上 下
4 / 51

#4 魔境に迷い込んだ子羊

しおりを挟む
「…………」

 ◇

 かかってきた電話に困惑の声を上げた海潮に、勿論のことで竜司も事情を聞いた。

『お恥ずかしいお話しなのですが。アタシ、お店の経営をしていまして、…それで、もう開店をするのですが。従業員の2名が欠勤となってしまいまして』

 海潮がお店を経営をしていると話で、もう、ここで同じ経営者としてなんとも言い難い同情と、状況の混乱を察してしまう竜司だ。
 さらに海潮は続けて言う。

『1人でしたら、あてはあるのですが。あと1人となりますと、…困りました』

 頬に手を当てて、あざとくもため息を吐く海潮の様子に。
 腕時計を見る竜司がいる。帰りたいとかではなく、ただの時間の確認だ。
 そんな竜司の様子に海潮も、
『ああ。そうだ、お金の方を渡していませんでしたね』
 彼が金銭を待っているものだと思い込み、そう竜司に言い、財布を出すと竜司の手を握り金銭を置いた。乗せられた金額に竜司も目を見開いた。あまりにも――多すぎる額だからだ。

(~~縁司君っっっっ!?)

 身体が身震いしてしまう。この金銭を返したいのは山々だが、そうしてしまっては。
 恐らくは――弟が黙っていないだろうし。また、彼女と会ってしまうのではと。
 ここは、この額を受け取り。彼を説教する他ないだろうと思った。

『長く引き留めてしまったお詫びですよ。それでは、またお会いして頂けることを待ってますね』

 深々とお辞儀をして、指先をひらひらと行こうとする海潮を竜司も。
 困っている彼女との別れを、心から嫌だと思ってしまい。

『っぼ、僕じゃ助っ人の1人にはなれないのかな!?』

 言ってしまった。
 声を張って、彼女まで走り背中に向かって。

 ◆

 そして。その行為に――

(ぉ、…お店って…)

 今、どん底までに後悔をしてしまっている。

 三柴海潮の経営するお店とは。
 男性ばかりが集うメンズカフェとは名ばかりのバーでありパブの何でもありなお店だった。
 店内は勿論のこと、様々な年齢層の男性がおり。従業員も男性だけだが女装をしているのも多く。一見したら、男性オンリーの店とは思えない。

「もぉう♡ 縁司さんが優しい男性ですごく嬉しいです♡」

 満面の笑顔を向ける海潮も、勿論のこと――男性であることも竜司に知らされた。
 だが、気持ち悪いだとか気色悪いだのと感情は一切と沸かなかった。
 そういう感情を抜かしても、竜司は海潮が可愛く思っていたし手伝えたことが嬉しく。
 笑うときに出来るえくぼも好きだな、と思っている。

「っそ、そうですか? …でも、やっぱり僕は場違いだなぁ」

 そう感情のままに流される竜司に海潮は、あろうことか自身の赤色のワンピースを着せた上で黒いエプロンを貸し、淡く化粧を施していた。短い髪には縁司のような花の飾りが散るカチューサを着けさせている。細く長い足には黒いニーハイを履かせていた。
「お似合いですよ? 縁司さんは、身丈が細いですから。私の服が少しぶかぶかで嫉妬してしまいます」
「嫉妬されても、…縁じ――兄も、同じくらいに細いんだけど」
「? お兄様がいらっしゃるんですか? 縁司さんには?」
 竜司の言葉に食いついてしまった海潮に、
「ぁ、ああ。はい、いますよ。18歳差と離れてますが」
 タジタジと、しどろもどろと言い返すしかないが。しまった感もある。
「そうですか。似てらっしゃるんですか?」
「…ぃ、いえ。あまり、似てはいませんね」と嘘を吐いた。
 ここでそっくりと言ってしまえば。後で、嫌なことがありそうだと思ったからだ。
「そうなんですか? まぁ、私は縁司の顔は好みですから♡」
 喜々と言う海潮に、「そぉ、ですか?」と竜司も照れてしまう。
 
「ママ。その男の人がヘルプの方ですかぁ~~?」

「ええ。そうよ、マユちゃん」
「じゃあ。早速、働いてもらってもいいですかぁ? 今日は【あの日】だからーお客様が多いんですぅう」
 マユは短いランピースに太ももまでの短いダメージパンツ。白いニーハイと赤いブーツの出で立ちだった。前髪は短くパッツンで、頭部でお団子ヘアーに、丸い眉毛と吊り上がった目が特徴的だった。
 化粧はしているのだろうが、全くとそうは見えない。
「あら! 嫌だ、私ったら忘れていたわっ。なんて日にヘルプをお願いしてしまったのかしら…」
 両手で口許を覆う仕草をする海潮に、竜司もビクビクとするばかりで。そんな言葉なんか、聞いてもいなかった。

「…長谷部にも、なんて日にヘルプをお願いしてしまったのかしら…」

 小さく漏れた海潮の言葉を遮るかのようにマユは竜司の手を掴み。
「さぁ、行くよ! 新人君♡」
「っちょ、ちょっとぉー~~!」
 勢いよく店内へと足を踏み入れた。
しおりを挟む

処理中です...