上 下
15 / 46

醸造町ヘルトニッヒ (1)

しおりを挟む
 醸造町ヘルトニッヒには、三泊ほど逗留することにした。
 何とも幸運なことに、ちょうど春の収穫祭が始まるところだった。出店も多そうで、アンジーは大喜びだ。宿を定めた後は、さっそく情報収集を始める。

 到着した日の夕食は、宿屋でとった。
 その夕食時にアンジーは、集めた情報を旅の同行者たちに披露した。

「ここのお祭りは、明日から三日間ですって。最終日の午後は、村の中央広場で踊り比べがあるらしいよ。若い人はだいたいみんな参加するって聞いたから、シモンさんも一緒に行ってみない?」
「踊り比べに?」
「うん。もしヒルデさんがここの人なら、お祭りにも出てそうでしょ」
「なるほど。行ってみよう」
「うんうん」

 翌日の午前中、アンジーとミリーはシモンたちとは別行動をとることにした。
 シモンたちはヒンメル商会の本店を訪れ、ヒルデ嬢の情報が得られないか問い合わせる予定だ。それにアンジーたちが付き合う理由はないので、別行動で祭りを楽しむことにする。

「シモンさん、これをどうぞ」

 アンジーは小さな紙片をシモンに手渡した。いぶかしげにシモンが受け取った紙片には、簡単な手書きの地図が描かれている。

「さっき宿の娘さんに、ヒンメル商会の本店の場所を教えてもらったんです。ヒルデ嬢が見つかるといいですね」
「おお、ありがとう」

 食堂で忙しく給仕して回っている娘と視線が合うと、宿の娘は頬を染めてはにかむように微笑み、会釈した。それに対してアンジーは人なつこく笑みを浮かべ、小さく手を振って挨拶を返す。
 その様子を見て、シモンはうらやましそうに嘆息した。

「アンジーは女の子に人気があるよねえ」
「え? 別にそんなことありませんけど」

 なぜ突然そんな感想が出てきたのかわからず、アンジーはきょとんとする。

「今だってほら、娘さんが会釈してったじゃない」
「ああ。それは、さっきおしゃべりしたからですよ」

 単に顔見知りというだけなら頬を染めたりはしないものだが、アンジーにはそこがわかっていない。その全然わかってない様子にシモンは苦笑し、ミリーに向かって眉を上げてみせた。

「きみの弟さんは、罪な男に育ちそうだよ」
「この子は天使なので、心配いりません」

 ミリーは動じることなく笑顔で言い切った。それを見てシモンは笑い声を上げたが、少ししてから大人の顔を見せてアンジーに忠告した。

「そうそう。天使なアンジーは、村はずれにある宿屋つきの酒場には近づいちゃいけないよ」
「はい。でも、どうして?」
「うん、まあ、何と言うか、あまり柄のいい場所じゃなくて危ないからだよ」
「いや、危ないっていうか────うっ……!」

 歯切れ悪く説明するシモンの言葉にかぶせるように、よけいなことを言いかけたユリスは、テーブルの下でミリーからすねを蹴りつけられ、隣のシモンからは痛烈なひじ鉄を見舞われていた。シモンは疲れたような顔でユリスに「頼むからお前、ほんと黙っててくれよ」と耳打ちする。

 アンジーは気の毒そうに眉尻を下げ、ユリスには何も尋ねることなく宿の娘を呼んで、しゃっくり対策用の水を注文した。

 シモンが具体的に説明することを避けた「村はずれにある宿屋つきの酒場」とはすなわち、酌婦のいる酒場という意味である。だが、間違いなくアンジーは酌婦が何だか知らない。だからシモンは説明したくなかった。酌婦とは、その名のとおり酒場で酒をつぐサービスをする女性のことなのだが、往々にして酌をするだけでは終わらないため宿屋がついているわけだ。

 酌婦という職業名に触れずに説明されたアンジーは、聞かされた言葉から独自の解釈を導き出して納得した。

「つまり、家に帰れなくなるほど飲み過ぎる人ばかり集まる酒場ってこと? それは確かに近づきたくないなあ。教えてくれてありがとう、シモンさん」
「どういたしまして」

 シモンは大人の笑顔を浮かべて、愛想よくうなずいた。
 その日は翌日に備え、夕食もそこそに切り上げて早めに休むことになった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

変態婚約者を無事妹に奪わせて婚約破棄されたので気ままな城下町ライフを送っていたらなぜだか王太子に溺愛されることになってしまいました?!

utsugi
恋愛
私、こんなにも婚約者として貴方に尽くしてまいりましたのにひどすぎますわ!(笑) 妹に婚約者を奪われ婚約破棄された令嬢マリアベルは悲しみのあまり(?)生家を抜け出し城下町で庶民として気ままな生活を送ることになった。身分を隠して自由に生きようと思っていたのにひょんなことから光魔法の能力が開花し半強制的に魔法学校に入学させられることに。そのうちなぜか王太子から溺愛されるようになったけれど王太子にはなにやら秘密がありそうで……?! ※適宜内容を修正する場合があります

愛など初めからありませんが。

ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。 お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。 「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」 「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」 「……何を言っている?」 仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに? ✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。

絶対婚約いたしません。させられました。案の定、婚約破棄されました

toyjoy11
ファンタジー
婚約破棄ものではあるのだけど、どちらかと言うと反乱もの。 残酷シーンが多く含まれます。 誰も高位貴族が婚約者になりたがらない第一王子と婚約者になったミルフィーユ・レモナンド侯爵令嬢。 両親に 「絶対アレと婚約しません。もしも、させるんでしたら、私は、クーデターを起こしてやります。」 と宣言した彼女は有言実行をするのだった。 一応、転生者ではあるものの元10歳児。チートはありません。 4/5 21時完結予定。

殿下が恋をしたいと言うのでさせてみる事にしました。婚約者候補からは外れますね

さこの
恋愛
恋がしたい。 ウィルフレッド殿下が言った… それではどうぞ、美しい恋をしてください。 婚約者候補から外れるようにと同じく婚約者候補のマドレーヌ様が話をつけてくださりました! 話の視点が回毎に変わることがあります。 緩い設定です。二十話程です。 本編+番外編の別視点

【完結】愛を知らない伯爵令嬢は執着激重王太子の愛を一身に受ける。

扇 レンナ
恋愛
スパダリ系執着王太子×愛を知らない純情令嬢――婚約破棄から始まる、極上の恋 伯爵令嬢テレジアは小さな頃から両親に《次期公爵閣下の婚約者》という価値しか見出してもらえなかった。 それでもその利用価値に縋っていたテレジアだが、努力も虚しく婚約破棄を突きつけられる。 途方に暮れるテレジアを助けたのは、留学中だったはずの王太子ラインヴァルト。彼は何故かテレジアに「好きだ」と告げて、熱烈に愛してくれる。 その真意が、テレジアにはわからなくて……。 *hotランキング 最高68位ありがとうございます♡ ▼掲載先→ベリーズカフェ、エブリスタ、アルファポリス

安らかにお眠りください

くびのほきょう
恋愛
父母兄を馬車の事故で亡くし6歳で天涯孤独になった侯爵令嬢と、その婚約者で、母を愛しているために側室を娶らない自分の父に憧れて自分も父王のように誠実に生きたいと思っていた王子の話。 ※突然残酷な描写が入ります。 ※視点がコロコロ変わり分かりづらい構成です。 ※小説家になろう様へも投稿しています。

朝起きたら同じ部屋にいた婚約者が見知らぬ女と抱き合いながら寝ていました。……これは一体どういうことですか!?

四季
恋愛
朝起きたら同じ部屋にいた婚約者が見知らぬ女と抱き合いながら寝ていました。

冤罪を受けたため、隣国へ亡命します

しろねこ。
恋愛
「お父様が投獄?!」 呼び出されたレナンとミューズは驚きに顔を真っ青にする。 「冤罪よ。でも事は一刻も争うわ。申し訳ないけど、今すぐ荷づくりをして頂戴。すぐにこの国を出るわ」 突如母から言われたのは生活を一変させる言葉だった。 友人、婚約者、国、屋敷、それまでの生活をすべて捨て、令嬢達は手を差し伸べてくれた隣国へと逃げる。 冤罪を晴らすため、奮闘していく。 同名主人公にて様々な話を書いています。 立場やシチュエーションを変えたりしていますが、他作品とリンクする場所も多々あります。 サブキャラについてはスピンオフ的に書いた話もあったりします。 変わった作風かと思いますが、楽しんで頂けたらと思います。 ハピエンが好きなので、最後は必ずそこに繋げます! 小説家になろうさん、カクヨムさんでも投稿中。

処理中です...