上 下
19 / 36
本編

魔王、見せつける

しおりを挟む
 俺からも逆に人間たちに質問をした。

「どうして今になって、アニスを奪いに来たんだ? この国に捨てた後、五年前までずっと放置してたくせに、今さらだろ?」
「我々は、奪いにきたつもりでは……」
「国境の外に六千もの兵を控えさせておいて、それは通用しないんじゃないか?」

 やつが隠していたことを言い当てると、クレメントは目を見開いた。まさか俺が知っているとは思わなかったのだろう。

 先ほど人間たちが顔色を悪くしていたのは、これが原因だ。配置から考えて明らかに、交渉が決裂したら攻め入るつもりでいたはずだ。なのに、どれだけ兵の数を用意しても意味がないと知ってしまった。さぞかし焦ったことだろう。

 レイフとモーガンが最初の交渉から戻ったとき、俺たちは密かに偵察隊を派遣していた。国境から出て行ったという人間たちの行動を、偵察させたのだ。なにしろ人間ってのは、信用ならないから。おとなしく国境から出て行ったと見せかけておいて、何か企んでいないとも限らない。

 それでゴブリンの偵察チームを派遣したわけだが、その結果がこれである。国境から出て行った人間たちの向かった先は、谷間に集結した兵士の群れだったのだ。ちなみに、この「六千」という数字は当てずっぽうではない。ゴブリンたちがきっちり数えてきた。

 ゴブリンたちは、落ち着いてさえいれば、離れた場所からでも対象の正確な位置と数を短時間のうちに把握することができる。最初の遭遇時にはあわてて逃げ出してきたので、「いっぱい」としか報告できなかっただけなのだ。

 そんなことが可能なのは、ゴブリンには種族特性により探知スキルがあるから。国境警備にゴブリンが多いのは、このスキルも理由のひとつである。災害救助のときなんかには、とても活躍する。今回のような事案でも有用なことは、初めて知った。今まで散々ビビリ呼ばわりして、すまなかった。実は適材適所だったんだなあ。

 人間たちが軍勢を潜ませていたことに呆れはするが、だからといってこちらから攻撃するつもりもない。襲撃してくるなら、容赦しないが。だって、容赦する必要を感じない。

 この人間たちは確かに微量の魔力を持ってはいるが、勇者扱いする必要などなさそうなのだ。どう見ても勇者と呼べるほどの魔力量ではない。殺傷力も、特別高いわけではなさそうだ。だからたとえ生まれ変わるたびに魔国に侵入してくるのだとしても、その都度対処すれば問題ない。

 ただ、逃げ道は残しておいてやろう。

「侵略は自殺行為だって知らなかったみたいだし、伝令で知らせといてやったら?」
「よろしいのですか」
「いいよ。俺たちだって、面倒は少ないほうがいい」

 クレメントは部下の中から二名の伝令を選び出した。もはや指令の内容を隠すこともなく、俺たちの目の前で普通に指示している。

『決してその場から動くな。もしもクレメントが二昼夜以内に戻らなかった場合には、全軍すみやかに撤退、帰国せよ』

 伝令が国境に向かうのを見送ってから、俺はさきほどの質問を蒸し返そうとした。どうして今さら、アニスを奪いに来たのか、という質問を。だがそれを口にする前に、シェムが愛想よく口を挟んだ。

「このまま立ち話も何だしさ、うちで話さない? お昼ご飯くらいはご馳走するよ」
「うち、とは……?」
「僕んち」

 シェムの家とは、つまり王城なわけだ。はっきりとそう言わないあたり、シェムも意地が悪い。クレメントは一瞬だけ逡巡する様子を見せたが、すぐに覚悟を決めたらしい。おずおずとうなずく。

「お言葉に甘えます」
「んじゃ、行こっか」

 転移陣の説明など、もちろん一切しない。使い方を覚えられても困るし。もっとも、こいつらのこの魔力量じゃ、転移陣を起動することもできないだろうが。

 シェムを先頭にして、転移陣に向かう。俺はクレメントの隣につき、アニスを除いた五人が、それぞれ後続の人間たちの横に並んだ。アニスはニコルと一緒に最後尾だ。

 転移陣を通り過ぎた瞬間、風景が変わる。人間たちはみんな、息をのんだ。

「あの、ここは……」
「うちの首都だよ。さっきいた場所からは、山を二つほど越えた場所だね。ちゃんと帰りも送って行くから、心配しないで」

 クレメントの疑問に、シェムはにこにこと答える。敢えてずれた答えを返すところが、シェムらしい。

 人間たちは別に、心配してるわけじゃない。ただ驚きに言葉を失っているだけだ。何しろ突然、周りの風景が森から都会に変わったのだから。

 やつらが転移なんてものを知ってるわけがないし、狐につままれたような心地でいるに違いない。シェムはそれを十分に承知した上で、そらとぼけている。そういうやつだから、魔王なんかやらされちゃってるのだ。

 転移先は王城前の広場だったので、そのまままっすぐ城門を抜けて王城に向かう。正面玄関前の大階段を上がるのに合わせ、音もなく両開きの大扉が外開きに開いた。それを見て、またもやクレメントが息をのむ。そんなに驚くほど、城が珍しいのだろうか。こいつ、国王の義弟って言ってなかったっけ。城なんて見慣れてそうなのにな。

 出迎えた侍従に、シェムは気安い声で指示をした。

「お客さんを六人連れてきた。昼食に招待したんで、『青水晶の間』に用意してくれる? うちのほうは八人だから、全部で十四人分ね。気取った料理じゃなくていいよ。いつもどおりでかまわないって、料理長に伝えておいて」
「かしこまりました」

 シェムは人間たちに振り向いて、声をかけた。

「僕たちは外から帰ったら手洗いする習慣があるんだけど、あなたがたは?」
「特に習慣としてはありませんが」
「せっかくだから一緒にどう? さっぱりするよ。なんだったら、顔まで洗ってもいいし」
「では、お言葉に甘えて」

 戸惑いつつうなずいたクレメントと部下たちを、シェムは手近な手洗いに案内した。

「トイレは奥ね。水洗の使い方は、わかるかな?」
「水洗、とは何でしょうか……?」
「えーっと、見せたほうが早そうだな。ちょっと来てくれる? これがトイレね。座って用を足すの。使い終わったら、ここのレバーを引いてください。水が流れます。ここでは使ったら自分で流すのがマナーなんで、よろしく」

 シェムは人間たちを個室の前に連れて行き、水洗トイレの流し方を実演しながら説明する。人間たちは誰もが目を見張っていた。無理もない。魔力を持たない人間たちにとって、魔道具を目にするのは初めてだろう。

 人間たちはトイレどころか、水栓も知らなかった。水洗トイレを知らないのはわかるが、水栓もないのか。これには俺のほうもびっくりだ。水道がなくて、いったい水をどう調達しているのだろう。思わず質問してみたところ、基本的にすべて井戸だと答えが返ってきた。しかもポンプでさえなくて、つるべとおけ。大変そうだな。

 水栓がないならシャワーもないだろうし、風呂とかどうしてんだ。俺が疑問に思うようなことは、誰にとっても疑問だったらしい。人間たちは質問攻めにされて、目を白黒させていた。

 シェムは、俺たちのやり取りを楽しそうに眺めている。

 その表情を見て、俺は気づいてしまった。シェムは別に、ただの親切心から人間たちを手洗いに案内したわけじゃない。見せつけるためだ。なるほど、見せつけることのできる力は、戦力だけではなかったのだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

[完結]回復魔法しか使えない私が勇者パーティを追放されたが他の魔法を覚えたら最強魔法使いになりました

mikadozero
ファンタジー
3月19日 HOTランキング4位ありがとうございます。三月二十日HOTランキング2位ありがとうございます。 ーーーーーーーーーーーーー エマは突然勇者パーティから「お前はパーティを抜けろ」と言われて追放されたエマは生きる希望を失う。 そんなところにある老人が助け舟を出す。 そのチャンスをエマは自分のものに変えようと努力をする。 努力をすると、結果がついてくるそう思い毎日を過ごしていた。 エマは一人前の冒険者になろうとしていたのだった。

【完結】物置小屋の魔法使いの娘~父の再婚相手と義妹に家を追い出され、婚約者には捨てられた。でも、私は……

buchi
恋愛
大公爵家の父が再婚して新しくやって来たのは、義母と義妹。当たり前のようにダーナの部屋を取り上げ、義妹のマチルダのものに。そして社交界への出入りを禁止し、館の隣の物置小屋に移動するよう命じた。ダーナは亡くなった母の血を受け継いで魔法が使えた。これまでは使う必要がなかった。だけど、汚い小屋に閉じ込められた時は、使用人がいるので自粛していた魔法力を存分に使った。魔法力のことは、母と母と同じ国から嫁いできた王妃様だけが知る秘密だった。 みすぼらしい物置小屋はパラダイスに。だけど、ある晩、王太子殿下のフィルがダーナを心配になってやって来て……

【完結】私を断罪するのが神のお告げですって?なら、本人を呼んでみましょうか

あーもんど
恋愛
聖女のオリアナが神に祈りを捧げている最中、ある女性が現れ、こう言う。 「貴方には、これから裁きを受けてもらうわ!」 突然の宣言に驚きつつも、オリアナはワケを聞く。 すると、出てくるのはただの言い掛かりに過ぎない言い分ばかり。 オリアナは何とか理解してもらおうとするものの、相手は聞く耳持たずで……? 最終的には「神のお告げよ!」とまで言われ、さすがのオリアナも反抗を決意! 「私を断罪するのが神のお告げですって?なら、本人を呼んでみましょうか」 さて、聖女オリアナを怒らせた彼らの末路は? ◆小説家になろう様でも掲載中◆ →短編形式で投稿したため、こちらなら一気に最後まで読めます

美しい姉と痩せこけた妹

サイコちゃん
ファンタジー
若き公爵は虐待を受けた姉妹を引き取ることにした。やがて訪れたのは美しい姉と痩せこけた妹だった。姉が夢中でケーキを食べる中、妹はそれがケーキだと分からない。姉がドレスのプレゼントに喜ぶ中、妹はそれがドレスだと分からない。公爵はあまりに差のある姉妹に疑念を抱いた――

悪役令嬢が残した破滅の種

八代奏多
恋愛
 妹を虐げていると噂されていた公爵令嬢のクラウディア。  そんな彼女が婚約破棄され国外追放になった。  その事実に彼女を疎ましく思っていた周囲の人々は喜んだ。  しかし、その日を境に色々なことが上手く回らなくなる。  断罪した者は次々にこう口にした。 「どうか戻ってきてください」  しかし、クラウディアは既に隣国に心地よい居場所を得ていて、戻る気は全く無かった。  何も知らずに私欲のまま断罪した者達が、破滅へと向かうお話し。 ※小説家になろう様でも連載中です。  9/27 HOTランキング1位、日間小説ランキング3位に掲載されました。ありがとうございます。

私は聖女(ヒロイン)のおまけ

音無砂月
ファンタジー
ある日突然、異世界に召喚された二人の少女 100年前、異世界に召喚された聖女の手によって魔王を封印し、アルガシュカル国の危機は救われたが100年経った今、再び魔王の封印が解かれかけている。その為に呼ばれた二人の少女 しかし、聖女は一人。聖女と同じ色彩を持つヒナコ・ハヤカワを聖女候補として考えるアルガシュカルだが念のため、ミズキ・カナエも聖女として扱う。内気で何も自分で決められないヒナコを支えながらミズキは何とか元の世界に帰れないか方法を探す。

神のいとし子は追放された私でした〜異母妹を選んだ王太子様、今のお気持ちは如何ですか?〜

星河由乃(旧名:星里有乃)
恋愛
「アメリアお姉様は、私達の幸せを考えて、自ら身を引いてくださいました」 「オレは……王太子としてではなく、一人の男としてアメリアの妹、聖女レティアへの真実の愛に目覚めたのだ!」 (レティアったら、何を血迷っているの……だって貴女本当は、霊感なんてこれっぽっちも無いじゃない!)  美貌の聖女レティアとは対照的に、とにかく目立たない姉のアメリア。しかし、地味に装っているアメリアこそが、この国の神のいとし子なのだが、悪魔と契約した妹レティアはついに姉を追放してしまう。  やがて、神のいとし子の祈りが届かなくなった国は災いが増え、聖女の力を隠さなくなったアメリアに救いの手を求めるが……。 * 2023年01月15日、連載完結しました。 * ヒロインアメリアの相手役が第1章は精霊ラルド、第2章からは隣国の王子アッシュに切り替わります。最終章に該当する黄昏の章で、それぞれの関係性を決着させています。お読みくださった読者様、ありがとうございました! * 初期投稿ではショートショート作品の予定で始まった本作ですが、途中から長編版に路線を変更して完結させました。 * この作品は小説家になろうさんとアルファポリスさんに投稿しております。 * ブクマ、感想、ありがとうございます。

宮廷から追放された聖女の回復魔法は最強でした。後から戻って来いと言われても今更遅いです

ダイナイ
ファンタジー
「お前が聖女だな、お前はいらないからクビだ」 宮廷に派遣されていた聖女メアリーは、お金の無駄だお前の代わりはいくらでもいるから、と宮廷を追放されてしまった。 聖国から王国に派遣されていた聖女は、この先どうしようか迷ってしまう。とりあえず、冒険者が集まる都市に行って仕事をしようと考えた。 しかし聖女は自分の回復魔法が異常であることを知らなかった。 冒険者都市に行った聖女は、自分の回復魔法が周囲に知られて大変なことになってしまう。

処理中です...