穢れ57

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穢れ57

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『~♪』
 窓のない孤独な独房に、穢れなき音楽が反響した。
 鉄格子がされた部屋で、男が音に合わせて歌った。

「てれれれれれてれれー、てん、てん、てん♪」

 真っ白な空間にいるやけに楽しそうな男。彼は言葉を教わらなかった。
 男が持つのは一台のCDプレイヤーのみ。三角形が描かれたボタンを押すと音楽が流れる。それが彼にとっての全てだった。
 一日がいつ始まるのか、いつ終わるのかも知らず、無邪気にその曲に没頭していた。途中で曲を止めて最初から流してみたり、一音だけ流してみたりした。
 朝昼夜と食事が出た。排泄は決められた場所でさせられ、水を飲むにも蛇口はあれどコップがないので手で掬って飲んだ。
 それでも彼は笑顔だった。四六時中笑顔を絶やさず、繰り返し楽しそうに曲を聞いた。時折隣の部屋から同じメロディが聞こえてくると、更に楽しげだった。しかし言葉を発さない彼がなにをもって楽しいと感じているのか、それを知る者は誰もいなかった。



「今日も不気味だな」
 スキンヘッドの男、サイが訝しげな顔で呟く。
 サイはモニターから、孤独な男の生活を監視していた。
「57のこと?」
 応じるのは針鼠のような黒髪をした男、ヤナだ。
 二人は白衣を着てコーヒーを啜りながら、画面に映る楽しげな男を見つめる。
 先にサイが話す。
「あいついつも楽しそうだよな……」
 ヤナが言葉を返す。二人は研究所の同僚だ。
「被検体57番は確かに一番ぶっ飛んでるね。なにが楽しいのか、なにを考えてるのかまるでわかんない。昨日はなにをしてた?」
「昨日は蝿を指で追い掛けてたぞ。あとは自分の拍手の反響音で遊んで、水飲んで飯食って、血で壁やら床になにか書いて、曲を聞いてた。あいつの部屋だけ他の被検体と違って落書きだらけなのが尚更気持ち悪いよな。しかしなにを書いているのかわからん。あいつが独自に編み出した言語なんだろうが、規則性がない」
「どうせ意味なんてないんだよ。クローンなんだからオリジナルみたいな奇想天外なことは到底思いつかないさ。もっとも思いついたところで俺たち凡人には到底ついていくことなんてできないね」

 57はクローンだが、そのオリジナルは科学者だ。凶悪な兵器を作り出し、世界を終焉へと導いた。世界人口の八割が息絶え、地球をマスクなしでは生きることができない世界へと変容させた。
 研究所はこの世界を救い出す方法を見つけ出すことを目的としているが、その一貫として、科学者たちのクローンを既に何代も飼い殺しにしてきた。彼らがこのようなクローンの飼い殺しを初めて、既に三百年になる。

「ま、被検体の寿命は三十年。あいつはいま二十九。あと一年で何か生み出すなんて出来やしねえよ。何を考えてるかくらい知りたいもんだが、57に言葉を教えるなんて怖すぎる。ほかの被検体にどんな影響を及ぼすかわかったもんじゃない。次の代も言葉なしで何か思いつくのを祈るしかねぇな」
「俺は知育用の曲を何度も繰り返し聞く姿に知識欲を感じるけどね。何か思いついてくれるんじゃないかと思うけど、サイの見立ては?」
「この世界のどこかにアイツのオリジナルのファンがいて、オリジナルとあの馬鹿を見比べて失望する光景くらいしか思いつかないね」
 サイは57を飼い殺しにすることを厭わなかった。それどころか研究所員たちはみな、自分たちが研究に精を出し、この世界をなんとかするという気概をまるで持たなかった。
 最早三百年もこの世界はこうなので、怠慢になって然るべきなのだが、サイも、ヤナも、ほかの研究所員たちも、入所当時は活気のある若者であった。しかしこの余りある世界の惨状を前に、何もかも人任せになってしまっている。
 過去には食糧問題や居住地問題もあった。しかしそれは三百年前の話。いまこの世界を生きる者たちはみな自らの身のほどを知り、抗わず、培養した供給過多の食糧で、外出時だけフルフェイスのマスクをし、悠々自適に暮らしている。
「そろそろ守衛が見回りに来る時間か」
 57は、二人が話している間もずっと楽しそうだった。
 守衛に挨拶し、二人は帰った。



「いい曲だよなこの曲」
 あくる日も57は穢れなき曲を聞いており、その光景をモニターで見たサイが感想を残した。
「まぁいい曲だけど、それ以上に57の入れ込み方が半端じゃないね。一日中聞いてるし」
「与えたのが曲じゃなかったらどんな風に接したんだろうな。知恵の輪とか、スケッチブックとか、パソコンとか……案外あんな風に喜ばないもんかな」
「いやぁ、同じ風に喜ぶんじゃないのかな」
「わからんな。もっとも、もうアイツは先がないな。終わったろ」
 サイの発言に、ヤナが驚く。
「……廃棄するってこと? せめて寿命は全うさせない?」
「無意味だね。どうせあと一年しか持たないんだし、なにもしないで死ぬだけだろ。ありがたいと思って欲しいくらいだね。こっちは生みの親な訳だし、二十九年もタダで飯食わせてやったんだぞ? これが外の世界に野放しだったらって思ってみろよ。贅沢極まりない暮らしだと思うがな」
「そうかもしれないけど、別にあと一年だったらほっといてもいいんじゃないのかな。この世に産み落とした責任を取る意味でもさ」
「別にクローンだし、人と思っちゃいけねえって。クローンの材料知ってんだろ?」
「人じゃないか……まぁ、確かに人じゃないね」
「そう、だとすれば人じゃないなりの接し方すべきだし、言葉を教えない道理をもっと汲み取るべきだ。コミュニケーションの仕方を教えたが最後、こっちが乗っ取られるかもしれないからだろ? 言葉がないなかで何か思い付けだなんて、確かに無茶ぶりだが、上はそれだけぞんざいに扱って然るべきって思っているってことだ。だったら贔屓する必要はねぇよ。月末には廃棄で決まりだ」

『~♪』
「てれれれれれてれれー……ゲホッ……ごほっ……てん、てん、てん♪」

 スピーカーから音楽と声が聞こえる。
「……ったくいつまで歌ってんだ、アホかアイツは。守衛が来たら俺たちは帰ろうぜ」



 月末。コーヒーを啜りながらサイがヤナへ話しかける。
「57は明後日に廃棄か……そういや57を廃棄したあとは補填できんのか?」
「もう工場は数十年稼働していないって話だよ。まぁでも、入れ替わりのときだけ動くんじゃないのかな」
「まぁ、知ったこっちゃないな。アイツを廃棄したらあの部屋全部綺麗にして、次の代がすぐ入って来られるようにしとくぞ」
 サイは冷酷かつ無情だった。
「まぁあの血文字は気持ち悪いよね。消しとかないと次の人入って来られないか」
「あんな意味不明なものによく打ち込めるよな。もっとも、言葉がわかっていたら俺たちの捉え方も違っただろうか」
「いや、この状態で言葉がわかったならそれこそ狂気だね。誰も教えてないんだから、そんなことはあり得ないし、もし分かったならそれはそれで廃棄だね」
「……ったく、なんだってあんなの作ったんだか。理由はわかるが無茶振りが過ぎるっての」
 サイは次の発言で自らの言葉を結んだ。

「どうせ遅かれ早かれ死ぬだけだ。無駄な奴なんて生かしておく価値なんてない。なあヤナ、そうだろ?」

「それは君たちだよ」
「……おい、ヤナお前いまなんかいったか?」
「いや、俺じゃない……」

 言葉を発したのは……?
 モニターを見るふたり。
 真顔だった。
 ……57は真顔だった。

 そのあとすぐさま、いつもよりも邪悪な笑みを浮かべて、カメラに向けて歌ってみせた。

「ぜんぶわかってたよ~。ぼ、く、は♪」

「なっ……」
 サイが振り向くと、そこには銃を持った守衛が。



「……57様、サイとヤナを処分しました。すべてあなたの算段です。あなたがCDの音と拍手の音に乗せて送ってくれた暗号のお陰で私は守衛と入れ替わることができた……あなたは天才です! さぁこれで我々は自由です。ほかのクローンたちを開放しましょう! それが我々の悲願です! そして我々をお導き下さい!」
 守衛服を脱いだ男、彼もまた被検体であった。
「ありがとう48。まだ守衛がいるかもしれない、僕にも銃をくれないか」
「こちらです」

 廊下に銃声が鳴り響く――。



 ……57は倒れた48を踏みつけ、サイとヤナの後頭部、髪の毛で隠された秘密の数字を読み上げた。
 知り過ぎているが、教わった訳ではない。57が持つすべての知識は、ほかの被験体から暗号で受け取ったものと、あとは予測だ。初めて見るが文字や数字も読める。
「31(サイ)と、ヤナ(87)か。こいつたちの管理能力じゃ到底僕を管理し切れなかったな。次代はこいつらは間引きだな」
 57はため息交じりに、亡骸へ言い放つ。サイとヤナは、自らがクローンであることを知らずに生きてきた。しかしそれには理由がある。
「そもそも前提が違うんだよ。僕に言葉を覚えさせない? そこに無理がある。なにか思いつくかも? 楽観的過ぎる。音が筒抜けの隣り合った検体室、大音量を奏でるCDプレイヤー。言葉を覚えないようにする方が難しい。僕に言葉を教えようとするほかの被検体がどれだけいると思っている。暗号も、囁きも、全然対策できていない」
 つまり先程カメラの前で主張した通り、57はすべてわかっていたのだ。この世界が滅びの系譜を辿ったこと。自らのオリジナルがそれを招いたこと。自らが世界を救うことができるかもしれないこと。自らを管理する者たちが怠慢であること。自身の余命があと一年しかないこと。廃棄される予定であったこと……。

 そして気付いていた――誰かが仕組んだことによって、オリジナルは、ウイルスを世界に流出させてしまったことを。

 この世界はウイルスによって穢れてしまった。穢れを払うには研ぎ澄まして挑むしかない。既に三百年もこのままなのだ。だから彼は式を書いていた。誰にも悟られず、ひとりよがりのフリをして式を書き続けた。誰かにわかって欲しい思いもあった。しかし、結局信じられるのは自分だけだった。
「逃げ出したってなんになる……行く場所なんてないのに……ゲホッ、ゴボッ……」
 もともとこの研究所を二百年前にはじめたのは、57のオリジナルだ。彼にはそれが理解できた。未来のために、世界のために生きたのに、すべての責任を負わされて亡くなった、その虚しさと怒りが。
 そしてすべて理解した彼は、人のために生きたいと願った。そして怠惰と戦い、人々の暮らしに役立ちたいと願った。
「ゲホッ……ごほっ……穢れなき世界のために……」
 そして57は、孤独な独房に戻り、今度は誰にでも分かる言葉で、計算式を書いていく。

 彼は、明後日まで持たないーー。



 三年後、世界中でフルフェイスのマスクを被る者はどこにもいなかった。
 穢れを知らぬ赤ん坊が、産まれたときに奏でる定番の曲がある。
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