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第一章【リビング・デッドは水死体】
死体が夜道を歩くのか
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「面会だ」
番号で呼ばれた女性は、酷くやつれた顔をしている。今まで自らの名前で呼ばれることが当たり前だった彼女にとって、この拘置所での数日間はこの上なく辛い日々であった。
よろよろと立ち上がり、看守による監視の元、面会室へと向かう。その足取りは、まるで足に大きな枷を着けられているかのように重く、彼女の心理状況を代弁しているかのようだった。
面会室に入り、アクリル板の奥を見る。彼女には面会に来るような人はおらず、まるで誰だか予想が付かなかった。だからこそ、そこにいたのが誰しもが知る弁護士、神崎斗魔だと理解した時、彼女は驚きを隠すことが出来なかった。
「え……っと。私にどういった御用でしょうか?」
恐る恐る尋ねる。
「藤堂実里さんですね? 俺は神崎法律事務所の神崎です。今日はあなたにお話を伺えたらと思いまして」
「なぜ、私の名前を?」
テレビで見た事のあるほどの有名人に名前を知られていたことに驚く藤堂。だが、テレビで見聞きする姿はまるで悪人そのものであったことから、少しばかりの不信感を覚えているのも事実だった。
「驚かせてすみません。こちらは助手の麻宮麗華。彼女が入手してきた情報で知りました」
「助手ではありません。事務員です。今日はよろしくお願いします。藤堂さん」
「では早速本題に入りましょう。藤堂さん、あなたは本当に夫を殺したんですか?」
その質問に対し、藤堂は黙って首を振った。
「そうですか。それは安心しました。この一件、俺に担当させてください。あなたの無実を証明してみせます」
「お言葉は嬉しいのですが、どうやっても私の無実なんて証明出来る訳が……」
「藤堂さん、それは違いますよ」
麻宮が肩を震わせながら話す藤堂をなだめるように言った。
「違う、ですか?」
「えぇ。この神崎先生、見た目こそこんなですが、実績と能力は圧倒的です。二年間近く見てきた私が保証します。だから、戦いましょう、藤堂さん」
「でも、私はもう自白をしてしまっていますし……」
藤堂がそう言った瞬間、面会室内の空気が凍り付く。
「と、藤堂さん。今なんと?」
「えっと、あまりに厳しい取り調べだったものですから、耐え切れず罪を認めてしまいました」
「……」
黙って顔を見合わせる神崎と麻宮。その顔には焦りの色が浮かんでいた。
自白、つまり藤堂が罪を認めたという事は、他の状況証拠と合わせて裁判では大きな材料になる。一貫して黙秘権を行使し、否認を続けていればまた違う裁判になったであろう。だが、被疑者が自らの罪を認めてしまった以上、本件の裁判は有罪であるか無罪であるか、という判断の場ではなくなる。どれほどの刑に値するか、を決める場になるのだ。
「なるほど。分かりました。ですが、諦めることはありません。必ず無罪を勝ち取りましょう」
「自白してしまった事に問題がありましたか……?」
神崎と麻宮のただならぬ空気をアクリル板越しに感じ取った藤堂が、おどおどした様子でそう尋ねた。辛い取り調べとはいえ、やってもいない罪を認めてしまったことは、非常に不利である。藤堂はそれを考えまいとしていたが、眼前に広がる二人の様子を見て、自らの過ちに気付いてしまったのだ。
だが、神崎は気にも留めない様子で口を開く。
「確かに自白をしてしまった事は大問題ですが、それをノープロブレムに変化させるのが私の仕事です」
「それは……私の弁護を担当してくださるということですか?」
「えぇ。そうです。私があなたを弁護します。必ず真実を明らかにしましょう」
そう言って親指を立てる神崎。その瞳には、敗北を知らぬ王者の光が宿っていた。
「本当に、お願いしてもいいんですか?」
藤堂は、抗いようのない検察からの濡れ衣を、払拭出来るのではないかと、直感的に感じた。弁護士として非常に優秀な神崎の力を借りれば、自らの潔白を証明出来るかもしれないと。
「もちろんです。それでは今日は失礼します。あと少しの間だけ、この環境を我慢していてください」
「分かりました……! ありがとうございます……!」
藤堂は、心から湧き上がる感謝の想いを伝える術が思いつかず、ただひたすらに礼を述べ続けた。拘置所生活のあまりの辛さに心が壊れてしまいそうであったが、神崎や麻宮のおかげもあって、少し前向きになることが出来た。
■
「神崎先生、よかったんですか?」
面会を終え、事務所へと向かう車中、麻宮は神崎に問いかけた。何について聞かれているのか、神崎は当然理解もしていたが、敢えて拾うようなことはせず、知らぬ存ぜぬと言った風に聞き返す。
「何が大丈夫だって?」
と。麻宮が聞きたいのは、何故あそこまで不利な状況でありながら弁護を引き受けたのか、ということであった。法廷に立てば当然勝ち、連戦連勝の記録を打ち立ててきた神崎にとっては、酷く困難な裁判になることは容易に想像が出来た。
「だから、どう考えても有罪になりますよ、この事件。どうやって勝つつもりですか?」
「それは簡単な話だよ。この事件の真相を法廷であるがままに話せばいい」
麻宮は、助手席でのんきに振る舞う神崎にあきれた様子を見せる。神崎はいつもこうであった。麻宮が接している時の神崎は、飄々としており、とても魔王などという象徴からは程遠く見えた。それなのに何故、どんな裁判でも勝訴を勝ち取ってくるのか、理解することが出来なかった。
「真相なんて全く見当もついていないくせに」
「そんなことはないさ。俺の頭には既におおよその成り行きが想像出来てるよ」
「それってどんな真実なんですか?」
「なぁに、簡単な話さ。事故で溺死した死体が夜道を歩いてリビングまで帰って来ただけの事だよ」
拍子抜けした顔でため息をつく麻宮。彼女は、神崎が負けるところを、初めて見るかもしれないと思った。
番号で呼ばれた女性は、酷くやつれた顔をしている。今まで自らの名前で呼ばれることが当たり前だった彼女にとって、この拘置所での数日間はこの上なく辛い日々であった。
よろよろと立ち上がり、看守による監視の元、面会室へと向かう。その足取りは、まるで足に大きな枷を着けられているかのように重く、彼女の心理状況を代弁しているかのようだった。
面会室に入り、アクリル板の奥を見る。彼女には面会に来るような人はおらず、まるで誰だか予想が付かなかった。だからこそ、そこにいたのが誰しもが知る弁護士、神崎斗魔だと理解した時、彼女は驚きを隠すことが出来なかった。
「え……っと。私にどういった御用でしょうか?」
恐る恐る尋ねる。
「藤堂実里さんですね? 俺は神崎法律事務所の神崎です。今日はあなたにお話を伺えたらと思いまして」
「なぜ、私の名前を?」
テレビで見た事のあるほどの有名人に名前を知られていたことに驚く藤堂。だが、テレビで見聞きする姿はまるで悪人そのものであったことから、少しばかりの不信感を覚えているのも事実だった。
「驚かせてすみません。こちらは助手の麻宮麗華。彼女が入手してきた情報で知りました」
「助手ではありません。事務員です。今日はよろしくお願いします。藤堂さん」
「では早速本題に入りましょう。藤堂さん、あなたは本当に夫を殺したんですか?」
その質問に対し、藤堂は黙って首を振った。
「そうですか。それは安心しました。この一件、俺に担当させてください。あなたの無実を証明してみせます」
「お言葉は嬉しいのですが、どうやっても私の無実なんて証明出来る訳が……」
「藤堂さん、それは違いますよ」
麻宮が肩を震わせながら話す藤堂をなだめるように言った。
「違う、ですか?」
「えぇ。この神崎先生、見た目こそこんなですが、実績と能力は圧倒的です。二年間近く見てきた私が保証します。だから、戦いましょう、藤堂さん」
「でも、私はもう自白をしてしまっていますし……」
藤堂がそう言った瞬間、面会室内の空気が凍り付く。
「と、藤堂さん。今なんと?」
「えっと、あまりに厳しい取り調べだったものですから、耐え切れず罪を認めてしまいました」
「……」
黙って顔を見合わせる神崎と麻宮。その顔には焦りの色が浮かんでいた。
自白、つまり藤堂が罪を認めたという事は、他の状況証拠と合わせて裁判では大きな材料になる。一貫して黙秘権を行使し、否認を続けていればまた違う裁判になったであろう。だが、被疑者が自らの罪を認めてしまった以上、本件の裁判は有罪であるか無罪であるか、という判断の場ではなくなる。どれほどの刑に値するか、を決める場になるのだ。
「なるほど。分かりました。ですが、諦めることはありません。必ず無罪を勝ち取りましょう」
「自白してしまった事に問題がありましたか……?」
神崎と麻宮のただならぬ空気をアクリル板越しに感じ取った藤堂が、おどおどした様子でそう尋ねた。辛い取り調べとはいえ、やってもいない罪を認めてしまったことは、非常に不利である。藤堂はそれを考えまいとしていたが、眼前に広がる二人の様子を見て、自らの過ちに気付いてしまったのだ。
だが、神崎は気にも留めない様子で口を開く。
「確かに自白をしてしまった事は大問題ですが、それをノープロブレムに変化させるのが私の仕事です」
「それは……私の弁護を担当してくださるということですか?」
「えぇ。そうです。私があなたを弁護します。必ず真実を明らかにしましょう」
そう言って親指を立てる神崎。その瞳には、敗北を知らぬ王者の光が宿っていた。
「本当に、お願いしてもいいんですか?」
藤堂は、抗いようのない検察からの濡れ衣を、払拭出来るのではないかと、直感的に感じた。弁護士として非常に優秀な神崎の力を借りれば、自らの潔白を証明出来るかもしれないと。
「もちろんです。それでは今日は失礼します。あと少しの間だけ、この環境を我慢していてください」
「分かりました……! ありがとうございます……!」
藤堂は、心から湧き上がる感謝の想いを伝える術が思いつかず、ただひたすらに礼を述べ続けた。拘置所生活のあまりの辛さに心が壊れてしまいそうであったが、神崎や麻宮のおかげもあって、少し前向きになることが出来た。
■
「神崎先生、よかったんですか?」
面会を終え、事務所へと向かう車中、麻宮は神崎に問いかけた。何について聞かれているのか、神崎は当然理解もしていたが、敢えて拾うようなことはせず、知らぬ存ぜぬと言った風に聞き返す。
「何が大丈夫だって?」
と。麻宮が聞きたいのは、何故あそこまで不利な状況でありながら弁護を引き受けたのか、ということであった。法廷に立てば当然勝ち、連戦連勝の記録を打ち立ててきた神崎にとっては、酷く困難な裁判になることは容易に想像が出来た。
「だから、どう考えても有罪になりますよ、この事件。どうやって勝つつもりですか?」
「それは簡単な話だよ。この事件の真相を法廷であるがままに話せばいい」
麻宮は、助手席でのんきに振る舞う神崎にあきれた様子を見せる。神崎はいつもこうであった。麻宮が接している時の神崎は、飄々としており、とても魔王などという象徴からは程遠く見えた。それなのに何故、どんな裁判でも勝訴を勝ち取ってくるのか、理解することが出来なかった。
「真相なんて全く見当もついていないくせに」
「そんなことはないさ。俺の頭には既におおよその成り行きが想像出来てるよ」
「それってどんな真実なんですか?」
「なぁに、簡単な話さ。事故で溺死した死体が夜道を歩いてリビングまで帰って来ただけの事だよ」
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