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本編
アニス、真実を知る
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崖下は沢になっていた。流れは細く、水量は多くない。
魔国内には、こんな沢に通じていそうな地形は存在していなかった。ということは、このまま上流に向かっても魔国には戻れないだろう。どこかで崖をのぼらなくては。かといって、のぼったところで人間たちと鉢合わせ、なんて最悪の状況は避けたい。
どうしたものか、と走りながら頭を悩ませていると、頭上から呼び声がした。
「ダリオン!」
見上げてみれば、崖上からはニコルとゴブリンたちが顔をのぞかせている。
「アニスは無事だ」
「でも、ダリオン。あなた、けがしてるじゃないの」
あー。思い出させないでほしかったなあ……。アニスを奪い返すのに必死で、左肩に突き刺さったままの矢のことは、ほとんど意識から消えていた。忘れている間は鈍い痛みしか感じていなかったのに、思い出したとたんに激痛に変わる。
いってえええええええええええ‼
どうしよう。もうこれ、腕を動かせる気がしない。アニスを抱えて、崖をのぼらないといけないのに。なのに俺の体はもう、まったく言うことを聞いてくれない。自分の顔から血の気が引いて、脂汗まで浮かんできたのがわかる。
やばい。このままじゃ、アニスを抱えたまま倒れかねない。せっかく無傷で取り返したのに、けがをさせてしまいそうだ。俺はアニスをそっと地面に下ろした。それだけでも思わず歯を食いしばるほどの痛みがあった。
少しでも腕に力を入れたり、動かすと激痛が走る。動かさないようにしていても、脈打つのに合わせて、ズッキン、ズッキンとやはり激しく痛む。こんな状態じゃ、俺がアニスを抱えて崖をのぼるなんて無理な話だ。死ぬ気でやれば、できないこともないのかもしれない。しかし途中で痛みに負けて手を滑らせ、けがをさせそうでこわかった。
アニスを引き上げるために、ロープを下ろしてもらえないだろうか。そう相談しようと上を見上げて、目を見張った。すでに崖上からはロープが垂らされ、それを伝ってニコルが、タン、タンとリズミカルに小さく跳躍しながら降りてくるところだったのだ。
ああ。きれいだなあ。ニコルはこんな動作さえすべてがきれいで、格好いい。
崖下に降り立つと、彼女はアニスに向かって手招きした。
「アニス、いらっしゃい。上へ行くわよ」
「ダリオンは?」
「すぐに連れて行くから、先に行っててちょうだい」
「わかった」とうなずくアニスの腰に、ニコルは手際よくロープをくくりつけた。引き上げるのが非力なゴブリンたちであることに少々不安を覚えたが、ゴブリンたちの後ろからジョーダンの立派な体躯が姿を現す。よかった、ジョーダンもいるのか。なら、もう何の心配もいらないな。
フラつく俺を支え、ニコルは肩の根元を布で縛って止血した。
「頑張ったわね。後はまかせて」
彼女のひんやりした手で目が覆われる。
睡眠魔法を使われた、と気づいたのは、肩の痛みとともに意識が暗闇の中に溶けていく中でのことだった。俺は魔法耐性が高いほうだから、普段ならこんなふうに一発で魔法にかかることはない。だが、けがと疲労で耐性が大幅に落ちていたのだろう。
そう言えば、ニコルは「すぐに連れて行く」と言っていたのだった。その後、意識のない俺がどんなふうに彼女に「連れて」行かれる羽目になったのかは、聞きたくもなければ想像したくもない。
* * *
目が覚めたら、自室のベッドの上だった。ベッド脇にいたアニスが勢いよく立ち上がり、バタバタと部屋を出ていく。
「ダリオンが目を覚ました!」
すでに矢は抜かれ、けがの処置は終わっていた。全部合わせて二十針ほど縫ったそうだ。傷口の大きさに対して縫った針数が多い気がするが、たぶん細かい作業の得意な医者が、丁寧に処置してくれたんじゃないかな。目立つ傷痕を残すこともなく、きれいに治りそうだ。
寝室内で処置の後片付けをしていた医者によれば、抜糸まで二週間、傷口が塞がるまで一か月、完治までに三か月程度、とのこと。思ったより長いが、特に後遺症はないだろうと聞いてホッとした。
ただし「失血量が多く貧血があるので、当面はおとなしくした上で、しっかり食事を摂るように」と釘を刺されてしまった。言われてみれば、矢が刺さったままアニスを抱えて走ったり、それなりに無茶した覚えはある。なのにこの程度で済んだのだから、運がよかった。
医者や軍関係者が引き上げた後、俺はアニスと二人で話をした。ソファーに並んで座り、顔をのぞき込んで尋ねる。
「何があったのか、教えてくれるか?」
「ごめんなさい……」
アニスは俺の顔から目をそらし、か細い声で謝罪した。そして膝の上でギュッと握りしめた両手を見つめ、口もとをわななかせた挙げ句に顔を歪ませてポロポロと涙をこぼす。
謝ってほしいわけじゃなく、事情を聞きたいだけなんだが。アニスは「ごめんなさい」と繰り返して泣くばかりだ。俺はアニスの背中に腕を回し、肩を抱き寄せた。
「謝らなくていいから」
「でも。でも……。私のせいで……! ごめんなさい。ごめんなさい……」
そしてまたアニスは、声を上げて泣く。どうやら、俺のけがに責任を感じてしまっているらしい。髪飾りを取り戻そうと戻ってしまったことを、激しく後悔しているようだ。たぶん、指示どおりに動かなかったことで、俺を失望させたとでも思っているんだろう。だが反省してほしいのは、そこじゃないんだよなあ。
そもそも、アニスは何も悪くない。確かにうかつではあった。でも、悪いことなんて何もしてないじゃないか。悪いのは、アニスをさらい、俺に攻撃してきた人間たちだ。肩を抱いたまま、そう言い聞かせる。辛抱強く同じ言葉を何度も繰り返して聞かせるうち、やっと泣きやんだ。
そしてアニスは泣きはらした目でしょんぼりと自分の手を見つめたまま、ぽつぽつと話し始めた。体験学習に出かけた先で、迷子の子どもを見つけた、というところまではビリーから聞いた話と一緒だ。
「その子がね、私の本当のお母さんとお父さんが、私のことを探してるって言ったの。一度話をするだけでいいから、ちょっと付いて来てくれないかって言われて……」
「付いてっちゃったのか」
「ごめんなさい……」
実の親を知りたいと思ったことについては、とがめるつもりはない。これは俺の落ち度でもある。アニスの素性について、本人にも教えておくべきだった。もう聞いて理解できるくらいには、十分に成長しているのだから。
今回、致命的にまずかったのは、誰にも断らずに、知らない相手に付いて行ってしまったこと。これだけは、本当に反省させないといけない。
これまで見知った顔しかいない環境で育ってしまったから、警戒心が足りなかった。この機会に、きちんと教えよう。今ならしっかりと説明すれば、痛い目に遭った直後なだけに身に染みるはずだ。
「ねえ、ダリオン」
「うん?」
「私、本当は人間だったの?」
俺は即答しなかった。少し考えてから口を開く。
「アニスを生んだのは、人間だった。でも、どんな事情があったのか知らないが、連中はお前をこの国に捨てたんだよ。それを俺が拾った」
「うん」
「お前はこの国で育っただろ。だからもう、人間じゃなくて魔族の子だよ」
アニスは「そっか」とうなずいてから、顔を上げてまっすぐに俺を見つめた。
「じゃあ、ダリオンが私のお父さん?」
「そうさ。お前を拾って自分で育てると決めたあの日からずっと、俺がお前の父親だ。お前は俺の子だよ」
頭をなでてやりながらそう言うと、アニスは帰宅後初めての笑顔を見せた。そしてはにかみながら「そっか」と言う。しかしその笑みは、すぐにまた消えてしまった。
「でも髪飾り、盗られちゃった」
「あー、あれなあ……。ま、ちょうどよかったんじゃないか?」
「なんで⁉ 宝物だったのに!」
アニスは真っ赤になって怒る。そのことに俺はくすぐったいような、でも笑ってしまいそうな、何とも言えない気持ちになった。宝物だと言ってくれるのは、うれしい。けど、どうもこの子は、今でもまだあれを心のよりどころにしているふしがある。そんなものがなくたって、お前は俺の子だよ。
「でもあれは、子どものおもちゃみたいなもんだから。そろそろ卒業しないとな」
「そうなの……?」
「次はニコルとおそろいで、大人になっても使える髪飾りを作ろう」
俺の提案に、アニスは目を輝かせて「うん!」と大きくうなずいた。
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どうしたものか、と走りながら頭を悩ませていると、頭上から呼び声がした。
「ダリオン!」
見上げてみれば、崖上からはニコルとゴブリンたちが顔をのぞかせている。
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「でも、ダリオン。あなた、けがしてるじゃないの」
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いってえええええええええええ‼
どうしよう。もうこれ、腕を動かせる気がしない。アニスを抱えて、崖をのぼらないといけないのに。なのに俺の体はもう、まったく言うことを聞いてくれない。自分の顔から血の気が引いて、脂汗まで浮かんできたのがわかる。
やばい。このままじゃ、アニスを抱えたまま倒れかねない。せっかく無傷で取り返したのに、けがをさせてしまいそうだ。俺はアニスをそっと地面に下ろした。それだけでも思わず歯を食いしばるほどの痛みがあった。
少しでも腕に力を入れたり、動かすと激痛が走る。動かさないようにしていても、脈打つのに合わせて、ズッキン、ズッキンとやはり激しく痛む。こんな状態じゃ、俺がアニスを抱えて崖をのぼるなんて無理な話だ。死ぬ気でやれば、できないこともないのかもしれない。しかし途中で痛みに負けて手を滑らせ、けがをさせそうでこわかった。
アニスを引き上げるために、ロープを下ろしてもらえないだろうか。そう相談しようと上を見上げて、目を見張った。すでに崖上からはロープが垂らされ、それを伝ってニコルが、タン、タンとリズミカルに小さく跳躍しながら降りてくるところだったのだ。
ああ。きれいだなあ。ニコルはこんな動作さえすべてがきれいで、格好いい。
崖下に降り立つと、彼女はアニスに向かって手招きした。
「アニス、いらっしゃい。上へ行くわよ」
「ダリオンは?」
「すぐに連れて行くから、先に行っててちょうだい」
「わかった」とうなずくアニスの腰に、ニコルは手際よくロープをくくりつけた。引き上げるのが非力なゴブリンたちであることに少々不安を覚えたが、ゴブリンたちの後ろからジョーダンの立派な体躯が姿を現す。よかった、ジョーダンもいるのか。なら、もう何の心配もいらないな。
フラつく俺を支え、ニコルは肩の根元を布で縛って止血した。
「頑張ったわね。後はまかせて」
彼女のひんやりした手で目が覆われる。
睡眠魔法を使われた、と気づいたのは、肩の痛みとともに意識が暗闇の中に溶けていく中でのことだった。俺は魔法耐性が高いほうだから、普段ならこんなふうに一発で魔法にかかることはない。だが、けがと疲労で耐性が大幅に落ちていたのだろう。
そう言えば、ニコルは「すぐに連れて行く」と言っていたのだった。その後、意識のない俺がどんなふうに彼女に「連れて」行かれる羽目になったのかは、聞きたくもなければ想像したくもない。
* * *
目が覚めたら、自室のベッドの上だった。ベッド脇にいたアニスが勢いよく立ち上がり、バタバタと部屋を出ていく。
「ダリオンが目を覚ました!」
すでに矢は抜かれ、けがの処置は終わっていた。全部合わせて二十針ほど縫ったそうだ。傷口の大きさに対して縫った針数が多い気がするが、たぶん細かい作業の得意な医者が、丁寧に処置してくれたんじゃないかな。目立つ傷痕を残すこともなく、きれいに治りそうだ。
寝室内で処置の後片付けをしていた医者によれば、抜糸まで二週間、傷口が塞がるまで一か月、完治までに三か月程度、とのこと。思ったより長いが、特に後遺症はないだろうと聞いてホッとした。
ただし「失血量が多く貧血があるので、当面はおとなしくした上で、しっかり食事を摂るように」と釘を刺されてしまった。言われてみれば、矢が刺さったままアニスを抱えて走ったり、それなりに無茶した覚えはある。なのにこの程度で済んだのだから、運がよかった。
医者や軍関係者が引き上げた後、俺はアニスと二人で話をした。ソファーに並んで座り、顔をのぞき込んで尋ねる。
「何があったのか、教えてくれるか?」
「ごめんなさい……」
アニスは俺の顔から目をそらし、か細い声で謝罪した。そして膝の上でギュッと握りしめた両手を見つめ、口もとをわななかせた挙げ句に顔を歪ませてポロポロと涙をこぼす。
謝ってほしいわけじゃなく、事情を聞きたいだけなんだが。アニスは「ごめんなさい」と繰り返して泣くばかりだ。俺はアニスの背中に腕を回し、肩を抱き寄せた。
「謝らなくていいから」
「でも。でも……。私のせいで……! ごめんなさい。ごめんなさい……」
そしてまたアニスは、声を上げて泣く。どうやら、俺のけがに責任を感じてしまっているらしい。髪飾りを取り戻そうと戻ってしまったことを、激しく後悔しているようだ。たぶん、指示どおりに動かなかったことで、俺を失望させたとでも思っているんだろう。だが反省してほしいのは、そこじゃないんだよなあ。
そもそも、アニスは何も悪くない。確かにうかつではあった。でも、悪いことなんて何もしてないじゃないか。悪いのは、アニスをさらい、俺に攻撃してきた人間たちだ。肩を抱いたまま、そう言い聞かせる。辛抱強く同じ言葉を何度も繰り返して聞かせるうち、やっと泣きやんだ。
そしてアニスは泣きはらした目でしょんぼりと自分の手を見つめたまま、ぽつぽつと話し始めた。体験学習に出かけた先で、迷子の子どもを見つけた、というところまではビリーから聞いた話と一緒だ。
「その子がね、私の本当のお母さんとお父さんが、私のことを探してるって言ったの。一度話をするだけでいいから、ちょっと付いて来てくれないかって言われて……」
「付いてっちゃったのか」
「ごめんなさい……」
実の親を知りたいと思ったことについては、とがめるつもりはない。これは俺の落ち度でもある。アニスの素性について、本人にも教えておくべきだった。もう聞いて理解できるくらいには、十分に成長しているのだから。
今回、致命的にまずかったのは、誰にも断らずに、知らない相手に付いて行ってしまったこと。これだけは、本当に反省させないといけない。
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「ねえ、ダリオン」
「うん?」
「私、本当は人間だったの?」
俺は即答しなかった。少し考えてから口を開く。
「アニスを生んだのは、人間だった。でも、どんな事情があったのか知らないが、連中はお前をこの国に捨てたんだよ。それを俺が拾った」
「うん」
「お前はこの国で育っただろ。だからもう、人間じゃなくて魔族の子だよ」
アニスは「そっか」とうなずいてから、顔を上げてまっすぐに俺を見つめた。
「じゃあ、ダリオンが私のお父さん?」
「そうさ。お前を拾って自分で育てると決めたあの日からずっと、俺がお前の父親だ。お前は俺の子だよ」
頭をなでてやりながらそう言うと、アニスは帰宅後初めての笑顔を見せた。そしてはにかみながら「そっか」と言う。しかしその笑みは、すぐにまた消えてしまった。
「でも髪飾り、盗られちゃった」
「あー、あれなあ……。ま、ちょうどよかったんじゃないか?」
「なんで⁉ 宝物だったのに!」
アニスは真っ赤になって怒る。そのことに俺はくすぐったいような、でも笑ってしまいそうな、何とも言えない気持ちになった。宝物だと言ってくれるのは、うれしい。けど、どうもこの子は、今でもまだあれを心のよりどころにしているふしがある。そんなものがなくたって、お前は俺の子だよ。
「でもあれは、子どものおもちゃみたいなもんだから。そろそろ卒業しないとな」
「そうなの……?」
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