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本編
聖女は拾った勇者を飼い殺す
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アニスが人間の国に旅立った日から、三年ほどが経った。
あの日から間もなく、魔国内では国を挙げて一大プロジェクトが組まれた。国境を守る結界の改修だ。これまでは魔力の有無だけで判断していたものを、一定以上の魔力を持つものを対象とするよう、すべて作り替えることにしたのだ。
しかも、両方向で制限するように変更した。どういうことかというと、外から中に入れないだけでなく、中から外へも出られなくしたわけだ。一定以上の魔力がない限り、結界を越えて出入りすることを一切できなくした。
こうすることで、クレメントたちのように微量の魔力を帯びただけの者たちは、国境から侵入することができなくなる。それに加えて、魔力の低い生き物──具体的に言うと魔獣──は、魔国内から人間の国へ出ていくことができなくなる。
この改修は、結構な規模のものとなった。規模が大きい理由は、単に装置の数が多いからというだけではない。結界に使う魔術式を、完全に作り直す必要があったからだ。これまでのような、魔力の有無だけチェックする一方向の結界なら、シンプル極まりなかった。
しかし双方向、それも魔力の有無ではなく一定量を超えるかどうかで判断する結界は、比較にならないほど複雑なものとなる。それだけでなく複雑化するついでとばかり、簡単には国境に近づくことができないよう、認識阻害の魔術式まで組み込んであるのだ。
そんな複雑な魔術式を組み込んだ結界装置を、国境に張り巡らせるに足りるだけ製作しなくてはならない。国中の工房という工房がすべて、他のものの製産を最低限に抑えて、結界装置の製作に掛かりっきりになった。そこまでしてやっと、三年近くの時を経て、国境の結界は刷新を終えたのだった。
この改修は、アニスが人間の国へ旅立つにあたり、俺に頼んだことだ。
人間の国へと出発する日の前日、アニスはこんなことを尋ねてきた。
「ねえ、ダリオン。クレメントたちが、どうやって結界を抜けたか知ってる?」
「どうやっても何も、魔力があるからだろ」
「ううん、違うの。あの人間たちに、魔力なんて本当は全然ないの」
「え?」
どういうことだ。俺は眉をひそめた。
雑な魔力感知しかできないアニスだが、魔力の有無くらいはさすがに判別できる。いったい何を根拠に、こんなことを言ってるんだろう。
「だって、おかしいと思わなかった? 国境にいたときには魔力があったのに、お城でご飯食べてたときには全然なかったでしょ」
「そうだったか……?」
まったく記憶にない。もともと、ごく微量の魔力しか持っていなかったからなあ。それが消えても、俺には気づけなかった可能性は十分ある。ところが、アニスにとっては違ったらしい。魔力感知が雑な分、魔力の有無は大きな違いに感じるそうだ。
不思議に思ったアニスは翌日、詳しい話を聞きたいという口実で、クレメントの部屋を訪ねた。その結果、実は魔力を帯びているのは人間たち自身ではなく、彼らがまとっていた外套だったことを突き止めたのだった。その外套は、魔獣の皮をなめして作られたものだと言う。
つまり、その外套を着てさえいれば、どんな人間でも国境を越え放題なのだ。軍用品として支給されたものだと、クレメントは説明したそうだ。
クレメントが魔力について知っていたのかどうかは、わからない。だが状況から察するに、間違いなく知っていたと思われる。だって最初のときには、軍勢を率いて来たのだから。国境を越えられる目算もなしに、あんなことをするわけがない。誘拐事件から年月が空いたのは、その準備に時間をかけていたからではないのだろうか。
おそらく連中が国境を越えたのは、あれが初めてではない。あの外套の効果を確認するために、少なくとも数回は出入りしているはずだ。こちらがその事実を把握できなかったのは、連中の魔力が低すぎるから。
国境侵入の検知は、一定以上の魔力があるものだけを対象にしている。だって魔獣の出入りでいちいち警報が上がっていたら、国境警備隊は警報が鳴ることに慣れきってしまう。それでは本当に勇者や聖女が侵入してきたときに「また魔獣か」と見落としかねず、とても危険だ。だから魔獣は無視するよう、警報のシステムは組まれているのだ。
こうして侵入手段が判明したからには、放置しておくわけにはいかなかった。
外套の材料となった魔獣は、魔国との国境近くに現れる魔獣だと言う。そこでまず、魔国から人間の国へ魔獣が移動することのないよう対策を打ち立てた。さらに国境沿いで人間の国側にいる魔獣は、すべて駆除することになったのだった。
──そんなふうに、アニスのことを考えていたからだろうか。俺がゴブリンたちと一緒に結界装置の最終確認をしていると、どこからかアニスの声が聞こえてきた。
「ダリオン!」
驚いて声のする方向を振り向けば、遠くから手を振っているのは、本当にアニスじゃないか。
「ただいま!」
俺と目が合ったとたん、アニスは満面の笑顔で大きく手を振り、駆け出してきた。人間の基準でももう成人のはずなのに、ちっとも大人びた様子がない。国を出たときと少しも変わらないその姿に、思わず頬が緩む。
「全部片付けたから、帰ってきた!」
「そうか。おかえり」
俺の腕に抱きついてきたアニスの金髪をなでてやれば、うれしそうに腕に頭を擦り付けてきた。いくつになっても甘えん坊だ。
「荷物はどうした? ずいぶん身軽じゃないか」
「持ってもらった」
誰に? 怪訝に思いながらも、アニスが振り向いた方向に視線を向けると、そこにはこちらに向かって歩いてくる黒髪の青年の姿があった。大きな荷物を背負った上に、両手にも荷物を抱えている。二人分と聞けば、納得の量だ。
「あれは誰だ?」
「マシュー」
「マシュー?」
「うん。勇者だよ」
マシューはこちらまで歩いてくると、さわやかな笑顔でペコリと頭を下げた。
「舎弟のマシューです」
自己紹介に面食らう。え、舎弟? 誰の? 絶句している俺に、アニスは一点の曇りもなく純粋この上ない笑顔を向けた。
「家族になってほしいって言われたから、舎弟ならいいよって言ったの」
アニス。お前、むごいこと言うなあ……。ああ、でも「家族になってほしい」じゃ、この子には意味が伝わらなかった可能性があるのか。見た目だけならもう大人だが、まだまだ子どもっぽいもんな。
俺はマシューに憐れみの視線を向けた。
「お前はそれでいいのか」
「はい! 友だちから始めようって言われることも想定してたので。舎弟なら友だちより上ですよね!」
いや、それはどうだろうか。上か下かで言ったら、大きく下の気がしてならない。距離感だけは、ただの友だちより近そうだが。まあ、本人が気にしてないなら、周りがとやかく言うべきことじゃない。前向きで何よりだ。
アニスの言う「全部片付けてきた」は「人間の国にいる魔獣を根絶やしにしてきた」という意味だった。この三年ほどで、マシューと二人で魔獣の出現する地域を片っ端から周り、根こそぎ狩り尽くしてきたらしい。
その上で、クレメントたちに「脅威はすべて取り除いたから、魔国に帰る」と有無を言わさず宣言してきたのだとか。
「あっちにマシューをひとりで残してきたら、権力闘争に巻き込まれて殺されそうな気がしたの。だったら、魔国に連れ帰って飼い殺すほうが安心でしょ?」
本人の目の前で少しも悪びれることなく、アニスは得意げに言い放つ。ほんと、もう、これ何てコメントしたらいいの? というかマシュー、お前、本当にこんながさつな娘でいいのか。そんなふうに育てちまった俺が言うのも、どうかとは思うけどもさ。
しかしマシューは、アニスの放言にも動じることはなかった。そればかりか、にこにことアニスの言葉にうなずいてみせる。
「保護してもらって、感謝してます」
うん、こいつは案外、大物かもしれない。
* * *
マシューはアニスとともに、俺とニコルの家で暮らすことになった。
そう、「俺とニコルの家」。あの後、三度目のプロポーズをして、ついにうなずいてもらえたのだ。結婚を機に、アニスと二人で暮らしていた家から、一回り大きな家に引っ越した。おかげでマシューに割り当てられる空き部屋があった、というわけだ。
アニスとマシューは、軍で働き始めた。
驚いたことに、マシューはすぐに魔国内に溶け込んだ。まるでこの国で生まれ育ったかのようだ。その上、取りまとめ役の適性もありそうなことがわかってきた。このままうまく育てれば、軍の取りまとめ役を引き継ぐことができるかもしれない。
──そうシェムに話したら、たっぷりと含みのありそうな笑顔で「さすがダリオン」と言われた。なぜかその笑顔を見たら、背筋にゾワゾワと嫌なものが走って行った。でも、何も気づかなかった振りをする。何が「さすが」なのか、考えたら負けだ。シェムに勝てる気なんかしないが、今はまだ認めたくない。
今日も拠点のカフェテリアで、アニスとマシューはゴブリンたちに混じって食事している。アニスが楽しそうに何やら話を披露するたび、ドッと笑い声が上がっていた。
その賑やかな光景を眺めるうち、ある予感がした。
この先、人間の国に勇者や聖女が生まれることは、もう二度とないだろう。だって二人とも、この場所にしっくり溶け込みすぎている。もともと魔族の魂を持っていたようにしか見えない。
これまでの勇者や聖女が人間の国に生まれ変わっていたのは、そこが自分の国だと思い込んでいたからではないのだろうか。何らかの事情で人間の国に渡った魔族の魂が、自分は人間であると誤認していたのではないかと思うのだ。
でも、アニスは違う。あの子は、ここが自分の居るべき場所だとわかっている。マシューもそうなりつつある。この子たちの魂はもう、たとえ生まれ変わることがあったとしても、人間の国へ行くことはないだろう。
つまりアニスとマシューは、あるべき場所に還ってきただけなんだ。
おかえり、二人とも。
「ダリオン!」
俺の姿に気づいたアニスが、笑顔で手を振る。俺は口もとに笑みを浮かべて挨拶を返し、昼食の載ったトレーを手にしてアニスたちのいるテーブルへ向かって歩いて行った。
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これにて本編完結です。
ファンタジー小説大賞にエントリー中です。よろしければぜひ投票を。
あの日から間もなく、魔国内では国を挙げて一大プロジェクトが組まれた。国境を守る結界の改修だ。これまでは魔力の有無だけで判断していたものを、一定以上の魔力を持つものを対象とするよう、すべて作り替えることにしたのだ。
しかも、両方向で制限するように変更した。どういうことかというと、外から中に入れないだけでなく、中から外へも出られなくしたわけだ。一定以上の魔力がない限り、結界を越えて出入りすることを一切できなくした。
こうすることで、クレメントたちのように微量の魔力を帯びただけの者たちは、国境から侵入することができなくなる。それに加えて、魔力の低い生き物──具体的に言うと魔獣──は、魔国内から人間の国へ出ていくことができなくなる。
この改修は、結構な規模のものとなった。規模が大きい理由は、単に装置の数が多いからというだけではない。結界に使う魔術式を、完全に作り直す必要があったからだ。これまでのような、魔力の有無だけチェックする一方向の結界なら、シンプル極まりなかった。
しかし双方向、それも魔力の有無ではなく一定量を超えるかどうかで判断する結界は、比較にならないほど複雑なものとなる。それだけでなく複雑化するついでとばかり、簡単には国境に近づくことができないよう、認識阻害の魔術式まで組み込んであるのだ。
そんな複雑な魔術式を組み込んだ結界装置を、国境に張り巡らせるに足りるだけ製作しなくてはならない。国中の工房という工房がすべて、他のものの製産を最低限に抑えて、結界装置の製作に掛かりっきりになった。そこまでしてやっと、三年近くの時を経て、国境の結界は刷新を終えたのだった。
この改修は、アニスが人間の国へ旅立つにあたり、俺に頼んだことだ。
人間の国へと出発する日の前日、アニスはこんなことを尋ねてきた。
「ねえ、ダリオン。クレメントたちが、どうやって結界を抜けたか知ってる?」
「どうやっても何も、魔力があるからだろ」
「ううん、違うの。あの人間たちに、魔力なんて本当は全然ないの」
「え?」
どういうことだ。俺は眉をひそめた。
雑な魔力感知しかできないアニスだが、魔力の有無くらいはさすがに判別できる。いったい何を根拠に、こんなことを言ってるんだろう。
「だって、おかしいと思わなかった? 国境にいたときには魔力があったのに、お城でご飯食べてたときには全然なかったでしょ」
「そうだったか……?」
まったく記憶にない。もともと、ごく微量の魔力しか持っていなかったからなあ。それが消えても、俺には気づけなかった可能性は十分ある。ところが、アニスにとっては違ったらしい。魔力感知が雑な分、魔力の有無は大きな違いに感じるそうだ。
不思議に思ったアニスは翌日、詳しい話を聞きたいという口実で、クレメントの部屋を訪ねた。その結果、実は魔力を帯びているのは人間たち自身ではなく、彼らがまとっていた外套だったことを突き止めたのだった。その外套は、魔獣の皮をなめして作られたものだと言う。
つまり、その外套を着てさえいれば、どんな人間でも国境を越え放題なのだ。軍用品として支給されたものだと、クレメントは説明したそうだ。
クレメントが魔力について知っていたのかどうかは、わからない。だが状況から察するに、間違いなく知っていたと思われる。だって最初のときには、軍勢を率いて来たのだから。国境を越えられる目算もなしに、あんなことをするわけがない。誘拐事件から年月が空いたのは、その準備に時間をかけていたからではないのだろうか。
おそらく連中が国境を越えたのは、あれが初めてではない。あの外套の効果を確認するために、少なくとも数回は出入りしているはずだ。こちらがその事実を把握できなかったのは、連中の魔力が低すぎるから。
国境侵入の検知は、一定以上の魔力があるものだけを対象にしている。だって魔獣の出入りでいちいち警報が上がっていたら、国境警備隊は警報が鳴ることに慣れきってしまう。それでは本当に勇者や聖女が侵入してきたときに「また魔獣か」と見落としかねず、とても危険だ。だから魔獣は無視するよう、警報のシステムは組まれているのだ。
こうして侵入手段が判明したからには、放置しておくわけにはいかなかった。
外套の材料となった魔獣は、魔国との国境近くに現れる魔獣だと言う。そこでまず、魔国から人間の国へ魔獣が移動することのないよう対策を打ち立てた。さらに国境沿いで人間の国側にいる魔獣は、すべて駆除することになったのだった。
──そんなふうに、アニスのことを考えていたからだろうか。俺がゴブリンたちと一緒に結界装置の最終確認をしていると、どこからかアニスの声が聞こえてきた。
「ダリオン!」
驚いて声のする方向を振り向けば、遠くから手を振っているのは、本当にアニスじゃないか。
「ただいま!」
俺と目が合ったとたん、アニスは満面の笑顔で大きく手を振り、駆け出してきた。人間の基準でももう成人のはずなのに、ちっとも大人びた様子がない。国を出たときと少しも変わらないその姿に、思わず頬が緩む。
「全部片付けたから、帰ってきた!」
「そうか。おかえり」
俺の腕に抱きついてきたアニスの金髪をなでてやれば、うれしそうに腕に頭を擦り付けてきた。いくつになっても甘えん坊だ。
「荷物はどうした? ずいぶん身軽じゃないか」
「持ってもらった」
誰に? 怪訝に思いながらも、アニスが振り向いた方向に視線を向けると、そこにはこちらに向かって歩いてくる黒髪の青年の姿があった。大きな荷物を背負った上に、両手にも荷物を抱えている。二人分と聞けば、納得の量だ。
「あれは誰だ?」
「マシュー」
「マシュー?」
「うん。勇者だよ」
マシューはこちらまで歩いてくると、さわやかな笑顔でペコリと頭を下げた。
「舎弟のマシューです」
自己紹介に面食らう。え、舎弟? 誰の? 絶句している俺に、アニスは一点の曇りもなく純粋この上ない笑顔を向けた。
「家族になってほしいって言われたから、舎弟ならいいよって言ったの」
アニス。お前、むごいこと言うなあ……。ああ、でも「家族になってほしい」じゃ、この子には意味が伝わらなかった可能性があるのか。見た目だけならもう大人だが、まだまだ子どもっぽいもんな。
俺はマシューに憐れみの視線を向けた。
「お前はそれでいいのか」
「はい! 友だちから始めようって言われることも想定してたので。舎弟なら友だちより上ですよね!」
いや、それはどうだろうか。上か下かで言ったら、大きく下の気がしてならない。距離感だけは、ただの友だちより近そうだが。まあ、本人が気にしてないなら、周りがとやかく言うべきことじゃない。前向きで何よりだ。
アニスの言う「全部片付けてきた」は「人間の国にいる魔獣を根絶やしにしてきた」という意味だった。この三年ほどで、マシューと二人で魔獣の出現する地域を片っ端から周り、根こそぎ狩り尽くしてきたらしい。
その上で、クレメントたちに「脅威はすべて取り除いたから、魔国に帰る」と有無を言わさず宣言してきたのだとか。
「あっちにマシューをひとりで残してきたら、権力闘争に巻き込まれて殺されそうな気がしたの。だったら、魔国に連れ帰って飼い殺すほうが安心でしょ?」
本人の目の前で少しも悪びれることなく、アニスは得意げに言い放つ。ほんと、もう、これ何てコメントしたらいいの? というかマシュー、お前、本当にこんながさつな娘でいいのか。そんなふうに育てちまった俺が言うのも、どうかとは思うけどもさ。
しかしマシューは、アニスの放言にも動じることはなかった。そればかりか、にこにことアニスの言葉にうなずいてみせる。
「保護してもらって、感謝してます」
うん、こいつは案外、大物かもしれない。
* * *
マシューはアニスとともに、俺とニコルの家で暮らすことになった。
そう、「俺とニコルの家」。あの後、三度目のプロポーズをして、ついにうなずいてもらえたのだ。結婚を機に、アニスと二人で暮らしていた家から、一回り大きな家に引っ越した。おかげでマシューに割り当てられる空き部屋があった、というわけだ。
アニスとマシューは、軍で働き始めた。
驚いたことに、マシューはすぐに魔国内に溶け込んだ。まるでこの国で生まれ育ったかのようだ。その上、取りまとめ役の適性もありそうなことがわかってきた。このままうまく育てれば、軍の取りまとめ役を引き継ぐことができるかもしれない。
──そうシェムに話したら、たっぷりと含みのありそうな笑顔で「さすがダリオン」と言われた。なぜかその笑顔を見たら、背筋にゾワゾワと嫌なものが走って行った。でも、何も気づかなかった振りをする。何が「さすが」なのか、考えたら負けだ。シェムに勝てる気なんかしないが、今はまだ認めたくない。
今日も拠点のカフェテリアで、アニスとマシューはゴブリンたちに混じって食事している。アニスが楽しそうに何やら話を披露するたび、ドッと笑い声が上がっていた。
その賑やかな光景を眺めるうち、ある予感がした。
この先、人間の国に勇者や聖女が生まれることは、もう二度とないだろう。だって二人とも、この場所にしっくり溶け込みすぎている。もともと魔族の魂を持っていたようにしか見えない。
これまでの勇者や聖女が人間の国に生まれ変わっていたのは、そこが自分の国だと思い込んでいたからではないのだろうか。何らかの事情で人間の国に渡った魔族の魂が、自分は人間であると誤認していたのではないかと思うのだ。
でも、アニスは違う。あの子は、ここが自分の居るべき場所だとわかっている。マシューもそうなりつつある。この子たちの魂はもう、たとえ生まれ変わることがあったとしても、人間の国へ行くことはないだろう。
つまりアニスとマシューは、あるべき場所に還ってきただけなんだ。
おかえり、二人とも。
「ダリオン!」
俺の姿に気づいたアニスが、笑顔で手を振る。俺は口もとに笑みを浮かべて挨拶を返し、昼食の載ったトレーを手にしてアニスたちのいるテーブルへ向かって歩いて行った。
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これにて本編完結です。
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