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第十二話

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 ルドルフがルークに語り出した稀代の名剣客というのは、この山村の渓流に沿って下ること数日先に盆地があり、そこで一軒の荒小屋に住み道場を張っているフィリップという男の事であった。
 元々は神に仕える牧師であるから、武の道にはとんと疎い身であったのだが、ある時、教会に踏み込んできた白痴の狂人を刺し殺して破門された。それ以来、一殺多生の看板を掲げ、十余年の武芸修行、切磋琢磨の工夫を積んで、剣の妙技を習得したというのだ。
 この剣術を以て、フィリップは各地の剣術道場を踏み破り自ら、古の剣豪の生まれ変わりなり、と大言壮語している。それ程であるから、諸国を渡る武芸者達もフィリップの道場を鬼門として、誰も訪れないという。

 ルークは聞き終わって、一刻も早くその名人の腕前を見たい、と足早に旅立とうとした。ルドルフは、心配そうな面持ちで彼を見、

「お気を付けなされ。尋常の武芸者と違い、恐ろしいほどの荒剣術だとか」
「そういう武芸者に会うのも修行の一つですよ。僕はもう行きますね」
「ご武運を…」

 クラウスは、いとも寂しげにルークを見て、まだ残れないのかと尋ねるがルークは、また縁があれば会おうね、とだけ言い残して彼らの見送りを背に、荒道場へ歩を進めた。

 ――夏の陽に汗を拭いつつ、ルークが件の道場の門を叩いたのは日暮れ近くであった。来て見ると、彼はまずその簡素な造りに驚いた。
 門、とは言っても閂は無く、中庭では鶏や子犬などが遊んでいる様子。敷石に沿って進んでいくと、道場らしき建て構えがあった。流石にそこは手入れが成されており、重厚な木の壁に漆が塗られ、夕陽を受けた木壁は光を照り返す鏡のようであった。
 道場の正面玄関には、松木の板に黒々と「天下無双フィリップ流剣術指南道場」と彫られており、彫字の脇には、剣の腕未熟なる者は試合望むべからず、と書き足してある。ルークは、その前に立つと、数日前の雄弁も忘れて震え上がってしまった。

「あぁ…やっぱり辞めておこうかな…でも」

 そう遅疑逡巡していると、中から野太い男の声で、誰かね、と聞こえてきた。ルークは、ひゃっ、と跳び上がった。出て来た男は、如何にも隠者という風貌でとても恐ろしい荒剣豪には見えない。
 ルークは、しどろもどろに、眼を泳がせながら声を震わせつつ、

「あ、いえ、あの。僕は旅の最中で」
「成る程、旅の武芸者か」

 男は、ルークを道場に上げ、座を与えて曰く、

「少年、このような荒ら屋に何をしに来たのかね。私はフィリップという者で、この家の主だ。道に迷っているのなら、教えるが」

 道に迷っている――無論、何の他意も無い質問なのだが、ルークはそれを聞いて、はっとした。彼は、フィリップににじり寄って、

「そうですそうです。僕は今、剣の道に迷っているんです。あなたの有名なのを聞いて、一手教えて貰いたくて」
「そうか。少年、君は当道場の掟を知っているかな? 」
「掟って何ですか? 」
「それを知らないという事は、まだ駆け出しの修行だな。後になって臍を噛まなくても良いように教えてあげよう。私は剣技が得意なので、木剣でお相手するが、挑戦者は如何なる武器を使っても構わない。だが、私の剣術は世間一般のなまくら剣術とはわけが違う。すこぶる荒技なので、不倶者かたわものになるか大怪我をするかもしれないが、良いかね」

 人もなげな申しつけに、ルークは内心怖気を震った。しかし、ここで諦めるは婦女子の性格、男子たる者敢えて艱難辛苦に立ち向かおうではないか、という思いがルークの口から、

「解りました。構いません」

 という言葉を自然に出させた。

 フィリップの案内で道場の本間に案内されると、そこは一面の磨き抜かれた木張りの床が広がり、稽古槍、木剣、木杖などが厳めしく並べてある。開け放たれた窓から入り込む夕陽に照らされた道場は、何処か荘厳な雰囲気すら醸し出していた。
 フィリップは、愛用らしき木剣を取り、炬の如く鋭い眼光でルークを睥睨し、夕陽に伸びる影は鬼神のようであった。

「少年、君の名前を聞かせ給え」
「ルーク・ブランシュです」
「それではルーク君。君も武器を取りなさい」

 ルークは木剣を取って道場の中央に進み、互いに一礼為し、いざっ、と前後に跳び別れた。ルークは一歩退いて、片手流しに持った木剣の構え、これこそクラウス少年の速突きを破った、ルークの自得独自の妙構えである。
 フィリップが構える木剣は、鉄の如く磨き澄まされ、彼の尋常ならざる剣心が見て取れる。悪鬼怨霊、天魔鬼神すらも彼の厳姿げんしには足踏みするだろう。
 向かい合う二人の面上は、片や殺気満々、片や空元気満々。

 えぇいっ、とルークは木剣を引いて下段に構えた。おおうっ、と応じるは大上段に構える名剣客。炯々たる双眸をルークの手元に集め、両腕の間から隙あらば一打ちに、とにじり寄る。
 それに屈さず、ルークもこれこそ天の試練、と全身の気合いを木剣に集中させるが、元より未熟な身の上である。一念発起して、大願成就の本懐と盲勇盲進もうゆうもうしんの胆で全身を埋めてしまっているので、老練の眼から見れば、全身殆ど隙だらけ。
 しかし、その隙だらけルークに、フィリップは容易に打ち込まない。その理由は、彼の内心にある本能が危険を察知しているのだ。ルークの構えには、フィリップの内心を慄然とさせるものがあるらしい。

 フィリップは、長年諸国で剣術修行をしただけあって、人を見る具眼を備えていた。
 今彼がルークの構えから見出したものは、実に鞘に納められた名剣が、煌々閃々たる美光を内に隠して現れないような天才である。白皙の面は佳人の如き美を持ち、十三という年齢不相応に低い身の丈と細身の骨格からは、何の錬磨も感じ得ない。
 しかし、ルークが自然に備えた琥珀の瞳、柔然な身体の屈折など、頭髪の先から爪先まで、神が試みに送り出した、一人の剣聖のように思えるほど整っている。しかも、それは未だ俗世の剣術に触れていないが故に、全てが自然体、全てが恐るべき天才の煌めきに見える。

 (これは後生、恐るべき人物だ…)と、フィリップは内心で恍惚すら感じていた。しかし、勝負に気を戻し、ルークの隙を窺いすまして、右手めての先へ、やっ、と一声、木剣を打ち込んだ。
 ルークは、ひらりと素早く腕を引き、下段の木剣を疾風のようにフィリップ向けて打ち込んだ。猪口才なっ、とそれを躱した彼は、また大上段からルークの肩口目掛け打ち込んだ。発止と木剣が十字絡みにぶつかり、木屑がと振り撒かれる。
 必死の形相と驚嘆の眼、両雄は続け打ち、続け打ち。その最中、フィリップの脚がぱっとルークから離れた。木剣ばかりに気を取られていた彼は、うわっ、と前に蹌踉めき、落雷の如き強力な一撃が彼の頭を打ち込んだ。

「すわ、こりゃいかんっ。ルーク君、大丈夫かっ」

 ルークはぐったりと気絶し、打たれた眉間からは血汐が滲み出ていた。フィリップは、思わぬ烈剣を後悔し、前もって伝えていた掟などすっかり忘れ、青ざめた顔のルークを母屋に運んでいった。

「――う、うーん。此処は? 」

 ルークが眼を覚ますと、目の前には知らない天井が広がっていた。ずきずきと痛む頭には包帯が巻かれ、傍らではフィリップが不安げな面持ちでいる。

「ルーク君、気が付いたか。すまんな」
「いえ、良いんです。事前に話されてましたし」

 フィリップは恐るべき天才を、あたら自身の剣技で葬ってしまったのでは、と心配していたのだが、今やっと安堵の息を吐いた。ルークは、

「やっぱり強いですね。全然手も足も出なかった」
「何を言っているのだ、君は…」

 言い掛けた所で、フィリップは口を噤んだ。今此処で彼に自身の眼識を伝えるのは、かえってこの天才を潰してしまうのでは無いかと思ったのだ。
 事実、世の中には幼い頃から才能をもてはやされ、鍛錬を怠り、結果として埋もれてしまう者は数多い。剣にしても学問にしても、とかくおだてられた者は、憐れにもその才能を極めることは出来ないのが世の習いである。
 フィリップは、年長者なだけあってそのような者を多く見てきた。それで、ルークの才能を惜しむ気持ちで、

「未熟未熟。全く持って剣術になっていない。田舎娘の剣の舞の方がまだ見られるぞ」
「そうですよね…僕なんてまだまだです」
「もっと様々な名人達人に教えを乞い、充分に剣技を磨きなさい。今のままでは子供の剣術ごっこだ」

 フィリップは敢えて厳しい言葉を投げかけ、少年を鼓舞した。ルークの方も、それに心を熱くし、いつの間にか夕陽が沈み、満天の星空を浮かべる夜闇に向かって、

「僕は強くなるぞっ。もっともっと上達して、誰にも笑われないようになってやるっ」

 と叫び、彼方の青巒せいらんから顔を出した、夏の夜空に浮かぶ黄金色の月に向かって決意を新たにした。夜空に浮かぶ星々も一面の名鏡のようにも見える河の水、そして漆黒の空に黄金を添える真如の月も、彼の宣言を聞き、輝きを増したかのように見えた。
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