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第六話

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 クレムラート王国南部の天地を震撼させ、ギョームアメルン両家の士民を沸騰させた大木の下での真剣勝負に、アメルン伯爵領の代表ハーラ・グーロの代試合として現れたコジロウ・ミヤモトと、ギョーム男爵領の衆望と自身の家族愛を持って鬼気迫る顔のフロリアン・ロスバーグ。
 この二人が勝敗生死の刹那を現出させた時、哀号すべき悲惨、勃然たる歓喜、この晦明かいめいがはっきりと両者を区別して見せたであろう。

 しかし、後で思い返してもその一瞬を眼に映した者は殆どいなかった。向かい合う二人の間に静かなそよ風が吹き、大木の緑葉を舞わせると、いざっ、という大声が立った。
 二本の刃がつんざく稲妻をほとばしらせて、丁々と五、六合の打ち音がしたかと思うと、もうコジロウの屹然と立っているのに反して、フロリアンの首は胴から離れていた。…それほどまでに速かった。

「…」

 刹那の大衆は誰も一言も発さなかった。すると、アメルン伯爵方の桟敷がどっと勝ち鬨を爆発させ、アメルン領の土民達もそれに喊声を上げた。
 それに比べて、ギョーム男爵の桟敷は氷の山のようになっていた。極度の失望は見るも無惨で、男爵始め、居並ぶ群臣、領下の民衆もひっそりとして死人の軍団にしか見えない、悲壮さを漂わせている。不意に男爵が、

「誰か行かぬかっ。首を拾って参れっ」
 
 と、狂気に近い声を上げた。それに醒めて、四、五人の門弟達が転がっていった師の首に一目散、涙に頬を濡らしながら駆けていった。
 やがて拾われて来た首は、紫色の唇を噛み血と土で薄黒くまぶされていた。ギョーム男爵は、床几を立って沈痛な眼を落とし、

「…フロリアン、よく致してくれた」

 布の上に置かれた首は何も答えない。血溜まりの中に沈んでいるようにさえ見えるフロリアンの顔は、今にもアメルン伯爵へ噛み付いていくような形相である。同僚や門弟達はそれを見て、悲涙を浮かべたり肩を慄かせたりしている。

「帰るぞ。三日後に葬儀を行い、街の中に墓を用意せよ」

 と、男爵は見るに堪えぬ面持ちで命令した。黄昏陽に染められた空や背を伸ばす大木の影は、秋でもないのに蕭々に感じられ、間もなく死骸は兵士達の担架に乗せられ白布を被せられてそこを出た。
 一行に涙無き者はいない。我々の世界で言えば、かつて諸葛孔明を五丈原で喪い、それを秘して敗走する蜀軍と同じような哀々寂々あいあいじゃくじゃくとしたものが、一同の心にこみ上げてくるのだ。
 その途上、他念も無く恋に陶酔していたルークと、彼の態度を不審がったり面白がったりしてたナタリーはその酸鼻な葬列に邂逅した。

――その後二、三日、アメルン伯爵領の土民達は祭りのように大騒ぎしていた。伯爵家では勝ち試合の大祝宴と恩赦までした。
 ところが、ここに笑止なまでに惨めな者は、かのハーラ・グーロであった。試合当日の醜態から謹慎を申しつけられ、加えて数日後には

「武芸未熟の廉を以て、指南役を免役の上、家中より免官致す」

 という峻烈な命を受けた。
 ハーラを見放したアメルン伯爵は、とある渇望を抱いていた。

「どうだ、是非当家の剣術指南役になってはくれぬか? 」
「残念ですが、拙者はそのような大役、お引き受けしかねます」
「望むままの俸禄を与えるぞ」
 
 コジロウは、例の涼やかな眼を伯爵に向け、立て板に水の如く、

「拙者は俸禄が不満なのではありません。人に剣術を教えられる程の度量も無ければ、まだまだ未熟者です。それ故、また剣術修行の旅に出るので両三年はお目に掛かりますまい」
「何、この上まだ修行するのか。…それならば是非も無いが、我が家中の剣術指南役の席はお戻りになるまで空けておくから、待っておるぞ」

 コジロウは、伯爵の余りの未練がましさに内心呆れつつ、お世話になり申した、と彼の屋敷を辞した。

――数日後、コジロウは旅装束のまま勝負場だった大木の下にいた。まだ真新しい血の跡の前に正座して瞑目し、端然とした様子は美しい彫刻のようである。物悲しい夕陽が彼を照らし、影までもが葬式のように悄然としている。
 彼は、東の国から来た、とだけ名乗って、大木の下での一試合でその絶妙極まる剣技で名を轟かせ、アメルン伯爵の切なる招聘を一蹴し、飄然とまた旅に戻るのだ。しかし、このコジロウ・ミヤモトの剣術とは、そも如何なるものであろうか。
 世の中に剣術剣法というものは数多いが、コジロウの剣術はそれら俗世とは全く異なる秘剣と言っても良い。しかし、ただ摩訶不思議な秘剣術とばかり見て置くのはやや飽き足らない。

 コジロウの剣術の淵源は、必ずしも独創では無い。世の中の大凡がそうであるように、彼の剣術にも源流が存在する。
 彼の師は、かつてその名を世界に知らしめた大剣豪だったのだが、世捨て人となって、それまでの経験から感応自得して工夫を加えた秘術を編み出した。その後、生涯を終えるまで、コジロウ以外と剣の話をする事は無かった。
 コジロウも鍛錬を積み、十六の時、師が忽然と姿を消し、十七の歳となって、とある剣法の疑問に行き当たり、これを解決し得なければ真に達人たり得ぬ、と非常な煩悶を続けていたが、やがて住まいを閉じ、師に疑問の答えを尋ねるべく剣術修行に出た。そして、今が丁度一年に当たるのだ。

 大願を胸に秘めるコジロウには、此処での名誉功名などは、些末な旅情の慰めに過ぎない。ただ彼は、諸国を廻って名人と渡り合い、他流派の秘訣を学びたいと心がけているので、フロリアンとの試合も単にそれだけの心持ちで受けたのである。
 ところが、フロリアンの余りの気概、侮り難い錬磨の剣技があったので、思わぬ烈刀を振るった結果、彼の首を斬り飛ばしてしまった。
 コジロウは、亡骸に飛び付いて慟哭する少年と少女を見、後になってひどく後悔した。彼は今、急がぬ旅足をギョーム男爵領に向け、フロリアンを弔った後、一言彼の家族を慰めようと思い立ったのだ。

「…誰だ? 」

 不意に茂みから音がした。コジロウは訝しんで音がした方を見た。そこには茶髪白皙の少年ルークがいる。蹲って悄然と項垂れ、泣き腫らした顔には強い懊悩が見られる。

「ああ、少年。丁度良かった。貴殿と姉君に申し上げたいことが」
「・・・」

 ルークは不意に佩剣を抜いて、自分の喉を刺し貫こうとした。
 コジロウは、待てっ、と躍り掛かって彼の剣を叩き落とした。ルークはと涙目で彼を睨みつけ、

「お、お前はっ。よくもフロリアン様をっ」

 と、剣を拾い、惑乱の刃を喚きながら振り回した。
 踏み込んできた所を、コジロウがと躱し、刃は空しく閃光の輪を描く。
 (これは・・・)と彼はその剣筋に何かを感じた様子。
 しかし、コジロウは一瞬に満たない速さでルークの手元に躍り込み、抜く手も見せずに刀を払って、彼の剣を弾き飛ばし、返す刃で肩に強かな峰打ちを加えた。膝をついたルークが立ち上がろうとすると、目の前にはコジロウの刀の切っ先があった。
 
 ルークは、そのままと泣き始めた。夕陽に照らされる彼の涙を見て、コジロウは太刀左手に

「仇討ちがしたいのであれば、己の力量の見極めくらいせぬか! 今、敵わぬ相手に挑み、返り討ちに斬られては仇討ちにならぬ、このたわけ! 」

 勃然と叱りつけた。ルークは、耳を塞いで眼を血走らせ

「う、煩い煩い煩いっ。黙れっ」
「だが解っただろう少年。拙者と貴殿の技量の差が。今此処で貴殿を殺すのは嚢中の物を取り出すより容易い」
「…」
「それでは仇討ちが出来ないだろう。ご尊父を殺めた拙者を恨みに思うは是非も無いが、命を粗末にするな。この勝負は預けておく故、剣術を磨き給え。充分に強くなった後、もう一度相まみえよう」

 そう言って、刀を鞘に収めたコジロウは、ルークの剣を拾い上げて彼に手渡した。そして彼を見て、

「良く手入れされた剣だ。少年、名はなんと言う」
「…ルーク・ブランシュ」
「そうか、拙者はコジロウ・ミヤモトと申す。またいずれ会おう。ルーク殿、十年でも二十年でも拙者はお待ち申しておるぞ」

 コジロウは、ルークに背を向けて歩き出していった。そのまま無防備な背中を貫こうか、ともルークは考えたが、コジロウは背中に眼でもあるかの如く、一寸の隙も須臾の油断も無い。
 何より、先程の彼の人柄を見た己の良心と名誉の心が不意打ちの卑怯を許さない。ルークは、夕陽に照らされて徐々に遠ざかっていくコジロウの姿を恍惚と見送っていた。

 翌日、ナタリーは打ちひしがれた顔のまま起き出した。父を喪ってからというもの、心も魂も抜け出したかの如く悄然としている。

「た、大変ですっ。お嬢様、ルークがっ」

 と、使用人が駆け付けて来た。ナタリーは、はっと色を取り戻して、

「どうしたのっ? まさか、自殺でも…」

 と、不安そうな面持ちで尋ねた。てっきり義父のような主人の死を慕って行った。そう直感が働いたのだ。しかし、

「違いますよ。これを読んで下さいよ、あいつやりましたよ」

 と、使用人が喜びの面で手渡す手紙を読み進める内に、わなわなと震えだし、

「ば、莫迦ルークッ。何が出来るって言うのっ」

 と叫んだ。手紙には、主人の仇を討つため剣術修行に行くので暇乞いをしたい、という趣旨がこれまでのナタリーとの思い出や感謝の字句を以て綴られていた。

「あんな弱虫泣き虫本の虫に、剣術修行なんて無理に決まってるっ。剣の握り方も解らないくせにっ。こうしちゃいられないっ」

 と、ナタリーは、慌ただしく旅支度を始めた。そして、家庭教師と使用人の二人に、

「今日からあたしはルークを連れ戻す旅に出る。二人とも、今まで有難う。帰って来られるか解らないから、今日で二人には暇を出します。この家にある家財道具を何でも持って行って良いからね」

 と、言った後、細身の剣を佩いた身軽な旅装束姿で、ルークの後を追って旅立っていった。
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