少年剣士、剣豪になる。

アラビアータ

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第十六話

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――時を戻して、ルークと川上ですれ違ったナタリーは、船を下りるや否、下って
来た川の岸辺を狂人のように奔走して戻った。この王都に身を置いて三ヶ月近く、ようやく見つけたルークに、船を飛び降りてでも飛び付かなかった事を後悔した。
 酒を囲い、人目も憚らずに狂騒する不良少年共の船に乗っていたルークを見、悪い輩に誑かされでもしたのか、とそちらの方でも気が気では無い。未だに彼を、頼りない女々しい弟だと思っているらしいナタリーは、歓喜半分怒り半分の複雑な心情で、川を上っていった。

 しかし、彼女の眼に飛び込んで来たのは、濛々と煙を上げる転覆船と、岸辺で凱歌を上げる悪鬼共、すなわちルーク達の船を襲った荒くれ共であった。
 ナタリーは、怒りの柳眉を逆立て、細剣を抜いて彼らの前に立った。

「あなた達っ。あの船を沈めたのはあなた達ねっ」
「何だ小娘。そうだと言ったらどうするっ? 俺達は今、ジンさんを変な小僧にやられて気が立っているんでな、何するか解らんぜ」
「ルーク…」

 いつの間にか静かになっていた雲間から月が出た。月明かりに照らされたナタリーの顔を見て、荒くれ共はぎょっとした。櫂を落とした者もいる。彼女の顔は、憤怒に憤怒を重ね、朱泥のようになっていた。羅刹女、いや怒れる鬼神すら怖気を震うような形相である。
 たとえ血の繋がりの無い、主人と使用人の関係でも、三歳と五歳の頃から側にいた関係である。その怒りは凄まじく、実の姉が抱くものすら容易に越えている。

「よくもルークをっ。許さないっ」

 と、言うや否、ナタリーは月光に煌めく細剣を先頭の荒くれ目掛けて振り下ろした。あっと言う声を残し、その者は唐竹割りに斬り捨てられた。
 女だと思い、侮っていた荒くれ十五人、ばらばらと彼女を囲んで、手に手に長剣を抜き、

「おのれ、小娘っ。生かして返さぬ」
「いきなり現れての狼藉許しておけぬ。膾斬りにしてやるから覚悟っ」
「…待て」

 と、低い声で人垣を分けて入って来た男がいる。月光が照らし出した男の顔を見て、ナタリーは跳び上がらんばかりに驚いた。しかし、すぐにさっと蘭瞼を怒らせて、凜とした憤りの声を上げた。

「あなたはハーラ・グーロッ。よくも男爵をっ」
「久し振りに会ったというのに、何とつれない態度。私の武名、失墜させたはあの男。お前達をこの街で見つけたので、ルークは私の依頼で先程殺して貰った。次はお前だ。あの世でルークと会わせてやろう」

 如何にも彼らしい傲岸不遜。その身の丈も相まって、常に相手を見下しているような気すら覚えさせる。
 ナタリーは、ルークが彼の毒牙に掛けられたと聞き、このっ、一声と共に斬り掛かっていった。その一念の刃を、眼にも止まらぬ速さで抜き払われたハーラの剣が、戛と受け流した。
 ナタリーは、気炎万丈の裂帛一声、飛弾の如くハーラの左胸目掛けて突き掛かった。ハーラは、敢えて逆らわず地を蹴って跳び退いた。その時、かねて荒くれ共の中で隠れていた、ハーラの甥ミシェル、長剣を抜いて後ろからナタリーに斬り掛かった。
 きゃっ、とナタリーが防いだ瞬間、彼女の剣は不意打ちの凶刃に弾き飛ばされ、三米3m先の地面に立った。

「それっ。小娘を囲めっ」

 ハーラの下知に、ナタリーの身体は荒くれ共の中に埋まってしまう。ハーラは、その中でナタリー目掛けて刃を振るった。観念しろっ、と遮る人波。もがけど益無し多の力。必死必死に躱す、避ける。
 澄み切った夜の静寂しじまに、閃々と煌めく凶刃、姦しく煽り立てる男共の声。それは意外な人の耳に入った。

 嵐を避けて川原から離れ、路傍の木に凭れて眠っていた若年の剣士は、近くで聞こえる姦しい声、天に響く女の悲鳴に身を起こした。
 やっと静寂に戻った天地に何が、と彼は川原を見下ろし、

「すわっ。大変っ」

 と、一ノ谷の義経公のように砂礫を上げて滑り下りていった。

 獲物を囲む豺狼さいろうの如く、荒くれ共はひしめき合って、逃げ回るナタリーを見ていた。彼女は、魂を飛ばしてハーラの刃を躱しまくっていたが、不意にハーラの巨腕を伸ばされ、むんずと上襟を掴まれて放り投げられた。
 しかし、そんな人垣の後ろから、川草を密林を鼯《むささび》か雷鳥のような速さで走り込んで来た人影がある。
 うわっ、と叫び声に諸人が顧みると、首の無い荒くれの身体が噴血を上げて斃れている。その横では、血刀を左手ゆんでに持った剣士がいる。

「いけねぇっ。邪魔が入った」
「若造めっ」

 と、二人が刀光を目当てに躍り掛かっていった。日の目見ずの闇をきら、きらと光の尾が走ったかと思うと、赤い水玉のような血飛沫が月光に映えた。
 残りの荒くれは、わっと打って掛かるが、一人の敵のために首を斬られる者、腕を飛ばされる者、真っ二つに斬られる者、いたずらに犠牲者を増やし、混乱の渦に周章狼狽するのみであった。結局荒くれ共は一人残らず、惨めな死骸に成り果ててしまった。
 ハーラは、不意に現れた剣士が荒くれ共を鏖殺したので、おのれっ、と甥と共にその剣士に斬って掛かったが、

「あっ。お前はっ」

 と、彼の顔を見るなり、色を失って一目散に逃げ出した。残されたミシェルは、叔父さん、と言う背中をナタリーに斬り下げられ、倒れた後ろから首を突き刺されて死んだ。
 コジロウは、死骸達に一礼し、

「全く卑怯な奴らでしたな。ナタリー嬢、大丈夫ですか」
「コジロウさんっ」

 ナタリーは、ひどく呆れたような驚き声を上げた。彼女は、一度ならず二度まで彼に助けられたので、改めて心からの礼を述べた。しかし、コジロウは、黙然としている。気の毒なほど平身低頭し、

「以前、お会いした時は申し上げなかったが、一言お詫び致す。それは、あの日大木の下での試合において、貴女のご尊父を殺めてしまった事です。定めし拙者をお恨みでしょう」
「いいえ…あれは正式な真剣勝負での事。きっと父も恨みはしていません。…それに、ルークも死にました」
「いや、ナタリー嬢。ルーク殿は拙者と金打きんちょうまで交わしたのです。あの男は、ああ見えて芯が強い。ルーク殿ならば、容易には死にませぬ。拙者も彼を捜して参ります」

 ナタリーは、初めて親しく話した、コジロウの人品の奥ゆかしさに驚いた。謙譲にして端然、しかも礼儀正しさ、ゆかしむべき真の大剣客であった。
 (あたしはこの人には一生追い付かない)と、ナタリーは深く心をたれ、コジロウの剣技はその人物から来ているのだと、彼の剣人一体を羨んだ。

「解りました…あたし、彼を捜します。死体が見つかるまでは諦めません」
「それがよろしいでしょう。ナタリー嬢、拙者も何処かで彼を見つけたら貴女の事をお伝え申す。ではこれにて、お暇致す」

 コジロウは、ナタリーに一礼をし、去っていった。ナタリーも、しばらく川の方を見ていたが、朝陽が出て川面に朱糸のような波が立ったのを見、鮮やかに陽光を受けて映える彼方の山々に勇気づけられながら、再び歩き出していった。
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