上 下
2 / 46

浮気現場 (2)

しおりを挟む
 今日アンジェリカは、知り合いの家に子猫を届けに行く途中だった。
 アンジェリカの家で飼っている猫が子を産んだのだが、そのうち一匹を引き取りたいという父の知り合いがいたため、彼女がお遣いを引き受けたのだ。

 手提げかごに子猫を入れると、子猫はかごから頭だけ出して外の景色を眺めている。
 おとなしいのでつい油断していたところ、子猫は突然かごから身を乗り出して飛び出してしまった。あわてたアンジェリカは同行していた小間使いのミリーにかごを預け、子猫を追う。

 近道をしようと広大な公園を横切っている最中だったため、幸いにして馬車の往来はない。
 子猫は、公園の遊歩道わきにある茂みの下の雑草に鼻をつけて、ふんふんと匂いをかいでいた。
 アンジェリカは腰をかがめて子猫に近づき、子猫がくしゃみをした隙にさっと抱き上げて、ミリーに預けてあったかごに入れた。

 ほっとひと安心して立ち上がろうとしたそのとき、茂みの向こう側から聞き覚えのある声が聞こえた。
 ローマンの声だった。

「────ああ、アンジェリカか」

 自分の名前が聞こえたため、彼女はいぶかしそうに眉間にしわを寄せた。そして浮かせかけた腰を再びおろし、後ろにいるミリーを振り返って、唇の前に人差し指を立ててみせる。ミリーはあるじの意図を汲んで黙ったままうなずき、数歩さがって道端に控えた。

「あれは親が勝手に決めた婚約者だよ。かけらも女らしさがないし、顔を合わせるのもうんざりだ。早いとこ婚約解消に持ち込みたい」
「あらあら、かわいそうに」

 くすくす笑いながら、ちっともかわいそうに思っていないような女の声がローマンと同じ方向から聞こえる。アンジェリカは腰をかがめたままじりじりと場所を移動し、茂みの切れ間からローマンたちのいる方向をのぞき込んだ。
 果たしてそこにはローマンが豊満な美女と、いかがわしいとしか表現のしようがないほど身体を密着させていた、というわけだ。

 アンジェリカだって、秘めた会話を盗み聞きするのがよいことだなんて思ってはいない。
 だけど今はどう考えても非常事態だし、ローマンのほうがもっとずっとたちが悪いし、許されるはずだ。たぶん。

「女のくせに僕と身長が変わらないんだぜ?」
「まあ、ずいぶん長身なかたなのね」
「きみは優しいな。栄養が全部身長に行っちゃったのか、体つきは棒っきれみたいなのさ。せめてきみの十分の一でも色気があればなあ」
「ふふ。ひどいひと」

 ローマンの勝手な言い草を聞けば聞くほど、アンジェリカの目は据わっていく。
 苦手意識を何とかしようと努力した自分が馬鹿みたいだ。こいつは苦手なままでいい。

 アンジェリカは、すっくと立ち上がって両手を腰に当てた。
 茂みの陰からいきなり姿を現した彼女に、逢瀬中の恋人たちは最初は迷惑そうな顔を見せた。しかしローマンはすぐに彼女の顔を認識し、驚いたような、少し焦ったような表情に変わった。
 それを見て、彼女はほんの少しだけ胸のすく思いがした。だが、まだ足りない。

 だから彼女はローマンに渾身の平手打ちをお見舞いして、捨て台詞を吐いてきたのだ。
 これでやっと、ムカムカと胸の内につかえていたものが取れた気がした。

 アンジェリカはミリーを伴って浮気現場から足早に立ち去り、可及的すみやかに子猫を知人宅に届けたのち、まっすぐに屋敷に戻った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】強制力なんて怖くない!

櫻野くるみ
恋愛
公爵令嬢のエラリアは、十歳の時に唐突に前世の記憶を取り戻した。 どうやら自分は以前読んだ小説の、第三王子と結婚するも浮気され、妻の座を奪われた挙句、幽閉される「エラリア」に転生してしまったらしい。 そんな人生は真っ平だと、なんとか未来を変えようとするエラリアだが、物語の強制力が邪魔をして思うように行かず……? 強制力がエグい……と思っていたら、実は強制力では無かったお話。 短編です。 完結しました。 なんだか最後が長くなりましたが、楽しんでいただけたら嬉しいです。

【完結】名ばかりの妻を押しつけられた公女は、人生のやり直しを求めます。2度目は絶対に飼殺し妃ルートの回避に全力をつくします。

yukiwa (旧PN 雪花)
恋愛
*タイトル変更しました。(旧題 黄金竜の花嫁~飼殺し妃は遡る~) パウラ・ヘルムダールは、竜の血を継ぐ名門大公家の跡継ぎ公女。 この世を支配する黄金竜オーディに望まれて側室にされるが、その実態は正室の仕事を丸投げされてこなすだけの、名のみの妻だった。 しかもその名のみの妻、側室なのに選抜試験などと御大層なものがあって。生真面目パウラは手を抜くことを知らず、ついつい頑張ってなりたくもなかった側室に見事当選。 もう一人の側室候補エリーヌは、イケメン試験官と恋をしてさっさと選抜試験から引き揚げていた。 「やられた!」と後悔しても、後の祭り。仕方ないからパウラは丸投げされた仕事をこなし、こなして一生を終える。そしてご褒美にやり直しの転生を願った。 「二度と絶対、飼殺しの妃はごめんです」 そうして始まった2度目の人生、なんだか周りが騒がしい。 竜の血を継ぐ4人の青年(後に試験官になる)たちは、なぜだかみんなパウラに甘い。 後半、シリアス風味のハピエン。 3章からルート分岐します。 小説家になろう、カクヨムにも掲載しています。 表紙画像はwaifulabsで作成していただきました。 https://waifulabs.com/

七年間の婚約は今日で終わりを迎えます

hana
恋愛
公爵令嬢エミリアが十歳の時、第三王子であるロイとの婚約が決まった。しかし婚約者としての生活に、エミリアは不満を覚える毎日を過ごしていた。そんな折、エミリアは夜会にて王子から婚約破棄を宣言される。

嘘つきな私が貴方に贈らなかった言葉

海林檎
恋愛
※1月4日12時完結 全てが嘘でした。 貴方に嫌われる為に悪役をうって出ました。 婚約破棄できるように。 人ってやろうと思えば残酷になれるのですね。 貴方と仲のいいあの子にわざと肩をぶつけたり、教科書を隠したり、面と向かって文句を言ったり。 貴方とあの子の仲を取り持ったり···· 私に出来る事は貴方に新しい伴侶を作る事だけでした。

【短編】悪役令嬢と蔑まれた私は史上最高の遺書を書く

とによ
恋愛
婚約破棄され、悪役令嬢と呼ばれ、いじめを受け。 まさに不幸の役満を食らった私――ハンナ・オスカリウスは、自殺することを決意する。 しかし、このままただで死ぬのは嫌だ。なにか私が生きていたという爪痕を残したい。 なら、史上最高に素晴らしい出来の遺書を書いて、自殺してやろう! そう思った私は全身全霊で遺書を書いて、私の通っている魔法学園へと自殺しに向かった。 しかし、そこで謎の美男子に見つかってしまい、しまいには遺書すら読まれてしまう。 すると彼に 「こんな遺書じゃダメだね」 「こんなものじゃ、誰の記憶にも残らないよ」 と思いっきりダメ出しをされてしまった。 それにショックを受けていると、彼はこう提案してくる。 「君の遺書を最高のものにしてみせる。その代わり、僕の研究を手伝ってほしいんだ」 これは頭のネジが飛んでいる彼について行った結果、彼と共に歴史に名を残してしまう。 そんなお話。

【完結】昨日までの愛は虚像でした

鬼ヶ咲あちたん
恋愛
公爵令息レアンドロに体を暴かれてしまった侯爵令嬢ファティマは、純潔でなくなったことを理由に、レアンドロの双子の兄イグナシオとの婚約を解消されてしまう。その結果、元凶のレアンドロと結婚する羽目になったが、そこで知らされた元婚約者イグナシオの真の姿に慄然とする。

頑張らない政略結婚

ひろか
恋愛
「これは政略結婚だ。私は君を愛することはないし、触れる気もない」 結婚式の直前、夫となるセルシオ様からの言葉です。 好きにしろと、君も愛人をつくれと。君も、もって言いましたわ。 ええ、好きにしますわ、私も愛する人を想い続けますわ! 五話完結、毎日更新

【完結】私の愛する人は、あなただけなのだから

よどら文鳥
恋愛
 私ヒマリ=ファールドとレン=ジェイムスは、小さい頃から仲が良かった。  五年前からは恋仲になり、その後両親をなんとか説得して婚約まで発展した。  私たちは相思相愛で理想のカップルと言えるほど良い関係だと思っていた。  だが、レンからいきなり婚約破棄して欲しいと言われてしまう。 「俺には最愛の女性がいる。その人の幸せを第一に考えている」  この言葉を聞いて涙を流しながらその場を去る。  あれほど酷いことを言われってしまったのに、私はそれでもレンのことばかり考えてしまっている。  婚約破棄された当日、ギャレット=メルトラ第二王子殿下から縁談の話が来ていることをお父様から聞く。  両親は恋人ごっこなど終わりにして王子と結婚しろと強く言われてしまう。  だが、それでも私の心の中には……。 ※冒頭はざまぁっぽいですが、ざまぁがメインではありません。 ※第一話投稿の段階で完結まで全て書き終えていますので、途中で更新が止まることはありませんのでご安心ください。

処理中です...