祀る、と刻まれてある。
 ソフィアは、石像の前に頓首再拝し、祈念久しゅうして曰く、

「地の精霊様、どうかクラウスとランレイを守って下さい。今後の旅路をどうか御守りください。もし何か危険があれば、あたしを身代わりにしてください」
「ソフィア、誰と喋ってるか? それ、ただの石像だよ」
「おいソフィア、何不吉なこと言ってるんだよ。俺達は皆で、さっさとヤタノ鏡の欠片を集めて」

 そうクラウスが言い掛けた時である、何処からか窟の中に響く声がした。クラウスは辺りを見回し、何か言ったか、と二人に尋ねた。当然、ソフィアもランレイも首を横に振ったが、声はまたしても響く。
 耳を澄ませて辿ってみれば、どうやら声は目の前の石像から聞こえる様子。信じられないので、クラウスが訝しげにそれを見ていると、

「人間よ…よくぞ此処まで辿り着きましたね。私こそ、貴方達がお捜しのホウトゥーです。人間と言葉を交わすのは数千年振りですかね」
「あ、あなたが土の精霊様、本物ですか? そ、それなら、世界が衝突するかもしれないっていうのは本当ですか? 」

 ソフィアが震えながら尋ねると、声の主は、

「精霊である私が意味も無く、人間如きと言葉を交わすと思っているのですか? 貴方達の望みは解っています。そこにいるシュピーゲルラント人の目的も」
「で、でしたら、あたし達に力を貸して下さい。ヤタノ鏡の欠片を貸して下さいっ」
「…ヤタノ鏡はかつて、創造神が世界を切り離した時、二つの世界が行き来出来れば、争いが起こるため、悪用されないようにと四つに割られました。確かに欠片の一つは私が持っています。しかし貴方達の覚悟と力を示して頂きたいです。山頂にある祠にいらしてください。そこで貴方達の実力を測らせて頂きます」

 そう言い終わると、石像は元のように何も言わなくなった。実力を証明する事は即ち、土の精霊ホウトゥーと戦うという事である。クラウスは不安げに、

「力を示すって…相手は土の精霊だぞ…勝てんのかよ。俺達は所詮人間だぞ」
「でも、精霊様はあたし達の覚悟が知りたいんじゃない? 本気でやれば何とかなるよ、行こう行こうっ」
「いこういこうっ。クラウス、お願いします、だよ」
「此処まで来て引き返すわけにもいかないしな…仕方ない、俺も手伝うぜ」

 クラウス達は窟から出て、また山頂を目指して登り始めた。狂風はいよいよ勢いを増し、土埃や石礫を飛ばす。いつしか天は鼠色の雲に覆われ、精霊に近付いている事は明白である。
 山頂に至ると、そこには反り屋根を宙天に向ける祠があり、四方の屋根の隅には素焼きの龍、木戸の前には祠を守るように、石作りの龍が一対で置かれていた。
 クラウスが木戸に触れると、中から声がする。

「覚悟は出来ましたか? では参ります! 」
「よーしっ。クラウス、ランレイ、行くよっ」
「いつでも良いぞっ」
「ランレイも、準備万端っ」

 そんな彼らの後ろから咆吼が響いた。振り返ってみれば、そこには、驢馬の如き長耳を持ち、金毛黒斑、針のような鼻端の毛、鉄甲の胴巻きをし、見事な鬣をたなびかせる神獣がいた。
 クラウス達はと三方に跳び分かれて、神獣の様子を見た。鏡のような双眸、得物を敏感に感じ取る身体中の感覚は、しきりに異様な戦意と殺意の昂奮を、尾さきにも描いている。短剣を並べたような牙は閃々と陽光を反射し、前に立つクラウスを見つめる。しばし爛々と睨み合っていた獣と人、蕭々と風が土煙を上げる。
 その沈黙を破ったのはランレイである。隙を窺って、敵の尾目掛けて身体を跳ばす。流石に敵も油断なく、振り向いて前脚をランレイに振るう、ランレイの拳は既にその顎を捉えている――が、明白なのは膂力の差、神獣は少し仰け反ったが、怯まぬ前脚振り下ろし、と彼女を踏み潰す。

「ランレイッ。待っててっ」

 ソフィアが振るう八角棒、ぶうんと唸って敵を打つ。発止と胴巻き火華が立ち、打ったソフィアに痺れが走る。負けじと面目掛けて攻撃するが、ぱっと神獣は跳び退く。
 ランレイは背中を強かに打たれた上に、胸から地面に叩きつけられ、小刻みな息をするのみ。クラウスは白刃煌めかせ、神獣目掛けて斬り掛かる。敵も然る者、クラウスの攻撃をいなして躱し、時折真っ赤な口を開けて、クラウスを引き裂こうとすらする。
 一陣の風、神獣は颶風を纏ってクラウスに躍り掛かる。その猪突にクラウスは思わず恐れを抱き、その一瞬、彼は大きく撥ね飛ばされ、砂塵を巻き上げながら岩に激突した。頭の後ろを打ったのか、クラウスは昏倒して立ち上がれない。
 間髪入れずに神獣は、クラウス目掛けて猛躯飛跳! 黄金雷光の如く飛び掛かっていく――が、そこへ発止と神獣の面を打った者がいる。

「クラウス、しっかりしてっ。起き上がってっ」
「ソフィア…」

 ソフィアは、愛用の八角棒をと振るい、神獣を寄せ付けない。彼女の秘術は敵の双眸の中に奇異な幻覚を見せつけたに違いない――が、勿論それでは怯まない。猛撃猛撃、また猛撃。やがて牙が棒に立つ。じりじりとソフィアの身体が押し込まれていく。
 豁然、神獣の身体が吹っ飛んだ。ランレイが横合いから、前方に集中する敵の身体を蹴ったのだ。起き上がろうとする神獣にランレイが、額への息もつかせぬ拳打ち! 無数の乱拳、鼻を打っては眼を潰す、途端に敵は後退り。
 クラウスは何とか立ち上がり、遮二無二、神獣目掛けて突っ込んだ。神獣は、御参なれ、とばかりに咆吼し、彼の身体を引き裂こうと待ち受ける。

 しかしクラウスも必死必死、霞む眼を凝らし、真っ赤な口見たその刹那、と土煙を上げるその身体、神獣の下に滑り込み、流星の尾を引く横一閃! 神獣の首はいとも簡単に飛んだ。
 神獣の首と身体は血も出さずに崩れ落ち、須臾にして煙のように消え去った。ソフィアとランレイは肩で息をし、それを見ていた。クラウスは仰向けのまま、大息をついて胸を上下させ、天を仰いで辛勝を噛み締めていた。
 また何処か祠から声がする。

「…貴方達の覚悟と力、見せて頂きました。ヤタノ鏡の欠片、お貸し致します。貴方達の武運を祈っておりますよ…」
 
 祠の木戸が開き、中にある円鏡の欠片が眼に飛び込んできた。木の祭壇に飾られた欠片は閃々と光を放ち、思わず眼も眩む程である。龍の尾らしき彫りがほどこされ、恐らく全て集めれば、龍の体躯となるのであろう。
 クラウスが茫然と仰向けになっているので、ソフィアがそれを取って懐に入れた。ランレイは喜んで、

「やったよ、ヤタノ鏡の欠片、あと三つね。クラウス、ソフィア、とても強い」
「それにしても強かったね…ランレイ、怪我は無い? 」
「はいなっ。ランレイ、強いからだいじょぶ」
「お…俺は大丈夫じゃない…頭が潰れると思ったぜ…」
「あらクラウス。少しは頭が良くなったんじゃない? ほら、肩貸してあげる」

 ソフィアが手を伸ばした時、ランレイが、誰かいるよ、と下山道を指差した。二人が見ると、赤い短髪を戴き、切れ目涼やかな眉目秀麗の剣士がいた。
 ソフィアが近付いて、こんにちは、と言うと、剣士は何も言わず、右腰に差した長剣の柄頭で、どんと彼女の腹を打った。ソフィアは物言う間もなく、腹を押さえて倒れた。
 クラウスは驚いて、剣士に勃然と怒り、

「ソフィアッ。お前は誰だっ」
「お前達に名乗る理由は無い。災いをもたらす奴らめ」

 ランレイが地面を蹴って躍り掛かった。剣士は柄に手を掛け、抜く手も見せずに一閃、はっとランレイが身を屈めると、剣士の膝が彼女の頭に食い込んだ。
 剣士は仰け反ったランレイを蹴り飛ばし、彼女は二米2mほど吹っ飛ばされ、仰向けで腹を押さえて呻くのみであった。
 クラウスはと剣を抜き、よくも、と躍り掛かっていく。しかし蹌踉めく脚に霞む視界、しかも相手は尋常ならざる剣客者、二合、三合と火華を散らしたが、空しいのは必死の剣技、クラウスの剣は凄まじい速さで斬り捲られ、落雷のような斬り下げに、彼は剣を落としてしまった。
 剣士はクラウスに剣先を擬し、彼を睥睨して曰く、

「良いか。今後怪しい真似をしたら、次は無い。誰が災いの神子かは知らんが、次に会ったときは全員殺す」
「…」

 ふん、と剣士は鼻で彼らを笑い、心から見下すような面持ちで剣を納め、山を下りていった。
 ソフィアとランレイが動けそうにないので、一行はそのまま山頂で野営する事にした。
 クラウスは寝転ぶ二人に、

「おい、何だよあいつ。服に紋様が無かったから国王の騎士でも無さそうだし」
「解らないよ…ランレイは何か知ってる? 」
「解りませんっ。あいつ、髪まとめて無いし、龍の服、着てない」
「とほほ…王国に追われるだけじゃなく、わけの解らないやつにまで見張られてるのかよ…」

 クラウスは溜息をついて寝そべり、満天の星を仰ぎながら今後の旅路に不安を抱かずにはいられなかった。
 ソフィアは笑って、彼の隣に寝そべり、

「何不安がってるの、クラウス。覚えてる? 小さい頃、こうやって二人で星をみながら約束したじゃない。いつか二人で冒険しようって。こうやって誰かの助けになれてるんだから、あたしは全然辛くないよ」
「…」
「クラウス? …寝ちゃったか」

 ソフィアも春夜のそよ風に身を任せ、金粉を塗ったように輝く月の下、いつの間にか眠っていた二人の隣で眼を閉じた。
 穏やかな夜空は一行を見下ろし、ただ聞こえるのは夜鳥の鳴き声のみであった。やがてソフィアも眠りに着いた。
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