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第二章 裏世界への門出 ③
しおりを挟む左喩に案内されながら三人はあぜ道を歩いていた。
――あなたを皆継家で引き取ることとします。
この言葉はいったいどういうことなんだろう……?
魁斗はそっと累のもとに近づいていき、耳元に自分の口を近づけていく。
「累、さっきのは……あの、どういうこと?」
小声ながらも、やや食い気味に累へ質問をしてみる。だけど、
「着いたら、わかる」
とだけ言うと、累は口をつぐんだ。
……今は聞けなさそうだ。でも、もう一つ気になったこと。
「……あのさ、累、お前先輩と喧嘩でもしたの?」
「べつに……」
複雑な顔でそれだけ言い残し、累は歩くスピードを上げ、魁斗から距離を取る。
取り付く島もない。先を歩かれ、見えるのは累の後ろ姿。どんな顔をしているのかも分からない。
今は相手をしてくれなさそうだな、と息をつく。
あいつが学校であんな感情的な表情をしてるのは、はじめて見た、と思い出しながら前を歩く二人の後をとぼとぼと着いていった。
しばらく歩き続けると、山のふもとにたどり着いた。
さすがにぼちぼち家に着くのかな、と思った魁斗だが、思わぬ言葉が投げかけられる。
「では、この山を登ります」
左喩は、にっこりと表情を作り、目の前の山を指さしながら宣言する。
「えっ! この山ですか? ていうか、ここ……」
周りを見渡すと、『入るな危険』『ケモノ出没』『近づくな』等が書かれている看板が無造作にいくつも建てられている。そして山の入り口にはもっと衝撃的な文言の看板が建てかけられていた。『無断で立ち入ることを禁ずる。違反者は日本国の法律に乗っ取り罰します』
その看板を見た、魁斗は恐怖を感じて、思わず左喩に尋ねる。
「あの……ここって入っちゃダメな場所なんじゃ……」
「大丈夫です。この先に私の家があるので」
にこっ、としてから返事をされる。
いや、にこっ、じゃなくて……。
外からでも、異様な雰囲気を感じる山の入り口に、恐怖感が拭えない。今度は累にこそっと話しかける。
「ここってさ、入っちゃダメなんじゃないの……?」
「……なに? 怖いの?」
累が目を細めてジロッとこちらを見てくる。
「いやっ、そういうわけじゃないけど……」
不安を隠せない魁斗だが、自分は一応男。意味の無い見栄を張る。累はそんな男心を知ってか知らずか、お構いなしに「じゃあ、いくよ。ほらっ、大丈夫だから」と、ぽんっと背中を叩く。山の入り口からも、よく分からない獣の叫び声が鳴り響いている……ような気がする。明らかに危険だろう、という脳内信号が流れているが二人が先へと進んでいくため、嫌々ながらも後を追った。
思っていた以上に長い時間、山の斜面を登り続け、息が荒くなってくる。登山は久しぶりだ。魁斗は運動部に所属していないただの帰宅部であるため普段の運動不足は否めない。また、異様な雰囲気の山を登っているせいなのか、空気も他の山を登るよりもさらに薄く感じた。
どれくらい歩き続けたんだろう、ほんとにこの山の中に家があるのか、と心の中でこわごわと考えていると、
「あと、もうちょっとですよ」
「ほら、頑張って。魁斗」
心の中をのぞかれたのか、と思うようなタイミングで、二人に声をかけられる。
すでに息が切れている魁斗とは、対照的に二人は全く息を切らしていなかった。
どうして、二人はそんなに体力があるんだろう? 特に累……お前、そんなに体力あったんだ……。
累とは日々、一緒に過ごしてきたはずだったが、こんなに体力があるなんて知らなかった。たしかに、朝、学校に遅刻しそうなときに間に合うように走って登校する。その時も、自分だけ息を切らしていだが、累は平気な顔で汗一つかかずにいたけれども。それにしたってこの険しい山道。ペースも速いし、息一つ切らさないで登り続けるって、おかしくないかこの二人……と思考を巡らせながら、酸素を一生懸命とりこんでいると、
「ここです」
いつのまにか、辿り着いていたようだった。左喩に促され視線を向けると、大きな門構えに庭園、旅館のような大きさの屋敷が広がっていた。
山の上に建つ大きな御屋敷に、普通とはなにかちがう異様さを感じながら、魁斗は流れ出る汗を拭い、息を整える。
「……はぁ……はぁ、大きい、お家ですね。……ほんとに家があった」
息を切れ切れに、後半は小声で独り言のようにつぶやく。そして、疑問に思ったことを質問しようとするが、
「えっと……皆継先輩、あの…」
「左喩でいいですよ。先輩もいらないです。とりあえずは中に入ってください」
いろいろと質問をする前に、「どうぞ」と笑顔で家の中に入るように促される。魁斗は促されるまま「おじゃまします」と言い玄関に靴をきちんとそろえて中に入った。
そのまま床の間に案内される。綺麗な和室で、部屋を見渡せば、上等そうな掛け軸に綺麗に選定された生け花、高級そうなお皿、年季の入った刀、怒ったような形相の鬼の面などが飾られていた。魁斗たちは座卓の前に置いてある、座布団に腰を下ろす。
「お茶を持ってくるのでちょっと待っていてください」
左喩は部屋から離れ、奥へと行ってしまった。魁斗は今の状況を理解すべく、隣に腰を降ろしている累に尋ねる。
「累。あのさ、全然話が見えないんだけど……」
「……左喩さんが戻ってきたら、説明する」
依然として累は、説明をしてくれない。
なんか機嫌が悪そうに見えるのは、自分の気のせいなのだろうか?
「お待たせしました。どうぞ、粗茶ですが」
お盆を持った左喩が部屋に戻ってきて、魁斗と累、自分の座る位置の座卓の上にお茶の入った湯呑をそっと置く。
「……ありがとうございます。えっと、左喩さん」
「はい。どういたしまして」
左喩はふんわりとやさしく微笑んでくれた。左喩は座卓を挟んで魁斗の正面に腰を降ろした。
魁斗は左喩の方に体の正面を向けながら、さっそく質問を投げかける。
「それで、あの、いったいどういうことなんですか?」
自分は一刻も早く事態を把握したい。だって、訳が分からないんだもの。
左喩は一度目を閉じて、お茶を一口コクッと飲む。そして、湯呑を下ろし、瞳を上げると、
「累さん。確認ですが、魁斗さんはまだ何も知らない状態なのですよね?」
左喩は累の方を向いて一つ質問。
「はい。まだ、なにも知らない状態です」
累は左喩に視線を返して、平坦な声で返事をした。
左喩が一度、ふうっと息を吐き、目線を魁斗に移す。
「では魁斗さん。いまからあらゆることの説明をする前に、まず裏の世界についてご説明します。複雑な話はできませんが、なにか分からないこと、質問がある時は聴いてください」
「えっ、裏の世界? ……あっ、はい……」
魁斗は間の抜けた声を返す。思ってもみない答えが返ってきたため、若干、困惑するが、すぐに思考を切り替える。
累が以前言っていた、あのことか。
左喩はにっこり笑って魁斗を見つめる。魁斗が訊く準備が出来るのを少し待ってくれているようだった。魁斗は、目線を左喩に送り、小さく頷いた。
そして、艶やかな唇が語り始めた。
「この日本では、ずっと昔から争いが起きています」
いきなり、大ごとのような出だし。魁斗は、目を丸くする。続けて、質問が投げかけられる。
「魁斗さん。『三権分立』はご存じですよね。学校の社会の授業で習ったはずです」
魁斗は名前をなんとなく聞いたことがあったが、内容までは網羅できていなかった。
「えーと……ちょっとあやしいです……」
人差し指で片頬を搔きながら、苦笑いを浮かべ、正直に答えた。累が隣でため息をついているのが聞こえた。
しょうがないだろ、勉強できないんだから。
「ん~と、では、簡潔に述べますね。国の権力には『立法権』『行政権』『司法権』の三つがあるのですが、この三つを分ける仕組みを『三権分立』って言います。それは、聴いたことありますね?」
なにやら難しい権利の言葉が飛び出してくる。『三権分立』、確かになんとなく聞いたことはあるが、それがいったい何につながるんだろう?
魁斗は眉を寄せながら、なんとか小さく頷いてみせる。
「国の権力を三つに分けた理由は、国の権力が一つの機関に集中すると濫用されるおそれがあるためです。それぞれ三つの権力が互いを抑制し、均衡を保つことによって権力の濫用を防ぎ、国民の権利と自由を保障しようっていうことです」
なんだか、学校の授業みたいだなあ、と魁斗は思いながらも頷く。
左喩は説明を続けた。
「国会は、法律をつくったり、変えたり、廃止したりする『立法権』を、内閣は、国会が決めた法律や予算に基づいて実際の行政を行う『行政権』を、裁判所は、人々の争いごとや犯罪を憲法や法律に基づいて裁くことができる『司法権』を担当し、互いに仕事をしています」
たしかに、授業やニュース番組やらで聞いたことがある気がするなと、うんうんと頷く。
「分からなかったら、後で教科書を読んでみてくださいね。もしかしたら、テストに出るかもですよ。では、続けます」
ん? テストに出る?
左喩は一度、コホン、と咳払いして説明を続けた。
「この三権分立の権利をそれぞれ裏で支配している三つの家系があります。『立法権』を裏で支配している家系が≪深海家≫、『行政権』を支配しているのが≪大陸家≫、『司法権』を支配しているのが≪天空家≫です。この三つの派閥が裏で権力争いをしています。三勢力の争い、まさに三国志みたいですね」
左喩は人差し指を上空に突き立て、片目を開き、こちらを見つめる。
ん? 今のは、まさかボケ……なのか?
左喩はコホン、と咳払いをして「続けます」と言い、再度説明に戻った。
「このように、裏の世界では権力争いで戦争が起こっています。その裏の権力争いでそれぞれの派閥に属し、代々力を持ち、それぞれに影響を与えたり、戦い合っている七つの家系があります」
七つの家系……?
「まずは、我が≪皆継≫、そして皆継の傘下に≪佐々宮≫、≪隠里≫とあります。その他に、≪黒白陽≫、≪式之森≫、そして≪紅月≫に傘下の≪蒼星≫……」
「紅月!?」
魁斗は苗字を聴いた瞬間、驚きの声をあげる。
「左喩さん! あの、紅月って……」
「魁斗、一回最後まで訊いて」
今にも左喩に詰め寄りそうな魁斗を累は止めるように肩に手を置いて声を挟んでくる。
「いやっ、でも……」
「いいから、まずは訊いて」
冷然な声に魁斗は気圧される。納得はできなかったが、最後まで左喩の説明を訊こうと口から出そうな言葉は喉の奥に引っ込めた。視線を左喩に戻す。左喩は目をまん丸にして少し驚いている様子だった。
「えー……では続けます」
コホン、と咳ばらいをして、
「あー、びっくりしてどこまで言ったか、忘れちゃいました。どこまで言いましたっけ?」
左喩は累の方を見て、尋ねる。
「七つの家系まで」
「ああ、そうでした、そうでした」
累は平坦に。左喩はマイペースに言葉を繋いで、説明に戻った。
「≪皆継≫、≪佐々宮≫、≪隠里≫、≪黒白陽≫、≪式之森≫、≪紅月≫、≪蒼星≫。代々この七つの家系が裏で力を持ち、それぞれ争い続けているわけです。裏の世界では『七雄』なんて呼ばれているみたいですよ。なんだか、戦国時代のようですね」
左喩のボケなのか、本気なのか、よく分からない言葉に対して、魁斗は完全に受け流した。というよりもそのボケに気づいて拾ってあげるほどの考える余裕がない。名前を挙げられた≪紅月≫という言葉が魁斗の頭の中をぐるぐると回っていた。
「ほんとに戦国の世から続いているとも言われてるんですよ。私たちの家系…」
うんぬんかんぬんと思考の外で左喩が言葉を続けているのが聞こえていたが、今はそんなところに引っかかってる場合ではない。
コホン、と咳払いをして「続けます」と左喩の声が聞こえた。本題に戻るみたいだ。
「派閥ごとに各々の家系が組み込まれていて、争いをしています」
天空の勢力は≪黒白陽≫。
大陸の勢力は≪式之森≫、≪紅月≫、≪蒼星≫。
深海の勢力は≪皆継≫、≪佐々宮≫、≪隠里≫。
大きく分けると、この三勢力が争い合っているという。
「私たちの家系は≪深海≫に属しています。この≪深海≫と≪大陸≫、≪天空≫の三つは表の世界でも実際に権力を握っている名家なので、表世界でも名前が通っています。それを裏で支えたり、協力関係にあるのが、わたしたちの家系というわけです」
一通り説明を終えると、左喩がお茶を飲んでふうっと一息つく。
「ざっと、簡単ではありますがこんなものですね。では、魁斗さん。質問をどうぞ」
魁斗は頭の中でループしていた名前を引き出す。
「紅月って、おれの苗字と一緒なんですけど……?」
左喩は言葉を受け止め、冷静に質問を返す。
「あなたは、おそらく紅月の家系となにかしら関係があると思われます。詳しいことは私にもよくわかりませんが……」
魁斗は額を手で覆い熟考した。
おれには、親戚も身寄りもいない。生まれたところもよく分からない。気づいたときには、母さんと二人でこの街で暮らしていた。途中から累も家族になったけど、生まれてこの方、母さん以外に家族の存在を知らない。母さんが言うには、父さんは自分が幼い頃に事故で亡くなったと聞かされていた。そして、母さんには両親や親戚がおらず天涯孤独だったが父と結婚して、おれが生まれてようやく家族が出来たと嬉しそうに話していた。しかし、今思えば、おれは自分の生まれ故郷のことなどなにも知らないし疑問に思ったことが無かった。幸せだったあの時間が自分の中に疑問を生ませなかったんだ。それほどまでに、まぶしい日々を過ごしていた。
「ハハッ……」
自分でも理由は分からなかったが、乾いた笑みを漏らしていた。
おれは、もしかして何も知らずに生きてきたのか。
自分の今の状況を左喩の説明と照らし合わしても、まだよく理解はできていない。
暗闇の思考の中で、聴きなれた声が響いた。
「――魁斗」
いつのまにか、累の顔が目の前に。魁斗の顔をのぞき込んでいる。
「大丈夫?」
累の言葉でようやく思考の世界から現実に戻ってきた魁斗は「大丈夫」と薄く笑う。累の肩に自分の手をぽんっと置いた。累が名前を呼んでくれて、頭が少しだけクリアになった気がした。
「左喩さん。もう一つ質問です。母さんを殺した犯人については何か知っていますか?」
左喩は質問を聴くと神妙な面持ちになる。
「……おそらく、魁斗さんのお母様を殺したのは、裏世界の人間の仕業です。しかし、詳細は分かりません。申し訳ありません」
ぺこりと頭を下げられる。
「……犯人は捕まらないんでしょうか?」
左喩は複雑そうな表情を浮かべた。そして、口を開く。
「……おそらく捕まることはないでしょう。魁斗さんも気づいていると思いますが、表の世界にはあまり大きく報道されていないと思います。警察の捜査も打ち切りになっていると……」
「そんなの、おかしいじゃないですか! なんで母さんを殺した犯人が野放しにされるんだ!?」
つい、大声をあげてしまった。
左喩さんは何も悪いことをしていないのに。
しかし、左喩は冷静な面持ちのままだった。
「この世界はそういうふうにできているんです。昔からそういうものだったんです」
魁斗は顔が引きつる。
「そんなの……絶対におかしい……」
悲痛な心の叫びが消え入りそうな声とともに漏れ出る。左喩は一度目を閉じてから、そして、ゆっくり開いた。
「はい。おかしいんです。だから、わたしはこの世界を変えたいと思っています」
芯の通った声、力のこもった眼《まなこ》で左喩は告げた。魁斗は一度うつむき目を閉じる。頭をクールダウンさせる。
事件後、なにかおかしいというのには気づいていた。ニュースでは取り上げられていないし、新聞も小さな文面しか載っていなかった。文言も『通り魔か?』のみ。警察に至っては、早々に捜査を打ち切っている様子。理由はおそらく、犯人が裏世界の人間だからだ。持てる権力を使って罪を逃れたのだろう。
魁斗は、また熱くなりそうな頭を落ち着かせるため、大きく息を吐いた。
「すいませんでした」
大声をあげてしまったことを謝罪。頭を下げる。
「いえ」
左喩は表情を崩さず、答える。
「他には何か質問ありますか?」
魁斗はもう一つ口にする。
「おれを引き取るってどういうことですか?」
そう、これもどういう意図か分からない。
「言葉の通りです。魁斗さんは今、身寄りもないですし、危ない立場にいらっしゃいます。なので、ここに……皆継に住んでいただこうと思っています」
「ここに、住む?」
魁斗は左喩から累に視線を移す。累は魁斗の目をしっかり見て、頷いた。
少し考え込む。
皆継家に住む……
自分は母を亡くした今、たしかに身寄りも頼るべき場所もない。そして、今まで通りに過ごしていれば、自分ももしかしたら殺されるのかもしれない。その理由は分からないが、自分が紅月で、裏の世界とつながりがあり、何かしらの理由で命を狙われる可能性がある。累もそう言っていたし、それは間違いないのだろう。
でも……
魁斗は熟考して、もう一つの疑問が生まれる。それを実際に投げかけてみる。
「左喩さん。でも……おれって、紅月と関係があるんだとしたら、皆継とは敵対している側になるんじゃ?」
話によれば≪紅月≫は大陸の勢力。深海に属する≪皆継≫とは敵対勢力にあたるはず。敵対関係にあるかもしれない輩をどうして受け入れようとするのだろう?
「そうなりますね」
「だとすると、おれって皆継にとったら危ない存在なんじゃ……?」
皆継にとって自分を引き取ることに何かメリットがあるのか、と疑問に思ってしまう。
左喩は、意外に頭が回りますね、とばかりきょとんと目を見開いて、一呼吸置き、そして質問に答えてくれた。
「そうですね。魁斗さんは危険な存在、それは事実なのだろうと思います。でも、その事実が確定してないとはいえ、知ったのは、たった今ですよね。魁斗さん自身には、なにもしがらみやわたしたちと争う理由はないはずです」
それは、確かにそうだけど。
「それでも、おれをこの家に置くって、どういうことですか?」
投げかける魁斗の質問に左喩は、「ん~」と声を漏らし、頬に手を置き小首をかしげながら、分かりやすく思案している顔を浮かべる。
「たしかに、魁斗さんをこの家で預かるのは危険が伴うと思います。ぶり返して申し訳ないのですが、事実、あなたのお母様は何者かの手によって殺されました……」
その言葉を聞くと、心臓が痛くなり、魁斗は苦悶の表情を浮かべる。
「しかし、あなたは皆継で引き取ります」
理由が分からず、呆気にとられた顔を浮かべてしまう。『なんで……?』という疑問を質問する前に、左喩は意図を汲んだようにニコッと微笑んで理由を述べてくれた。
「一つは、理由は明かせませんが、ある人との約束とだけ言っておきましょう。もう一つは、そもそも、わたしはこの争い事態、ばかばかしいと思っています」
呆気にとられる魁斗は理由を聞いても、すぐには理解できなかった。
「わたしはそういうばかばかしい、しがらみや敵対関係、権力争いをこの世界から無くしたいと思っています。それに、魁斗さん自身にはなにも罪がありませんから。……でも、魁斗さんはこれから生き残るために身につけなければいけないことがたくさんあります。それを、伝えるためにしばらくお時間をください」
左喩はそう言ってにっこり笑う。
魁斗の現在の状況からも、頼るのはありなのかもしれない。もし、自分に身寄りや親戚が実は居たとしてもどこにいるかも分からない。もしかしたら、その身寄りも殺されているかもしれないし、もしかしたら、その身寄りに母さんは殺されたのかもしれない。なにを信じていいか分からないし、信用などできない。誰かにすがることや協力を得る手段が見当たらない。だけど、この家は累が紹介してくれた。それだけで、この家は信頼するに値する。それに、累と会話した母を殺した犯人にたどりつく方法は、自分が裏の世界に入ること。だとしたら、今選ぶべき選択は……
「それに……」と、左喩が言葉を継いだ。
「もし、魁斗さんが≪紅月≫の人間だとしたら、近くに置いておいた方がすぐに対処できますし。こちらの方がメリットが大きいかもしれません」
そう言って、ふわりとほほ笑む左喩に対し、魁斗が抱いた感想は、
この人、要注意だ……。
※
左喩との話はいったん終わり、縁側に腰掛けて、立派な庭園を眺めながらお茶を飲んでいると累がちょこんと隣に座ってきた。
「まだ、悩んでるの?」
累は魁斗の顔を覗き込みながら、尋ねる。魁斗は庭園を眺めながら座り続けて硬くなった体をグッと伸ばした。
「悩んでるっていうより、色んな情報がありすぎて整理できてない」
「勉強できないもんね」
間髪入れずに軽口を叩いてくる。こんな時にも軽口かよっと、いつもなら、反応するが今はそんな気分でない。小さくため息をつきながら、口を開く。
「……それよか、累。お前はいつからそっちの世界にいたんだ?」
累の目を見ようとするも、逸らされ、目線を合わせてくれなかった。
「さあ、いつからだろ……?」
累はそう言って目線を落とす。うつむいた表情は髪の毛で隠れて見えない。
「お前っていつもそうだよな。昔っから隠し事が多いというか、秘密主義というか……」
その言葉に累は複雑な表情を浮かべているようだが、それでも、一向に目を合わせようとはせず、
「いろいろ、落ち着いたら話すよ……」
「……」
魁斗は、はあーっとわざとらしく大きなため息をつく。
「いいよ。なんか理由があるんだろ?」
「……うん」
「じゃあいいや、この話は終わり」
魁斗は、これ以上は深堀しないことに決めた。
累がいずれ話すって言うんだったら、その言葉を信じて待つことにする。
二人は同じタイミングで一度お茶を飲み始める。顔を上空へ向けると、一転も曇りもなく空は流れている。自分の淀んでいる心とは大違いだ。
「あと、ごめんね……。勝手に話を進めて。でも、これが一番安全で一番の近道だと思ったから……」
「近道?」
「見つけるんでしょ。犯人」
累は今度は魁斗の目を強く真っすぐ見つめてから話した。
魁斗は表情を力強く固めて、拳を握りこむ。
「うん」
累はそれを見て、ほんの少し微笑む。そして、わざとらしく明るく振舞い、もう一度魁斗に軽口を挟むこととする。魁斗にとっての答えはもう決まっているはずなのに。
「魁斗。この先、あんたが選べる道はたぶん二つ」
累は縁側からジャンプして庭に降り立つ。髪をふわりと躍らせながら、振り返り、言葉を続ける。
「一つはバレないように、この世界のどこかで隠れて生きるか? 大丈夫よ。こっちを選んでも私がずっと一生守ってあげる」
そういって、手を伸ばす。
差し出された手を一秒だけ見つめるも、魁斗はすぐに「何言ってんだよ」と軽く累の差し出してくれた手を叩いた。くすぐったそうに累が薄く笑い手を引っ込める。
「二つ目は、この世界を知り、世界に負けない力をつけて、辛くて厳しいこの世界を生きていくか? こっちは確実に地獄よ。選ぶのは魁斗。あんた」
答えはすでに決まっている。
魁斗は意を決した面持ちで、されど、やわらかい笑顔で累に返答した。
累は、その答えに悲しみとも喜びともとれる笑顔を浮かべてから、魁斗を見据える。
「生活一変するよ」
「もう一変してる」
「すごく辛いよ、これから……。たぶん、いろいろとすることもなる。もしかしたら死ぬかも……」
「えっ、死ぬの!?」
「……ほんとに死ぬぐらい辛いよ」
でも、あんたなら……。
累は言葉には出さず、魁斗を見つめる。
「そっか、怖いな……。でも、覚悟はできた」
そう言うと、魁斗は真っすぐと前を向いた。
累はその姿を横目にチラッと覗く。
その顔は、強くて曲げられない覚悟を映し出していた。
真っすぐで綺麗な月のようだと、思った。
頑張れ魁斗。
心だけでメッセージを送る。
そのメッセージが本人に届いたのかは分からない。
この日から、魁斗の日常は大きく一変した――
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