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後日談(オスタリア王国編)
消えた王族費の行方 (1)
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ルートヴィッヒの説明を面白がって、マリーは笑い声を上げた。
「まあ。本当に『悲劇のアントノワ侯爵家』なんて言われているの?」
「うん、つい最近のことだけどね」
シーニュでは、二年前にロベールに下された横領罪の判決について、疑問の声が上がりつつあるそうだ。冤罪が晴らされるなら、めでたいことだろう。
だがそれを聞いて、マリーは首をかしげた。
「どうして今さら?」
「とある新聞記事がきっかけになってね」
ルートヴィッヒは、シーニュで発行された新聞に載った、ある記事のことを話し始めた。
* * *
その記事を書いた記者は、内乱状態が続くパルド王国の情勢を取材する目的で、パルドを訪れていた。
その際、記者は人気取りのために「悲劇の王女」についての記事も書こうと決めていた。「悲劇の王女」とは、シーニュからパルドに嫁いだものの、政争に巻き込まれて王宮を追われた挙げ句、晩年はシーニュから支給される王族費を横領されて、貧しく不遇の暮らしの中で世を去ることになった元王女のことだ。
要するに、ロベールの横領の被害者とされた人物である。
このように不運な人物が、逆境にもかかわらず清く正しく生き抜いたという美談は、民衆の大好物だ。きっと評判となるような記事に仕上がるに違いない。
そんな記者の目論見は、実際に取材を始めてみると早々に暗礁に乗り上げた。
始めに違和感を持ったのは、元王女の暮らしていた周辺の人々に対して聞き込みを始めたときのことだ。
彼女のような不遇の貴人に対して、普通であれば周囲は程度の差はあれ同情を示すものだ。なのにどうしたわけか、そんなふうに同情する声が全く聞こえてこない。それどころか、鼻つまみ者としか言いようがないほど嫌われているありさまだ。
それがなぜなのか、調べていくうちに記者は驚愕の事実に行き当たってしまった。
何しろこの元王女さまときたら、ちっとも清くも正しくもなかったのだ。
確かに政争に巻き込まれて王宮を追われたのは、不運だったかもしれない。困窮した生活を送っていたことも、事実である。しかし困窮した原因は、彼女の自業自得としか言いようがなかった。王族費は、きちんと彼女に支給されていたのだ。
王族費が支給されていたのなら、なぜ彼女は困窮していたのか。
それは、元王女には賭け事にのめりこむ悪癖があったからだった。いや、悪癖などという生やさしい言葉では言い表せないほどの、病的な賭博好きだった。
手元に現金があればすべて賭け事につぎ込んでしまう。ツケ払いが残っていようが、関係ない。そして常に金に不自由していた。
通いのメイドを雇っていたが、その給金まで賭けてしまう始末だ。
常に手元に金がないので、買い物はツケ払いばかり。なのに、王族費が支払われてもすぐに賭け事につぎ込んでしまって、ツケを払おうとしない。家賃も滞納する。金の回収が大変なので、彼女にものを売りたがる者はいなかった。
だからといって生活必需品まで販売を拒否すれば、飢えて死んでしまう。さすがにそれは寝覚めが悪いので、メイドは王族費を支給する官吏に掛け合って、最低限の生活費とメイドの給金だけは直接メイドに手渡すようにしてもらった。
元王女が天寿を全うできたのは、すべてこのメイドのおかげと言ってよい。
そんなわけで、金にだらしなく生活に困窮しているくせに高慢なこの元王女は、誰からも好かれてなどいなかったのだった。
取材の結果に、記者はがっくりと肩を落とした。
これでは、とても民衆の人気を稼げるような記事にはならない。
だがせっかくの取材結果をどぶに捨てるのも、もったいない。何しろ、はるばるパルドまで取材に来てしまったのだ。せめて取材費だけでも回収したい。何とか売れる記事にならないかと考えた末、ある考えが記者にひらめいた。
元王女に焦点を当てるからいけないのだ。
悲劇の人なら、別にいるではないか。彼女の王族費を横領したとされて、有罪が確定してしまった元財務大臣が。
こうして「悲劇のアントノワ侯爵家」の記事は書かれることになった。
この記事は記者の狙いどおり、大変な反響を呼び、新聞は連日飛ぶように売れた。そして当時の裁判が批判にさらされることになる。判決が出るまでの期間が異常に短かったことや、筆跡鑑定が一名からしか行われなかったことまでが、今になってやり玉に挙がったのだ。
王族費の横領容疑が冤罪であったことが白日の下にさらされれば、次に焦点となるのはこの冤罪を仕組んだのは誰か、ということになる。王族費が実際には横領などされていないのだから、この冤罪が誰かに仕組まれたものであることには疑問の余地がない。
アントノワ侯爵が断罪されて得をしたのは誰か。
人々の頭の中に真っ先に浮かぶのは、ニナの名だ。彼女はシャルルの婚約者だったアンヌマリーを退けて、新たな婚約者に収まった。ニナとシャルルは卒業後すぐに婚約を発表し、第一王子ルイの喪が明けて半年後に結婚していた。
厳しい視線がニナに向けられるようになると、彼女の出自が取り沙汰されるようになる。アントノワ侯爵家の正当な嫡子という触れ込みだったが、実は侯爵家の縁者たちからは認められていない。だがシャルルがごり押ししたので、これまでは表立って異を唱えることが難しかった。
ところがここへ来て、世論の後押しもあり、神殿の出生届の内容や、彼女の母親の職業や働いていた酒場のこと、さらには彼女が父親と称している男がいかにして侯爵家から勘当され、その後数々の女のもとを転々としていたかまでが紙面に暴露されることになる。こうなれば王家が何を言おうが、ニナがアントノワ侯爵家と血縁関係にないことは誰の目にも明らかだった。
これまで「逆境に負けない、けなげな少女」と持ち上げられてきたニナは、一転して「生まれを詐称して王子に取り入った毒婦」という目で見られるようになる。そしてシャルルは、そんな彼女にまんまと騙されて婚姻関係を結んだ間抜けな王子と陰口を叩かれる始末だ。
挙げ句に、共謀してアントノワ侯爵家を陥れたのではないかとの疑いの目まで向けられている。証拠は何もないが、動機ならあるからだ。
ここまででも十分にひどい醜聞だが、シーニュ王家の黒い噂はこれだけに収まらない。
どこからもれたのか、狩猟大会の前日にシャルルがルイの馬の飼料にオオムギを入れるよう指示したことまでが記事になった。実際には入れていないのだが、ルイからの指示により馬丁は「入れた」と答えている。入れていないことを知るのは、ルイと馬丁だけだ。
オオムギが馬に与える影響、すなわち馬が興奮しやすくなることについての解説とともに、ルイの落馬事故は馬の暴走が原因であったことと併せて詳しく報道されことになった。
この一連の醜聞は、特に王妃に大きな心労を与えたらしい。
中でもルイの馬の飼料の話を知ったときには、顔面蒼白になったと言う。数日の間、自室から出ずにふさぎ込んでいたが、ついには体調不良を理由に王宮を辞して実家に戻ってしまった。
王家は火消しに必死だ。
だが醜聞のもととなった新聞記事は、いずれも単なる事実にすぎない。もみ消そうとすればするほど、逆効果にしかならないのだった。
* * *
話し終わると、ルートヴィッヒは両手を広げて肩をすくめてみせた。
「そんなわけで、今シーニュは大騒ぎなんだよ」
よくもまあルートヴィッヒはそんな大騒ぎの中、のこのことシーニュへ出かけて行ったものだな、とマリーは呆れた。
「まあ。本当に『悲劇のアントノワ侯爵家』なんて言われているの?」
「うん、つい最近のことだけどね」
シーニュでは、二年前にロベールに下された横領罪の判決について、疑問の声が上がりつつあるそうだ。冤罪が晴らされるなら、めでたいことだろう。
だがそれを聞いて、マリーは首をかしげた。
「どうして今さら?」
「とある新聞記事がきっかけになってね」
ルートヴィッヒは、シーニュで発行された新聞に載った、ある記事のことを話し始めた。
* * *
その記事を書いた記者は、内乱状態が続くパルド王国の情勢を取材する目的で、パルドを訪れていた。
その際、記者は人気取りのために「悲劇の王女」についての記事も書こうと決めていた。「悲劇の王女」とは、シーニュからパルドに嫁いだものの、政争に巻き込まれて王宮を追われた挙げ句、晩年はシーニュから支給される王族費を横領されて、貧しく不遇の暮らしの中で世を去ることになった元王女のことだ。
要するに、ロベールの横領の被害者とされた人物である。
このように不運な人物が、逆境にもかかわらず清く正しく生き抜いたという美談は、民衆の大好物だ。きっと評判となるような記事に仕上がるに違いない。
そんな記者の目論見は、実際に取材を始めてみると早々に暗礁に乗り上げた。
始めに違和感を持ったのは、元王女の暮らしていた周辺の人々に対して聞き込みを始めたときのことだ。
彼女のような不遇の貴人に対して、普通であれば周囲は程度の差はあれ同情を示すものだ。なのにどうしたわけか、そんなふうに同情する声が全く聞こえてこない。それどころか、鼻つまみ者としか言いようがないほど嫌われているありさまだ。
それがなぜなのか、調べていくうちに記者は驚愕の事実に行き当たってしまった。
何しろこの元王女さまときたら、ちっとも清くも正しくもなかったのだ。
確かに政争に巻き込まれて王宮を追われたのは、不運だったかもしれない。困窮した生活を送っていたことも、事実である。しかし困窮した原因は、彼女の自業自得としか言いようがなかった。王族費は、きちんと彼女に支給されていたのだ。
王族費が支給されていたのなら、なぜ彼女は困窮していたのか。
それは、元王女には賭け事にのめりこむ悪癖があったからだった。いや、悪癖などという生やさしい言葉では言い表せないほどの、病的な賭博好きだった。
手元に現金があればすべて賭け事につぎ込んでしまう。ツケ払いが残っていようが、関係ない。そして常に金に不自由していた。
通いのメイドを雇っていたが、その給金まで賭けてしまう始末だ。
常に手元に金がないので、買い物はツケ払いばかり。なのに、王族費が支払われてもすぐに賭け事につぎ込んでしまって、ツケを払おうとしない。家賃も滞納する。金の回収が大変なので、彼女にものを売りたがる者はいなかった。
だからといって生活必需品まで販売を拒否すれば、飢えて死んでしまう。さすがにそれは寝覚めが悪いので、メイドは王族費を支給する官吏に掛け合って、最低限の生活費とメイドの給金だけは直接メイドに手渡すようにしてもらった。
元王女が天寿を全うできたのは、すべてこのメイドのおかげと言ってよい。
そんなわけで、金にだらしなく生活に困窮しているくせに高慢なこの元王女は、誰からも好かれてなどいなかったのだった。
取材の結果に、記者はがっくりと肩を落とした。
これでは、とても民衆の人気を稼げるような記事にはならない。
だがせっかくの取材結果をどぶに捨てるのも、もったいない。何しろ、はるばるパルドまで取材に来てしまったのだ。せめて取材費だけでも回収したい。何とか売れる記事にならないかと考えた末、ある考えが記者にひらめいた。
元王女に焦点を当てるからいけないのだ。
悲劇の人なら、別にいるではないか。彼女の王族費を横領したとされて、有罪が確定してしまった元財務大臣が。
こうして「悲劇のアントノワ侯爵家」の記事は書かれることになった。
この記事は記者の狙いどおり、大変な反響を呼び、新聞は連日飛ぶように売れた。そして当時の裁判が批判にさらされることになる。判決が出るまでの期間が異常に短かったことや、筆跡鑑定が一名からしか行われなかったことまでが、今になってやり玉に挙がったのだ。
王族費の横領容疑が冤罪であったことが白日の下にさらされれば、次に焦点となるのはこの冤罪を仕組んだのは誰か、ということになる。王族費が実際には横領などされていないのだから、この冤罪が誰かに仕組まれたものであることには疑問の余地がない。
アントノワ侯爵が断罪されて得をしたのは誰か。
人々の頭の中に真っ先に浮かぶのは、ニナの名だ。彼女はシャルルの婚約者だったアンヌマリーを退けて、新たな婚約者に収まった。ニナとシャルルは卒業後すぐに婚約を発表し、第一王子ルイの喪が明けて半年後に結婚していた。
厳しい視線がニナに向けられるようになると、彼女の出自が取り沙汰されるようになる。アントノワ侯爵家の正当な嫡子という触れ込みだったが、実は侯爵家の縁者たちからは認められていない。だがシャルルがごり押ししたので、これまでは表立って異を唱えることが難しかった。
ところがここへ来て、世論の後押しもあり、神殿の出生届の内容や、彼女の母親の職業や働いていた酒場のこと、さらには彼女が父親と称している男がいかにして侯爵家から勘当され、その後数々の女のもとを転々としていたかまでが紙面に暴露されることになる。こうなれば王家が何を言おうが、ニナがアントノワ侯爵家と血縁関係にないことは誰の目にも明らかだった。
これまで「逆境に負けない、けなげな少女」と持ち上げられてきたニナは、一転して「生まれを詐称して王子に取り入った毒婦」という目で見られるようになる。そしてシャルルは、そんな彼女にまんまと騙されて婚姻関係を結んだ間抜けな王子と陰口を叩かれる始末だ。
挙げ句に、共謀してアントノワ侯爵家を陥れたのではないかとの疑いの目まで向けられている。証拠は何もないが、動機ならあるからだ。
ここまででも十分にひどい醜聞だが、シーニュ王家の黒い噂はこれだけに収まらない。
どこからもれたのか、狩猟大会の前日にシャルルがルイの馬の飼料にオオムギを入れるよう指示したことまでが記事になった。実際には入れていないのだが、ルイからの指示により馬丁は「入れた」と答えている。入れていないことを知るのは、ルイと馬丁だけだ。
オオムギが馬に与える影響、すなわち馬が興奮しやすくなることについての解説とともに、ルイの落馬事故は馬の暴走が原因であったことと併せて詳しく報道されことになった。
この一連の醜聞は、特に王妃に大きな心労を与えたらしい。
中でもルイの馬の飼料の話を知ったときには、顔面蒼白になったと言う。数日の間、自室から出ずにふさぎ込んでいたが、ついには体調不良を理由に王宮を辞して実家に戻ってしまった。
王家は火消しに必死だ。
だが醜聞のもととなった新聞記事は、いずれも単なる事実にすぎない。もみ消そうとすればするほど、逆効果にしかならないのだった。
* * *
話し終わると、ルートヴィッヒは両手を広げて肩をすくめてみせた。
「そんなわけで、今シーニュは大騒ぎなんだよ」
よくもまあルートヴィッヒはそんな大騒ぎの中、のこのことシーニュへ出かけて行ったものだな、とマリーは呆れた。
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