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第四章 転校生 ②

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 ケタケタケタ。カコンカタンカコン……。

 神社の境内に、下駄の音が鳴り響く。
 色とりどりの屋台が建ち並び、それぞれが美味しそうな匂いを放つ。
 赤色の提灯が宙を舞い、沈んだ夕陽の代わりになるように優しい光を放ち、暗闇の世界を灯す。
 行き交う人たちの衣も華やかに、いろいろな花を咲かせている。

 ケタケタケタ。カコンカタンカコン……。

 下駄の音が鳴り響く。
 そんな世界の入り口、もとい、鳥居の前で魁斗はある人物を待っていた。


                ※


 遡ること一時間前。
 魁斗は左喩との約束を果たすために、皆継家の自室で祭りへ出かける支度を終える。
 ボチボチ出ようかと自室の襖を開くと智子に遭遇。
 智子は魁斗たちの事情を知っているようで、魁斗の自室に足を運び、声をかけに来た様子だった。

「魁斗くん、その恰好じゃダメ。夫が昔、着ていた甚平があるから、それを着なさい」

 持っていた甚平を渡される。魁斗は智子の言葉に従って甚平へと着替える。
 これだけでも、お祭り感が出たような気がする。生地も薄く、動きやすい。
 少し気に入った。
 智子に着替えたこととお礼を伝えると、「下駄も履いていくこと」と、勧められる。
 玄関に下駄も用意してもらう。履こうと腰をおろした時に智子から背後に近づいてきて、背中に手を添えられながら伝えられる。

「左喩も浴衣に着付けるから、魁斗くんは先に行って待ってて」

 そう伝えられると智子はその口を耳元まで近づけさせて、ささやく。

「いい? 絶対褒めてあげるのよ」

 耳打ちを終えると智子は手を振って、左喩の部屋に消えていった。
 下駄を履き、玄関を出ようとすると、廊下の奥の方から右攻が恨めしそうにこちらを睨んでいた。すごい禍々しいオーラを遠くからでも感じる。

「……」

 なにも見なかったことにして魁斗は屋敷を出た。


                ※


 そして、現在。
 すっかり待ちぼうけている魁斗は、あくびを漏らしながら軽くつぶやく。

「遅いなぁ、左喩さん」

 ケタケタケタ。カコンカタンカコン……カタッ……。

 目の前で下駄の音が止まる。
 顔をあげると、流れている人や時間が一瞬止まったかのように思えた。

 白地の浴衣をベースに中に彩られた淡い紫色の紫陽花。色味を合わせたような群青色の帯。いつもはおろしている長い黒髪をかんざしでまとめて、うなじが見えて色っぽい。いつもは、ほぼ化粧をしていない顔だが、唇に口紅を入れたのか、ほんのりと紅くなっている。

 智子のセリフが思い浮かんだが、褒めようにも一瞬息が詰まり、言葉がとっさに出なかった。どう控えめに表現してみても、目の前にいる人物はこの場にいる誰よりも美しかった。

 魁斗はなにも言うことができず、ただただ目の前の美しい姿を目に映していた。

「あの、魁斗さん。すいません、お待たせしました」

 照れと申し訳なさが入り交じる笑顔を浮かべながら、その美しい人が声をかけてくれる。

「……」

 反応が一切返ってこないため、左喩は小首をかしげる。

「……あの、魁斗さん?」

 左喩に不思議そうに見つめられて、ようやく正気を取り戻した。

「……すいません。あまりに綺麗だったので、見惚れてました」

 思わず本音が出てしまう。

「えっ! そんな……。ありがとうございます……」

 左喩は両手で両頬を押さえ、目線を外す。いつもの茶番とは違い、今回は本気で照れているように、頬がほんのりと赤い。

 魁斗はいまだに目の前の美しい姿に慣れず左喩の目を直視できない。屋台の方を見ながら頭を搔きはじめる。

「魁斗さんも、素敵ですよ。その甚平」

 微笑みながら自分のこともほめ返してくれた。

 ダメだ。今日は破壊力が強すぎる。

 意識しまくって、どぎまぎしていると、左喩の方から甚平の裾を掴んで、「行きましょう」と引かれ、一緒に鳥居の中をくぐり抜けた。




 二人は周りを見渡しながら境内を歩いた。
 美味しそうなタコ焼きの屋台。流行りのモンスターやちびっこに大人気の面などが飾られているお面屋。水の中をすいすい気持ちよく泳いでいる金魚たち。甘い匂いを放つりんご飴なんかもある。

 様々な屋台が建ち並び、楽しそうに色とりどりの光を放っていた。

 りんご飴を見て、ふと昔を思い出した。
 母と累、三人でお祭りに出かけた日。累は一目散にりんご飴に食いついていた。「おばさん、これなぁに?」と指さす、まだ幼い累に対して、母さんは優しく説明していた。「食べる?」と聞くと「うん!」と元気な声を出し、まるでお祭りのような笑顔を見せていた。

 なつかしいなぁ。

 魁斗がりんご飴を見つめながらしみじみと浸っていると、突然目の前に左喩の顔がのぞき込んできてびっくりする。

「魁斗さん、どうかしました?」

 のぞき込む左喩の顔と声で、過去から現代へ戻ってくる。

 いかん、いかん。今回は左喩さんにお礼をするためのお祭りだった。

「いえ、なんでもないです」

 笑顔を浮かべ、手を横にふるふると振ってみせる。

 左喩は不思議そうに魁斗の目線の先を追ってみると、質問を投げかけてきた。

「りんご飴が食べたいんですか?」

「いや、ううん。おれはぜんぜん。左喩さんは?」

 昔の記憶に浸ってたなんて、今は言えない。

「わたしは……」

 りんご飴を見たあとに、左喩はきょろきょろ周りを見渡す。

「あれが食べたいです」

 そう言って指さす先はたこ焼き屋。

「おっ、いいですね、たこ焼き! 食べましょう。おれ、おごります!」

 祭りと言ったらたこ焼きだよな。左喩さん分かってる。

 二人は並んで、たこ焼き屋へ足を運んだ。


                  ※


 そのあとも、焼きそばにイカ焼き、かき氷、フランクフルト、焼き鳥と食べ物系の屋台はほとんど回り、買い漁った。魁斗もよく食べるが、左喩も食欲旺盛だった。

「食べ過ぎちゃいましたね」

 石段に腰掛け、クスリと笑う。

「いや~、やっぱり祭りはテンション上がりますね」

 おかげでまた、財布の中身が……。

「食べたいものは全部食べました。満足です。でも、良かったんですか? 全部奢って頂いて……?」

「なっ、なに言ってるんですか! 今日はお礼ですから! もちろんいいんですよ。他にはなにかしたいことはないですか?」

 強がりである。だけど、左喩が満足そうにしていて嬉しくなる。自分も久しぶりの祭りを満喫できて楽しい。

 左喩は、顎に手をあてながら、なにやら考えている素振り。すると、「あっ」と両手を合わせる。

「一つあります」

「なんですか?」

「金魚すくいしてみたいです」



 
 金魚すくいのお店の真ん前まで着くと、左喩の顔が、ぱあっと花開く。

「可愛い」

 あなたの方が可愛いですよ、なんてさらりと言えたらいいが言えない。

 本当に祭りを楽しんでくれているようで嬉しかった。

 金魚すくいは一回300円。魁斗は屋台のおっちゃんに600円を払ってそれぞれ、一人一回ずつやることにした。

 左喩は浴衣の袖をめくりあげると、艶やかで透明感のある肌が露わになる。浴衣から伸びるその腕を眺めてゴクリと唾を飲みこむ魁斗をよそに、左喩は真剣な顔で狙いを定めておそるおそる水の中にポイを入れる。

 捕まえようとして、一瞬だけ、真ん中に金魚がのったが、あっという間に破られて逃げられてしまった。

「あー、残念」

 左喩は悔しそうに逃げた赤色の金魚を眺めている。

「左喩さん。ここは任せといてください。おれが取ります」

 祭りでは、累とよく金魚すくいをしてたんだ。一匹ぐらい取れるはず。

 魁斗は、逃げた金魚を後ろから追うと、ポイの真ん中ではなく縁を使い、素早くいっきに掬った。昔、祭りの時に編み出したちょっとしたコツだ。

 左喩が追っていた赤色の金魚は見事にカップの中に入り、一匹ゲット。

「すごい! 魁斗さん!」

 左喩は嬉しそうに手を叩く。

 もう一匹と舌をなめずり、狙いを定めて黒い金魚を掬ったが、今度は破られてしまった。

「あー、くそぅ……」

「おしい」

 魁斗と左喩は二人同時に残念そうに声をあげる。

 屋台のおっちゃんは魁斗が取った赤色の金魚を袋に入れて渡す。

「ほいよ、にいちゃんおめでとう」

 魁斗は渡された金魚を受け取る。すると、屋台のおっちゃんは袋にもう一匹黒い金魚を入れると左喩の方にも手渡す。

「んで、おねえさんは美人だから大サービス」

 気前のいいおっちゃんだ。

「いいんですか!? ありがとうございます」

 笑顔で金魚を受け取る。すごく、嬉しそうに袋の中の金魚を覗いていた。

「いいってことよ。また来てくれぃ」

 かっこつけてるつもりだろうが、おっちゃんは鼻の下が伸びていた。

 うん。気前がいいというより、美人に弱いおっちゃんだな。あれは。
 だが、気持ちは分かるぞ、おっちゃん。と心の中で思った。




 もうすぐ花火が上がる。
 魁斗たちは、人混みを避けて、神社近くの石段に腰を降ろす。
 魁斗は自分が取った金魚も左喩にあげることにした。
 手渡すと左喩は、金魚の入った袋を何度も顔の前に掲げて嬉しそうに見ている。
 その姿を魁斗も微笑ましく見ていた。

「魁斗さん。この子達の名前は何にしますか?」

「名前ですか……?」

「はい」

 うーん、唐突に聞かれてもすぐに思いつかない。

「アカとクロ」

 見たまま直球の名前を言い放った。

「そのまんますぎますよ」

「じゃあ、レッドとブラック」

「だから、直球すぎますよ。ふざけないでください」

 プンプンと頬を膨らませて怒って見せる左喩。

 正直可愛い。

「じゃあ、左喩さんはなにか思いついたんですか?」

 聞かれて、左喩はうーんと頭を悩ます。そして、思いついたように顔をあげて、

「じゃあ、カイトとサユで」

 にっこり笑って魁斗を見つめてくる。

「……左喩さんもふざけてるじゃないですか……」

 一瞬ドキリとしたが、この一年間、一緒に過ごして左喩のこうしたボケには少し慣れていた。

「家に着くまでには決めます」

 そんな会話をしていると、夜空に大輪の花が大きな音をたてて咲き誇り、そして舞い散っていく。

 二人は顔を同時にあげて、頭上に目線をやると、次から次へと大輪の花が咲き誇る。

「花火、綺麗ですね……」

 夜空を眺めて左喩が言う。左喩の瞳には花火が映しだされ、思わずその綺麗な瞳に吸い込まれそうになる。

「そうですね……」

 花火か、左喩か。どちらに言ったのかは自分でも分からなかったが、自然と言葉が出ていた。

「また、来ましょうね。お祭り」

 そう言って左喩は花のように微笑んでみせる。

 心臓が飛び跳ねる。
 とても綺麗なその姿に魁斗は目を見開く。
 一秒でも長く見ていたい衝動に駆られる。

 左喩は再び夜空を見上げた。

 その間も魁斗は左喩の顔から目が離せなかった。
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