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~金毛九尾~
第四章 隠里と亜里 ④
しおりを挟む座敷にて魁斗は座布団を下に引かず、正座してその相手と対面する。
左喩が二人の間を取り持つように、隠里の者の傍らに座り、紹介するように片手を広げ、えー、ゴホン、と咳払いしてから口を開いた。
「この方が、隠里の次期里長にあたります、隠里彩女さんです」
にっこりと笑みを浮かべながら、ご紹介される。
紹介された当の本人は、ギンッと先ほど首元に突き付けられた鋭い刃物のような目線を魁斗へと送る。
こっ、こわいんだけど……
なんか毎回、皆継家の傘下の人たちに挨拶をする時の出会いが最悪な気がする。大部分は自分のせいではあるが……。
魁斗は気まずさに思わず、にへらっ、とその鋭い目線に苦笑で返す。
そうして、ようやく彩女をまともに認識できた。
細身でスラリとした身体つき、切れ長の瞳を涼やかに光らせている。
「もういいでしょう。左喩様」と挨拶はこれで終えたと言うように、正座から立ち上がる。立ち上がるとやはりちょこんと効果音が鳴っているのではないかと錯覚するほどの小さな身長。佐々宮紫と同じくらい小さい。だが、そんな小さな身長なんか気にならないくらいの強く殺意のこもった視線を座っている自分に対して侮蔑を込めて見下ろしてくる。だが、妙な感じだ。感情がこもっているはずなのにあまりに冷たい。その視線に人間らしい温度はない。
これが忍者か、と魁斗は認識を改める。
暗殺が横行している世界――その暗殺を生業にしている隠里。
魁斗は本人を目の前にして納得ができた。
たしかに、人を殺せそうな目をしている。まだ、自分よりもたいそう若そうなのに、漂ってくるオーラがまるで違う。依頼とあらば、殺しでもなんでも忠実に役目を全うする。そのような雰囲気を持っている。そんな感想を一目見てから思った。
そして、魁斗がまだ自己紹介していないのに、すでに立ち去ろうとしている彩女に急いで声をかける。
「あの、先ほどはすいませんでした! おれは、紅月魁斗と言います。ここで……皆継で、お世話になってます」
言い終えると、彩女は眼球だけをこちらに向けて、言い放つ。
「紅月……妙な動きをしたら、すぐに首を刈り取りにくる」
そう吐き捨てられ、冷たい視線をずしずしと突き刺してくる。
そんな二人のやり取りを見て、左喩が冷汗を掻きながらも無理やりな笑顔を咲かせて、両手をぱんっと胸の前で叩いた。
「はい、無事に挨拶を終えましたね! よかったですっ!」
毎度のことながら、なにがよかったのかがわからない。
そんなことを頭で思いながら、左喩に目を向けると笑顔から一転、驚きに顔を強張らせ、大きく目を見開いた。その視線は彩女や魁斗を見ていない。
あれ? と魁斗は左喩の視線の先を追う。
この部屋の開かれた襖。
その敷居の向こう側に魁斗の馴染みのある人物が立っていた。
「……あっ、累」
魁斗は自然と名前を漏らし、その姿を目に映した。
もしかしたら昨日のことで、話をするために累から来てくれたのかな? と、その時は思った。
しかし、累は自分に対して一切、目線を向けてはいなかった。
「……」
累は目を見開いて、息をしないままで立ちすくんでいた。
ただただ、なにかを見つめるように。
魁斗は呑気に累が来てくれたことに顔を綻ばせて、
「どうした、累?」
名前を再び呼んでみた。だけど、こちらに目線を向けてはくれない。
ん? おかしいな……
ややあって、ようやく状況に気がついた。
累は凍りついたように、顔を強張らせている。輪郭を硬くし、眉根を寄せて険しくし、動揺したように瞳が揺れ、奥歯が砕けそうなほど、ぐっと食いしばっている。それは、あまりに不安定な少女の顔だった。
「おっ、おいっ、どうしたんだ?」
累のそんな顔は知らない。はじめて……見るような顔だ。
顔色が魁斗の目の前でどんどん失われていく。
吸った息も吐くこともできない唇が半開きのままで、なす術なく無力に震えている。
累は魁斗の言葉に返答することもなく、踵を返した。
「え、ちょっ、おいっ!」
早足で立ち去って行く累を止めるために、魁斗はすぐさま立ち上がり、廊下に出るも、すでに玄関を越えて走り去ってしまっていた。累の後ろ姿が見えなくなるまで見送ったが、決してこちらには振り返らず、その姿を消した。
「なんだ、あいつ……」
魁斗は、のそのそと部屋の中に戻っていく。累が走り去っていった玄関の方をいまだ見つめながら、思う。
顔色悪かったな……
魁斗は累の姿を思い出す。
朝早かったから……では、ないだろうな。あれは。
透き通るような白い肌が、より真っ白に。加えて真っ青に見えるくらいまでの顔色だった。
しかし、どういうことだろう?
累は明らかに隠里の彼女を見ていた。
見て、凍りついたように血の気が引いて、みるみるうちに顔の生気までもが失われていって、走って逃げていった。
訊く手がかりは……
素早く部屋の中を見渡す。
左喩が首を垂れて、しまったと言わんばかりに額に手をついて顔を覆っていた。
「左喩さん、どういうことなんですか?」
魁斗はなにか知っているであろう、左喩に問いかける。左喩が返事をする、その前に、
「では、左喩様。わたしはこれで……」
たった今の出来事など、なにもなかったかのように彩女がその言葉を左喩へと伝える。
「あっ、はい……わざわざ来てくださって、ありがとうございました。彩女さん」
彩女は左喩に対して、一礼をするとそそくさと家を出ていった。
しん、としばらく静まり返るお座敷の中、左喩が一度薄く唇を噛んでから、ようやく口を開いた。
「今回は、失敗ですね……」
毎回、失敗している気がするんですが……。
そんな言葉を返すことよりも、魁斗は累のあの反応のことについて訊きたい。再び左喩に尋ねる。
「累のあの様子はどういうことなんですか? 左喩さん、なにか知ってますよね?」
魁斗の問いかけに、左喩はしばらく項垂れるように頭を抱える。なんで、そこで頭を悩ます必要があるのか魁斗にはわからない。そして、
「……ごめんなさい。わたしからは、言えないです」
返ってきた返事は『答えられない』だった。
魁斗は眉をひそめる。
全然、納得ができない。
「いや、なんでですか?」
疑問が晴れない。
明らかに累の様子は普通ではなかった。あんなに顔を強張らせて、肌の色も真っ青になるくらいまで血の気を引かして、あんな累は今まで見たことがない。絶対におかしい。おかしすぎる。
すると、瞳を伏せたままの左喩が答える。
「累さんと……約束しているからです……」
「約束?」
それはどういう……?
訊く前に左喩がこの会話を終わらすように言葉を続ける。
「はい。なので訊くなら、累さんに……直接お願いします」
そう言って、左喩はそれ以上はなにも語らなかった。
窓から見える空の雲行きが少しずつ怪しくなっているのが見えた。
※※※
結局あの後、累に連絡をしてみるも、いっこうに連絡がつかず。
それならと累の住んでいるアパートまで直接足を運んでみた。
たった今、玄関のチャイムを鳴らしノックもして家の住人である累の名前を何度か呼んだが、出てくる気配がない。ドアに耳を当てると部屋の中はシンッと静まり返っており、人の気配がなかった。
居ないのか、とドアノブに手をかけ、回すと不用心にも鍵が掛かっておらず、ドアが開く。「累ーいるか?」と、呼びかけながら部屋の中を覗き見るも、やはりそこには累の姿は見当たらなかった。
ため息をついて、諦めて帰ろうと思い帰路にたった。
歩道を歩き、ふと見上げた空はやはり曇り。
だんだんと重たそうな雲が世界を覆い隠すように広がっていっている。
こりゃ、近いうちに降るだろうな……。
空を見ながら歩き進めていると、向かい側の歩道に涙で頬を濡らした累がうつらうつらとした表情で歩いていた。足取りもふらふらとおぼつかない様子で、憔悴しきっている。それでも、進める足は止めずに自分のアパートに戻ろうとしているのが見えた。
「累っ!」
叫ぶもこちらに振り向く様子はなく、ただ真っすぐに進んでいく。
魁斗は急いで横断歩道を渡って、駆けつけてその背中に追いついた。魁斗の手が肩に触れると、まるで生気を失ったような累の顔がこちらに振り向く。そして、魁斗を見ると強張るように目を見開いた。ビクッと身体を硬直させ、少し逃げるみたいに一歩、二歩後ずさる。
その反応を見て、魁斗も驚いたように瞳を大きく開く。
「おっ、おい……累、どうしたんだよ? 家に行っても居ないし……いや、それよりも、お前……ほんと……どうしちゃったんだよ?」
累はなぜか自分を必死に守るように両腕を交差させ、身体をぎゅっと抱きしめている。その両手が肩を握りしめ、指に過剰に力が入っているようで、ぐっと白い肌に爪が突き刺さるように痛々しく、強く強く握られている。
「累……」
見ていられなくて、その肩に触れようと手を伸ばすも、累は針にでも刺されたように身体をビクつかせ、目をぐっと強く閉じて、ほとんど飛ぶようにして、後ろに一歩退く。
魁斗の伸ばした手は空中で止まり、相手に触れられないままに、そのまま、すとんと落ちる。
「おい……累、どうした? なにがあった? 頼むから、教えてくれよ」
魁斗はそっと累に近づこうと、一歩近づく。
距離を縮めようと、本物の心で、本気の言葉で語りかけた。
どうか、答えてほしいと祈りながら。
累の答えを待つが、返ってこない。
そして、累は顔を伏せたまま首をゆっくりと横に振った。
その動作がとてつもなく胸を抉る。凄まじく虚しい。そんな気持ちになる。
そんなにダメかよ。おれじゃダメなのかよ。そりゃお前の言うとおりに……おれはだいぶ未熟だけど、でも、お前のことをわかりたいって思ってるんだよ。お前のことが大切なんだよ。一番長く、おれたちは一緒に過ごしてきたじゃないか。
心は激しく、訴えている。
「なんで、だよ……」
魁斗は悔しくなり目線を地面に落とす。
反応を待つ数秒の間に唇が渇く。
その唇を噛みしめて堪える。
そして累は、
「怖いの……」
と、ぽつり。囁いた。
目を擦り、わずかに漏れ出ている目尻の涙を自分の指の腹で払う。
顔を隠すように伏せたまま、
「魁斗はきっと……わたしのことを、誤解してる。すごくいいやつだって思ってる。でも……でも……いつか、全部知られると、わたしのことがわかったら、きっと……」
その言葉は累の本物だった。
だけど、おれはその言葉を全部否定してやる。だって、わかっているからだ。
累は絶対にいいやつなんだと、おれは知っている。お前は優しいやつなんだと知っている。
お前が……お前が、自分に対しての認識を間違えている。
なにを隠しててもそれだけは思う。
どんな言葉でも覚悟して待ってやる。
魁斗は累の顔を真っすぐに見つめてから口を開いた。
「お前はいいやつだよ。なにを隠してても、おれはお前のこと…」
「――わたしが人を殺してても……?」
「えっ?」
その言葉から、どれだけの空白が流れたのだろう。
累の口から放たれた言葉が重く魁斗の脳を揺らす。
少し前に優弥が言っていた。
『――累さんの届いている依頼に人を殺す内容もあったから』
あれは、まさか本当に……?
思わず、眉をひそめて顔を伏せた。
「ほらっ、やっぱりダメだよ」
続けて、泣き出しそうな声が耳に届いた。
そっと顔を上げる。
立ち尽くす魁斗の前で、累の顔が溶けていく。ふにゃ、と大泣きする寸前の赤ん坊のように歪ましていく。
「……」
声は出さないまま、その顔は反対に向き直し、ひとり走り去っていく。
――待って
声が出なかった。
魁斗はそんな累の背中に手を伸ばしかけ、しかし、虚空に彷徨わせる。迷ったみたいに幾度か指先が震える。
そして、そのまま。
悲しげな背中を見送った。
自分は、ただ無策に棒立ち、突っ立ったままで動けなかった。
自分の震える手に視線を移した。
――覚悟も、すべて儚く散っていく。
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