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第七話

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 フロリアン・ロスバーグが非業の死を遂げてから十日過ぎた。十三年住み慣れた街を出て、求道の一歩を踏み出したルーク・ブランシュは、街道を西に取って、三日ばかりは殆ど脇目も振らずに歩いた。
 もし訝しむ者があって、何処へ参るのか、と尋ねられれば、彼は即座に、

「コジロウ・ミヤモトに一剣を見舞いに」

 と答えただろう。それほどまでに張り詰めた面持ちであった。
 流石に飲まず食わずという訳にはいかぬので、ドルフ村の宿屋に入って空き腹を癒やしていると、五、六人の小作人がどやどやと入って来て、

「おい、見ろ。旅の武芸者様だ。武芸者様がいらっしゃる」

 と、口々に言い、その内一人がルークの前に平伏して、

「折り入ってお願いがございます。お一人での旅とあらば、相当腕に覚えがあるとお見受けします。私どもは、この村の者ですが、今向こうへ行く三人の山賊がおりまして、そいつらは此処の近くの小山に巣を喰っている輩でして、私どもの娘を妓妾ぎしょうに寄越せと無理矢理に引っ張って行ったんです。武芸者様、どうかお助け下さいまし」

 と、その親らしい小作人は、眼に涙を浮かべて騒ぎ散らしている。一人前の武芸者と見られて、ルークは内心悪い気はしなかった。しかし、相手は三人の山賊、しかも自分は剣術のの字も知らない身だ。だが、

「…それは気の毒な事ですね。よし、僕が娘さんを取り戻してあげますよ」

 彼は勇敢にもそう言い切ってしまった。
 全ては義父の仇を取るべく自分の剣を磨くための修行だ。浮世の艱難辛苦、敢えて自ら受難しよう。必死とあらば、コジロウ・ミヤモトと刃すら交わしたではないか――と、ルークは初めての冒険に心を震わせた。

「案内して下さい」

 此処ドルフ村はギョーム男爵領とホフマン男爵領の境に位置し、互いに治安維持の任を押しつけあっている。その為、双方共に衛兵を派遣しないので、それにつけ込んだ山賊の頭リック・リヒターという男が山砦を構えて、領主の如き専横を振る舞っている。
 今も、泣き叫ぶ娘を腕ずくで山砦へ連れていこうと、三人の筋骨隆々たる無頼者は、後ろから山津波のような声が起こったので、振り返ると一人の旅人を先頭に小作人十数名ばかりが鍬やら鋤やらを持って押し寄せてくる。
 無頼者達は娘を木に縛り付け、来たらば微塵、とばかりに身構えた。

 見る間に駆け寄っていくのはルーク・ブランシュ、その白皙の美貌は不敵な山賊共の度肝を奪うには全く事足りないが、空元気を振るい、声励まして、

「おい、そこの山賊っ。白昼堂々と他人の娘さんを誘拐するなんて許さないぞ」

 と、佩剣を抜き払って言い放った。山賊共は、彼の容貌に拍子抜けして

「黙れ小僧っ。誘拐とは何事だっ。妓妾にするため貰い受けるのだ」
「余り大人を舐めていると、その細首を引っこ抜くぞ」

 と、牙を剥いて罵った。

「それなら、腕ずくで取るぞっ」

 ルークは、一足退いて身構えたが、錬磨の無い腕の哀しさ、敵の一人が抜き打ちに喚き掛かる。
 はっとルークは、間一髪で刃を躱したが横合いから一人の小作人が、武芸者様に加勢しろっ、とめくらに振り込んだ木槍が一人の山賊の腰を突いた。

「おのれっ。この水呑百姓がっ」

 と、刺された者は槍の柄を掴んで持ち主を袈裟斬りにしてしまった。それを見た小作人達は、口ほどにも無い臆病を見せつけて蜘蛛の子のように逃げ散った。
 ルークは一人、抜き払った佩剣を両手で持ち、青ざめつつも退く気色を見せない。彼の構えを見て、

「ははは。見ろこいつの構えをっ。これは剣術を知らん」
「素人の小童がっ。嬲り殺しにしてやるっ」

 と、山賊は見くびりながら彼に真っ向から斬り下げた。その鋭さにルークは、ここぞと持った剣で渾身の横薙ぎ、戛と金属音がしたかと思うと、相手の剣は横へすっ飛んでいった。
 後の二人は烈火の如く怒り、その面に猛火を注ぎながら

「小癪な小僧めっ。観念しろっ」

 とばかりに斬りつけた。ルークにそれを防ぐ腕前は存在しない。あなや、と見る間に遠くに駆け出してまた向き直り、いざ来いっ、と言い放つ。
 卑怯な奴め、と二人は続けて斬り掛かる。ルークも矢車のように剣を振り回す。剣術も何もない笑止なものであるが、彼は必死の形相で先に踏み込んできた者の剣を弾き飛ばす。
 あっ、と驚いた山賊をルークは必死に大上段から刃を落とし、脳天から首元に至るまで真っ二つにしてしまった。どう、と斃れた山賊の死体にルークも倒れ込んだ。

「この野郎っ」

 と、その隙に残る二人が柄を握り締めて、上からルークを刺し殺そうとする所に、一人の旅人が後ろから駆け寄りざまに一人の首を斬り飛ばし、もう一人を返す細剣で一突き、左胸から血漿を撒き散らしながら山賊は斃れた。

 その早業は、ルークが一太刀の助けを入れる隙も無かった。彼は旅人の鮮やかな剣技に感嘆して、血溜まりの中で恍惚としていた。

「ルーク、怪我は無い? 」

 と、旅人からルークに声を掛けた。聞き慣れた声、風に靡く紅髪にルークは、はっとなった。旅人の正体はナタリーだったのだ。

「あ、ナタリー。助けてくれて有難う」
「良かった、弱虫だと思っていたのに三人を相手に大立ち回り、凄いじゃない。さ、早く穢らわしい死体の上から退いたら? 」

 えっ、とルークが自分の下を見ると真新しい脳漿や鮮血に染まった人間の死骸がある。そして自身も黒血に汚れている。

「こ、殺した。ぼ、僕が人を、人を」
「剣で斬りつければ人間は死ぬ。当たり前でしょ」

 ルークは青白い顔で、うーん、と呻いて気を失ってしまった。ナタリーは、あっと驚いて、

「強いのか弱いのか解らないなぁ」

 と、呆れつつ木に括られていた娘を解き放ち、筵を敷いてルークを寝かせた。

 間もなくルークは眼を覚ましたが、自身の手に残る、山賊を斬った感覚を忘れたくとも忘れられないようである。ナタリーは、震える彼を慰めて

「何をそのように怯えてるの。あなたはあの娘さんを助けたんだよ」
「でも…でも…」
「あなたがいなかったら、あの娘さんは酷い目に遭わされていたんだから、もっと喜びなさいよ。あなたのお陰で助かった人が確かにいるんだよ」

 ルークはその言葉に少し慰められたが、なお悄然と項垂れている。ナタリーは、

「ほらね、やっぱりルークに剣術修行なんて無理だよ。一人斬っただけで子鹿みたいに震えてるじゃない。帰ろう。男爵は、あなたが成人するまでお父様に払っていた俸禄を家に下さるって言ってるし」
「やだっ」

 ルークは、ナタリーの声を遮って大声を出した。ナタリーだけでなく、他ならぬ自分も、このような声が出せたのかと驚いたが、

「僕はフロリアン様の仇を討つんだ。そう決めたんだ。ナタリーこそ帰りなよ」
「駄目。あたしはあなたを連れ戻しに来たんだから」
「だったら僕は帰らないから、ナタリーが旅をする理由は無いよ」

 口先ではこう言うが、内心ルークは帰りたかった。帰ってナタリーの下でこれまで通りの生活をしたかったのだ。しかし、彼の中にある義憤の心、男子たる心はもうその弱音を許さない。
 帰る帰らない、押し問答をしている二人の所に、小作人が先の娘と共にやって来た

「どうしたの、何か用? 」
「そちらの武芸者様にお礼を言いたくて」
「そう言えば、どうして娘さんは掠われそうになっていたの? 」

 実は、とルークはナタリーに山賊の件を説明し、この村を救うために山賊共を一網打尽にしたい、と先の怖気も忘れて熱く語った。

「さっきの三人にも手こずっていたのに、そんな何十人も相手出来ると思ってるの? 辞めときなさい」
「別に全員を相手にするわけじゃないよ。頭目を捕まえれば良いんだよ。ね、お願いだよナタリー」

 幼い頃からルークと共にいるナタリーであるが、ここまで彼が意固地になるのは見た事が無い。彼を常に心配し、弟のように思っている彼女も遂に折れた。熱い信念は鉄の情を動かした。
 ナタリーは溜息をついて、

「…解った。でも、危なくなったらすぐに引っ張ってでも逃げるからね」
「有難う、ナタリー」

 そう言って、ルークは歩き出そうとしたが、待ちなさい、とナタリーが彼を呼び止める。

「怪我してるじゃない。ほら、ここ血が出てる」

 と、彼女はルークの手を握って腕に包帯を巻き始めた。
 ルークは、手当てをする彼女の手の温かさ柔らかさに一時、紅頬を塗ったように白皙を染め、うっとりと彼女の姿に見惚れていた。

「はい、終わったよ。…ルーク? どうしたの? 」
「え、あ、いや。何でも無いよ。有難う」

 ルークは慌てて顔を背け、足早に山賊の山砦へと向かっていった。
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