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#27 おにねーちゃん騎士くん、地獄に堕ちる

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 戦の女神は声高らかに地の底へと、闇落ちをした実兄である彼の名前を呼んだ。

《戦の悪魔コマンドル! 降臨せよ!》

 しーん。と辺りの空気も静まり返る。
 だが。

「来ない、わね」

《はぁああ!?》

 怒りに歪んだヴェネットは足元を見据えた。

「ひょっとしてなのだけど。今、戦いの真っ最中だとか、抜け出せない状況なんじゃないのかしら?」

 顎の髭を指先でなぞり、アララギ自身も待つことは嫌である。
 時間が有限ではない。時間がなくなってしまえば入学も叶わなくなってしまう。とりま、ツケを支払うにしても一括となるのかどうか、時間が刻々と過ぎて行く。

「行きましょう。その方が手っ取り早いわよ」

 簡単にいうのだが。
 行くは行くでも、地面の底の底。

 人はその場所を――《地獄》と呼ぶ。

 行きはいいが何事もなく帰って来られるかどうかの問題だ。

《行くと申すが。我はついては行けんぞ。羽根が焼かれてしまう。堕天なぞしたくはない。白肌の美肌と美しい羽根をもがれたくもない》

 ヴェネットの言葉にボルボットも無表情で見据えた。すん、と。

《それで、アララギちゃんは。どうやって行く気?》

「え? どうやっても何も、普通によ?」

 あっけらかんと応える。しかし、一般的の普通と、アララギの普通は、また別次元だと、誰も彼もと知るところだ。

「それじゃあ。時間も押しているから、ちょっとアタシも行くわね」

 にっこりと笑うアララギに。ボルボットも苦笑いを返す真似しか出来ない。
 手をひらひらと振る。天使に見送られ、女神には信じられないとかあり得ないとかの表情で見送られ、調合室から外へと出た。朝の晴天が嘘のように空は淀み、ぽつぽつと小雨も降り始めていた。

 アララギも宙へと顔を見上げた。水滴が顔にぴちゃぴちゃと弾む。

「そういう訳なのよ! 私を堕落させてちょうだいなっ!」

 聞いているだろうとばかりに宙に向かって、大声でアララギが言う。
 その言葉にアヌとアデルが、外へと顔を向けた。

 一体誰と話しを? と誰もが思う疑問なのだが。
 すぐに解けた。

 ビリビリ、だの。

 ゴぉオオ! だのと稲妻がアララギに当たった。

「「ぇええ!?」」

 思いもしないことに二人は外へと飛び出るも、アララギの姿も形もなく、黒い影のような形が雑草にあるだけだった。

《恐らくは父に頼んだんじゃないのか?》

 沼の女神ガシャーラが腕を組んで、鼻先を一蹴させて言い捨てた。

「しししし、死んだのかしら?」

《恐らくは、死んではいない》

「身体も残っていないしっ、帰りはどうするの! アデルは、パパが……心配っ!」

 顔を両手で包んで、アデルは泣き出してしまう。

《まぁ、父が絡むのなら、兄上も絶対に絡むから大丈夫だろう。泣くな、アデル。目を赤くした顔を、戻って来たアララギに見せられるのか? ほら。大人しく、待つとしょうじゃないか。彼がいつものように帰って来るのは当たり前なんだから。考えてもみて? 彼に、アララギに挑む猛者なんかか、どこを見渡しても、どんな神も、どんな悪魔も、そんな馬鹿なんかがいる訳がない》

 ◆

《こんな状況下で! 行けるか! ヴェネットの奴は何の用だったのかっ!》

 鎧の悪魔 コマンドル ボヤく!

 地獄も、いつもどこかで諍いがイヤなほどに起こっている。諍いを終わらせるためにコマンドルも加勢をしている。今が、ここぞという局面である。その為、コマンドルのにっちもさっちも、声には応じられずにいた。しかし、妹であるヴェネットに呼ばれるとは、いいことなのか、悪い局面なのか、加勢をして協力の要請だったのか。

 悶々、と脳内は戦いどころではなくなっていく。

《一っっっっ体! 何用だったんだっっっっ!》

 胸がざわつく。 神と悪魔と立場は分かれようとも兄妹の絆は変わらない。
 一心に戦う悪魔たちを他所に、心がここにない状態だ。

《ヴェネットっ! っくったっれがっ!》

 ずどん! 

 ビリリっ! だのとコマンドルの真横に美しい雷が落ちた。

《っな!》

 あまりのことにコマンドルの目はまんまると、鼻水も垂らしてしまう。

 一体、何が落ちて来たのか。天の回し者なのか。などと考える頭もない、真っ白となっており、口ぱくぱくとさせていた。
 唖然と茫然と全身硬直となっているコマンドルに、雷の黒煙から「コマンドル」と声が自身の名前を呼びかけたことに顔面蒼白と身体には大粒の汗が浮かび上がっていた。
 声が突然のことに、脳も反応もせずに出ないという由々しき事態である。

 一体、誰なのか。

 その一点がコマンドルの疑問である。
 他の悪魔たちも、落ちた雷の音と煙の先を固唾を飲んで魅入っていた。

 ごきゅりと、誰かが生唾を飲む音も鳴らす。

 何者だ、と、コマンドルも言おうと、ようやく声も出せそうになったときになって、ようやく判明をする――誰だったのかが。

 晴れて行く黒煙の中から姿を現したのは。
 ちみっとした髭面の少年に見える青年。

 神々や悪魔たちから溺愛されし存在。

《! デイーニっ》

「やほーコマンドルさぁん」

 にこやかに手をひらひらとさせる彼に、コマンドルの膝が限界とばかりに地面に傅き、項垂れてしまう。
 呆れてしまったのと緊張の糸が切れてしまったからだ。

「あれぇ、どうかしたのぉう? お疲れちゃぁん?」

《……黙れ。はぁああぁああアっ》

 大きくため息を吐くコマンドルにアララギも小さく鼻先でため息を吐いて、辺りの戦況を見渡す。

 劣勢なのかしら、と。

 むくりとコマンドルもガシャン! と鎧を鳴らして立ち上がり大きく腰に手を置いて曲げた。

《それで何か用事か? ああ、ヴェネットが私を呼んだのも、貴様が絡んでいたのか?》

「ええ。ヴェネットに頼んだのはアタシよ。貴方に用事があったからよ」

《そうか、しかし。戦況も分が悪いのだ。貴様の用事に応じられように見えるのか? しかし、よくも地獄の底に来たものだ。貴様は、……聖騎士ではなかったか? 息とか、身体とか……平気なのは、何故だ?》

「ああ。貴方は私の結婚式に来なかったものね。知らないか。私、魔女と結婚して《暗黒騎士》になったのよ」

 くわ! とコマンドルの目が大きく見開かれた。

《暗黒騎士に、なったとなっ!》

「ええ。そうよ。それで用事というのわね、……まず、この戦況をどうにかしないと叶わないみたいだし。私も協力しましょうか?」

 アララギの言葉に、バクバク! と嫌な予感がコマンドルの胸中で不穏にも高鳴る。協力は嬉しいのだが。大変となく嬉しいのだが。瞬殺とばかりに解決もして終わるのも目に見えて想像も出来るのだが。

 頼むことが恐ろしい。
 満面の笑顔の青年の腹の内が読めずに、困惑しかない。

「いいかしら? 人間の私が片をつけても」

 否定をし断るか。

 肯定とし承諾するか。

「コマンドルさぁん?」

 仲間である、全悪魔がコマンドルへと視線を向けた。
 羨望と期待。早く、諍いを終わらせたいという憔悴しきった表情と感情もない目たち。

 決断をしなければならない。

 分かっている。

 だが。人間に悪魔の戦況を変えてもらう助太刀を頼んでもいいのか。
 面子が保てるだろうか。悪魔の頭としての自身を。

《目的は、何なのだ。貴様》

 ようやくアララギにコマンドルが聞くことが出来た。 脳がようやく、状況の確認に動いたのだ。

「貴方の鎧を貸して貰いに来たのよ」
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