法廷の魔王~神崎斗魔の黙示録~

月原蒼

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第一章【リビング・デッドは水死体】

行き当たりばったり初公判

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 藤堂の弁護を引き受けてから一週間、神崎は特に犯行現場を見に行ったりもせず、朝から晩までテレビを見ながら本を読む生活をしていた。麻宮はいつもの事だと思い、特に苦言を呈するような事はしなかったが、苦戦を強いられる事が安易に想像出来るこの一件で、どうしてそこまでのんびりしていられるのかが分からなかった。

「さて、もうすぐ東京地裁ですが、本当に準備は出来てるんですか?」

 車を運転しながら、麻宮は神崎に聞いた。

「準備も何も、第一審の初公判だよ? もう少し気楽にいこうじゃないの」
「全く、なんでこんな人が連戦連勝弁護士なのか、私には理解が出来ませんよ」

 隣で書類をパラパラとめくり、訴訟内容を確認する神崎に対し、麻宮はそれをなぜ今やるのか、と問いかけたくなる気持ちもあったが、殺人事件の刑事裁判を目前に控えた弁護士の心情を察し、口をつぐんだ。自らも弁護士を志望していたこともあり、弁護士との接し方は心得ているつもりだった。
 東京地方裁判所、通称、東京地裁。そこに到着する頃には神崎も書類を読み終え、うたた寝をしていた。

「さて、着きましたよ神崎さ……神崎さん? 何寝てるんですか。起きてください」

 駐車場に車を停めた麻宮が助手席を見ると、そこには瞳を閉じ、一定のリズムで呼吸をする神崎の姿があった。神崎の肩をゆすり、目を覚まさせようとする自らの姿を、まるで母親の様だと感じた麻宮だったが、自分より年上の息子などいてたまるかと、頭から振り落とした。

「ん……いやだな。寝ていないよ。集中するために瞑想をしていたんだ」
「それは、邪魔をしてしまってすみません」

 神崎のルーティンワークを阻んでしまったのではないかと思い、自責の念に駆られる麻宮。だが、彼女の記憶には、神崎が公判前に瞑想をするなどと言う行為は一切存在しなかった。それを少し疑問に思いもしたが、新しく始めた習慣なのであろうと、自分に言い聞かせていた。

「いや、構わないよ。寝てただけだし」
「なんなんですか! 本当に!」
「あーこわこわ。それじゃあ行ってくるよ」

 憤怒を露わにした麻宮に怯む素振りも見せず、神崎は車を出ていった。

 ■

「以上の状況証拠、そして近隣住民の目撃証言より、藤堂実里は夫である藤堂幸一を近隣の川にて殺害、家に遺体を持ち帰ったものと推察されます。よって、懲役八年を求刑します」

 藤堂幸一殺人事件の担当検事である長谷川武雄はせがわたけおが言った。被告人席には藤堂実里、その弁護人席には神崎斗魔が座っている。

「弁護人、異議は?」
「はぁ……あるに決まっているでしょう」

 神崎は相手を見下すような表情で異議を申し立てる。神崎の異議申し立てを受け、長谷川は顔をしかめた。何故なら、神崎の初公判のやり口を知っているからだ。
 初公判においての争点は、物的証拠や状況的証拠の提出、その上で検察側の求刑というのが一般的である。だが神崎は、その証拠の数々の有用性を問い、証拠能力を喪失させることが常套手段だった。

「まず第一に、川から自宅へ遺体を運んでいた場面を目撃したとの証言がありますが、その証言が藤堂実里本人を見た、ではなく何か重そうな荷物を運んでいる女性を見た、であることに疑問を感じます。本人であると断定できない証言によって有罪にするのは些か早計ではないかと感じます」
「だが、それはあくまで証拠の一つだ! 藤堂実里にはその時間のアリバイはない!」

 神崎による指摘を、長谷川は論点をずらすことで応戦する。藤堂に犯行時刻のアリバイが無いことは事実であり、犯人であると考えるには十分な材料だった。

「アリバイなんてものはある方が不自然なんですよ。人間は一人で過ごす時間がとても多いんですから。そもそも川で溺れさせた上で自宅にまで運ぶなんてずさんな犯行に及んだことも疑問です。夫婦であるのだから、自宅で殺せばよかったのではありませんか?」
「それは屁理屈、結果論に過ぎない。衝動的な殺人である可能性もあるだろう」

 長谷川が何の気なしに放ったその一言を、神崎は決して聞き逃すことは無かった。
 ニヤリと笑った神崎は、ここぞとばかりにまくしたてる。

「長谷川検事、あなたが俺と同じ視点で見ていちゃダメですよ。あなた方は藤堂さんを犯人だと断定した上で起訴しているんです。可能性の話を持ち出すのは確証も無いのに起訴したと言っているようなものではないですか? 計画的犯行だったかどうかも判断しかねる状況で起訴をするなんて、検察側もあわてんぼうなんですね。裁判長、私からは以上になります」

 静まり返る法廷。傍聴人でさえ唖然としている。これが神崎のやり方であった。相手の発言の穴を徹底的に掘り進める。それにより見つかる検察側の見解の矛盾という名の金鉱石。それを法廷内で露わにすることにより、裁判官からの心象を悪化させるというものであり、傍から見れば悪逆非道である。

「これにて第一公判は終了、次回は証人尋問になります。それでは閉廷します」

 裁判長の一声により、初公判は終了となった。長谷川は神崎を一瞬睨み付け、法廷を後にする。彼は揚げ足を取られた事に腹を立てていた。検察側としては、起訴してしまえば99%有罪に出来るのが刑事訴訟であり、まともにやりあえば敗訴などはありえない。だがそんな通例を平気で覆す相手である神崎に、少しばかりの恐怖を抱いているのは紛れもない事実であった。
 もし仮に、藤堂実里が冤罪ではなかった場合、敗訴はそれ即ち殺人犯を世に放つことになる。それは検察、ひいては日本全体の警察機関の信頼にも直結することである。逮捕し、起訴したからには有罪を勝ち取らなければならない。それが長谷川の考えであり、信念だった。
 そんな信念を打ち砕こうとする神崎に、長谷川は恐怖と共に、怒りを覚えていた。

「さて、初公判はイーブンってところです。藤堂さん、また後程お話を伺いに行きますね」
「分かりました」

 そんな会話を交わし、藤堂は身柄を拘束されたまま、法廷を出る。残された神崎は、一人提出された証拠を眺めていた。

 ■

「あれ、今日は早かったですね」

 裁判所内のソファに座っていた麻宮の元へ戻った神崎を見て、麻宮が言った。

「まぁ、初公判なんてこんなものさ。さて麻宮さん、連れて行ってほしい所があるんだけど」

 別段疲れている様子も見せず、神崎はそう言った。麻宮も、驚く様な素振りさえ見せず、カバンを持って立ち上がり、言った。

「えぇ。分かってますよ。犯行現場、藤堂家ですよね?」
「さすが藤堂さん。事務員も板についてきたね」

 二年間という期間は人と人の信頼関係を構築するには十分な時間である。初めこそ神崎の突飛な立ち振る舞いに困惑した麻宮だったが、今となっては神崎のやりたい事や考えている事が手に取るように分かるようになっていた。神崎もそれには気付いており、自分にとってなくてはならない存在だと感じていた。

「あくまで法学を学ぶために働いているんです。司法試験に合格したら事務員は卒業ですよ」

 そう言い返す麻宮自身も、自分はこれからもこの事務所で事務員として働いていくビジョンが色濃く見えていた。それほどまでに、司法試験の連敗が彼女の意気をそぎ落としていた。

「是非とも頑張ってくれよ。俺の負担を少しでも減らしてくれ。なんなら新しく弁護士を雇ってくれてもいい」
「それは神崎先生の仕事じゃないんですか?」
「何を言ってるんだい? 俺の仕事はあくまで弁護だ。事務所のやりくりは麻宮さんの仕事だろう?」

 神崎とは口論で勝てないと悟っていた麻宮は、言い返そうともせず、言葉をそのまま受け入れる。

「はぁ。まぁ分かりましたよ。丁度新しい弁護士が生まれる時期ですし、新人でも良ければ見つけてきます」
「それでこそ神崎法律事務所の優秀な事務員だね」

 神崎は満足そうに笑った。
 それから神崎は少々不機嫌そうに歩く麻宮を追いかけ、事件現場である藤堂宅へと向かった。
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